Masahiro Yamazakiのブログ -103ページ目

死と進化

人間の進化にとって、死ほど大切なものは無いと思います。


もし寿命が永遠であれば、自分が生きている意味や小難しいことについて真剣に考えることはないと思います。時間が無限にあれば、「時間はたっぷりあるんだしまた今度考えよう」となると思います。


死というものが鮮やかに感じられる人ほど、死にもの狂いになれるのだと思います。時間が有限であるほど、人は真剣に行動できるのだと思います。


祖父母は自らの寿命によって、孫達に「死」という究極の教育をしてくれます。核家族化によってこの機会が失われていることは、大きな損失であると思います。現在の日本では、多くの死が無駄になっていると思います。


教育雑感 ②

かつてテレビで、すべての栄養素をサプリメントだけで摂取している人がいました。毎回数十粒のサプリメントを飲み込むんです。本人はそれを大変合理的な食事だと思っているようで、体も至って健康だと言っていました。


全く違う番組で、ある栄養士が次のような事を言っていました。

「確かに特定の栄養素を補給するにはサプリメントは有効です。しかし、食べ物の中にはまだまだ知られていない作用、発見されていない成分がたくさんあります。だから1日30品目摂ることが大切なんです。何だか分からないけど、体にとって有益になっているものがたくさんあるんです。なので、今のところ発見されている栄養素だけを補給するのではなく、多品目の食事が大切になってきます。この食べ物は必要か、必要じゃないかは、食べる前に私たちが判断するのではなく、食べてから体が判断するものなんですよ」


このような話を引用したのは、教育にもまったく同じことがいえる気がするからです。つまり、「何だかよく分からないけれど、実は子供にとって栄養になっていること」が現行教育の中に既にあって、それを認識できていないために、安易で性急な教育改革によってそれが損なわれているのではないかということです。


例えば分数の割り算があります。

「分数の割り算は、なぜひっくり返して掛けるのか?」という話題が一時ブームになりました。計算の理屈が分からないままに教えるのは良くないといった風潮です。子供が原理を理解できていないのは教師の怠慢であると言う人もいます。俺は学校の教師なんかよりよっぽど上手に理屈を説明できると息巻く人もいます。


個人的には、「分数の割り算はひっくり返して掛けるだけ!おしまい!」でもいいと思っています。なぜなら、詳しい説明をすべての単元で行うことは不可能だからです。分数の割り算を徹底的に説明する先生も、その時間を捻出するためにどこか違う単元をサラリと流しているはずです。教師が面白いと思っているところに多くの時間を割くのは意義深いことだと思いますが、全ての分野でそれをやるのは不可能です。


もうひとつの理由は、「よく分からないけど覚える」ということが勉強にとって大切なことだと思うからです。「よく分からないけどこういうものなんだ」と思わせることは、決して知性の低下を招くものではないと思います。むしろ、「全てのことは説明可能である」と思わせることの方が問題だと思います。「そういうものなのか」と思える姿勢こそが、科学、政治、哲学、芸術などの諸分野を学ぶにあたって必須の心掛けであると思います。


子供というのは、「こういうもんなの!」と言い切ってみると、割と「そういうもんなのか」と思ってくれます。それを、テレビなどは特定分野(分数の割り算)の指導法などを引き合いに出して、原理を説明しない教師の資質を疑問視する風潮をつくり出そうとしてきます。


「分数の割り算の原理を教えれば、子どもは物事の原理を知る事に興味を持ち、ひいては子供の考える力に寄与する」という発想は的外れだと思います。大人が意図したとおりには子供の脳は働きません。どんなアウトプットになるかは誰にも分かりませんし、分からなくていいと思うのです。


原理を説明する教育、原理を説明しない教育の差異は問題にならないほど小さいと思います(学校でやっていることの多くは既に原理が解明されてますし)。そんなことより、教師が楽しそうに話したり、ある話題に興奮する授業の方が何倍も教育的だと思います(だから松下村塾は素晴らしかったのです)


「よく分からないけど、この先生がこんなに興奮してるってことは大切なことなんだろうなぁ」と子供に思わせることができれば、分数の割り算であろうが、歴史についてであろうが、教育的価値は高いと思います。









