Masahiro Yamazakiのブログ -99ページ目

ビールvs白米

『そういえば、ビールに合うものは白飯との相性もいいぞ!?』と急に思って、『ビールは白米の代わりになるのか!?』と妙にテンションが上がり、いくつか例を考えてみました。


焼き肉やギョーザをはじめ、炒め物や漬け物や揚げ物まではうまく想像できたのですが、みそ汁と生卵の存在によって雲行きがあやしくなります。『やっぱ白米のほうが守備範囲が広いか』と白米に軍配をあげかけたのですが、『柿ピーとかするめとかは白米には合わないぞ?』とビール側の反撃が始まります。


乾物類がほぼビールに押さえられたため、ご飯が形勢不利になってきます。しかし、白米が起死回生の「塩むすび」を投入することで、戦況は大いにもつれます。


K.O.が期待できない闘いになってきたので、『白米の勝ち!!』という最終ジャッジがいきなり下されました。


判定理由は、”白米には小さな頃から育ててもらったという大きな恩がある”というもので、これにはビール側も反論できませんでした。







恥にまみれた顔 その②

翔馬にはどうしても苦手な大人がいる。母の田舎の平八ジジである。


平八ジジだけは、他の大人達のように笑顔を浮かべなかった。翔馬が大人達を喜ばせるようなおべっかを使っても、平八ジジだけは笑わなかった。そんな平八ジジを翔馬は好きになれなかった。二人きりになると、どうしようもない息苦しさを覚えた。無理に子供っぽく振る舞おうとしても、うわ辺だけの無邪気さを見透かされているように感じた。平八ジジはかなり老いてはいたが、メガネの奥の瞳は鋭く光っていた。


平八ジジは戦争に行ったことがあるらしい。沖縄でアメリカと戦っていたという話を、母からちらりと聞いたことがある。翔馬は戦争の話などには興味が無かったから、詳しいことは何も聞いてはいない。しかし、戦争というものが異常な体験であることだけは、何となく理解できた。平八ジジが他の大人達と少し違うのは、そういう体験をしたからなのだろうか。


翔馬の一家は、夏休みに平八ジジの家に行くことになっている。平八ジジの町では、8月15日の正午に大きなサイレンが鳴る。サイレンが鳴っている間、平八ジジは目を閉じて、石のような沈黙をたたえる。父と母も少しのあいだ目を閉じるが、平八ジジの沈黙にはどこか鬼気迫るものがあった。


その日の平八ジジは何も食べず、仏壇には溢れんばかりの塩大福と飲み物が供えられる。正午の黙とうが終わってからも、平八ジジは無口なままである。テレビをぼんやりと眺め、新聞をぼんやりと眺め、庭先をぼんやりと眺める。翔馬一家の8月15日は、線香と沈黙の匂いに満たされる。


平八ジジは滅多に表情を動かさないが、翔馬は一度だけ平八ジジが微笑んだのを見たことがある。しかも、翔馬にとっては全く面白くない場面での微笑であった。それは、平八ジジと2人で街の食堂に行った時のことである。



その3へ続く。



by Masahiro Yamazaki










恥にまみれた顔 その①

翔馬が大人をナメるようになったのは、小学4年生の正月からだ。


小学4年の暮れ、翔馬の一家は新築マンションに引っ越した。

翔馬にとっては個室が得られたことよりも、新居に大勢の親戚が集まったことの方が重要であった。初めて会うようなオジサン達が、次から次へとお年玉をくれた。一人のオジサンがお年玉を渡そうとすると、他のオジサン達も我も我もとお年玉を渡してきた。気が付くと手元には色とりどりのお年玉袋が積み重なっていた。最初は戸惑ったが、少し経つと自分が得たものの大きさに喜びを感じずにはいられなかった。それを顔に出すことは強欲で恥ずかしいことだと、子供ながらに直感もしていた。だからこそ翔馬は、わざとお年玉をテーブルに置いたまま床に就いたのであった。


数日後、母はしきりにお年玉を貯金するように薦めたが、翔馬は巧みに母をいなした。折りよく2学期の図工で貯金箱を作っていたことを理由に、お年玉をその貯金箱に入れたいと主張したのだ。翔馬がこれまで無駄遣いをしたことが無いことも手伝って、母は意外なほどすんなりと翔馬の主張を受け入れた。母からの信頼が翔馬にとってはむしろ小さな罪悪感となったが、大金を得たことの喜びの方が大きかった。


