夏休みにいかがでしょうか?

中学生から参加できます。

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被災地支援団体『ふんばろう東日本支援プロジェクト府中支部』は,
中学生から参加できる被災地ボランティアツアーを企画しました。
将来を担う子どもたちに、今の状況を見てもらい、子どもたちにも出来る
ボランティア作業をしてもらいます。
子どもだけ参加、保護者同伴参加 いずれも可能です。
夏休みにしか出来ない体験を子どもたちにさせてみませんか?

日時 7 月28 日(土)21:00 府中集合 ~翌朝・宮城県気仙沼市で市内視察&ボランティア活動 ~ 気仙沼大島の旅館に宿泊 ~ 7 月30 日(月)21:00 府中解散 (車中1 泊、旅館1 泊の2 泊3 日)
※詳しい行程は裏面に記載してありますので、ご覧ください。
参加費 ひとり23,000 円(バス代・宿泊費・食事代・保険・漁協への義捐金1000 円を含む)
※7/29(日)の朝食は各自でご用意いただきます。
定員 大型バス1 台 40名とさせていただきます。(先着順の受付となります。)
作業内容 唐桑地区復興支援共同体から依頼された作業となります。
※カキやホタテの養殖作業の手伝い、浜の清掃活動などの軽作業となります。
お問合せ先:ふんばろう東日本支援プロジェクト府中支部
(府中市NPO・ボランティア活動センター登録団体)
担当:大間 努 042-485-9510 または 090-8757-6468
ツアー企画:名鉄観光(株)小田原支店(0465-23-3238)

※ボランティア活動の内容は、気仙沼市唐桑地区復興支援共同体から依頼された活動となります。
中学生でも出来る軽作業となります。持ち物として、厚手のゴム手袋や底の滑りにくい靴などをご準備く
ださい。(詳細はお申し込み後にお伝えいたします。)
※旅館の部屋は、男女別の4~5人の部屋となります。
※2日目の朝食はバス車内での自由食となりますので、バス乗車前に持ち込むようにお願いいたします。
※以下の申込用紙に記入いただき、7月13日(金)必着にて、FAX(042-456-0223) または 下記住所宛
に郵送でお申し込みください。 なお、参加費用につきましては、当方からのお申し込み確定連絡ののち、
下記口座までお振込をお願いいたします。
【お問い合わせ 及び 申込用紙郵送先】
ふんばろう東日本支援プロジェクト府中支部 代表:大間 努
〒183-0012 東京都府中市押立町4-34-21 電話 042-485-9510 携帯 090-8757-6468
【参加費振込口座】
ゆうちょ銀行 〇〇八(ゼロゼロハチ)支店 普通 6096317 ふんばろう東日本支援プロジェクト府中支部
参加申込用紙
●参加者氏名 男・女 ●学校名学年
●住所
●電話番号(当日、連絡が取れる番号をご記入願います)
●保護者氏名 (同行の有無をお知らせください※同行します・同行しません)
●特記事項(ご自由に記入ください)

http://www.facebook.com/#!/media/set/?set=a.424758124230463.93646.100000888364527&type=3

釜石の○○○中学校の男女バレーバレー部の 中総体の応援に行ってきました。

どの学校の生徒さんの姿にも 感動でした。

 去年の震災後と比べると生徒さん達の表情が全然違う。

今年は得点が入ると生き生きとハイタッチ。笑顔がいっぱい。飛び回ったり 喜びあったり。

ミスしてもお互いに励ましあって 試合をしている。

 去年も点数が入るとハイタッチはあったのですが、こんなに明るくなかった。生き生きしてなかったように思います。

中には 去年はミスするたびにしょぼん しょぼんとするのがわかるところもありましたが、今年は別のチームかと思うほど元気になっているところもありました。

みんなこんなに元気になったんだと思うと感動でした。まだまだ大変なことがたくさんあるだろうのに、精一杯打ち込めるようになっている。

勝ち負けよりもこの姿を見れて 感動でした。


 去年 この学校は津波で学校も部室もながされたためユニフォームが無く、そろいのユニフォームで試合にでたいという生徒さん達に みなさんが募金をしてくださり、ユニフォームをプレゼントできました。

去年 生徒さん達は支援してくださった皆様にとても感謝して 試合に臨み 優勝しました。

女子のユニフォーム代の倍近いお金が集まりましたので、男子も新しいユニフォームを買うことができたそうです。(ここに出ている写真の男子ユニフォームは新しいユニフォームではありませんが。新しいユニフォームは上の色の組み合わせが 写真と逆で青の地に黄色だそうです)
女子の先輩.たちはユニフォームを置いていきましたので、後輩たちはそれを着て 今年の試合に臨みました。

試合前に生徒さん達に声をかけて 握手しました。

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男子開会式 

男子のご父兄の方が「こうしてバレーができるのが幸せです」とおっしゃいました。


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父兄の応援もすごい。 声が聞き取りにくいほど。私も熱気に巻き込まれて 夢中になる。

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今年の春の大会に横断幕を作ったそうです。
私は「ファイト」とか「根性」とか「必勝」といった言葉が入っているのかと思ったら、『夢 伝えたい』でした。

思わず胸がいっぱいになりました。

生きていくのに「希望」が人にとってどれだけ大事なものか。この言葉が出るのはどれほどの絶望と 心の暗闇を過ごしてきたかと。

いい言葉ですね。私も 人に夢 つたえていきたいです。

12日火曜日に発送してもらったシャボン玉が15日金にまだ届いていませんでした。

問い合わせをしてもらうと11時には付きますとのことでしたが、11時少し過ぎでもまだ届いていません。とんだハプニングで幼稚園をまわることができなくなりました。幼稚園にはお断りの電話を入れました。

そこで夕方行こうと思っていた陸前高田まで 昼少し前から出かけることに。

まず途中で陸前高田の○○中学へ。ここはいつもよっているところですが、学校は高台にあって大丈夫なのですが、眼下には津波で流された何もない原っぱが。

学校までの道に花を植えたいということです。今 しかが食べなくて いい花の種をさがしています。

白のマーガレットとかはどうかしら。白は清純な感じでいいかなと。

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この道に花をと。

他にも 空き缶を集めてお金にし 町に花を植えている中学があります。


続いて陸前高田の○○中学校へ 


途中 右側に何か雰囲気が。横を見ると奥にお寺さんでした。ちょっと寄ってみようと。

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すごーい 木だ。           庭の仏像

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本堂

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津波で流されたけど ここに祭られた仏像が。

お寺を1周りして 寄り道は終わりにして 次の学校へ向かう。

この学校は旧校舎にも仮設住宅が建っていました。

ここはまだ小学校に間借りしたまま。旧校舎は地震でひびが入ったりで使えないそうです。

でもそこを修理して戻るのだそうです。

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生徒さんに雑巾を手渡す。       小学校と中学校が一緒なのに 校庭には仮設住宅。運動場は使えない。


次の中学校へ ここは釜石から片道1時間半 一ノ関近く。

生徒の8割が被災して仮設住宅だそうです。

学校で残ったものと言えばこの校名板だけだそうです。
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運動場の仮設撤去予定は 2年の予定が延びたそうです。2年で仮設を出られる人がいないのでしょう。

生徒さんは運動場が使えず  遊べない期間が延びてしまいます。

週に2回ほどバスで移動して 半日かけて広場で運動しているそうです。大変だと思います。

やっと今 堤防の高さが決まったそうです。でも完成するまでにまだ数年かかるとか。

たまたま この学校は廃校になった学校があり そこで授業を再開できましたが、他の学校は生徒数も減り、何校かで合併し 以前死体置き場になっていた学校に入るとかという話もあるそうです。父兄が反対しているとか。いやですよね。それに自分の身内の死体があった所だったとしたら、学校に来る度に思い出されて 学校に来るのが辛いと思います。

