お久しぶりのブログ記事😁

 

昨日は11月のヨガのスケジュールをご案内しました。

 

 

スケジュールの記事の後に、

ちょこっと最近思ったことを書きました。

 




が、今日はもっとちゃんと書きますね❣️

 


 

つい先日のクラスであったことです🧘‍♀️

 


久しぶりの夜ヨガで瞑想をしました。

その日のテーマは

『本当の自分の望み、やるべきこととは?』

という自分に深く問うこと。


そしてその望みの湧き起こるエネルギーを感じ

そのエネルギーの源泉へと瞑想する。

 

そんなクラスでした。

 

 

バガヴァッドギーターという聖典の中にある

ある一節を引用しました。

 

 

 

第三章 35節

 

自己のダルマの遂行は、不完全でも、

よく遂行された他者のダルマに勝る。

自己のダルマに死ぬことは幸せである。

他者のダルマを行うことは危険である。

(バガヴァッド・ギーター 上村勝彦訳)

 

 

 


この文章内の「ダルマ」とはサンスクリット語です。

意味はよく「義務」と訳されていますが

「使命」「お役目」「やるべきこと」などと

訳しても良いかと思います。

 

いずれにしても、それらは

誰かから「やりなさい」と決められたことではなく

本当の自分の奥深くで「やるべきだ」と思うことや

自分がそれを行うことにより、他者を支えることが出来る事だと

私は理解しています。

 

 

と、引用をしましたが、

私が以前受けたカルロス先生の講座の中で

その文章をいろいろと砕いてお話してくれた時のこと。

 

 

この節が言わんとすることは

 

あなたの能力や強みに没頭しなさい。

そして自分の本質を見つけ、そこから行動しなさい。

成功を望むより、満たされた感覚を広げなさい。

 

こういうことだよ、と説明してくれました💖



 

もちろんこれは倫理観を植え付けることや

道徳観を説くものではないので、

「○○しなきゃダメなの?!」と思う必要はありません。

 

 

自分が自分らしく、本当に自由に

幸せに生きたいのなら、こうすると良いよ

という話なので、間違っても押しつけじゃないですよ~😅

(そもそも理解出来ない人は無理せず放っておけと書かれていたりする😂)

 

 


先日の旅行、ほんっっとうに満たされたぁ…🥹




少し説明が長くなりましたが…

 

その日の瞑想を終えて、生徒さんとお話しました。

そして、その方の感想がとても嬉しかったのです🙏🏽

 

 

私が「本当の自分の望みに気付いたり

その望みの生まれるエネルギーを感じましたか?」と聞くと

 

 

「私はモヤモヤしていました」とのこと。

そのモヤモヤについてお話して頂きました。

 

 

自分はずっと見て見ぬふりしていた嫉妬心に気付きました。

自分より素敵な作品を作っている方を見ては

「凄いなぁ!私はあんなの作れないな」と思っていて

でも「私は私だから、私はこれでいいのだ」と

自分に言い聞かせていたんですが…

それは言い聞かせていただけで、心の中では

羨ましかったり悔しかったり、嫉妬してたなぁって

今日はっきり気付いたんです。

 

こんなふうに、嫉妬してたなんて言葉にすることさえ

実は恥ずかしくって、今もドキドキしてるんですが

でも、ずっと見ないふりしていたから

この嫉妬を認められて、良かったと感じています。

 

 

 

私、泣きそうになりました…🥲

だって、すごーく分かるから…。



 

そもそもこれをテーマにしたのには訳があります。

私自身が、いろいろと焦っていた経験があるからです。

 


夜ご飯を作るワタクシ。料理は私にとっては瞑想に近い感覚なのだ💜



この一年近く、どうしてもやる気が出ずにいて

心身ともにライフステージが変わってきて

致し方ないことなのだろうな、と

頭では理解していたんです。

もう、諦めろ!と😂

 

 

だけど、気持ちは焦ったりします。

素敵なヨガの先生は世の中にいっっぱいいるし

SNSなんかでそういう先生たちが

生徒さんからの素晴らしい感想を挙げていて

それはそれはキラキラ見えたりして…

 

 

でも私が生徒さんから感想がもらえないという

そういうことは無いんです。

だけどそれを世の中に発信しようって

まとめる気力がどうしても湧かない…。

 

 

そんな感じで、もや~っとする感覚が

長く続いたりしていた時があります。

 

 

そこから抜けるのには自分と向き合う

時間が必要でした。

 

 

 

私は私のことをどう思っているのだろう?

