本日、職場の忘年会のため勉強なし。そんな時期だよなぁ。

昼休みはすっかり読書タイム。
いま私のiPhone内には200冊を超える本が入っている。そのほとんどがPDF化したものだ。先日『エミール•ガレ ガラスの詩人』をこの形式で読み終えた。学生時代にはピアノやダンス、修辞学などが必須科目として上がっていることを知った。当時の教養だったのだろう。隙間時間だけでもかなり読み進められるので驚いた。

そして、次に中村雄一郎『共通感覚論』を読もうとしたが間違って中沢新一『はじまりのレーニン』を読み始めてしまった。読み出してしまったので、最後までさっさと飛ばそうと思ったのだが、これが結構面白く読んで良かったと思っている所だ。レーニンが科学や哲学の研究に力を入れていたなんて知らなかった。でも、エンゲルスやマルクスなどもそうだが、科学や歴史の成り立ちから説いているわけで、そういうことを知るだけでも目から鱗が落ちる思いがする。その時点での社会の構造を知るために、科学や哲学、歴史などおよそ知りうる知識を総動員して理解し、思考する。そういう姿勢を垣間見た気がする。

毎朝、開館と同時に図書館へ行き昼休みを経て午後も閉館まで本を読んでいたそうだ。確かマルクスもイギリスの大英図書館で勉強していた。その結果書かれたのが『資本論』だ。南方熊楠も大英図書館にこもって抜き書きをしていたなあ。本好きなので、こういう本絡みのエピソードにはすぐに反応してしまうのだ。

週末は、ちょっと腰を据えて勉強を進めよう。
36分。瞬間英作文のみ。

車の中で聞いているCDもそれなりに聴き取れる様になって来た。それにそろそろ飽きて来たので、違うものに変えようと思う。幸い、教材は色々と買っているので替えには事欠かない。まあ、それだけ手を付けては替えて来たということでもあるのだが。

それから、昨日も書いたがiTunesから様々な英語の素材を入手出来るので、ものによってはかなりレベルも高くまだまだ手も出ないが、探せば理解できそうなものもあり、その中から適当に選んで聴いていくというのも多いにありだ。また、これもTwitterでも書いたのだが、スクリプト付きの音声もあり、音声を聴きながら画面(iPad)で文を確認、というのも少しやってみた。まだ本腰を入れて利用しているわけではないので、あくまでも触りだけの感想だが、結構いけそうだと感じた。何もそんな新しい端末を使わずとも音声を聴きながら紙の教材を見たって言い訳だが、折角だし持っているものは使い倒さなければ。

それに、聴いてみてつまらなかったり自分のレベルに合わないと感じたらどんどん他を探していったっていい。とにかく手に入れられるものは手に入れて、利用出来るものは全て利用していってみたい。何というか、自分的に総力戦だ。

また、手元の簡単な操作だけでこういった様々な素材を無料・有料の別はあれ用意に手に入れられるという可能性を知っただけでもとても嬉しいことだ。今はまだたいした語学力もなく、理解できそうなものを探さなければならないが、いくらでも面白そうなものが転がっていることが判ったので、自分の勉強が進めば、これからどんどん興味のある知識を得られるということだ。こんな嬉しいことがあるだろうか。

扉はもう開いていて、誰でも入ることが出来る。ただ、準備もなく入っても途方に暮れるだけだ。今の自分はまだその入り口から扉の向こうを覗き見しているだけの状態でしかない。
1時間16分。文法のみ。そのあと瞬間英作文を始めようとしたのだが、iPadで英語のPodcastを探し始めたら、色々発見があり、時間がなくなってしまったので本日は終了した。

英米の大学の講義が沢山聴けて(しかも無料!)とてもお得。映画の購入・レンタルも出来るし、何という時代なのだろうと今更ながら感心している所だ。いきなり興味のある事を聴いても自分の英語力ではなかなか理解出来ないので、まずは自分の知っている事が英語で語られていればある程度は理解が早いだろうと、「Japan」で検索して出た中から面白そうなものを落として聴き始めた。スクリプト付きの会話もあり、この先利用し尽くしてやろうと決心したほどだ。まだ聴いていないが、桃太郎などの昔話もあった。これから楽しみだ。

