進学教室StudyGymは多賀城市、塩釜市などの公立中学校から公立高校への進学を目指す皆様を対象とする進学塾です。
私立中学の皆さま向けの指導は行っておりません。
数学は更に悲惨でした。数学は高1の4月で早々と脱落
寺子屋ふじかわ先生のこの記事を読んで、『ああ、これは自分のことだ。』と思いました。
私は高校時代に勉強に関し、あらゆる失敗をしました。やり尽くしたといっても過言ではないと思っております。まずは、その昔私の状況についてお話しします。
今も同じような状況に陥り、苦しむ方があとを絶ちません。
何本かのシリーズになりますが、後半の記事ではその事についてもお話ししてゆきます。
数学の先生は、たまにしか宿題を出さないし、生徒に当てない。予習しなくてもおこられない先生でした。
初回の数学の授業で先生が最初におっしゃったこと。
『えー、君たちは厳しい試験を通り抜けてきた優秀な生徒であるからして、第一章の数と式は飛ばしてもいいよね?』
私は、複雑な『たすき掛けの因数分解』がわからなかったので、そこの説明が聞きたかったのに、飛ばされてしまい大ショックでした。
とにかく高校の数学は、教科書の練習問題からして解けない。
なのに、先生は私の分からない問題も容赦なく飛ばす。
すぐに、教科書ガイドを購入して何とかしようとするも、知識が無さ過ぎて理解できず途方に暮れました。
数学をやると、ほかの教科の勉強が進みません。
英語の宿題をやらないと英語の先生に怒られるので、提出のためだけの英語の宿題をやって、数学をやらなくなってゆきました。
数学は定期試験が近づいたとき、まとめて宿題が出されました。
教科書問題はガイド丸写し、問題集は例題と首っ引きでやりました。
練習問題は、ガイドや参考書でそっくりな問題を見つけ、数字を入れ替えて解くというようなことをしていました。
なぜその式になるかを理解せずただ真似しているだけなので、解いても解いても理解が深まりません。
※注釈 数学では、なぜその式になるのかを理解することが最も大切で、理屈がわかればあとは手の運動にすぎません。理解することから逃げていてはどうしようもないのです。
程なくして数学の赤点地獄が始まりました。
初めて赤点をもらったのは、夏休み後の最初の定期考査です。
その後は数学赤点の常連メンバーとなりました。
それを回避したく、自分で思いつく限りの工夫をしてみました。
例えば、
①授業を聞くのはやめて、参考書で自分で勉強をする。
同じ目的の本を2冊(教科書と参考書)やると、時間がたりなくなり、両方とも1周もせず中途半端に終わり失敗。
②睡眠時間を極限まで削って、体力の限界まで勉強時間を増やしてみる。
頭が回らず授業中爆睡し、挫折。
全く状況は変わりません。
そんなことをしても、自分には全然時間が足りなかったのです。
勉強時間が足りないから成績が落ちるのなら仕方がない。
復活したければ勉強時間を増やせばいいのだ。
しかしみんなと変わらず1日3時間も4時間も机に向かって勉強しているのに、悲惨な点数しか取れない。
このときの私は、全くの無力感に襲われ、自信をすっかり失っていました。
それでも自分だって函館ラ・サール高校に合格したんだというプライドだけで勉強を続けていた。
失敗②;この考えが、悪かった成績を更に引き下げた。
まだわかってないけど、学校が先に行ってしまったからついてゆかないと。
自分の理解は章の途中までしか出来てないのに授業が新しい章に入ったら、それを途中で放り出し、次に手を付け、理解不能に陥る。
そしてついに、当時 数学Ⅰ に入っていた 対数関数(logのついている数式が出てくる所)で、人生初の0点を取りました。
高2になってからは、物理が全く分からず、3回連続0点だったことを覚えています。
留年回避のため、学年末試験は必死に頑張って、違う点数でした。(数字は覚えていません。)
その後も、高校の学業成績は低空飛行のまま卒業まで続きました。
失敗③:苦手教科を避けるのは逃げと考え、『とりあえず一時撤退、そして考える』ということができませんでした。
進路選択の時も、数学が苦手だから文系に進むというのは『逃げ』『卑怯者のやること』だと思っていました。
だから、敢えて理系の王道パターンクラス(数Ⅰ・数ⅡB・数Ⅲ+物理・化学クラス)を選びました。
その結果、赤点は、数学のみならず、英語・物理・化学にまで拡大し、卒業席次は理系クラス144人中142番になりました。
失敗④:自分には全教科を万遍なくやりきるだけの力はない、しかし、科目を絞るのは卑怯者の考え。
学習内容が多すぎて、自分にはすべてをきちんとした形でこなすことはできない。
私には『だったらこうしたら?』と考える心の余裕がありません。
完全に勉強のやる気を失い、グレていました。
高校3年生の秋には、受験勉強からすっかり逃げてしまいました。
毎週土曜の夜は、点呼が終わると寮の窓から抜け出し、同じく落ちこぼれていた自宅生に誘われるまま彼らの家に行き、飲み会とか麻雀をやって遊んでいる日々です。
見つかったら、停学です。
しかし捕まることなく卒業を迎えることはできました。
遊んでいる時はそれなりに楽しい。
しかし寮に戻ると、うまく受験勉強を進められている仲間がすごく遠い存在に見える。
『これからの自分の人生は一体どうなってしまうんだろう?』という気持ちが日に日に大きくなり、大きな重石(おもし)の様になって心にのしかかっていました。
『こうやって逃げても根本的な解決にはならないんだ。』
『どっかでもう一度立ち上がらないと・・・。』そういう気持ちだけは失わずに残っていました。
2年以上も中身の薄い学習生活をしてきた自分に合格できる大学がないことはわかっていました。
それでも、1校だけ、北海道大学(理類)を受験しました。もちろん不合格。
(注釈)私の高校3年生の年は共通一次が始まる前の年、国立大学1期校・2期校があった最後の年です。北大は、文類・理類・水産類・医進・歯進で学生を募集していました。
さて、私は本当に復活することができるのでしょうか?
(次回に続きます)
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*最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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