教育雑感 ①

教育界は旧態依然としていて、他産業に比べて遅れているという指摘を散見するのですが、教育の良いところって時代と同じように変化しないことなんじゃないかなぁと思います。


例えば今では、任天堂DSで教材が出ていたり、最新の脳科学に基づいた本が出版されていたり、ネットや通信教育の変化も目まぐるしいですが、学力はむしろ低下してますよね。これって、学校の勉強にとって技術革新などはささいな要素に過ぎないってことの証拠だと思うんです。


こんなことを言っていると、「お前は教育を発展させる気がない!」なんて怒られそうですが、教育論や家族論や宗教論などについては、市場原理主義的な考えを持ち込むべきではないと思います。進化した宗教とか、効率のよい家族とかって自分にはうまく想像できません。


教育も全く同じだと思うんです。効率の良い教育なんてありえないっていうか、効率が良くなった時点で教育的な意義は失われると思うんです。質の良し悪しだって、何を基準にするかで全く意味合いが変わってきますし、全員が偏差値70になることはありえないですし。


学校の勉強のすごいところって、周辺産業がこれだけ発達しているにも関わらず、楽して成績UPする道が開けないことだと思うんです。やっぱり机に向かってブツブツとつぶやいたり、何回も紙に書いたり、先生や親に叱咤激励されることが大切になりますよね。これは、学校の勉強内容というのが、相応の労力を払うことを求めているからだと思うんです。


普通に生きていれば、その時代の価値観とか、流行とかに自然に染まっていきます。だけど、時代にそれほど流されないもの、急激な変化の波を被らないものもあるべきだと思うんです。それが、教育、宗教、家族、スポーツだと思うんです。もちろん少しは時代の影響は受けますが、どれも古典的要素を色濃く残してますよね。


市場原理が求めるものは、1の労力で10の対価を与えることだと思うのですが、教育が求めるものは、10の労力で10の対価を与えることだと思います。司法試験だって大学受験だって国家一種試験だって、「あなたはきちんと相応の労力を支払いましたか?」ということを問うているのであって、近道をつくらない制度設計が歴史を通じて構築されたのだと思います。


極端に効率が良い方法もなければ、極端に効率が悪くなることもない。それが教育の真髄だと思いますし、今後も守っていくべきものだと思っています。







ベテラン兵士

いまやマニフェスト詐欺などと呼ばれ、自分達が広げた大風呂敷によって自滅しようとしている民主党だが、政治を国民の手に取り戻すという、政治主導の言葉には誰もが期待した。


よくアメリカ映画などで、士官学校を卒業したばかりの新人将校(隊長)が、実戦経験のあるベテラン部下に無視される場面がある。ここでの将校の行動には2パターンある。1つは、たとえ階級は自分より下であっても、頭を下げてベテラン兵士から実戦において重要なことを教えてもらうパターン。もう1つは、階級が下の兵士の意見などには耳を傾けないぞというパターン。後者の場合、たいてい隊長は呆気なく戦死する。ベタなシナリオではあるが、組織の仕組みを分りやすく示していると思う。


しかしながら、民主党は政権交代直前の街頭演説や国会演説などで、官僚=悪という印象を徹底して与え続けた。悪の権力機構(自民党&官僚)から、政治の主導権を政治家(民主党&国民)の手に取り戻そうというキャンペーンを行った。そんなことをすれば、ベテラン兵士である官僚達は当然頭にくる。しかしながら、政権交代の気運と国民からの声援が高まるにつれて、政治家は官僚たちへの圧力をさらに強めた。


その構図を象徴しているのが、事業仕分けであった。蓮舫さんが官僚に対して鋭い質問をし、その返答に口ごもる官僚の姿は連日テレビで報道された。しかしながら、事業仕分けは思った程にはムダを発見できず、むしろ民主党の政策の方が莫大な無駄となってしまっている。


最近では官僚の悪口をあまり言わなくなった民主党だが、官僚たちの反民主党感情は渦巻き続けていると思う。そんな民主党に対して、先日の国会で与党(国民新党)側から批判があった。これはかなり異例のことだと思う。森田高氏の職を賭した発言には、野党側から拍手喝采が上がった。 http://www.youtube.com/watch?v=qOUjr4ZQek0  (森田議員は、政府になくてはならない人だと思います)



