椎名林檎のPV集は3つあるが、私はとりわけ、「参」が好きである。番場氏の映像の美しさと、曲の世界観を引き出す技術には本当に感動するのだが、中でも「迷彩」は本当に秀逸なPVであるとわたしは思う。
このPVで、三人の林檎が出ているが、ひとりはまるで尼のように存在し、もうひとりは、歌手でありながらも、時折、『女王様』のように君臨する。そして最後のひとりは、このPVで描かれている饗宴を持成すメイドだ。
まず、この饗宴が異様な雰囲気をしている。饗宴というよりは、狂宴、といった感じである。
出演している斉藤ネコや、浮雲らは、概念というようなものがここには存在しない、とでもいうかのように、ある種の傍若無人さでここには存在している。そしてそれに恐れをなすのが、瞼に眼を描いている青年役の山口氏である。
また、彼の怯えようもある種の危険さがあり、彼が逃げたその場所にいる、『女王様』のような林檎は、それこそ鞭を持って、彼をいためつける。
このPVが秀逸なのは、曲が進めば進むほど、物語と映像が交錯し、瞬間的なパワーをいくつもの場面で出しているところなのだ。
「修正ペンの白さ」という歌詞に至ったときに、女王にいたぶられる山口氏と、逆に女王を『修正ペン』でいたぶるシーンがでてくるのだが、これにはある種の脅威を覚える。
それは、曲の世界にもリンクすることなのだが、修正ペンの白さ=精液 のことである。
番場氏は、<男>が<女>を『修正ペン』でいたぶる、という極めてデリケートな部分にも触れるような表現をしている。
しかし、ここにある、ある種の倒錯めいたシーンは、曲の世界に実直なまでの表現でしかない。
椎名林檎が唄っていることは、そんな『修正ペン』への恐怖である。
それを衒うことなく、むしろそれらすべてを許容し、そして嘲笑をもしているかのようなこの『ストーリー』がとてつもなく、衝撃的だ。
また、最後に登場人物全員が狂いの果てに倒れた後に、<メイド・椎名林檎>が、山口氏に、煙草の火を点けさせるシーンがある。
このシーンをはじめてみたときの、わたしの衝撃といったら!
鳥肌が一気にでて、わたしは<衝撃>に完全に飲まれていた。
ここには、『可愛らしい』メイドに溺れている、青年(山口氏)への堂々とした嘲笑もあり、また、ことのなりゆきを見届けていながらも、なにひとつ手出ししなかった、メイドの林檎への畏怖がある。
狂気の果てにあるものが、さらなるアブノーマルだなんて!
これは、まさしく<衝撃>なのだ。
これほどまでの作品をつくりあげる番場氏の力には、本当に感服せざるを得ない。こんなに恐ろしくも惹かれてしまうPVは、はじめてなのだ。