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学校がちょっと遠いので 雑巾を300枚以上をどんとお渡ししました。中にフエルトでの手作り針山・裁縫道具も入っています。

副校長先生が「ちょうど昨日アラスカからバスケットボールが付いたんですよ。アラスカの高校生が見つけてくれて 昨日飛行機で付きました。コックピットでシートベルトをしてきたそうです。」と ボールをみせてくださいました。写真ではわからないのですが、すごい傷だらけ。アラスカに着くまでどんな状態だったかと思うだけで胸が痛みました。 ボールをなでてきました。

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釜石への帰り道は 線路が流されてただの堤防になってしまったままの所や、橋が流されてそのままになっている所を通ってきました。

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釜石に戻って○○中学さんにパネルと本のお礼を言って、企業さんに寄って 幼稚園にちょっとお茶飲みによって 大槌の仮設に行きました。

岐阜のある方のお母さん達が 震災のテレビを見ていたたまれず何かしてあげたいと思い、千羽鶴を折りだしました。それが完成しましたので、届けに行きました。手紙も何通か添えられてありました。

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「今日は留め金が無いからここに」と。「きちんと釘を打ってお飾りさせてもらいます。」とのこと。
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支援員さん達がお手紙を読んでみえます。そこに自治会長さんが見えてお手紙を読み、泣いてみえました。

日本全国の方々にどうやってお礼をしたらいいか。

元気に暮らして 復興していきましょう。それが報いることになると思います。と。
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ここにも雑巾を100枚お渡ししました。 枯れた桜の老木があった所はすっかり伐採されてしまっていました。
支援人さん達は 仮設の方々がこれからうつ病にならないか心配だとおっしゃってみえました。先が見えない。いつどうなるかわからないという焦りやあきらめやいろいろなものがあるのでしょう

「公営住宅ができるまで何年かかるかわからない。それまで待てない」「住宅に入ると家賃がいる。それぐらいなら小さくていいから家を建てて住みたい」「年金で家賃を払ったら食べていけない」「土地を離れれる人はいいが離れられない。」「海を見て海で暮らしてきた。離れたくない」

地盤沈下の広い土地が公園になるそうです。「公園ばっかりの優雅な所になってしまう」

「企業が来てくれなければ働く場所が無い」「若い人が出て行ってしまってこの町はどうなるんだろう」「若い人に子どもを産んでここでくらしてもらいたい」等々

みなさんとお話していると その切実さが伝わってきます。

たいしたことはしてあげられないのですが、せめて楽しい時間をもってもらいたいと思います。

来月は夕方からバーベキューをしましょうと。お腹一杯 お肉を食べて みんなとしゃべって笑って 楽しいひと時を過ごしてもらえたら。線香花火もしましょう。

2つ目の学校と3つ目の学校です。


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ここには以前避難所になっていた学校で、メッセージ付きの雑巾をお届けしました。以前ブログにだしましたご年配の方がこつこつ縫ってくいださったものや、片腕をがんで無くした方が買ってきてくださった分です。また 秋ごろにお願いできたらということでした。

3つ目の学校には岐阜のある中学校さんが学校挙げて縫ってくださったものをお届けしました。(以前のブログに生徒会長さんのメッセージあり)

「校長先生は校長会で不在ですので」と副校長先生が対応してくださいました。

「学校を上げて作ってくださったとは知らなかったので」と恐縮されていましたので、岐阜の学校さんに電話を取り次ぎ、お話してもらいました。

197枚でしたが、ちょうど.生徒数+職員数が197ぴったり。とびっくりしてみえました。(一応仲間が送金を足して200枚にしてくれましたが)


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ここも生徒さんは避難所から通っていて  遠いところの子もあり、スクールバスでの通学だそうです。

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スクールバス

「学校は地震で壊れているんですよ。ここも」と副校長先生。

「えっ この職員室や校舎もですか?」と私が聞くと「そうです。プールが1番よくわかるので ご案内しましょう」と。さっそく見せてもらいに。校舎を回って わざわざ鍵を開けてプールを見せてくださいました。

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プールの壁がこんなに傾いて。プールサイドのコンクリートがこんなに沈下


学校のすぐ下まで津波が来たそうです。周りの家も津波で流されたそうです。

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周りに家がない。学校のフェンスから見ても家が無いところが見える。

まだまだ こんな状態なんです。

たくさんの雑巾 ありがとうございました。≧(´▽`)≦ とても喜ばれました。

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釜石市の1番目に行った学校。荷物の積み込みと学校が分かりにくく迷って20分程遅くなってしまいました。

玄関を入るとメッセージが
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うわー 歓迎のメッセージが…(ノ´▽`)ノ びっくり

校長室へ通していただいて お茶をいただくと「こちらへどうぞ」と。えっどこへ行くんだろう?

案内してもらった部屋には6年生全員が並んでまっていてくれました。

椅子にどうそ と言われてすわると校長先生が「みなさん今日は岐阜からわざわざ来てもらえました。岐阜はどこにあるか もう みなさん地図でみましたね。後は特産物が何があるかとか 各自で勉強してみましょう」と。前には日本地図。もう岐阜について勉強したんだ。すごい。

雑巾は300枚。アップリケのついたものもあり、「わー かわいい」」と覗きこんでいます。
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校長先生が「本来なら全校生徒でお出迎えする所を…」 えっとんでもない。雑巾持ってきただけですよ。

3年生の子が生徒代表してお礼の言葉を言ってくれました。緊張しているのか固い表情でした。ハハハ
贈呈式後 みんなで写真撮影。これは学校行事だからとフラッシュの嵐。えー大した事無いのに、


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はーい 撮りますよ 前向いて       はい ポーズ

帰りにはお土産まで用意して下さっていました。なんだかこちらが恐縮です。

校長先生は みんなが感謝の気持ちを持つようにとこうした企画にされたようです。すごいな。

でもこんなに喜んでいただけたなら うれしいです。なんだかこちらが感動してしまいました。

今度は岐阜の名物でも お礼状と一緒に送ろうと思います。

みなさんの雑巾がこんなに喜んでもらえています。

斎藤武彦先生からのメッセージです!

「ドイツで物理学の大学教授をしています。5月24日から6月1日まで自費ボランティアとしてドイツから宮城と岩手の被災地の学校などを回って科学の特別授業をしてきました。女川、石巻、大船渡、釜石、大槌、宮古、久慈、盛岡の延べ14カ所で16回の授業を1000人以上の子供たちにしました。今回のボランティアのことをアメブロに書きました。このブログが出来るだけ沢山の人たちに被災地の子供たちに目を向けるきっかけになるとよいと思っています。」

*↓長いですが是非読んで下さい!!


5月28日(月) 宮古と大槌
朝早く目が覚めて窓の外を見ると、ホテルの回りには廃墟が沢山あった。このホテルがある所は津波被害が甚大だった場所で、ホテルもしばらく営業が出来なかったとのこと。完全に破壊されてしまった建物もある一方、奇麗になっている建物もあり、町が復興しようとしていることが分かる。朝8時に釜石のホテルを出発し、宮古の津軽石中学校に向かう。この日はH君が全部運転してくれることになっており、本当に有り難い。前日に長時間仙台から釜石まで運転したこともあり体力的に限界だった。途中、釜石、大槌、山田町の津波被害が激しかった地域を通る。あまりもの悲惨さに声が出なかった。特に大槌町は凄まじかった。あまり報道されていない山田町も大きく破壊されていた。

