斎藤武彦先生からのメッセージです!
「ドイツで物理学の大学教授をしています。5月24日から6月1日まで自費ボランティアとしてドイツから宮城と岩手の被災地の学校などを回って科学の特別授業をしてきました。女川、石巻、大船渡、釜石、大槌、宮古、久慈、盛岡の延べ14カ所で16回の授業を1000人以上の子供たちにしました。今回のボランティアのことをアメブロに書きました。このブログが出来るだけ沢山の人たちに被災地の子供たちに目を向けるきっかけになるとよいと思っています。」
*↓長いですが是非読んで下さい!!
5月28日(月) 宮古と大槌
朝早く目が覚めて窓の外を見ると、ホテルの回りには廃墟が沢山あった。このホテルがある所は津波被害が甚大だった場所で、ホテルもしばらく営業が出来なかったとのこと。完全に破壊されてしまった建物もある一方、奇麗になっている建物もあり、町が復興しようとしていることが分かる。朝8時に釜石のホテルを出発し、宮古の津軽石中学校に向かう。この日はH君が全部運転してくれることになっており、本当に有り難い。前日に長時間仙台から釜石まで運転したこともあり体力的に限界だった。途中、釜石、大槌、山田町の津波被害が激しかった地域を通る。あまりもの悲惨さに声が出なかった。特に大槌町は凄まじかった。あまり報道されていない山田町も大きく破壊されていた。
9:30に津軽石中学校に到着し、まずは校長室で校長先生と教頭先生とお話をする。この学校は内陸にあるので被災した生徒数は多くはないとのこと。但しご家族には様々な影響があるとのこと。SAVE IWATEのYさんとAさんもヒマラヤ岩塩を持って到着する。今回の岩手での授業は大槌臨学舎を除いては全て盛岡の支援団体であるSAVE IWATEさんが学校との交渉をしてくれた。俺との連絡役をしてくれたOさんは29日に来られるとのこと。SAVE IWATEの方々は常に誰かが授業に参加してくれることになっている。授業に参加する全ての生徒たちへのヒマラヤ岩塩もプレゼントとして用意してくれている(約850人分)。SAVE IWATEの方々は精力的に動いて下さったので皆若い方々かと思ったけど、YさんとAさんは年配の方だった。お二人ともとても良い人。Yさんは中学校の教諭をしていた人で教育に関しての情熱が強く感じられる。宮古市教育委員会のYさんも来てくれた。Yさんはこの次の宮古高校の授業をSAVE IWATEさんと一緒に手配をしてくれた方。今回の支援をするにあたって最初は自治体や教育委員会にコンタクトをとったけど中々前に進まず、そんな中でYさんは数少ないお返事をくれた人の一人。そのあと理科の担当の教師の方が来て、教頭先生と体育館で準備をする。気温が低かったのでとても寒かった。
津軽石中学校での授業は10:30~11:20で対象は全校生徒125名。H君の他に、共同通信社の記者の方、岩手めんこいテレビ(フジ系列)の方が取材に来てくれた。岩手めんこいテレビではその日の夕方18:15からのニュースで授業の様子やインタビューの様子を流すとのこと(ちなみに俺は見れていません)。初めての大人数での授業で、またマスコミも来ていることもあり、俺が生徒の目線で授業をすることができず、俺が心を開くことができなかったので生徒たちもなかなか心を開かずにいてしまい、俺としては満足がいく授業ができなかった。聞いてくれた生徒たちに申し訳ないと思った。それなりに生徒は楽しんでくれたと言って頂いたけど、俺としては改善点の多い授業だった。授業終了後は校長先生と様々にお話をさせて頂いた。気さくな素晴らしい校長先生で、教育に関してなど様々な意見交換をさせて頂いてとても勉強になった。この授業が満足がいく物ではなく、中学生に授業をするのが少し怖くなる。小学生は反応をしてくれるから楽だけど、女川向学館でもやはり中学生への授業は反応が冷ややかな部分もあり難しいと思った。30日の久慈の長内中学校での授業に対して不安が大きくなる。
