小さなことではない行動
まず聞いたことを書く。
読み返す。
記憶する。
忘れることを前提に読み返す。
毎日繰り返す。
これだけで、たったこれだけで仕事も生活も順調にうまく行きます。
小さなことという観念が、自分を甘やかします。
やっても同じという概念が、小さなことを積み上げない。
小さなことではないんです。
実はそこから大きなものが生まれてきます。
小さな積み重ねは、偉大なものを生むのです。
言い訳の相殺
言い訳が出来る、また、する意思で行動している
ことが滑稽で、惨めで、情けない。
どんなに伝えても嘘で身を守ってしまう。
そう見えるんです。
自分を大切にしているのではなく自分だけが大切だというふうに見えるのです。
その積み重ねた借金は、自分に成長を与えてくれる人が
皆無になることで相殺されるでしょう。
積み重ねた弱さは、そんなに軽くはない。
これからの人生分の信用を失ってしまう。
若いとき、そんな風に客観的に自分を見ていました。
湯加減
自分の浸かっているぬるま湯に、自分で追炊きをしたことがあります。
それぞれの風呂の湯はぬるま湯であるとして、
他人の風呂釜に程よい追炊きをする人。
ぬるま湯でフヤケタ体に気づき、飛び出た人。
高温追炊きをされ、火傷しそうになった人。
いい感じのぬるま湯を維持し続けたい人。
最初からぬるま湯に浸からない人。
浸かってみてすぐに居心地の悪さに飛び出た人。
基本ぬるま湯はなくならず、ずっと気付かず一部体がふやけていたことに落胆してしまう。
歳をとってからでは遅いですよね。
今やるんだという気持を思い出して、奮い起こし行動する以外は
ふやけていくんだという感覚でいいんだと思います。
子育てと教育の変化
今は情報による擬似経験が若いうちからたくさん出来ます。
この何でもそろう時代、どこにでも行ける時代、
子育てという隔離された空間で生甲斐もなく、
子供が宝物であるということに気付けず、
空虚な意識で朦朧と虐待してしまう事件が多い。
その親の教育は我慢するということ、忍耐の継続を
教えることはなかったのでしょうか。
いつも子供をかばい、他力本願でありながら
物事を棚上げして考えさせる癖付けをしてしまったのでしょうか。
ある社員が言っていました。
「僕達の時代から、人生短いんだから好きなことをして自由にやりなさいって
育てられている人が増えているんだと思います。ただ我慢するという教育が
希薄になっているような気がします。だから我慢できない社員はすぐやめる。
ただただ自分に向いている仕事のみを探す、そして我慢というものを知らずして
子供をつくる。」
少子化が進んでいる中、生まれてくる子供の素晴らしさと大切さを、
これから未来にむけて考えるためには誰にどういう教育をすればいいのでしょう。
そしてそれらは全て他人事ではないと思います。
社会問題の責任は政治家だけでなく、我々民衆も
もっともっと意識をもって出来ることはする習慣をつけたいと思う今日この頃です。
見て見ぬ振り
最近中国では2歳児が倒れているのに18人が素通り、見て見ぬ振りをしました。
見て見ぬ振り。
この言葉が意味するイメージは、10人中10人が「よいイメージはない」
と答えるかもしれない。
10人中9人か8人かもしれない。
言葉のイメージというのは大体決まっていますよね。
しかし、「見て見ぬ振りをされた。」と、
「見て見ぬ振りをしてあげた。」は、
全くイメージが異なります。![]()
ここではブログのタイトルが8対2になっていますが、
言葉のイメージから8の固定観念や、既成概念を私自身取っ払いたいという
思いでタイトルにしてみました。
瞬時に2を感じること、考えること、そして間違えた判断をしないように
感覚を磨くことを目標としているという意味です。
なにも見て見ぬ振りでなくてよかったのに・・・
わかりにくいブログタイトルです
。
中年
私達中年層は、人生の中で中間管理職の立場で物事を考え行動しなければならない。
年配の方々は若者を見て"品格"や"見識"を振りかざす。
若者は年金問題や社会保障の責任問題を問い、今の社会を形成したのは全ての先人だという。
中年が中間管理職ならば、年配の方々は経営者、もしくは役員である。
若者は役職なしの社員と考えよう。
若者だった中年は、世間の酸いも甘いも理解しつつ ある。
その中で妥協せず、染まらず、先人の失敗を反面教師として利用できる部分は利用したい。
そして前任の経営者の失態を繰り返さない。正しく後任に伝えていき行動する。
今、ここで私達が物事を変革させるために動かなくてはならない。
こんな言葉で綴る文章は全て今の政治から思うものになってますね。![]()
11/27の大阪府知事選、市長選、府市民はどういう選択をするのだろう。
夜景

「私はいつも思う。大きな自然と奇麗な夜景。
そして立ち並ぶビル群、何人かは複数の不動産を手に
しているし、法人がほとんどだ。
ただ、ビル一棟一棟にオーナーが必ず一人いるんだよ。
数えても数えきれないでしょ?