9:30に津軽石中学校に到着し、まずは校長室で校長先生と教頭先生とお話をする。この学校は内陸にあるので被災した生徒数は多くはないとのこと。但しご家族には様々な影響があるとのこと。SAVE IWATEのYさんとAさんもヒマラヤ岩塩を持って到着する。今回の岩手での授業は大槌臨学舎を除いては全て盛岡の支援団体であるSAVE IWATEさんが学校との交渉をしてくれた。俺との連絡役をしてくれたOさんは29日に来られるとのこと。SAVE IWATEの方々は常に誰かが授業に参加してくれることになっている。授業に参加する全ての生徒たちへのヒマラヤ岩塩もプレゼントとして用意してくれている(約850人分)。SAVE IWATEの方々は精力的に動いて下さったので皆若い方々かと思ったけど、YさんとAさんは年配の方だった。お二人ともとても良い人。Yさんは中学校の教諭をしていた人で教育に関しての情熱が強く感じられる。宮古市教育委員会のYさんも来てくれた。Yさんはこの次の宮古高校の授業をSAVE IWATEさんと一緒に手配をしてくれた方。今回の支援をするにあたって最初は自治体や教育委員会にコンタクトをとったけど中々前に進まず、そんな中でYさんは数少ないお返事をくれた人の一人。そのあと理科の担当の教師の方が来て、教頭先生と体育館で準備をする。気温が低かったのでとても寒かった。

津軽石中学校での授業は10:30~11:20で対象は全校生徒125名。H君の他に、共同通信社の記者の方、岩手めんこいテレビ(フジ系列)の方が取材に来てくれた。岩手めんこいテレビではその日の夕方18:15からのニュースで授業の様子やインタビューの様子を流すとのこと(ちなみに俺は見れていません)。初めての大人数での授業で、またマスコミも来ていることもあり、俺が生徒の目線で授業をすることができず、俺が心を開くことができなかったので生徒たちもなかなか心を開かずにいてしまい、俺としては満足がいく授業ができなかった。聞いてくれた生徒たちに申し訳ないと思った。それなりに生徒は楽しんでくれたと言って頂いたけど、俺としては改善点の多い授業だった。授業終了後は校長先生と様々にお話をさせて頂いた。気さくな素晴らしい校長先生で、教育に関してなど様々な意見交換をさせて頂いてとても勉強になった。この授業が満足がいく物ではなく、中学生に授業をするのが少し怖くなる。小学生は反応をしてくれるから楽だけど、女川向学館でもやはり中学生への授業は反応が冷ややかな部分もあり難しいと思った。30日の久慈の長内中学校での授業に対して不安が大きくなる。

授業終了後教育委員会のYさんが宮古駅まで誘導してくれ、その近くの美味しい食堂を紹介してくれ、そこでH君と二人で海鮮丼を食べた。

昼食後に宮古高校に向かう。宮古高校は駅に近く、大きな立派な高校だった。周辺は津波で冠水したけど、宮古高校は冠水しないで済んだとのこと。宮古高校には13:30に到着し、校長先生、副校長先生とお話をする。少ししてSAVE IWATEのYさんとAさんも到着する。お二人はこのあとに授業をすることになっている大槌臨学舎の皆さんにも岩塩を上げて下さいと大量の岩塩を下さった。心遣いがとても嬉しかった。宮古高校では14:20~15:40で高2理系120名に授業をした。理系進学希望者だけではなく、看護士になりたい生徒たちも受講してくれた。この授業にはH君だけではなく、岩手日報の記者の方が取材に来ていた。理系関係の生徒相手の授業なので関心もあるようで、授業に対しての反応は悪くはなかった。但し自分自身の授業に対しての硬さがまだあるので、それはこれから改善して行かないと行けないと思った。授業後に複数の生徒たちが質問に来てくれ、岩手日報の記者の方のインタビューも受けた。岩手日報は29日の朝刊で記事にしてくれた。この記事を見た東北の方がツイッターで紹介をしてくれていた。

http://twitpic.com/9ql4hs

ここでも全員にグミを配ったけど、生徒の一人が前に食べたラクリスの渦巻きグミが印象に残っており、ちょうどそれを持っていたので上げたらすごく喜んでいた。また他の生徒たちも興味から沢山集まってくれて、ラクリスグミを食べて不味さを楽しんでくれた。

17時頃に宮古高校を出発し、大槌臨学舎に向かう。早めに大槌に到着したので、まずは大槌の津波被害が大きかった地域にいく。臨学舎はまさしくその地域に真ん中に位置している。女川と同じで大きな鉄筋の建物以外は土台しか残っていない。津波で破壊された沢山の車が撤去されずに並んでいる。見渡す限り何もない。女川でも感じたんだけど、まるでローマの遺跡の真ん中に立っているようだ。破壊された町立図書館の中には行って見る。泥をかぶった本が並んでいる。1階の天井も破壊されている。恐る恐る2階に上ってみる。2回も天井まで破壊されている。そこから大槌を見渡しても広がるのは建物の土台のみが残った土地だけ。悲惨な光景としか言えない。下が図書館の2階から見た大槌の写真です。

$齋藤武彦のブログ

18:30に大槌臨学舎に到着し、責任者のKさんとお話をする。まずは臨学舎の中を見せてもらう。テストが近く、中学生が皆一生懸命勉強をしている。臨学舎は小高い丘にある神社の境内の上町ふれあいセンターにあり、津波の被害は免れた。但し大槌は津波が来たあと4日間瓦礫などが燃え続け、神社の鳥居も燃えたとのこと。その鳥居も見せて頂いた。ここではやはり殆どの生徒が被災をしているとのこと。授業は19時から21時で対象は中1~高2。当初は20名ぐらい来る予定だったけど、テストが近い関係上人数が減って、生徒数は8名。スタッフも聞いてくれたから総勢15名程度。生徒の8名は皆女の子だった。生徒たちは楽しんでくれていた。まだ俺自身の硬さがとれなくて授業をすることの難しさを痛感する。全ての授業が対象も時間も違うから大変でもっとしっかりと細かく対応をしていかないといけないなと思う。授業終了後皆で記念撮影をしたりと色々とお話をする。

21時半に大槌を出て夕食を食べて釜石のホテルに戻って来たのは夜23時頃。

5月29日(火) 釜石と大槌
釜石のホテルを8時半にチェックアウトして釜石高校に向かう。この日はH君は釜石高校までの同行で、その後は俺の単独行動になるから車2台で移動する。釜石高校には9:30に到着する。まずは校長先生と副校長先生とお話をする。間もなくしてSAVE IWATEのAさんとOさんが到着。この時に初めてOさんとお会いする。若い学生の方で、大学を休学をして様々なボランティア活動をしているひと。素晴らしい人柄の持ち主で様々な面で尊敬できる方。その後に理数科主任のS先生と授業の準備を視聴覚室で行う。S先生は若いイケメンのとても素敵な先生。授業は10:35~11:35で対象は理数科の高2の生徒35名。授業での生徒の反応は良かった。授業時間が50分間と短かったので話せる内容が少なく、是非また来て様々な続きの話をしたいなと思った。授業終了後、科学の部屋とよばれる教室に移動し、S先生と様々なお話をする。釜石高校は今年の4月からスーパーサイエンスハイスクールSSHに選ばれ、それに対しての様々な説明をや資料を頂いた。2年後に海外研修を考えており、その受け入れ先を探しているとのことで、俺いるマインツ大学とGSI研究所で受け入れをすることを提案した。非常に喜んで下さり、その線でこれから話を進めて行くことになった。またインターネットなどを使って海外の高校とも交流をしていきたいとのことで、その相手校も俺が探すと言うことで話を進めることになった。ドイツではこのような学校の生徒たちを研究所などで受け入れて研修をさせるのはシステムとして確立していて、これはドイツサイドでは話を進めるのは簡単なはず。特に被災地である釜石の高校と言うことであれば、受け入れたいと言う学校が多数過ぎて困ってしまうようなことになるのではないかと思う。様々な協力を約束して釜石高校をあとにした。H君ともここでお別れで、そのあとに単身で大槌の大槌高校に向かう。