授業終了後教育委員会のYさんが宮古駅まで誘導してくれ、その近くの美味しい食堂を紹介してくれ、そこでH君と二人で海鮮丼を食べた。
昼食後に宮古高校に向かう。宮古高校は駅に近く、大きな立派な高校だった。周辺は津波で冠水したけど、宮古高校は冠水しないで済んだとのこと。宮古高校には13:30に到着し、校長先生、副校長先生とお話をする。少ししてSAVE IWATEのYさんとAさんも到着する。お二人はこのあとに授業をすることになっている大槌臨学舎の皆さんにも岩塩を上げて下さいと大量の岩塩を下さった。心遣いがとても嬉しかった。宮古高校では14:20~15:40で高2理系120名に授業をした。理系進学希望者だけではなく、看護士になりたい生徒たちも受講してくれた。この授業にはH君だけではなく、岩手日報の記者の方が取材に来ていた。理系関係の生徒相手の授業なので関心もあるようで、授業に対しての反応は悪くはなかった。但し自分自身の授業に対しての硬さがまだあるので、それはこれから改善して行かないと行けないと思った。授業後に複数の生徒たちが質問に来てくれ、岩手日報の記者の方のインタビューも受けた。岩手日報は29日の朝刊で記事にしてくれた。この記事を見た東北の方がツイッターで紹介をしてくれていた。
http://twitpic.com/9ql4hs
ここでも全員にグミを配ったけど、生徒の一人が前に食べたラクリスの渦巻きグミが印象に残っており、ちょうどそれを持っていたので上げたらすごく喜んでいた。また他の生徒たちも興味から沢山集まってくれて、ラクリスグミを食べて不味さを楽しんでくれた。
17時頃に宮古高校を出発し、大槌臨学舎に向かう。早めに大槌に到着したので、まずは大槌の津波被害が大きかった地域にいく。臨学舎はまさしくその地域に真ん中に位置している。女川と同じで大きな鉄筋の建物以外は土台しか残っていない。津波で破壊された沢山の車が撤去されずに並んでいる。見渡す限り何もない。女川でも感じたんだけど、まるでローマの遺跡の真ん中に立っているようだ。破壊された町立図書館の中には行って見る。泥をかぶった本が並んでいる。1階の天井も破壊されている。恐る恐る2階に上ってみる。2回も天井まで破壊されている。そこから大槌を見渡しても広がるのは建物の土台のみが残った土地だけ。悲惨な光景としか言えない。下が図書館の2階から見た大槌の写真です。
18:30に大槌臨学舎に到着し、責任者のKさんとお話をする。まずは臨学舎の中を見せてもらう。テストが近く、中学生が皆一生懸命勉強をしている。臨学舎は小高い丘にある神社の境内の上町ふれあいセンターにあり、津波の被害は免れた。但し大槌は津波が来たあと4日間瓦礫などが燃え続け、神社の鳥居も燃えたとのこと。その鳥居も見せて頂いた。ここではやはり殆どの生徒が被災をしているとのこと。授業は19時から21時で対象は中1~高2。当初は20名ぐらい来る予定だったけど、テストが近い関係上人数が減って、生徒数は8名。スタッフも聞いてくれたから総勢15名程度。生徒の8名は皆女の子だった。生徒たちは楽しんでくれていた。まだ俺自身の硬さがとれなくて授業をすることの難しさを痛感する。全ての授業が対象も時間も違うから大変でもっとしっかりと細かく対応をしていかないといけないなと思う。授業終了後皆で記念撮影をしたりと色々とお話をする。
21時半に大槌を出て夕食を食べて釜石のホテルに戻って来たのは夜23時頃。
5月29日(火) 釜石と大槌
