Masahiro Yamazakiのブログ -131ページ目

営業の神様

社会人2年目で営業部署に配属された。

できる営業マンというと、スーツをビシっと着こなし、機知に富んだ営業トークと難しそうなデータを駆使してバンバン仕事を取ってくるイメージがあった。そんな自分についた指導役は、60歳間近の大先輩だった。


その先輩は一度違う会社を退職していたが、その営業能力を買われて、重役直々のラブコールで再就職していたのであった。営業畑一筋の人で、かつての会社では営業部長を務めていたほどの人であった。そんな人が、いち営業マンとして新人の自分と同じように営業しているのだ。


名字は福雄(ふくお)で、そのいかつい名前の響きは配属前の自分を少なからず緊張させた。しかし、実際はとても気さくで物腰の柔らかい、とても優しい人であった。ゴルフで日焼けした顔と、健康的な白髪が印象的で、いつもオシャレなネクタイをしめている。春風のように穏やかに話し、笑顔を絶やすことがない。


スケッチが趣味で、飲み屋のテーブルに置いてある醤油ビンや、道に咲く花の絵を素早くスケッチする。料理も好きで、新玉ねぎのサラダや、フレッシュトマトとチーズを包んだオムレツを食べさせてもらったこともある。どれもお洒落な居酒屋で出せるほどおいしくて、福雄さんと行動するときは料理や趣味の話ばかりしていた。新橋のおいしいお店にもたくさん連れていってもらった。


そんな福雄さんの営業は、自分が抱いていた営業マンとは全く違うスタイルであった。いつも通りの穏やかな口調でお客さんからうまく話を引き出し、自己主張はほとんどしない。訪問先で仕事の話をまったくしないこともあった。それでも、なぜか福雄さんのもとには仕事が舞い込んでくる。「営業マンに必要なものってなんですか?」と聞くと、「誠意だけや」と教えてくれた(ちなみに福雄さんは大阪の人だ)。


ある日福雄さんと営業に出掛けた時、自分の勘違いで訪問先の場所を間違え、約束の時間に行けなくなったことがあった。焦ってお客さんにお詫びの電話をし、すぐに行きますと伝えて電話を終えた。すると福雄さんが、「資料でおぼえたことはすぐに忘れるけど、冷や汗をかいて憶えたことは忘れないもんや。だから俺にも忘れられないことが山ほどある」とにこにこしながら教えてくれた。福雄さんが自分から教訓めいたことを言うことはほとんどなかった。しかし、いつも最高のタイミングで最適なアドバイスをしてくれた。


海運会社の営業は、海上の天候次第で怒られるか怒られないかが左右される。天候が悪いと船のスケジュールが遅れ、納品などに影響が出るのだ。なので、台風シーズンはよく怒られる。お客さんからのクレームは天災のようなものなのだ。


たくさん怒られた日は、福雄さんが飲みに連れていってくれた。冷や汗をたくさんかいた後は、ビールで水分補給しないといけないらしい。飲み屋では、福雄さんの過去について色々と質問させてもらった。福雄さんの昔話は、どんな営業マニュアルよりもためになった。


福雄さんと一緒に仕事をしたのはわずか半年だった。しかし、「福雄さんのような人になりたい」と思わせるには十分過ぎる期間であった。


自分にとって、福雄さんはまさに”営業の神様”であった。







漁師の話

心に残る話だったので貼り付けてみました↓


メキシコの田舎町。海岸に小さなボートが停泊していた。

メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。

その魚はなんとも活きがいい。それを見たアメリカ人旅行者は、

「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」と尋ねた。


すると漁師は「そんなに長い時間じゃないよ」と答えた。

旅行者が「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」と言うと、漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。


「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」と旅行者が聞くと、漁師は

「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、女房とシエスタして。夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって. . . ああ、これでもう一日終わりだね」


すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。

「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、きみにアドバイスしよう。いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、漁をするべきだ。それであまった魚は売る。お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲量は上がり、儲けも増える。その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキシコシティに引っ越し、ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」


漁師は尋ねた。

「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」

「20年、いやおそらく25年でそこまでいくね」

「それからどうなるの」

「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」

と旅行者はにんまりと笑い、

「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」

「それで?」

「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て、日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。どうだい。すばらしいだろう」