へばりついてちゃダメ その2

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戦争も革命もなく、経済的に恵まれた状況というのは、同時に精神的な堕落、貧困、怠慢を生みだす運命にあります。歴史上繁栄したあらゆる国が同様のループに落ち込み、衰退していきましたが、そのメカニズムについては次回紹介したいと思います。
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前回の続きを書きます。


組織の繁栄と衰退については、企業を例にとると分かり易いそうです(by「街場の現代思想」)


企業というものは、総じて創業時のスタッフが最も優秀であるそうです。創業時の組織は非常に無力ですが、自分達のアイデアを信じ、あえて宮仕えとは違う道を選ぶというリスクを取っているが故に、創意工夫や独立心が旺盛です。経済的には不安定ですが、その不安定さが背水の陣となります。能力の有無は別にしても、創業時のメンバーにはガッツとバイタリティがあります。


創業者が優秀であれば企業は成長しますが、成長期の企業は常に人手不足に悩まされます。たとえ事業がうまくいっていたとしても、世間的にはまったくの無名であるため、大企業のようには人を集めることができません。成長期に集まってくる人達というのは、「ひまだったから」「頼まれたから」「面白そうだったから」等々、大企業ではあまり採用してもらえないようなタイプの人達です。こうした人達は、世間の主流をなす価値観とは少しズレたものを持っていて、ひねくれ者であったり、怪しい人脈やネットワークに属していたり、意外な得意技を持っていたりします(「アルマゲドン」でブルース・ウィリスに集められたような人達、あるいは、「半島を出よ」でコリョの本拠地を爆破したような人達)


企業がさらに成長すると、こうして入ってきた変わり者たちが企業の中核部隊となり、管理職となります。やがて企業が上場し経済新聞などで取り上げられるようになると、新たな人達が集まってくるようになります。それは、「偏差値が高く」「御社の将来性」を見込んだ若者たちです。


そうした若者達は、創業者達のような自立心や成長期の社員のようなデタラメさはありませんが、言われたことはきちんとこなす真面目なイエスマンとしてしっかり働いてくれます。


「ガッツのある創業者」「デタラメでお気楽な管理職」「真面目でよく言うことをきく新入社員」の三層構造が出来上がった時、企業は全盛を迎えます。組織は様々なファクターが混在した時に最高潮の活気を呈すため、この構造はまさに理想的です。


しかしながら、創業時のメンバー、アウトローな管理職達が引退すると、企業は一色に塗りつぶされます。繁栄している企業に後から入ってくる人達というのは、「うまそうな話」に引きつけられてきた人達であるため、「大きな権力、高い賃金、安定した生活」に価値基準を置いています。こうなってくると、企業はかつての多様性を失い、ひたすら同類の社員を採用し続けることになります。よほど採用の方法を変えない限りは、集まってくる人間の種類は必ず均質化していきます。その後は組織の活気がなくなり、会社の存在意義がマーケットから否定されることになります。


以上が組織が衰退するまでのメカニズムです。そしてこれは、国家単位でも起こりうる事象だと思います。世界を席捲した国家(モンゴル帝国や大英帝国)が崩壊したのも、強大な敵が現れたからではなく、内部に問題が生じた為です。


ひるがえって日本を見てみると、見事なまでにこのパターンにはまりつつあることが分かります。若者は大企業への椅子を奪い合い、自分がどれだけ「御社に貢献」できるかをアピールします。自分も有名企業を目指して就職活動をした事がありますので、この心理はとてもよく分かります。


日本の奇跡的な経済成長は、数多くの世界的企業を生み出しましたが、今やその内部は一色に塗られつつあります。だからこそ政府は「新成長戦略新」を掲げ、新分野の開拓や起業の推進をしているのだと思いますが、それなりの経済的繁栄を享受できている社会においては、危機的な状況に悪化するまでは政府が望むような国民の自発的行動は期待できないのかもしれません。


国が貧乏であれば、金持ちになることが「よりよい社会」であると誰もが思います。ではある程度金持ちになった国にとって「よりよい」とはどのような社会なのか。これについては、またいつか書きたいと思います。


仕事は5年でやめなさい。/松田 公太
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