釜石のホテルを8時半にチェックアウトして釜石高校に向かう。この日はH君は釜石高校までの同行で、その後は俺の単独行動になるから車2台で移動する。釜石高校には9:30に到着する。まずは校長先生と副校長先生とお話をする。間もなくしてSAVE IWATEのAさんとOさんが到着。この時に初めてOさんとお会いする。若い学生の方で、大学を休学をして様々なボランティア活動をしているひと。素晴らしい人柄の持ち主で様々な面で尊敬できる方。その後に理数科主任のS先生と授業の準備を視聴覚室で行う。S先生は若いイケメンのとても素敵な先生。授業は10:35~11:35で対象は理数科の高2の生徒35名。授業での生徒の反応は良かった。授業時間が50分間と短かったので話せる内容が少なく、是非また来て様々な続きの話をしたいなと思った。授業終了後、科学の部屋とよばれる教室に移動し、S先生と様々なお話をする。釜石高校は今年の4月からスーパーサイエンスハイスクールSSHに選ばれ、それに対しての様々な説明をや資料を頂いた。2年後に海外研修を考えており、その受け入れ先を探しているとのことで、俺いるマインツ大学とGSI研究所で受け入れをすることを提案した。非常に喜んで下さり、その線でこれから話を進めて行くことになった。またインターネットなどを使って海外の高校とも交流をしていきたいとのことで、その相手校も俺が探すと言うことで話を進めることになった。ドイツではこのような学校の生徒たちを研究所などで受け入れて研修をさせるのはシステムとして確立していて、これはドイツサイドでは話を進めるのは簡単なはず。特に被災地である釜石の高校と言うことであれば、受け入れたいと言う学校が多数過ぎて困ってしまうようなことになるのではないかと思う。様々な協力を約束して釜石高校をあとにした。H君ともここでお別れで、そのあとに単身で大槌の大槌高校に向かう。
大槌高校には13時に到着する。担当者である副校長先生とお話をする。温厚なとても素晴らしい先生。時間がないのですぐに理科室に移り、そこで理科教諭の方々の助けを借りながら授業の準備をする。授業は13:30~15:20で対象は高2高3の文理クラス(進学クラス)41名。前日に大槌臨学舎の授業に来てくれた女の子二人もいて、授業はとてもし易い雰囲気。文系と理系が混ざっているから、もちろん科学に興味のない生徒もいるけど、それでもそれなりに関心を持って聞いてくれてとても話す方としても楽しかった。休み時間には前日の大槌臨学舎で授業をした高1の女の子も友人を連れて遊びに来てくれてとても嬉しかった。質問も様々に出て、授業としては良い雰囲気で行うことができた。副校長先生はとても教育に熱心な方で、授業後にも生徒たちに俺の所に来て科学以外の質問をして欲しかったようだけど、残念ながら生徒は来なかった。その代わりに授業終了後から17:30まで副校長先生と校長室で様々にお話をさせて頂いた。佐藤先生は岩手の内陸で生徒のカウンセリングなどをしていた方で、4月から大槌高校に赴任されたとのこと。もともとは釜石出身で釜石高校を卒業。津波被災地とはとてもつながりの深い先生。先生は俺が教育に対してどう考えているのかを聞きたがっていて、自分の持論を様々に話させて頂いた。誉めることが大切であること、異なる物を受け入れると言うことが大切であることを強調させて頂いた。佐藤先生は同じ考えを持っていらっしゃり、様々な教育への取り組みを話して下さり、とても勉強になった。このように教育改革をしようとしている素晴らしい副校長先生がいる学校で学べる生徒たちはとても幸せだなと思った。これからもコンタクトをとり合って様々に話をして行く事を約束して、17時半に大槌高校を出る。出発する時に大槌高校が震災支援に対してどのように取り組んで来たかをまとめた冊子をいただく。