翔馬はお年玉袋ごと金をリュックに突っ込むと、近所のショッピングモールに出かけた。母や友達と来たことはあるが、一人で来るのは初めてであった。まっすぐにゲーム売り場へ向かった時、緊張のあまり視界が極端に狭くなった。なぜ緊張するのか、何に対する緊張なのか、翔馬には理解できなかった。


ガラスケースに重々しく陳列されたゲーム機とソフト。

果たして自分だけでそれを買うことができるのかと、翔馬の緊張は頂点に達した。意を決して店員に話しかける。総額で3万円を超える買い物だったので、店員が少し怪訝そうな顔をしたように思えた。しかしそれは杞憂であった。店員は手慣れた動作でガラスケースのカギを開けると、あっさりと商品を梱包した。声をかけた時は不機嫌そうに見えた店員も、翔馬がお客だと分かると微笑を浮かべた。翔馬が大人をナメるようになったのは、きっとその瞬間からだった。その微笑は、恥にまみれた卑屈な顔に見えた。


ゲーム機の存在をリュックに感じつつ、翔馬は食品売り場へ向かう。かごにスナック菓子やジュースを放り込み、レジへと進む。もう先程のような緊張感は無い。


あれほど口うるさいゴタクを並べ、何かと子供を半人前扱いする大人達が、お金の前ではいともたやすく意のままになる。難しそうな顔をし、難しそうなことを考えていそうな大人達。その実は、大した哲学を持たず、単細胞生物のように単純なルールに従って生きているだけなのではないかと、軽侮する気持ちが湧きあがった。もちろん翔馬はそんなことを説明できはしない。しかし、大人への軽蔑をうまく説明できるかどうかなどは重要ではない。翔馬に軽侮された事実そのものが重要なのだ。



その2へ続く。



by Masahiro Yamazaki











プラモデルとワクワク

小学生の頃はプラモデルが好きだったので、先日久々にプラモデルを買って作ってみました。


プラモデル店に入った時は、当時のワクワク感を思い出してテンションが上がったのですが、家に帰って作り始めるとわずか1時間で飽きてしまいました。


小学生の頃は何時間もぶっ通しで作業できていたのに、この根気の無さは何なんだ?と思いました。思い当たったのは、プラモデル作成中のワクワク度の違いです。


飛行機のプラモデルを作るときも、小学生の頃は色々な想像に思いを巡らしながら作れていた気がします。この飛行機にはどんな人が乗って、どんな性能があって、実際の大きさはどれくらいで、どんな音で飛んで、どんな工場で作られていて--などを想像して、その想像自体にワクワクできたのですが、先日作った時はそういった感動をまったく抱けなくなっていました。頑張って想像してみるのですが、こみ上げてくる楽しさが無いのです。


プラモデルを作るという作業が、ワクワク感が無くなっただけでこれほどまでにつまらなくなってしまうのかと、ちょっぴり寂しい気付きでした。


大事です、ワクワク。





教材展示会

本日は教材展示会&セミナーに参加。書店では売られていない教材ばかりなので、片っ端から目を通した。


昔から模擬テストなるものはあったが、自分の頃は忘れたころに結果が返ってくるのが普通だった。しかし、ネットのおかげで最近では成績表がすぐに出せるようになってきている。リアルタイムの成績を知る事ができるので、生徒にとっても先生にとっても大変いいことだと思う。


使いやすい教材や、付録テストが充実している教材を出している会社は、ネットサービスを充実させれば模擬テスト市場へどんどん参入できると思う。塾業界でもM&Aが盛んだが、良問を電子化したテキスト販売に特化した会社が生まれれば、企業規模などは大きな問題では無くなるかもしれない。あるいは、塾の先生が簡単にオリジナル問題をつくれるようなフォーマットは、かなりの需要が期待できると思う(今でもあるにはあるが、かなり使いづらい)。問題作成コスト・情報処理コストが格段に下がったおかげで、業界再編は避けられないだろう。こういう再編はこちらとしては大変ありがたい。


教材という情報のシャワーを浴びたおかげで、様々な授業プランが思いついた。とても充実した一日だった(これから授業なので、むしろこれからが本番なんだけれど)