大槌高校には13時に到着する。担当者である副校長先生とお話をする。温厚なとても素晴らしい先生。時間がないのですぐに理科室に移り、そこで理科教諭の方々の助けを借りながら授業の準備をする。授業は13:30~15:20で対象は高2高3の文理クラス(進学クラス)41名。前日に大槌臨学舎の授業に来てくれた女の子二人もいて、授業はとてもし易い雰囲気。文系と理系が混ざっているから、もちろん科学に興味のない生徒もいるけど、それでもそれなりに関心を持って聞いてくれてとても話す方としても楽しかった。休み時間には前日の大槌臨学舎で授業をした高1の女の子も友人を連れて遊びに来てくれてとても嬉しかった。質問も様々に出て、授業としては良い雰囲気で行うことができた。副校長先生はとても教育に熱心な方で、授業後にも生徒たちに俺の所に来て科学以外の質問をして欲しかったようだけど、残念ながら生徒は来なかった。その代わりに授業終了後から17:30まで副校長先生と校長室で様々にお話をさせて頂いた。佐藤先生は岩手の内陸で生徒のカウンセリングなどをしていた方で、4月から大槌高校に赴任されたとのこと。もともとは釜石出身で釜石高校を卒業。津波被災地とはとてもつながりの深い先生。先生は俺が教育に対してどう考えているのかを聞きたがっていて、自分の持論を様々に話させて頂いた。誉めることが大切であること、異なる物を受け入れると言うことが大切であることを強調させて頂いた。佐藤先生は同じ考えを持っていらっしゃり、様々な教育への取り組みを話して下さり、とても勉強になった。このように教育改革をしようとしている素晴らしい副校長先生がいる学校で学べる生徒たちはとても幸せだなと思った。これからもコンタクトをとり合って様々に話をして行く事を約束して、17時半に大槌高校を出る。出発する時に大槌高校が震災支援に対してどのように取り組んで来たかをまとめた冊子をいただく。

17時半に大槌を出発し宮古を経由し久慈に向かう。宮古の辺りで渋滞に掴まり、また途中の山道もとても険しく、久慈駅前のホテルに到着したのは夜21時半頃。ホテルと言うよりも古い旅館で、部屋は和室。近所の割烹で夕食を食べて、隣の人にほやの刺身も頂いたりして、移動で疲れたからすぐに寝る。

5月30日(水) 久慈
日本に来てから初めて長時間寝れた。朝8時に起床して9時に長内中学校に向かう。長内中学には9時半に到着し、到着してまず校長先生とお話をした。とても温厚で聡明な素晴らしい先生。授業は11:00からなので時間もあり、体育館で準備をした後に、また校長室に戻って様々なお話をした。生徒の被災状況や、岩手での難しさなど様々なお話を聞くことができた。久慈は被害があまり大きくはなかったけれど、10名以上の生徒が被災をしたとのこと。SAVE IWATEのOさんとYさんも来てくれた。

授業は11:00~11:50で対象は中3で103名。この日から俺の紹介をSAVE IWATEのOさんがすることになった。様々な子たちがいるけど、素朴で純真な感じ。どの生徒も目がとても輝いている。28日の授業で中学生の授業に対しての苦手意識が生じてしまい、すごく緊張した。ただし俺自身の中から躊躇や遠慮をなくしてしまわない限り生徒たちも授業を楽しんでくれないと思い、最初から飛ばすことにした。それが功を奏して生徒たちの反応は素晴らしかった。どの生徒たちも目を輝かせて話を聞いてくれた。話しをしている俺ももっと楽しくなって、こっちが楽しくなると生徒ももっと反応してくれて、授業をすることが楽しくてしょうがなかった。自分としてはとても満足がいく授業を初めてすることができた。質問も沢山出た。ダークマターや銀河系の話や様々な質問が出た。

質疑応答が終わった後に女の子の生徒会長が感想を読んでくれた。そして俺は壇上に上げられて、皆から合唱のプレゼントをしてもらった。素晴らしい合唱で、危うく涙が出てしまう所だった。授業終了後に「今回はタイムマシンの話を出来なかったからまた必ず来て続きの話をしますね」と言うと大拍手で喜んでくれて、「また来て下さい」と言ってもらえて本当に嬉しかった。ここでの授業の様子は長内中学校がブログで紹介をしてくれている。

http://blog.goo.ne.jp/osanaijhs/e/de7a9f2f736cc2e0ce2d0360196d7b40

授業終了後に引き続き校長先生と様々なお話をさせて頂いた。是非給食を生徒たちと一緒に食べて下さいとのことで、3年B組でみんなと一緒に食べさせて頂いた。ダークマターの質問をした生徒が案内してくれて、食事中は東京の修学旅行の話とか色々な話をした。食事終了後もう一度校長室に戻ると、そのあとにダークマターの質問をした生徒がもっと質問をしたいと校長室に来てくれて、そのあと様々に色々な話をした。ニュートリノの話とかもすごく詳しくて、科学の話や将来の話とか沢山色々とすることができた。長内中学校からはお土産もいただいた。感謝。長内中学の授業はデーリー東北社のMさんが取材をして下さった。また、久慈市教育委員会の指導主事のIさんも来て下さった。

14時頃に長内中学校を出発して宿がある花巻温泉に向かう。途中はずっと山道で、そのあと盛岡市内に入り、疲れたから東北自動車道を使って花巻に行った。17時半頃に到着。温泉に少し入った。ホテルで盛岡に住む男性の店員さん話をする。彼は沿岸地域に行ったことが無く、被災した場所の建物はもうすっかり元に戻っていると思っていたとのこと。同じ岩手県内でも被災地の状況が伝わっていないことに驚く。夕食をホテルで食べて、郷土舞踊の鹿踊りを少し見て、すぐ寝た。この日も移動が長かったから疲れた。

5月31日(木) 陸前高田、大船渡、気仙沼
朝3時に起床。この日の授業も難しそうなのでもう一度スライドとかを作り直す。この日は大船渡で、花巻からは車で2時間半かかる。大船渡に行く前に陸前高田の状況を見たくて、朝6時前に花巻を出発して陸前高田に向かう。

陸前高田には朝8時頃に到着。高田の山間部でまず仮設住宅の看板が沢山目につくようになる。そして平野部に入ると海からまだ遠いのに、津波で流されて土台しか残らなかった建物の跡が多数目につくようになる。もう少し車を海の方に進めると突然何もない平地が目の前に広がる。所々にまだ撤去されていない鉄筋の建物や瓦礫の山が目につく。残った鉄筋の建物を見ると津波の高さが分かる。ここにもすごく高い津波が押し寄せたのが良く分かる。地盤が沈下してしまっているのも良く分かる。土地が低くなってしまい、水が出て行かなくなってしまい、住宅跡が水田地帯のようになってしまっている。女川とは違い面積が広大で、未だに建物等の取り壊しが終わっていない。瓦礫を運ぶトラックが沢山走っている。写真を撮りながら海の方に向かい、海辺の水戸を大船渡方面に向かうと海沿いの被害状況が良く見えるけど、その被害状況は想像を絶する。この状態を表す言葉が見つからない。被害があまりにも広大で、以前ここに町があったことを想像することができない。下が陸前高田の写真です。広大な平地は住宅があった所です。

齋藤武彦のブログ

齋藤武彦のブログ

陸前高田を抜けて大船渡市内に入る。大船渡の被災状況も車から見る。陸前高田を見たあとは感覚が麻痺してしまい、大船渡の被災状況が小さく感じてしまう。睡眠不足でまた信号待ちで寝てしまい、危ないのでコンビニの駐車場で30分間寝る。そして大船渡の末崎地区にある末崎中学校に向かう。

末崎中学校には9時半に到着。末崎中学校には第三文明が取材に入ることになっていて、編集長のNさん、カメラマンのIさん、フリーライターのUさんがすでに到着されていた。校長室に通されて、校長先生とお話をする。まずは体育館で準備をすることになり、体育館でセッティングを行い、そのあとにまた校長先生とお話をする。校舎の最上階から末崎地区の被害状況を見せて頂き、また校舎の下に活断層が通っているために地震による校舎のダメージが大きかったとのことでその状況も見せて頂いた。校長先生の話では生徒は素朴で素直だけど、内向的で授業に対しての反応をすごく心配されていた。SAVE IWATEのOさんは遠路わざわざ盛岡から来てくれた。