17時半に大槌を出発し宮古を経由し久慈に向かう。宮古の辺りで渋滞に掴まり、また途中の山道もとても険しく、久慈駅前のホテルに到着したのは夜21時半頃。ホテルと言うよりも古い旅館で、部屋は和室。近所の割烹で夕食を食べて、隣の人にほやの刺身も頂いたりして、移動で疲れたからすぐに寝る。
5月30日(水) 久慈
日本に来てから初めて長時間寝れた。朝8時に起床して9時に長内中学校に向かう。長内中学には9時半に到着し、到着してまず校長先生とお話をした。とても温厚で聡明な素晴らしい先生。授業は11:00からなので時間もあり、体育館で準備をした後に、また校長室に戻って様々なお話をした。生徒の被災状況や、岩手での難しさなど様々なお話を聞くことができた。久慈は被害があまり大きくはなかったけれど、10名以上の生徒が被災をしたとのこと。SAVE IWATEのOさんとYさんも来てくれた。
授業は11:00~11:50で対象は中3で103名。この日から俺の紹介をSAVE IWATEのOさんがすることになった。様々な子たちがいるけど、素朴で純真な感じ。どの生徒も目がとても輝いている。28日の授業で中学生の授業に対しての苦手意識が生じてしまい、すごく緊張した。ただし俺自身の中から躊躇や遠慮をなくしてしまわない限り生徒たちも授業を楽しんでくれないと思い、最初から飛ばすことにした。それが功を奏して生徒たちの反応は素晴らしかった。どの生徒たちも目を輝かせて話を聞いてくれた。話しをしている俺ももっと楽しくなって、こっちが楽しくなると生徒ももっと反応してくれて、授業をすることが楽しくてしょうがなかった。自分としてはとても満足がいく授業を初めてすることができた。質問も沢山出た。ダークマターや銀河系の話や様々な質問が出た。
質疑応答が終わった後に女の子の生徒会長が感想を読んでくれた。そして俺は壇上に上げられて、皆から合唱のプレゼントをしてもらった。素晴らしい合唱で、危うく涙が出てしまう所だった。授業終了後に「今回はタイムマシンの話を出来なかったからまた必ず来て続きの話をしますね」と言うと大拍手で喜んでくれて、「また来て下さい」と言ってもらえて本当に嬉しかった。ここでの授業の様子は長内中学校がブログで紹介をしてくれている。
http://blog.goo.ne.jp/osanaijhs/e/de7a9f2f736cc2e0ce2d0360196d7b40
授業終了後に引き続き校長先生と様々なお話をさせて頂いた。是非給食を生徒たちと一緒に食べて下さいとのことで、3年B組でみんなと一緒に食べさせて頂いた。ダークマターの質問をした生徒が案内してくれて、食事中は東京の修学旅行の話とか色々な話をした。食事終了後もう一度校長室に戻ると、そのあとにダークマターの質問をした生徒がもっと質問をしたいと校長室に来てくれて、そのあと様々に色々な話をした。ニュートリノの話とかもすごく詳しくて、科学の話や将来の話とか沢山色々とすることができた。長内中学校からはお土産もいただいた。感謝。長内中学の授業はデーリー東北社のMさんが取材をして下さった。また、久慈市教育委員会の指導主事のIさんも来て下さった。
14時頃に長内中学校を出発して宿がある花巻温泉に向かう。途中はずっと山道で、そのあと盛岡市内に入り、疲れたから東北自動車道を使って花巻に行った。17時半頃に到着。温泉に少し入った。ホテルで盛岡に住む男性の店員さん話をする。彼は沿岸地域に行ったことが無く、被災した場所の建物はもうすっかり元に戻っていると思っていたとのこと。同じ岩手県内でも被災地の状況が伝わっていないことに驚く。夕食をホテルで食べて、郷土舞踊の鹿踊りを少し見て、すぐ寝た。この日も移動が長かったから疲れた。
5月31日(木) 陸前高田、大船渡、気仙沼
