可能性が高まる
②テレビとパソコンをつないでネットでレンタルした映画を見るようになった。ニートになる可能性が高まった。
③雨の中走ったら先日のフルマラソンで痛めた左膝の痛みが増したので歩いた。
④味覇が無くなったので買いに行った。味覇が予想より高くレジで動揺したが平静を装った。
⑤ずっと気になっていた「いなばのタイカレー」を買った。欲しかったイエローカレーが無かったのでグリーンカレーを買った。
⑥米屋の前を通ったら「埼玉米」と書かれた米が売っていた。ブランド米が発するオーラのようなものがまったく感じられず悲しくなった。
⑦駐車場スペースを借景にしたマンションがあった。マンション自体は大きくなかったが、広々とした駐車場スペースが空間に広がりを与え、狭苦しいさいたまの住宅街の中にも関わらず、マンションの存在を際立たせていた。写真を撮ろうかと思ったがリュックからカメラを出すのが面倒でやめた。歳を取ると面倒なことが増えてきて行動力が減衰していくのだと思った。
⑧マンションのベランダにすだれがかけられていた。すだれは夏の終わりを告げていた。すだれは哀愁を漂わせていた。カクモカナシイ秋時雨。
⑨寝ている時の「夢」と将来の「夢」は全然別物だと思うのだが、なぜ同じワードを使っているのだろうかと思った。英語でもdreamはどちらの場合でも使う。
ところで、戦前の日本人の多くは「将来の夢」という概念を持っていたのだろうか。江戸時代の人は身分が固定されていたし、昭和前半までは貧乏が大多数で生まれた場所で死ぬ人がほとんどだったから、人々は夢という甘いざれ事に付き合う暇はなかったのではないだろうか。将来の夢という概念は戦後になって使われるようになった言葉で、こと教育業界ではヒステリーのように将来の夢を持つことの尊さを喧伝している。自分の能力を開発することと、夢を抱くことは、その必要性においても重要性においてもまったく別のことなのに、それを同じ土俵で論じる人々に疑問を覚える。小学生の頃の卒業式では、ステージの上で一人ずつ将来の夢を大声で発表するというセレモニーがあったが、信じてもいない夢を大声で発表することは嘘をついているようで嫌だった。夢なんて持たせようと思って持たせられるものではない。逆説的ではあるが、他人に夢を持たせようと必死な人たちは、実は誰よりも夢を見くびり、夢を信じていない人々のように思う。
諸橋近代美術館へ行った

マラソンの翌日、諸橋近代美術館へダリ展を見に行ってきました。
人間の限りない支配欲を表現した像。
時間は一定ではなく柔軟なものであり、固く乾いた木は死を表している。
時という有限なものから垂れる雫は、何を表現しているのだろうか。
ダリの作品には時計と引き出しがよく登場する。
引き出しは人間の秘められた欲望の象徴で、それを開け放つことで精神的な安定を得られるという。ダリはフロイトに強い影響を受けていたようだ。
妻のガラが夕食に出したチーズがとろける様子を見て、ダリはこのイメージを思いついたらしい。この作品は横から見ると?マークに見える。
ダリはしばしば二つの見え方がするような手法(ダブルイメージ)を使った。ダブルイメージを使うことで、一つの事実を表現することでかすんでしまう別の事実を表現したかったのだろうか。
ダリが飼っていたペットが死に、そこにアリが群がっているのを見て以来、ダリにとってアリは死の象徴となった。若い女性の額にアリが群がっているが、これによってダリは何を表現したかったのだろうか。頭の上のインクの壺は、女性の秘められたエロティシズムを表現しているらしい。ダリは妻のガラをとても愛しており、女という生き物に限りない魅力を感じていた。女性の持つ華やかな美しさと、恐ろしいほどの冷酷さがダリを魅了し、それが多くの作品につながった。
ダリは商業デザインも手がけ、香水や灰皿等もデザインした。そのため、しばしば金儲け主義のそしりを受けたが、彼の作品は死後もこのように残り続けているし、これからも多くの人に影響を与え続けるのだろう。