授業は10:35~11:35で対象は全校生徒133名。授業はとても楽しくすることができた。生徒の反応も予想以上に良く、校長先生も喜んでいた。どこの学校でも女の子の反応の方が男の子よりも良いのだけれど、ここでは男の子たちの反応も女の子に負けずにとても良かった。とても楽しく授業をすることができた。

授業終了後大船渡東高校に向かった。第三文明の方々が車中で取材をしたいとのことで、NさんとUさんが俺の車に乗り込んでずっとインタビューを受けた。約1時間。今回のような支援をしようと思った経緯や、教育や政治に対しての意見など様々な質問を受けた。取材終了後そのまま俺は大船渡東高校の校内に入った。第三文明では7月1日発売の8月号で俺のインタビューを掲載してくれることになっている。

大船渡東高校に到着したのは13時。まずは校長先生に挨拶をし、そのあとは副校長先生と少し話をした。SAVE IWATEのOさんも到着する。授業に参加する生徒数が大幅に増えたとの話だった。当初は高3の機械科と電気電子科の2クラスの52名の予定だったけど、他3学科の農芸科学科、情報処理科、食物文化科の3クラスも参加することになり、計150名となる。グミとカードは偶然次の日の岩手大付属小学校の分を持っていたから間に合ったけど、Oさんは岩塩の手配に苦心していた。

授業は13:30~15:20。会場の講堂に行くと生徒は既に入っていた。すぐに準備をして授業を始める。工学系と農学系の生徒さんたちなので今までとは勝手が違う。男子生徒はやんちゃな感じが多い。でも皆とても元気に挨拶をしてくれる。すごく嬉しかった。生徒は昼食後で気温も高く少し疲れている感じ。授業内容は他と同じく宇宙や素粒子の話だったけど、ここではもう少し海外の話など科学とは違う話をするべきだったと反省。もう少し学校の状況を考慮して授業内容を組み立てるべきだった。とても難しい授業だったけど、質問も結構出て結果としては盛り上がり、生徒さんに感謝。授業終了後副校長先生とまた少しお話をして、大船渡東高校を出発する。

16時頃に出発し気仙沼に向かう。もう一度陸前高田を通る。何度見ても被害の大きさに驚く。川の河口に有名な一本松を見つける。報道で一本松の話は何度も目にしていて、正直言って少し騒ぎすぎなのではないかと感じていた。実際に見て、津波でこんなに町が破壊され、松原も破壊されたのに、この末だけが一本残ったのは本当に奇跡であるし、この松を通して高田の被災の状況がもっと知られるようになるといいなと思った。この松はそのために奇跡的に残ったんだなと思った。

しばらく運転して夕方17時過ぎに気仙沼に入る。ここも海の近くの被害が甚大で、津波が高かったことを示す跡に驚く。写真とかで有名な陸に打ち上げられた大型船の横の道路を通って更に進む。港に復興屋台が集まっている所があってそこに立ち寄る。アフリカのナミビアで蟹をとってそれを輸入している業者の屋台があり、前にナミビアの砂漠でのガンマ線望遠鏡の建設に従事していたこともあって、そこで蟹のビスクを頂く。店員さんたちと様々な話をする。主に若い女性の店員さんと話をする。彼女は地震のあとに大船渡の高校を卒業してすぐ岩手に就職したけど、大船渡の復興の為に働きたいと大船渡に戻って来た。家は津波で流されて、今は仮設住宅に住んでいるとのこと。復興の状況を様々に聞かせてもらった。土地が沈んでしまったのでそれを上げなければならなくてそれにどのくらいかかるのか分からないと言っていた。住宅地を作らないと行けないけど山を切り開かなければ行けなくて、でもそれをする為の業者は今はそれどころではなくて、一体何時になったら仮説を出れる状態なのか分からないと言っていた。港の冷凍施設が破壊された為に加工業が壊滅してしまい、それで漁も中々出来ない状態で、仕事をすることができない人が沢山いるとの話も聞いた。瓦礫問題の話題にもなる。とにかく被災地を見に来て欲しい、それから瓦礫問題を議論して欲しいと言っていた。測定した瓦礫に関しては受け入れて欲しいと言っていた。今回俺も色々な所を回って瓦礫を見たけど、被災地では処理できないのは明らか。瓦礫がある限り復興はマイナスの状態から先には進めない。宮城以北の瓦礫で、測定をして値が低いのならそれは他の自治体の助けを得て処理されるべきだと思う。様々な被災地で瓦礫の話題にはなったけど、震災当初に言われていた「絆」と言う言葉に対して被災地には疑問が生じていると言うことは感じた。

気仙沼から花巻に向けて18時頃に出発する。気仙沼市を出た所に食堂がありそこで夕食を食べる。帰りの会計の際に女将さんから様々な話を聞く。この店は陸の方にあるから被災はしなかったけど、気仙沼の復興の為に様々な事をして来ている。何度も強調していたのは、被災地がもう復興していると思われるのが恐ろしいとのこと。1年も経過しているから復興していると思っているひとが多いことを懸念しているとのこと。実際にどこを見ても復興どころかやっと地面から破壊された建物が無くなって更地になっているだけで、未だに復興に対してマイナスの状態からスタートをしようとしている。そういう状況であることを知るべきだと思った。復興には10~20年かかると言われていた。その間被災地が頑張っていることを他の地域の人たちは忘れては行けないと思ったし、出来る限りの事をするべきなのではないかと思った。

19時半頃に食堂を出発して花巻に向かう。花巻のホテルに到着したのは22時頃。着替えもしないでそのまま敷いてあった布団に横たわって、電気もつけたまま熟睡をしてしまった。節電と逆の事をしてしまったことを反省。

6月1日(金) 盛岡
深夜2時頃に目が覚める。せっかくだから温泉に入る。2時だから誰もいなくて貸切状態。長湯が苦手だから結局すぐに出てしまう。少し授業の準備をして4時頃に寝て、6時にまた起きる。また準備をしてチェックアウトをして7時に盛岡の岩手大付属小学校に向けて出発する。

岩手は都市らしく渋滞をしている。早めに出発して良かったと思う。約束の8時半より少し遅れて岩手大付属小学校に到着する。玄関で担当のT先生の出迎えを受ける。校長室に通され、T先生と副校長先生とお話をする。SAVE IWATEのYさん、Aさん、Oさんも来て下さる。T先生から理科教育に対しての試みの話などを伺い、そのあとに大教室に移動をして授業の準備をする。

授業は9:30~10:15の45分間で対象は小6の130人。授業が延長をしても対応が出来るので大丈夫ですと言われる。準備が終わって待機をして教室に入ると生徒たちは既に床に座っている。全員が起立をして、T先生が「これから特別授業を始めます」と言うと、生徒たちから「はい」と大きな返事があり授業が始まる。その返事にまずはとても驚く。そしてSAVE IWATEのYさんが俺を紹介してくれる。また「今回の授業では3つのことを覚えて、それを帰ったら家族の人に伝えたら、ここで学んだことがどんどん他の人にも広がってみんなで共有できる」と言うことをYさんが子供たちに話す。素晴らしいなと感動をする。授業を初めてまず驚いたのは生徒たちの目が輝いていること。そしてすごく反応をしてくれること。こちらからの質問にも大きな声で答えてくれ、そして分かっていることを主張することだけではなく分かっていないことも分かっていること。質問に答えることができた生徒は、質問に間違った答えをしてしまった生徒たちを思いやっていること。授業をしてとにかく楽しかった。授業をするこちらはまるで夢を見ているみたいだった。楽しくて話しすぎたため、時間は20分以上延長をしてしまった。授業が終わると生徒たちから残念がる声が沢山聞こえて嬉しかった。