数えきれなく成功した先人達、景色という大きなステージ。
そんなことが感じ取れる場所なんです。
この発想が身になれば、何かに悩んだり、
行き詰まった時にネガティブにはならないよ。
そして今の自分で考えることなんて成長段階なんだから
まともな答えは出ないと意識できる。
頭で考え悩み続けるよりも直ぐにポジィティブに行動することが
経験と失敗をたくさん重ね、客観視も出来、目指しているものに近づける。」
と、二十歳前後のときにある方に話していただいたことがあります。
その時の言葉を何度も繰り返しインプットし、アウトプットもし続けました。
若造への解りやすいアドバイスでした。
筋道の話もしていただいたが、その方から
その方の生き様と信念が強く感じられました。
ただ、今思うのはその時の私の価値観に合わせた言葉だったと思います。
嘘も方便で若者を導く第一歩だったのでしょう。
スピードをもって行動する
以前こんなことをブログで書いたことがある。
仕事というのは、タイミングを図ってここぞというとき一気に仕掛ける。
そのタイミングが来る時を予測しなければ大きなチャンスはつかめない。
波に乗ることを会社で共有して目標をしっかりと具体的にしておくべきだ。
大きなチャンスはその分のリスクを背負うことがある。
裏を返せば、未来を見失いかけたらその時がチャンスかもしれない。
共有して結論がでたらあとはチャンスを待つ、タイミングをはかる。
とにかく行動している以上必ずチャンスは来るんだ。
と。
大阪都構想に想う、まさに今しかない改革のチャンスだと思う。
リスクもあるだろう。
ただ行動をやめた時、それが最大のリスクだと思います。
人間以外
人間は人間以外に好き嫌いはあっても
人間以外に〝憎む〟という感情は、よっぽどのことがない限りありえません。
憎まれた人は、人間以外の生物以下に、
そして尊敬された人は、ただそれ以上ということになります。
どちらも人間以外が基準であることに変わりはないですが。
大切な人が人以外の生物によって命を絶たれたとした時と、
人によって命を絶たれた時、結果は同じですが、感じる痛みは
違うと思うのです。![]()
精神の中道とはそういうものを超越するということなのでしょうか?![]()
リビア国民評議会のメンバーのカダフィ大佐の遺体対する扱いを
映像で見て考えさせられました。
プロフェッショナル
生かされていることに気付かないで
生かされ続ける人はプロフェッショナルではないと思う。
自分で生きている、そして人に支えられながら生きていることをしっかり理解したい。
意志をもって生かされながら生きていると自覚し、
その分野で本当の意味で生存し続ける存在であることが大切。
"意志"があるから自分自身の「弱音」や「愚痴」は一切こぼさないはず。
何のために他人に"弱音"を吐くのか、信じた道があるのならそんなこと考えてる
暇もないし、感じる暇もない。
すぐに自分から逃げ出さない。
時間あること、生きていることに感謝すれば、必要のないことだといつか気づくでしょう。
それをとことん突き詰める。
人のために"やってあげている"感覚が他人への甘えになるのです。
全て自分のために、自分の成長と幸せのためにやっていくのです。
これが理解できないとすれば素直に人の話を聞き、自分の馬鹿さ加減に気づき、
格好をつけず、本音でぶつかり前へ進むこと。
存在価値を感じたい格好つけはいつも他人が対象でしょ?
他人を対象とするレベルはもっともっともっと高い所にあるんだと思います。
(答えは出ていませんがf^_^;)
と・・・自分に言い聞かせながら、10歳の娘に話しました。