見てみぬふりは8対2(人生の第4クール 40歳~)

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野に咲く花は多分僕のことを知っている

野に咲く花は、多分僕の存在を知っている。何が必要かなんて、僕には伝えられない。

多分地域猫もそう。こちらから気付いてあげないと生きていけない。

人には、時に便利な、時に不便な言葉というツールがあり、そこに傲りが生まれると、感情という武器で対峙してしまう。

野に咲く花の言葉を、気付けるようにしよう。今、何が必要なのか気付けるようにしよう。

花が枯れてしまった時、花の責任を考えるより、誰もが花にどうすべきだったか考えるはず。

花は話すことが出来ない。

育てるとはそういうことではないのでしょうか。

政治で対峙する人、上司と部下、人と動物、考えてみましょう。

種を植えるところから、花が咲くまで。あなたは花に何と言う言葉をかけてあげますか?

数年ほったらかしたブログ

あー久しぶりです。
誰も読んで頂いていないので
感じたことをメモ帳代わりに
使用している状態です。

最後に書いたのが2013年。
既に四年が経過しています。

それはそれは色々なことが
ありましたね。

過去の自分の意思が書かれている
のを見返すと、そういうことね、
と思えますが、ただそれだけ。

やっぱり自分は自分でしかない。
感覚で身に付いたものを見返しても
すでに持っているものなので、
ふーんて感じです。

更に言うと当たり前の話を当たり前に
しているので、なんのこっちゃ、が
正直な感想です。ショック

もっと具体的な行動で身につけた、
また、身につける仮定をメモって
いけたらなと🎵

えー読者はいませんが…

今日はひとつ

お洒落な品格あるフランス料理店。
ミシュランです。

サイトには最高評価。

味→普通
接客→最低
雰囲気→普通
価格→高い

しかし、ポータルサイト評価は最高。

人それぞれの価値観ですが、
そのフランス料理店の従業員が
マクドナルドの店員だったほうが
気持ちいいレベルでした。

ミシュランガイドにも載る店。
世の中こんなもんかと
既成概念が改めて取っ払われた
一日でした。

社会が認定した概念が、右に習えという
個人の固定観念を生み出す
世の中の仕組みに
気づけよ
と。

本物は本当に極僅かしかないと
信じてくださいニヤリ




出来ないことは出来ないと言わない

出来ないと思っても、つい出来る
と言ってしまったり、
出来ないから出来ないと言ったり

ポリシーに反する事は別におき、
普通のことは全てにおいて

出来ないのではなく、

やらないのです。

ただただ自分がやらないだけ。


そんな日常ではなく、
自分に

やれと命令するのです。


それができていない人は、
上司から命令されて出来ない時、

言い訳するか、
愚痴をこぼすか。

やらなければならないことは
自分が命令すればいいのだと思う。





Android携帯からの投稿

夢はなんですか?って

夢はありますか?


あなたの夢はなんですか?


って




人に聞けない。かおもじ





なぜなら決めてしまっているから。うなずく☆


その言葉は使わないと。


夢というものは、寝て見るもの・・・か・・・達成できなかったものと考えるから。うなずく☆





強く強く目標を持つと"夢"という言葉すら使いたくなくなる。いや


自分の生涯を終えたとしたら、やっとそこで夢だったんだと確定することだから。確定






無い発想

自分が厳しいとき、助けてほしい、悲しい、辛い、羨むという発想がない。


そちらへ向かない性質にしてきたつもりだが、



ある時、義母から「がんばりすぎやで」って言われた時、



肩の力が一気に抜けたことを思い出す。



人間、まだまだ余力があるなと感じた瞬間でもあり、


身体が、心が。。。未熟であり弱い自分を見つけた瞬間でもあった。

ある事件から思うこと

身体の成長が止まれば何を成長というのか。身体の成長と共に成長するのは相手を思いやる気持ち。相手を理解する気持ち。友達だったり親だったり。だから成人した後も成長という言葉がつきまとうんです。人間観察と興味がないとそこで終わり。身体の成長と共に成長は終わる。


そんな人だと感じることはよくある。悲しさすら感じる。その人達から受ける恩恵は皆無に等しい。人への仁なるおもい、慈愛など他人に与えることは何もない。身内だけの利益を最優先する。そして困難から逃げ出すことだけを考える。その負のスパイラルは身内を犠牲にする。


そう考えると子供の育て方まで慎重になる。親は一生子供に対して一年生であるべきでしょう。成長が止まった親に子供は育てられない。前述の子が育ってしまうという意味で。自分の弱さは隠さなくてもいい。皆誰かに支えられて生きているんだ。どこかでその負のスパイラルは止めることができるのか?


光市母子殺害事件で考えた。死刑囚は自分が死刑になれば生きてその罪を償えないと言った。生きることこそ苦しみなのだと。ただ被害者が死刑を望むのならそれでいい、と。この言葉は常に相手を思いやっているように見えるが、常に自分目線。本村さんの心境を考えると、心が苦しい。


この死刑囚の親は彼が犯罪を犯す前に彼の目の前で首を吊って死んでいる。それは全てにおいて成長することを止めた人間だったからなのかもしれない。成長とは生きるための意志でもあるんだ。


動物の本能として他の動物を殺す時、食べるためだけではない。危険を察知した時は相手に向かい殺す時もある。人が人を殺める理由もきれい事ではなく、死刑の有無もきれい事ではなく考えてほしい。人間は強い理性と本能をもつ厄介な動物です。


厄介極まりない理性が人を殺めるのだろう。この部分の成長なくして、生きる意味はない。うすうす気付きながら自分から逃げるという行動はどれだけの人の心を殺めていくのだろうか?