今回ダリ展を見たことで、芸術とは人間の本性のさまざまな側面について突き詰めて考え、それを何らかの方法で表現する試みであるように思った。芸術と科学は、物事の真の姿や目に見えない事実を解き明かすためにあらゆる可能性を検討し、その仮説を掘り下げていくという作業において非常に似たものであると思う。今回ダリ展を見たことで、個人の生活においても、自分や自分の状況にしっかりと向き合い、それを自分が最も得意とする(情熱が持てる)方法で表現することは、より良い人生につながっていくように感じた。どんな方法でも、自分を表現する方法を追究する人は芸術家だと思う。
猪苗代湖マラソン

9/7の猪苗代湖マラソンに参加してきました。初のフルマラソンです。
金曜夜の授業後に出発し、深夜2時頃福島に到着しました。
コンビニに行くのが面倒だったためホテルの自販機で朝食を購入。
脂っこいものばかりになってしまった。
レース用にパワーバーを購入。
レース中のエイドステーションでは給水の他に梨やメロンやスイカもあった。それ以外にも、おにぎり、おいなり、おこわ、ピザまであった。『レース中にピザなんて食べる人いるのかな?』と思っていたら、ウルトラマラソン(100km)に参加している人がガツガツ食べていた。ピザを口に詰め込んですぐに走り出すウルトラランナーからは狂気を感じた。100kmをはだしで走っている人もいた。みんな狂っている。
第一目標はとにかくゴールすること。第二目標はsub4(4時間以内)だった。
1~10km
ドキドキのスタート。10km過ぎくらいで太ももが張り始める。小出監督が「レース前にもある程度トレーニングしておかないと筋肉がゆるみすぎて足がつりやすくなるよ」と言っていたが、まったくその通りになった。
10~20km
徐々に心肺は楽になるが、太ももの張りが強くなる。
20~30km
sub4ペースを維持するも、22km地点で太ももが少し痙攣。
30~35km
痙攣を抑えつつ34km地点までsub4ペース。しかし35km地点でビーンと足がつって動けなくなる。こうなるともはや歩くので精一杯。
36~42km
死の行進スタート。少しでも走ろうとするとすぐに筋肉がつる。不相応なペースで35km走ったことで歩くのも遅い。6kmを進むのに1時間以上を費す。結局ゴールまで4時間45分かかった。
5月から8月までは予定通りトレーニングしていたが、最後の2週間がダメだった。ここでの過ごし方に気を付けていればもっと違う結果になっていたと思うが、単に実力が無かっただけだろう。
sub4を達成できなかった悔しさや挫折感もあったが、ゴールした達成感もあった。実力や年齢に関係なくどんな人にもチャレンジすることの素晴らしさを教えてくれるマラソンは、苦しいけれどやっぱり素晴らしいと思う。
再チャレンジしたかったので、11月上旬のハーフマラソンにエントリーし、1月下旬のフルマラソンにも出ることにした。少し休んだら、それに向けてトレーニングしていきたい。やはりマラソンは、自分の生活に欠かせないものだと感じた。
キャンプへ行った
15年ぶりくらいにキャンプへ行ってきました。想像していた5倍くらい楽しかったです。
キャンプ道具をほとんど持っていなかったので、調味料が塩しか無いとか、容器が少ないとか、火がなかなか起こせないとか、冷たいビールが飲めないとか、色々と不便はありましたが、その不便さも楽しかったです。
登山用のテントなのでかなり狭かったですが、防水性、防風性、軽さはピカイチです。
ランタンが無かったのでキャンプ場のガス灯を借りました。使い方を間違えて小爆発が起こり悲鳴を上げましたが、手の毛がちょっと焦げただけで済みました。
火が弱すぎてホットケーキ作りに失敗しましたが、朝の静けさの中でつくる目玉焼きは最高でした。
村営の浴場で汗を流し、山中湖でボートをギコギコ漕いでから帰りました。
この日以来、キャンプの事が頭から離れずに困っています。そして今日、Amazonでキャンプ道具一式を購入してしまいました。
夏期講習25日目
みんな本当に頑張ったと思います。
今日は北与野の盆踊りだったので生徒たちは元気に遊びに行きました。
その後ろをカメラを構えた怪しい男が尾行していました。