私の本当にやりたいことは、なんなのだろう?

こうなったら良いのにと望んでいることは、

もし他人の目がないのであれば、

本当に同じように感じるのだろうか?

やりたいことは「成功」しないといけないの?

好きな事は、上手にならないとダメなの?

今までの好きだったことが変わるのは

私が変わってしまうってこと?

そうなるとこれまで私を好きで居てくれた人は

私をどう思うようになるのかしら?

 

などなど…

かなり自分と会話しました。

(私もこうやって文章にするの恥ずかしいですよ、結構)

 

 





これはノートに書いたりもしますし

瞑想として沈思することもあります。

 

 

そうして自分の中の正解を見つけつつ

ヨガの教えにふと触れたときに

カチっと何かがハマったりするのです💡

 

 

 

私はバガヴァッドギーターのその一節に

とても心が軽くなるのを覚えました✨

 

 

自己のダルマの遂行は、不完全でも、

よく遂行された他者のダルマに勝る。

自己のダルマに死ぬことは幸せである。

他者のダルマを行うことは危険である。

 

 

私には誰かの素敵そうに見える何かじゃなく

私こそがやるべきことがきっとある。


だから、人のやっていることに注目しないで

自分自身がやっていることに注意を払おう。

そう思いたちました❣️

 

 

そして

成功を望むより、満たされた感覚を広げなさい。

 

 

何かを成し遂げること、

成果を上げることではなく

私自身が満たされることの方が先だと思いました。

 

 

だって、満たされている時って

もう何も要らないや…って思うほど

何かを「求める」気持ちが無くなるものです。

 

 

これは無欲になるという訳でもないです。

どちらかというと、望みに正直になる感じ❣️

 

 

自分の望むことに真っ直ぐ進んでいる時は

その先の結果なんかに気持ちが持って行かれません。

 

 

だからこそ、この瞑想は素晴らしいと思うのです✨

 

 

 

自分の本当に望んでいること、

きっとそれは今世で自分のやるべき事のひとつ。

 

 

それを自分の奥深くで見つけたなら

その源の沸き起こるエネルギーと繋がって

すでに満たされた感覚を感じる。

純粋な思いのエネルギーと同調したとき

そこに不安や恐怖は無いんじゃないかと思っています。

 


この素晴らしい人生に、世界に、乾杯🥂✨




望んだ事の結果、

それがもたらす成功や失敗を思い悩むのなら

もしかしたらそれは、他人のダルマなのかもしれない。

 

 

ともかく

こういった、沈思するタイプの瞑想は

時にものすごく嫌~な気持ちになったりもします。

 

 

だけどね

それは、いつかはしっかり「感じ」なきゃいけない

そんな感情だったりもするんじゃないかな。

 

瞑想は潜在意識の浄化だとも言われますからね🧹

 

 

 

意識の奥深くにオリのように沈んでいる

見たくない感情が浮上してきたりします。

 


でも、それも瞑想なの。

 

 

瞑想って気持ち良いだけじゃない。

人生だってそうでしょう?

 

 

今、良い人生だったなぁって自分の人生振り返っても

全てがいわゆる良いこと、では無いはず。

 

 

 

たまには腹をくくって

見ないふりしていた感情とお付き合いするのは

私は大切なことだと思っています。

 

 

 

そうそう、感じたくない嫌な感情だって

居場所が必要だもの、ね❣️

 


 

これからもクラスでは瞑想もたっぷり

行っていきたいと思います🥰🙏🏽

 

 

 

ヨガ関連の記事をちょっとまとめましたので

お読みいただけると嬉しいです🧘🏻‍♀️

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