朝3時に起床。この日の授業も難しそうなのでもう一度スライドとかを作り直す。この日は大船渡で、花巻からは車で2時間半かかる。大船渡に行く前に陸前高田の状況を見たくて、朝6時前に花巻を出発して陸前高田に向かう。
陸前高田には朝8時頃に到着。高田の山間部でまず仮設住宅の看板が沢山目につくようになる。そして平野部に入ると海からまだ遠いのに、津波で流されて土台しか残らなかった建物の跡が多数目につくようになる。もう少し車を海の方に進めると突然何もない平地が目の前に広がる。所々にまだ撤去されていない鉄筋の建物や瓦礫の山が目につく。残った鉄筋の建物を見ると津波の高さが分かる。ここにもすごく高い津波が押し寄せたのが良く分かる。地盤が沈下してしまっているのも良く分かる。土地が低くなってしまい、水が出て行かなくなってしまい、住宅跡が水田地帯のようになってしまっている。女川とは違い面積が広大で、未だに建物等の取り壊しが終わっていない。瓦礫を運ぶトラックが沢山走っている。写真を撮りながら海の方に向かい、海辺の水戸を大船渡方面に向かうと海沿いの被害状況が良く見えるけど、その被害状況は想像を絶する。この状態を表す言葉が見つからない。被害があまりにも広大で、以前ここに町があったことを想像することができない。下が陸前高田の写真です。広大な平地は住宅があった所です。
陸前高田を抜けて大船渡市内に入る。大船渡の被災状況も車から見る。陸前高田を見たあとは感覚が麻痺してしまい、大船渡の被災状況が小さく感じてしまう。睡眠不足でまた信号待ちで寝てしまい、危ないのでコンビニの駐車場で30分間寝る。そして大船渡の末崎地区にある末崎中学校に向かう。
末崎中学校には9時半に到着。末崎中学校には第三文明が取材に入ることになっていて、編集長のNさん、カメラマンのIさん、フリーライターのUさんがすでに到着されていた。校長室に通されて、校長先生とお話をする。まずは体育館で準備をすることになり、体育館でセッティングを行い、そのあとにまた校長先生とお話をする。校舎の最上階から末崎地区の被害状況を見せて頂き、また校舎の下に活断層が通っているために地震による校舎のダメージが大きかったとのことでその状況も見せて頂いた。校長先生の話では生徒は素朴で素直だけど、内向的で授業に対しての反応をすごく心配されていた。SAVE IWATEのOさんは遠路わざわざ盛岡から来てくれた。
授業は10:35~11:35で対象は全校生徒133名。授業はとても楽しくすることができた。生徒の反応も予想以上に良く、校長先生も喜んでいた。どこの学校でも女の子の反応の方が男の子よりも良いのだけれど、ここでは男の子たちの反応も女の子に負けずにとても良かった。とても楽しく授業をすることができた。
授業終了後大船渡東高校に向かった。第三文明の方々が車中で取材をしたいとのことで、NさんとUさんが俺の車に乗り込んでずっとインタビューを受けた。約1時間。今回のような支援をしようと思った経緯や、教育や政治に対しての意見など様々な質問を受けた。取材終了後そのまま俺は大船渡東高校の校内に入った。第三文明では7月1日発売の8月号で俺のインタビューを掲載してくれることになっている。
大船渡東高校に到着したのは13時。まずは校長先生に挨拶をし、そのあとは副校長先生と少し話をした。SAVE IWATEのOさんも到着する。授業に参加する生徒数が大幅に増えたとの話だった。当初は高3の機械科と電気電子科の2クラスの52名の予定だったけど、他3学科の農芸科学科、情報処理科、食物文化科の3クラスも参加することになり、計150名となる。グミとカードは偶然次の日の岩手大付属小学校の分を持っていたから間に合ったけど、Oさんは岩塩の手配に苦心していた。