暗記

勉強ってとにかく暗記が多いです。用語によっては面白エピソードやごろ合わせで覚えられるものもありますが、ほとんどの用語は退屈な暗記となってしまいます。そこで、中学生の授業で勉強の仕方について話しました。


例として、新しい歌を憶える時にどうやって憶える?という話から入りました。とにかく何回も歌ってみて、自分がどの部分で間違えてしまうのか、どんな間違え方をしてしまうのかを把握して、それに気をつけて歌うのが最短ルートだよね?といったことを話すと、わりと納得してくれました。中学生ほど流行に敏感な世代はないので、流行歌を憶えるという行為はかなり身近だったようです。歌ほど簡単ではないにしても、暗記するまでの作業は、勉強も基本的には同じだと思います。


そこで今度は、記憶のメカニズムについて(Newtonの受けうり)話しました。

記憶しやすく忘れにくい条件とは、そこに感情が伴っているかが重要になります。例えば、2つの日記帳が落ちていたとします。一方は好きな人の日記で、もう一方は普通の友達の日記だったとします。おそらく、好きな人の日記は一読しただけで記憶に焼きつき、簡単には忘れないでしょう。普通の友達の日記だとそこまではいきません。好きじゃなくても、ものすごく憎んでいる相手の日記であれば、やはり記憶に残ります。大切なことは、感情が伴った記憶は忘れにくいということです。


では、興味があまりない内容の暗記において、感情を伴わせるにはどうすればいいでしょうか。それは、「あっ、間違っちゃった」などと感じる機会をつくることだと思います。好きな人の日記を読むときの感情量に比べれば取るに足らないかもしれませんが、これがあるか無いかが大きな差になると思います。つまり、①まずは答えを見ながら問題を解く ②答えを見ないで問題を解く ③間違えやすいところを見つける ということを繰り返す中で、「ここまた間違っちゃったなぁ」とか、「これさっきやったよなぁ」などと、心の中でつぶやくことが大切だと思うのです。これが「頭を働かせた」勉強で、心の中でのつぶやきが無い暗記はなかなか身につかないと思います。


それを話した後で(ブーイングを受けつつ)理科のテストをやってみました。範囲を指定し、10分間勉強して、テストをしてみました。すると、ほぼ全員が満点、1箇所ミスが1人、2箇所ミスが1人という結果でした。満点を取ったことがない生徒は、自分の点数に感動していました(私も驚きました)。


中学生の中には、何か画期的な勉強法があると思っている人がいます。「勉強法が分からない!」という言葉の裏には、画期的な勉強法が知りたいという願望が含まれている気がします。なので、魔法のような勉強法はないのだと話しておくことが、将来悪徳商法などから身を守るのにも意外と役に立つのかなぁと思っています。



社会科見学

ゴールデンウィーク2日目、帰省中の中学時代の友人、栗原君と会う。


彼は中学のサッカー部の同級生で、当時はよく大宮や浦和の映画館に行った。映画を見終わると、どこが良かったかなどについて飽きもせず話した。大学時代にもたまに会い、夜の町を歩きながら色々な事について語った。ついつい話に夢中になり、気がつくとかなり遠くまで歩いたものだ。下世話な話をすることもあれば、科学や哲学について話すこともある。彼はかなりの読書家で、バイタリティ溢れる行動家(おまけにイケメン)でもある。彼と話しをする度に、何かしら得るものがある。「今こんなことに興味があるんだ」と言うと、「じゃあ~って本を読むと絶対面白いはずだよ!」と教えてくれる。そしてその本が確実に面白い。彼は本のソムリエのような人なのだ。


栗原君はこの4月に勤めていた会社を辞めて起業した。現在は勉強中で、朝8:30~夜10:00まで大学の図書館で勉強しているらしい。どう考えても受験生より勉強している。彼は大量のインプットをすると、そこから得たカンと情熱に従って予測不能の行動を起こす。その行動によって知識を内面化しているようだ。精神と肉体の関係を大変重視しており、はたから見ると突発的に見える行動も、彼の中では十分関連のあることらしい。