授業終了後、それぞれのクラスの代表の計4人が感想を言ってくれた。お礼を言いそれぞれの子たちと握手をした。副校長先生が「先ほどの授業で出て来た日本で初めてノーベル物理学賞を取った湯川秀樹博士は実は30年前にここ付属小に来て授業をしてくれました。齋藤先生は湯川博士に継ぐ二人目の付属小を訪問した物理学者です」と言われ、ちょっと照れた。そして俺が退場することになりSAVE IWATEの方々が退場をしたのに続いて退場しようとしたら、なんと生徒が全員走って来て集まってくれて、囲まれた。そして全員と握手をした。その時に皆が口々に「また来てね」「ドイツに必ず行きますね」と言ってくれて嬉しかった。生徒全員と握手やハイタッチをしてそして校長室に戻った。授業後も先生方から付属小の教育への取り組みの様々なお話を聞き、とても感動をする。素晴らしい教育がここにはあることに安心感を覚える。一方、それらが中々普通の公立校の現場では生かされていないことに対しても様々な意見交換をする。正午頃に付属小を出発する。車に乗る前に先生方と写真を撮る。

車を借りた多賀城まで運転をする。仙台近郊で渋滞に掴まる。15時半頃に多賀城に到着し、仙石線で仙台まで行き、東北新幹線“はやて”で東京に向かう。大宮を出た所で地震による停電があり新幹線が止まり、都心で難民になってしまうかとちょっと心配したけどしばらくして復旧をし、無事に東京に到着する。

おわりに
今回のべ14カ所で16回の授業をさせて頂いた。宮城県ではのべ5カ所7回、岩手県ではのべ9カ所9回の授業をした。授業を聴いてくれた生徒数は約1050人。1000人を超えた。これを計画したときは全部で100人ぐらいだろうと思っていたから予想外の多さの生徒たちが授業を聴いてくれたことになる。どこでも思ったことは子供たちは元気であるということ。そして子供たちは未来に目を向けているなと言うこと。今回の自分としての目的は子供たちに外に目を向けてもらい異なる物を見て受け止めてもらうと言うこと。異なる物を認める重要性を少しでもいいから伝えたかった。ドイツにいる俺が目の前に現れればドイツや世界のことに少しでも興味を持つことができるのではないかと思い、出来るだけ沢山の場所に足を運ばせて頂いた。その目的はある程度は達成できたと思う。少なくとも子供たちは俺の授業を楽しんではくれたと思っている。今回のことで様々に子供たちと話す事の重要性を再認識した。また、被災地が忘れられない為に、そして被災地にいる子供たちに世界が見守っていることを知らせる為に、また近いうちに宮城と岩手には戻ってこようと思う。次回は、自分が原子核物理学者である為に騒ぎになるのが嫌で今回は意図的に避けた福島県の学校も訪問しようと思う。出来たら青森県の津波被災地にも足を運びたいと思う。今回授業をした生徒からも沢山のメールを頂き、「次はいつ来ますか」との質問も頂いている。必ず近いうちに、秋頃にまた子供たちと話に行きたいと思っています。

今回は沢山の人に支えられました。俺は色々な人とつるんで何かをするのが苦手なので単身でこれを行おうと思ったんだけど、結局本当に沢山の人たちに支えられました。ここでは一人一人のお名前を出す事をしませんが、実際に様々なサポートをしてくれた人だけではなく、様々に応援をしてくれ精神的にサポートをしてくれた人たちも多数います。サポートをして頂いた全ての方にお礼を申し上げます。

SAVE IWATEのOさんは今回の授業のことをブログに書いてくれたので、それも紹介しておきます。

http://sviwate.wordpress.com/2012/06/12/マインツ大学、齋藤教授の特別授業/

自分が教授をしているマインツ大学もプレスリリースを出してくれました。以下のアドレスです。

http://www.uni-mainz.de/presse/52256.php

当会の読者登録をしていただいている齋藤武彦先生のプログを転載します。

ドイツから被災地の学校に物理の授業をプレゼントされた様子が書かれています。

多くの生徒さんに夢と感動を与えられた記録を2回に分けて紹介させていただきます。

*ちょっと長いのですが読んでいただけると嬉しいですチョキ


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ドイツにいる自分が被災地の方々に何か出来ることはないかなとずっと考えていました。子供たちと話そうと思って、5月24日から6月1日まで、宮城県の女川と石巻、岩手県の大船渡、釜石、大槌、宮古、久慈、盛岡の学校や学習支援団体の訪問して、子供たちに科学の特別授業をすると言う自費ボランティアをしてきました。その時の様子を日記形式で書いてみました。

長文ですが、最後まで読んで頂けたら幸いです。感想や意見等も残して頂けたら嬉しいです。
PART 1と2にわけました。以下がPART 1です。PART 2は
http://ameblo.jp/takehikosaito/entry-11276856409.html
です。


5月22日(火) ドイツから日本へ
昼過ぎのフランクフルト発のフライトで成田に向かう。数日間準備で徹夜が続いていたから飛行機では珍しく少し寝ることができた。


5月23日(水) 日本到着
朝8時頃に成田に到着。昼過ぎに首都圏のホテルにチェックインして授業の準備をする。夕食はホテルの裏にある居酒屋さん。男性の店員さんが俺と同時期にカスミの社員として筑波にいたことが分かって筑波の話で盛り上がる。別の若い女性定員からは髪の毛がカツラなのかどうか聞かれた。


5月24日(木) 女川へ
朝8時前にホテルをチェックアウトして新幹線で仙台に行く。仙台で仙石線に乗り換えて多賀城に行く。仙台の駅で電車を待っていると年配の男性に多賀城行きの電車はここで待てば良いのかと声をかけられる。Sさんと言う人で、定年をした人で今は被災地で自分たちで安く家を建てることで被災者を支援する為のプロジェクトを宮城に立ち上げようとしている人で、その拠点になる可能性がある多賀城のある企業の工場を視察に行くとのこと。彼と車中で教育について様々に話す。ロッジを山梨に持っていて、そこに子供たちを招待したりしているとのこと。俺を講師として招いて科学教室をしたいと言ってくれ、これから連絡を取り合う事を約束する。

多賀城の駅に到着し、レンタカー会社に行き黒のマーチを借りる。そこのガソリンスタンドも津波で冠水し数ヶ月営業が出来なかったとのこと。店員さんになんでこんな長期間車を借りるのか聞かれたからこれから授業をしに行くことを話すと、店員さんは何度もお礼を言っていた。

マーチを運転してまずは塩釜のホテルに行く。友人のNさんとHさんとK君が送ってくれたドイツのHARIBOのグミが1320人分ホテルに届いているのでまずそれを受け取る。ドイツからグミを自分で持ち込もうとしたけど、量が多く関税の問題などで持ち込むことが頓挫していたら、友人3人が日本でそのドイツのグミを入手してくれ送ってくれた。大きな段ボールに小さな段ボールが3つ入っている。本当に有り難い。大感謝。

ホテルへの途中2回逆走してしまう。右ハンドル左通行にまだ慣れていない。塩釜で昼食を食べる。その食堂も津波で1.5mぐらい冠水し数ヶ月間営業が出来なかったとのこと。