当時23歳だった本村さんの気持ちを考えると涙が止まらなくなる。死刑が確定した会見でも必死にこらえていたものがあっただろう。想像も出来ない13年という月日とこれからを考えるといたたまれない気持ちになる。今の一瞬一瞬を大切にするべきではないのか?そんな人間を造ってしまわないように。


Twitterより



自分析で行動する

数年前、薄型のプラズマテレビや液晶テレビの

販売が盛んになってきた頃、妻に「42型のプラ

ズマテレビがほしいなぁ。」と言ってみた。

当然当時1インチ2万円近くしたテレビなど妻に

とっては 優先先順位のベスト10にも入らなかっ

ただろう。

「こんな小さなリビングに置いて見るもんちゃうで。」

と、一蹴された。


ここから展開する発想は、後に述べるとしよう。


田舎から大阪に両親が働きに出てきた。 府営住宅

に住む一般的な貧乏人だった。

四畳一間の共同トイレに風呂なし。一戸建てやらマ

ンションやらは夢のまた夢。

今なら一家に一台以上ある車さえも父親には乗せ

てもらうことは無かった。

ウルトラマンや仮面ラ イダーなどのテレビ番組は一

切見せてもらえず、子供同士の

「~ごっこ」などは苦痛の何物でもなかったことが記

憶にある。


三歳の頃、近くの銭湯に母親と通っていた。何かの

拍子で知らないおばちゃんの

背中をごしごしとこすっていると、振り向きざまに、

「ありがとうねぇ。ええこやねぇ。」

と褒められた。

私は母親だと思い背中をこすっていたために、究極

に恥ずかしかったことを覚えている。

そしてその時に客観的に自分を見て、自分はまだ小

さいし、こんなこともあるだろうと、

大人は何も気にしないんだろうと、自分に言い聞かせ

恥ずかしい気持ちを消し去った。

今だから分析できるものの、当時本当にそう感じてい

たと錯覚しているだけの出来事だったのだろうか。


玄関を出ると、いつもアパートの前で遊んでいるお友

達がいなかった。

隣の家の入り口を除いてみると、一歳くらいの女の子

が玄関から数寄屋門までの間で水遊びをしていた。

立派な数寄屋門の引違い戸が開いていたので何も気

にせずに入って一緒に水遊びをした。


――もう 三歳なのに、こんな小さな子と遊ぶのは恥ず

かしいけど我慢するか・・・


やはり近所のおばちゃんに見つけられてガキンチョ扱い

されてしまった。恥ずかしかった。

分かっていた筈なのに。と、いうことも鮮明には覚えてい

るが、只の後付なのだろうか。


幼い頃の恥ずかしいという経験は、今考えるとたいした

ことでもないが、鮮明にたくさん記憶に刻まれている。

こんな話を知人や同僚にすると、大抵は反応が薄いか

記憶に無いという。



42型のテレビがどうしても欲しくて、新築一戸建ての

35年ローンを組んだ。


家を買った理由は、リビングの広い部屋に引っ越すこと。


リビングの広い部屋に引っ越す理由は、42型のテレビ

が欲しかったから。



己がどんな生き方をしてきたのか、歩いてきた道のりを

より具体的に振り返り、今の結果があるという紛れも無

い事実をまず認識する。

次に己がどういう判断を下した結果、今があるのか。

冷静に考えて判断した結果なのか、何も考えずに判断し

行動したのか。

私利私欲に心奪われ自分勝手な判断を下してしまったの

か、はたまた良くも悪くも感情の赴くままに動いてしまった

のか、出来るだけ記憶を遡って言葉(前述)にしてみた。ぼちいさん ペコリ





痛みを感じる

まず、人の心を理解する。

良いことであれ、悪いことであってもです。

心を感情的に受け止めるのではなく、理解するのです。おだやか


自然に誰もが行う行為ですが、意識的に訓練する習慣をつけると、

自ずと相手の弱さが見えてきます。困


そしてその弱さを今受け止めるのか、強さに変える言葉を

送ってあげるのかは、自分とその人の利害関係から決断するのではなく、

自分自身の弱さを克服するための判断をします。腕。


自身の直接的または間接的利益を優先すると、空虚な時間が発生し、

多くの時間と、スピードという仕事においての実践的な財産が失われます。


全くの他人の傷みを、心から感じることの速さを養わないと仕事にも活かせません。

 

他人事という意識は、日常何処を見てもサンプルが有り溢れているのですから、

訓練はその対局でなくてはならないと思います。うなずく☆



身体が成長しきった後の成長はこれしかないんでしょうねグッド!

足跡

生まれてきてから、自分が歩いてきた足跡の軌跡を見れたとしよう。


ある場所は塗りつぶされていて、その中心がいくつかあり、


まるで線香花火のように枝分れしているようなものだと思う。


宇宙から見た地球の中に、あなたと私の足跡の軌跡は、


あまりにも小さく細く、線香花火のように儚く、


そして寂しく見えるのではないのか。




詩人、ロバートヘリックの言葉で、


「時のある間にバラの花を摘め時は絶えず流れ今日微笑む花も明日には枯れる」


人が生きるという時間は短いものだと思う。

嘘つきは泥棒のはじまり

この歳になると、いやというほど嘘に付き合わされます。


嘘と分かっていても、騙されてあげる時があります。ザンネン…。


嘘を問いただした場合、嘘が嘘を呼び矛盾だらけの回答になります。疲れ




そして自分を嘘で守ってしまうのです。




人の心も裏切って、自分しか見えなくなり、色んなものを他人から


奪ってしまいます。sei




奪う始まりが他人の心だとすると、もう救いようがないですね。




嘘つきは一般的に全てが泥棒というわけではありませんが、



泥棒はみんな嘘つきなんでしょうね。



なんか当たり前の話ですが・・・・。ガーン






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