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最近、直接人と話すよりも、
ネットを使ってコミュニケーションを
する機会が格段に増えた。
改めて、直接言葉で話すよりも
「表現の難しさ」を感じる。
メールやLINEのやり取りでは、
【お世話になっています】~
【引き続きお願いいたします】
といった、「定型文」のおかげで、
事は済むが、講演会で使用するテキストでは、
かなり「表現」で神経を使う。
仮に、しゃべる【表現】で、
もし受け手を「傷つける」表現
があったとしても、
ほとんどの場合スルーされるが、
文字や、記録として残る
【表現】はそうはいかない。
修正や訂正、時には謝罪まで
必要となってくる。
私の場合は【公人】ではないため、
政治家や芸能人・スポーツ選手の様な
【吊し上げ】や【炎上】はないが、
場合によっては、主催者側から
【NG】がでるかもしれない。
【誰も傷つけない表現】を
逆に考えると【人を救う表現】となる。
もし、そんな表現があったとしても、
考えが異なる人間の全員が
救われるとは思えない。
社会性動物である人間は。
必ず複数で活動する。
そうなると、環境や個性が違うため、
必ずいざこざが起きる。
感情も思考も共有することは
できなからだ。
「私は傷ついた!」となった場合。
何に傷がついたのだろうか?
体?心?精神?
直接本人が「攻撃」された
場合はわかるが、
それ以外については、
受け取る側の
能力・資質・人格が
あまりにのも脆弱で、
ある種の妄想によるもの
ではないか感じる。
それは、表現発信者側の
背景や思考などを考慮せずに、
一時の感情や、被害者意識に
よるものが強いと感じる。
たとえば、昔話にでてくる
「主人公」が仮にラストで、
命を落とす場合。
「主人公が命をおとすなんて!」
「わたしは傷つきました!」
なんて、クレームとなるのか?
なぜ、この表現となったのか?
この表現には何か狙いがあったのか?
ここまで考えるのが知性のある
「大人」ではないかと考える。
表現する側だけを封じ込める
のではなく、双方の問題と
するべきだと思う。
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