女川へ向かう途中石巻を通る。破壊された家や店舗や工場を多数見て津波被災地に来たことを実感する。あまりもの大変な状況に正直言って驚く。

15:00に女川向学館に到着。ガイアの夜明けで有名なかまぼこ屋さんの高政の近く。旧女川第一小学校を間借りしている(現在の第一小は第二小の中にある)。担当者のMさんと責任者のMさんが出迎えてくれる。また京都からボランティアに来ている男性と女性の若い方々も出迎えてくれる。早速諸戸さんとそのお二人と打ち合わせをする。プロジェクターで後方の壁にプラネタリウムが投影されていて、ちょうど向学館に来ていた業者さんが貸してくれたもう一台のプロジェクターで授業をすることになる。16:15~17:15の小学校5、6年生の授業は7名の参加と伝えられる。授業の前に様子を覗きに来た生徒たちがプラネタリウムの演出の効果でどんどん参加することになり、結局は15名程になる。担当者のMさんの演出が功を奏す。最初の授業なのですごく緊張をしたけど、生徒たちの反応はとても良くて嬉しかった。男の子たちが元気でとても喜んでくれていたし、女の子たちの反応もすごく良かった。石巻河北新報社の記者の方が取材に来ていて、授業の様子を取材して帰って行った。授業の様子は26日の石巻河北新聞に掲載された。また女川向学館のホームページでも紹介された。

記事と授業の様子はそれぞれ、
http://www.collabo-school.net/?p=3615

http://www.collabo-school.net/?p=3567
で紹介されている。

中学生の授業は18:20~20:30で、それまで時間があったので担当者の3人と色々な話をする。生徒の被災状況を聞いたりする。また放射能関係の話もする。中学生の授業の参加者は4人とのことだったけど、プラネタリウム効果で15人ぐらいはいた。途中の休み時間に授業の様子を聞いた生徒が5人ほど追加で参加してくれたのは嬉しかった。生徒たちの反応はそれなりに良く安心した。女川向学館は学びたいと言う意欲がある生徒たちが集まっているから、生徒たちの好奇心が大きく授業がとてもし易かった。

授業終了後に女川向学館のNさんと話す。筑波の社学にいた人で後輩になるのかな。外務省に勤務していたけど、この震災で外務省をやめて向学館を運営するコラボスクールに就職をした人。Mさんも企業を辞めてこの5月からコラボスクールに就職。京都からのボランティアの二人も震災復興に少しでも役に立ちたくて仕事を辞めてボランティアに参加しているとのこと。そういう若い人たちが沢山いることが素晴らしいと思った。

とにかく子供たちが元気なのがとにかく嬉しかった。どの子供たちもグミをとても喜んでくれた。授業が少しぐらい失敗してもグミでとても喜んでもらえるし、改めてそれを手配してくれたNさん、Hさん、K君に感謝。

そのあと塩釜に戻り夜23時過ぎにホテルにチェックイン。とても疲れていて、運転中に信号待ちの時に熟睡をしてしまった。

5月25日(金) 石巻
朝7時に塩釜のホテルを出て石巻の万石浦小学校に向かう。8:30に到着して支援団体チーム王冠のSさんと会う。25日の石巻の授業はSさんが全て手配をしてくれた。Sさんは被災した学校の給食支援を行い、また震災の影響で教室に入るのが怖くなってしまった生徒たちの支援を行っている。万石浦小は津波をかぶらなかったけど、周辺地域は地盤沈下で冠水をしてしまった所。沢山の生徒の家が地盤沈下の被害を受けているとのこと。

まずは校長先生挨拶をする。授業は9:20~10:05で対象は小学校3年生の68名。小学生への授業は難しいのではないかと思っていたけど、小学生の素直な反応がとても嬉しく、授業もし易く、授業をしていてとても楽しかった。メビウスの輪を使った紙遊びも行った。生徒たちはとても喜んでくれていた。震災の影響で教室に入れなくなってしまった女の子が紙遊びの手伝いをしてくれた。ここでの授業の様子はSさんがツイッターで紹介してくれている。

https://twitter.com/ohkan_assistant/status/205850628768022529/photo/1
https://twitter.com/ohkan_assistant/status/205850729515204608/photo/1

授業終了後万石浦小学校をすぐに出発して石巻の北上地区にある橋浦小学校に向かう。橋浦小学校の校舎には現在吉浜小学校と相川小学校も一緒にいる。吉浜小学校と相川小学校は津波で完全に校舎が破壊されてしまい、橋浦小学校の校舎を使っている。橋浦小学校も1階は津波の被害を受けたけど、教職員の方々の努力ですぐに復旧したとのこと。最初に橋浦小の校長先生とお話をする。被災の状況の説明を詳しく受ける。殆どの生徒が被災しているとのこと。橋浦、吉浜、相川小学校3校の生徒を対象に授業をする。11:35~12:20に小学校2、4年生の45名に授業をする。メビウスの輪の紙遊びもする。生徒たちの反応はとても良く、授業をしていてとても楽しかった。

昼食は相川小の職員室で給食を頂く。その際にSさんの給食支援の話や相川小の被災の際の話などを聞かせて頂く。石巻の瓦礫が北九州で騒ぎになったことの話題にもなる。石巻の人たちはとても悲しく思っているとの話を聞く。昼食後に13:40~14:25に小学校6年生28人に授業をする。ここでも生徒たちの反応はとても良くて、授業をしていてとても楽しかった。ここでの授業の様子は相川小学校がwebpageで紹介してくれている。

http://www.mediaship.ne.jp/~elsaika/cgi-bin/1/diarypro/diary.cgi?no=98

ここでも子供たちはとても元気だった。

15時頃に橋浦小を出発して、被災した学校の状況を見させて頂く。まずは吉浜小学校に行く。津波が屋上近くまで来ていたのが分かる。校舎に隣接する体育館は避難所になり、しかし津波で体育館も屋根近くまで冠水してしまい、避難していた人60人のうち57人が亡くなったとのこと。津波の威力に恐怖を感じる。瓦礫などは殆ど奇麗に処理されているけど、地面がまだ柔らかいことに津波がここをかぶったことを実感する。この足の裏から感じた感触が一番怖かった。これは写真などでは伝わらないことだなと思った。以下が吉浜小学校の写真です。

$齋藤武彦のブログ-吉浜小学校

$齋藤武彦のブログ


そのあとに相川小学校に行く。相川小も津波が屋上までかぶっている。体育館が津波で完全に破壊されている。海を望む素晴らしい景色のなのに、ここが一瞬で恐怖に包まれ破壊されたのかと思うと言葉を失う。下が相川小学校の写真です。

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そのあとに大川小学校に行く。大川小学校も今では瓦礫が片付けられ廃墟だけが残っている。ここで100名近い子供たちが命を失ったのかと思うと言葉が出なかった。子供たちは近くの橋のたもとの高台に避難する途中に津波にのまれてしまったのだけれども、なぜ裏山に避難しなかったのかという議論をネットなどで見かける。実際のその場所に立って思ったのは、この急斜面の裏山に子供たちが登ることは無理であるということ。教職員の方々も必死に判断をしたのだと思う。下が大川小学校の写真です。

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大川小のあとはチーム王冠の支援センターに行って様々な話をSさんから聞き、そのあとに市の中心部の津波被災が激しかったところに行く。まずは山の上から被災した所を見る。何も無くなってしまっている光景に絶句する。そのあとその場所に降りて被害状況を見せて頂く。焼けてしまった校舎や、津波で破壊された病院などを見る。また津波で破壊された港も見る。下の写真は石巻の市街地です一番被害が大きかった所です。今は建物は撤去され瓦礫も別の場所に移されています。津波が襲ったあとに焼けてしまった中学校が奥に見えます。

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そのあとに湊地区の集会所に行き、中学生4人に授業をする。部活で疲れているのにわざわざ授業に来てくれてとても感謝。途中休憩にお母様たちが来て下さり、クレープやコーヒーなどを用意して下さりそれを頂く。どれもとても美味しかった。授業の後半が終了後、お母様たちからの質問を受ける。内容は放射能関係で、それに対して様々な質問に私見を言わせて頂く。そのあとに生徒や皆さんと記念撮影をして、集会所を出発して塩釜のホテルに向かう。ホテルには夜23時頃に到着。