そんな栗原君と、思いつきで日高市にある高麗(こま)神社へ行った。自然、車の中では様々な話題が繰り広げられる。近況報告に始まり、徐々に話題はヒートアップしていく。中でも、芸術と科学の相関性に関する話題では盛り上がった。とかく無駄なもの、趣味的なものとされてしまいがちな芸術が、実は社会の進歩や個人の能力開発にとって欠かせない要素だという話を、様々な話題に飛び火しながら5時間近く話した。”芸術”や”哲学”などと文字にしてしまうと堅苦しくなってしまう話題も、栗原君の口から語られるととても身近に感じられる。彼は難しそうな内容を分かりやすく説明する通訳の役割も果たしてくれる。


高麗神社では埼玉の歴史や地理について話し、昼食をとったイタリアンのチェーン店では、チェーン店が社会に与える影響について話す。こんな具合に、いつでもどこでも話題が尽きることはない。こうして話をすることで新たな興味が芽生える。その興味を満たすべく、地元の本屋に引き返し思い思いの本を買った。栗原君は数学の本を買い、自分は脳のしくみについてと、教育の目的という本を買った。


その後、与野の大かやの木(樹齢1000年の大木)を見に行った。もっと埼玉のことを知らないとイカンね、などと話をしながら解散した。(他にも、スナック菓子の選び方が保守的になってきたことや、混雑した電線が住民に与える心理的悪影響などについて話した)。


気持ちのいい五月晴れだったこともあり、とても充実した一日となった。中学時代にグラウンドで話し込んでいる姿とまったく変わっていないなぁと感じた。きっと、30年後も同じように話していると思う。



ツーリング~最終日~

4/4  久留米⇒熊本駅⇒熊本空港⇒羽田空港⇒自宅


6:30起床。外が明るくなってから起きるのは久しぶりだ。体調はすっかり良くなっている。泊まっていたビジネスホテルは朝食バイキング付きだったので、おにぎり8個と味噌汁3杯を食べた。オレンジジュースも1ℓくらい飲んだ。こんな客ばっかりだったらホテルは潰れるだろう。


熊本まで電車に乗り、飛行機の時間まで熊本市内を見物しすることにした。駅前で自転車を組み立てていると、奈良から来ていたおじさんが手伝ってくれた。タイヤをおさえてくれたり、観光パンフレットを取ってきてくれたりした。そういえば、今回のツーリングでは道行く人たちにかなり助けられた。道を教えてくれたり、エールを送ってくれたり、事務所で手を洗わせてくれたり、ホテルの料金を割引してくれたり。1100km以上車道を走っていたのに、クラクションを鳴らされたのは5回くらいだったと思う。車にとって車道を走る自転車ほど危なっかしくて邪魔なものはないが、ここまで無事故でこれたのは多くの人の思いやりがあったからだと思う。


熊本城を見学したあと、市内を自転車で回った。自転車だと市内観光は本当に楽だ。もはや自転車と身体は一体化している。様々な道を走ったことでどのような悪路にも対応できるようになったし、1.5mくらいのフェンスなら難なく越えることができる(この技はバイパスから一般道路に移るときに使う)。また、自転車に対する愛着がかなり強くなった。


バスで空港に向かい、夕方発の便に乗った。飛行機の中で、メモ帳にしたためたツーリングの記録を見返す。すべての情景が鮮明に蘇り、その時の感情も蘇ってきた。


「1週間で鹿児島に行ってみよう」で始めたツーリングは、予想していたよりもずっとキツかったし、鹿児島にはたどり着けなかった。だけど、自分の体を使うことでしか得られないことの多さに、改めて気付かされた。


「やってみたい」を形に表すことは本当に大切なことだと思う。

やってみたいを形に表す過程で、様々な問題に突き当たる。しかし、それが「やってみたい」の中での出来事である限り、かなりの我慢強さを発揮することができる。こんな平凡な事実でも、どれだけの実体験を積んでいけるかで、人生を自分のものにできるかが決まるような気がした。             

                                                                おわり   


*後日Gパンをはいたら、太もも周りがきつくなっていて驚いた。



学習塾をつくる!

熊本城

桜が満開で暖かかったため、たくさんの人がお花見をしていた。お寿司とビールの組み合わせは最高だと思う。日本に生まれて良かったと思った。

学習塾をつくる!
お城の階段は急で膝を動かすのが辛かったのでバリアフリーにしてほしかった。でもお城そのものがバリアなんだよなぁ。


学習塾をつくる!
帰りの飛行機から見えた夕日

最後の最後にこんなの見せらたら泣きますよ。