昨日の『GIGAZINE 未来への暴言』にもあったが、自分がネットでこれから変化するであろう様々な事柄の中で一番関心があるのは教育への影響かも知れない。

最近、電子教科書が騒がれているがそれもそのうち実現するだろうし(韓国などでは実用へ向けての実験が行われているそうだが)、そういう環境で育った人間がどういう思考を持つようになるのかにも関心がある。

本書の中にもあるが、ネットで何でも検索できると言ってもそもそも自分の中に多少なりともある事柄に関しての取っ掛かりとなる知識がないと、その検索すら出来ない。その手掛かりとなる最低限の知識を与える教育は必要だろう。むしろ、そこがしっかりしていればあとは自分でいくらでも広げていけるだろう。この現在の環境であれば。

何も子供でなくても自分でもそうだ。毎日ネットに接続して何かしら見ていると言っても、結局自分自身が目的を持っていないと、まったく世界が広がらず、見知った狭い知識の中でグルグルと回っているだけであることに気付く。どこにでも行けるが、意思と目的がないとどこにも行けない。

狭い知見の中だけに閉じこもっていることだけは避けたい。自戒を込めて。
本日勉強なし。読書してました。ちなみに読んだのはこちら。

『未来への暴言』

以下、とりとめもなく読んで感じたことを書いていく。

パソコン持ち込み可能な試験ではどんな問題が出されるか。これは立花隆も以前書いていたと思う。基本的な事は暗記が必要だが、調べればわかることは調べれば良い。試験会場でネットで検索して解かせる問題とは一体どの様なものになるだろうか。

レポートを自分で書かずにネットからコピペして提出。これは、すなわちその課題が自分で考えて書く程のものではないことを示しているとある。なるほど、そうとも言えるかと感じた。

誰が言ったのだったか、哲学上のほとんどの問題はその質問の仕方を変えれば解決する、と聞いたことがある。つまり、聞き方が悪いのだ。

何も哲学でなく日常生活においてもそういう場面に出くわすことがある。ある二人が交わしている会話で片方の聞き方が悪いためにその人が欲しいと思われる情報を引き出せずに空回りした言葉のやり取りがされているのを見ることがある。特に、もう片方が意地悪な場合によく当てはまる。きちんと質問していないので、きちんと答えてくれないのだ。そんな時でも、きちんと質問すれば答えてくれるだろう、というより、的を得た質問をすれば答えざるを得なくなると思う。

と、ここまでiPad用のキーボードに無理やり接続させたiPhoneで書いているのだが、とても快適で嬉しくなってくる。思いついたことをちょっとメモして、また読書に戻る。画面OFFもキーボードにそのためのボタンがあり、その都度ロックボタンを押さずに済む。これは本当にいい買い物をした。

このブログは英語学習の記録をするものなので一応書いておくが”今は日本語でいるが、いつかは英語でこれと同じことを出来るようになりたい”。これでいいかな?

この本は電子書籍化も予定されているそうで、自炊はしばし待たれよとのこと。この本のとある場所に書いてあるのを発見した。

明日に続く。
1時間25分。久しぶりに文法書を読んでから瞬間英作文の復習。

文法書は以前も書いたとおり、読んでいて面白い。けれど、果たしてコストパフォーマンスが良いのかどうか疑問が残る。ある文章を読んでいて、文法的にわからない部分が出た時に文法書にあたって学ぶのでもいいような気もする。

自分が今やっているやり方は、下からひとつずつ積み上げていく勉強方のような気がする。これを変えるとすると前述したような方法で、読みたい文章などにいきなり当たって、それを読むための知識のみを順次得ていくというものだろう。こちらの方がより目的に達する時間が早くなるような気もするがどうだろう。

瑣末な事象はさて置き、目の前にある課題(読むために必要ない知識)から優先的に学んで行くということだ。読む場合はそうして文法書にその都度あたるとして、聴き取りの場合はこのやり方をするとするとどうなるだろう。やはり、まずいきなりナチュラルスピードのものを聴いて、分かるまで聴くということになるだろうか。こればかりは、ゆっくり話されているものから次第に早さを上げていく方がいいような気もする。

今日の文章は、「気がする」ばかりで何も肝心な事を書いていないような”気がする”。色々な方法を試しながら勉強を進めて行ってみよう。