5月26日(土) 女川
朝8時に塩釜を出発し女川へ向かう。石巻の被災地域を通り女川に行く。約束の10時よりも早く到着したので女川の町を見に行く。坂を下ると津波で破壊された建物の土台が見えて来て、そのあとに何も無くなってしまっている広大な土地が目の前に突然現れる。そこには女川の町や港があったのに、今は土台以外何も無くなってしまっている。大きな建物は少し残っているけど、津波に寄って土台から根こそぎとられてしまい横倒しになってしまっている。想像を絶する光景に言葉が何も出なかった。高台の上に大きな建物があり、それまでが津波で破壊されている。とにかく想像を絶する。高台の上にある病院の駐車場に登り、女川の町を見渡すと、被害の状況を見渡すことができる。ここが復興するのに一体何年かかるんだろうかと思った。以下が女川の写真です。建物は撤去され土台しか残っていません。瓦礫も数カ所にまとめられています。

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10時過ぎに向学館に行く。この日の授業は11:00~11:50で親子教室で対象は小学校1~4年生。向学館の教頭先生であるYさんの保育園に通うお子様も参加することになり、急遽対象は保育園~小学校4年生に変更になる。この授業には東京から俺の高校の同期であるO夫妻も息子さんと娘さんを連れて参加してくれた。とても嬉しかった。授業に参加したのは父兄も含めて約15名。子供たちの反応はとても良く、メビウスの輪の紙遊びもし、授業をとても楽しくすることができた。授業終了後もバスで帰宅をする必要のない子供たちや父兄は残ってくれて、様々な質問を受けた。小学校3年生のS君はとても鋭い質問を沢山してくれた。とても楽しく授業が出来た。O夫妻は子供たちにと沢山の駄菓子を持って来てくれた。この駄菓子は後述するSAVE IWATEさんの子供支援に使って頂いている。SAVE IWATEさんもとても喜んでいた。この日の授業の様子も

http://www.collabo-school.net/?p=3567
で紹介されている。

授業終了後向学館の方々と港にある海鮮に食堂で海鮮丼を一緒に食べた。とても美味しかった。

昼食後皆で写真などを撮ったあとに向学館を出発し、牡鹿半島を抜けて石巻の北上地区に向かった。通り道に小さな集落が幾つもあったけど、多大な津波被害を受けていて廃墟になっていた。雄勝町に入ったときは驚いた。湾にある観光センターのような建物は完全に破壊されている。ここは観光バスがその建物の上に津波でのかってしまいその光景で有名になった所だ。小学校も中学校も破壊されている。あるのは廃墟になった鉄筋コンクリートの建物と、民家の土台と、瓦礫の山だけ。予想もしていなかったこういう悲惨な光景が突然目の前に現れるととにかく言葉を失ってしまう。坂を上り、高い所にある橋を渡った時に目を疑うような光景を目にする。橋にあったガードレールの根元の部分が残り、それが曲がっている。つまりこの橋の上を津波が通ったということ。町を見下ろすことができるこの高い橋の上を津波が通るだなんて想像もできない。想像を絶する恐怖だったと思う。下が雄勝の小学校と橋の写真です。

齋藤武彦のブログ

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そのあとにもう一度石巻の吉浜小学校、大川小学校に行き写真を撮り、仙台に向かう。仙台では私用をこなす。時差ぼけで朝まで起きていた。

5月27日(日) 岩手県へ
昼まで寝て、昼過ぎに仙台を出発する。この日は釜石に向かうことになっていたけど、せっかくだから平泉の中尊寺を観光することにする。1時間ぐらいの短い間だったけど中尊寺を歩き回る。とても奇麗で素敵な所だった。またゆっくりと来たいと思った。中尊寺は山の上にあり、下からはSLの音が聞こえた。後日これは釜石線の観光用のSLであったことを知る。5時半頃に中尊寺を出発して釜石に向かう。山道をひたすら走る。とにかくずっと山道。岩手には素晴らしい自然が沢山残っているのに驚いた。とても美しい。途中で夕食を食べようと思ったけど、店なんかどこにもない。結局釜石に到着するまで夕食を食べることができなかった。釜石に到着したのは夜21:30頃。先に到着していた中学高校同期のH君と28日以降の打ち合わせをする。彼は28日まるまる一日と29日の釜石高校での授業を密着して記録を取ってくれることになっている。彼は27日の日中には到着していて、彼が同行する全ての学校に既に車で行っていて、時間や道なども全部調べてくれていた。プロは違うなと思った。とても心強い。その日は釜石のホテルに宿泊。

続きはPART 2に書きました。以下のアドレスからPART 2にいけます。
http://ameblo.jp/takehikosaito/entry-11276856409.html

桜舞太鼓太鼓さんの駅前演奏に 岐阜市の助成金の申請が通り、お金ドルが出ます。

(書類とパワーポイント 何とかアピールできたのかなあ)


10月6日土曜日 信長祭りでの演奏。午前・午後各1回 岐阜駅前 

わざわざ 釜石から 伝統ある桜舞太鼓さんに来てもらって演奏していただけるかと思うと感動があります。

また これでみなさんのご好意に報いることができるかと うれしく思います。 ( ̄▽ ̄)=3

ぜひ 聞きに来ていただけたらと思います。

たくさんの 募金をしてくださったみなさん .ありがとうございます 。☆-( ^-゚)v


その反面 もう 駄目だとか 後には引けないので、いよいよ実現に向けて 覚悟を決めてやらなくてはなりません。

助成金だけではとても足りない金額が必要ですが、みなさんには音響をプレゼントの時に 募金をしていただきましたので、別で何とかしたいと思います。


国体期間中で宿泊場所が無い中、市商連さんが宿泊を安く予約して下さっています。

後は 太鼓の運搬 (これがお金もかかって大変なのです。)・太鼓の保管場所・人の移動手段・設置の人出手と 太鼓のメンバーさんが仕事のお休みをとってこれるかです。

考えて行くと大変だ と感じますが、実現に向けて努力します。

ありがとうございました。 (=⌒▽⌒=)

岐阜の○○中学さんが学校を.あげて 雑巾作りに取り組んでくれました。

短い期間に197枚です。今日 贈呈式があり 仲間が出席してくれました。

生徒会長さんからのお手紙には、

「少しでも被災地の役に立ちたい、被災地から一年たった今でも仮設住宅に住ん
でいて物資も不足している被災した方々を、少しでも助けたいという気持ちで、
この活動に取り組みました。
合計197枚のぞうきんを集めることができました。決して多くはありませんが、
精華中学校生徒の役に立ちたい、助けたいという思いがこもったぞうきんです。
使って下さいね。」
等の、心のこもった文章がつづられていました。
みーたんのブログ  みーたんのブログ

また 他の雑巾に付けた手紙


○○小学校の皆さんへ
こんにちは。東日本大震災から、1年以上たちましたね。
岐阜からも、毎日毎日、東北の復興と皆様の幸せをお祈りしています。一日も皆様のことを忘れたことはありません。
さて、今回「新学期が始まっても雑巾が足りない」というお話を4月末に聞いてから、急いで、仲間みんなに呼びかけて、雑巾を集めました。

小学校様から、ご要望のあった、雑巾150枚をお送り致します。
この雑巾は、孫が社会人の80歳近いおばあさんや、「細かい縫い目がみえない」というおばあさん、「ミシンはないから手縫いで毎晩1枚ずつ縫う」、「裁縫の得意な友人に声かけてたくさん作ってもらう」という方まで、本当に多くの方々が、気持ちを込めて作ってくれました。
特に、袋に入った新品の雑巾は、癌で片腕のないお母さんが、「私も、縫うことはできないけど、何かお役に立ちたい。」と言われ、彼女は、毎回支援物資などの時は必ず協力してくれるので、「今回は、無理しなくてもいいよ」と伝えておいたにもかかわらず、「買ってきたので贈って」と100枚も買ってきてくれました。

たくさんの方々の、東北の皆様への応援の気持ちがこもっています。岐阜からでは、こんなささやかな事ぐらいしかできませんが、どうか、学校でお使いください。
皆様のご健康とご多幸を、心より、お祈りしています。