『Some Misunderstanding』ジーン・クラーク | ジョリのブログ

ジョリのブログ

ブログの説明を入力します。

 ブラック・クロウズのクリス・ロビンソンは、まだ若いので除外しておいて、もし、今存命中のミュージシャンで、亡くなったとしたら、一番ショックを受けるであろうのは、ボブ・ディランでも、ポール・マッカートニーでも、ビリー・ジョエルでも、ドン・ヘンリー(ドン・ヘンリーは、あまり好きじゃないが)でもなく、バーズのロジャー・マッギンじゃないかと良く思う。それほどまでに、バーズは、自分にとってなくてはならない特別な存在なのだ。

 でも、その特別なバーズの中心メンバーは、ロジャー・マッギンなんだろうけれども、ロジャー・マッギンの歌声は、ビートルズにおけるポール・マッカートニーの歌のように、ジョン・レノンの歌ほどには、迫力や憂いといった点で少し物足りないものを感じる。

 バーズの初期のヒット曲「ターン・ターン・ターン」を聴くとよくわかるが、バーズの歌の核心を担っていたのは、ロジャー・マッギンではなく、ジーン・クラークだった。

 ジーン・クラークの歌声は、ブラームスの多くの曲と同じように、鬱だったり、頭の中で渦巻いて消化しきれない、もやもやした気持ちなんかを、中和してくれるような、音楽性がある。素晴らし声なのだ。

 

 ジーン・クラークの『No Other』というアルバムは、あまり商業的に成功しなかったにも関わらず、名盤という評価も一部の間ではある。

 このアルバム、ヒットしなかったのもわかる。アルバムを聴いて、全然、良くないと感じる人も多いと思う。だが、このジーン・クラークの歌声にいったんはまってしまったら、他の人には代えがたい、とてつもない魅力があるのも事実だ。

 ジーン・クラークは、なんと46歳という若さで亡くなってしまったが、中年を過ぎて、老年にさしかかろうとする自分には、本当にたまらない歌声だ。

 

 

 

 

  関係のない話。

 今日、わりと近所のスタバに行ったが、店員の人がすごく感じが良くて感動した。素晴らしくトレーニングされていると思った。コーヒーはそれほどおいしいわけでもなく、座席も座った場所がカウンターの堅い座席だったこともあり、座り心地は良くなかったが、あんなふうに素晴らしい接客をされると、コーヒーは値段以上の価値があったと、思った。

 やっぱり、飲食店に限らず、普段の生活でも、そういう愛想の良さは、基本的な生活態度として身につけたほうがいいものだとあらためて感じた。

 実は、そういうことが、うまくできなくて、いちいち落ち込んだり、暗い気持ちになっている弱い人間なのだが、そういうときは、ジーン・クラークでも聴こうと思う。