授業は13:30~15:20。会場の講堂に行くと生徒は既に入っていた。すぐに準備をして授業を始める。工学系と農学系の生徒さんたちなので今までとは勝手が違う。男子生徒はやんちゃな感じが多い。でも皆とても元気に挨拶をしてくれる。すごく嬉しかった。生徒は昼食後で気温も高く少し疲れている感じ。授業内容は他と同じく宇宙や素粒子の話だったけど、ここではもう少し海外の話など科学とは違う話をするべきだったと反省。もう少し学校の状況を考慮して授業内容を組み立てるべきだった。とても難しい授業だったけど、質問も結構出て結果としては盛り上がり、生徒さんに感謝。授業終了後副校長先生とまた少しお話をして、大船渡東高校を出発する。
16時頃に出発し気仙沼に向かう。もう一度陸前高田を通る。何度見ても被害の大きさに驚く。川の河口に有名な一本松を見つける。報道で一本松の話は何度も目にしていて、正直言って少し騒ぎすぎなのではないかと感じていた。実際に見て、津波でこんなに町が破壊され、松原も破壊されたのに、この末だけが一本残ったのは本当に奇跡であるし、この松を通して高田の被災の状況がもっと知られるようになるといいなと思った。この松はそのために奇跡的に残ったんだなと思った。
しばらく運転して夕方17時過ぎに気仙沼に入る。ここも海の近くの被害が甚大で、津波が高かったことを示す跡に驚く。写真とかで有名な陸に打ち上げられた大型船の横の道路を通って更に進む。港に復興屋台が集まっている所があってそこに立ち寄る。アフリカのナミビアで蟹をとってそれを輸入している業者の屋台があり、前にナミビアの砂漠でのガンマ線望遠鏡の建設に従事していたこともあって、そこで蟹のビスクを頂く。店員さんたちと様々な話をする。主に若い女性の店員さんと話をする。彼女は地震のあとに大船渡の高校を卒業してすぐ岩手に就職したけど、大船渡の復興の為に働きたいと大船渡に戻って来た。家は津波で流されて、今は仮設住宅に住んでいるとのこと。復興の状況を様々に聞かせてもらった。土地が沈んでしまったのでそれを上げなければならなくてそれにどのくらいかかるのか分からないと言っていた。住宅地を作らないと行けないけど山を切り開かなければ行けなくて、でもそれをする為の業者は今はそれどころではなくて、一体何時になったら仮説を出れる状態なのか分からないと言っていた。港の冷凍施設が破壊された為に加工業が壊滅してしまい、それで漁も中々出来ない状態で、仕事をすることができない人が沢山いるとの話も聞いた。瓦礫問題の話題にもなる。とにかく被災地を見に来て欲しい、それから瓦礫問題を議論して欲しいと言っていた。測定した瓦礫に関しては受け入れて欲しいと言っていた。今回俺も色々な所を回って瓦礫を見たけど、被災地では処理できないのは明らか。瓦礫がある限り復興はマイナスの状態から先には進めない。宮城以北の瓦礫で、測定をして値が低いのならそれは他の自治体の助けを得て処理されるべきだと思う。様々な被災地で瓦礫の話題にはなったけど、震災当初に言われていた「絆」と言う言葉に対して被災地には疑問が生じていると言うことは感じた。
気仙沼から花巻に向けて18時頃に出発する。気仙沼市を出た所に食堂がありそこで夕食を食べる。帰りの会計の際に女将さんから様々な話を聞く。この店は陸の方にあるから被災はしなかったけど、気仙沼の復興の為に様々な事をして来ている。何度も強調していたのは、被災地がもう復興していると思われるのが恐ろしいとのこと。1年も経過しているから復興していると思っているひとが多いことを懸念しているとのこと。実際にどこを見ても復興どころかやっと地面から破壊された建物が無くなって更地になっているだけで、未だに復興に対してマイナスの状態からスタートをしようとしている。そういう状況であることを知るべきだと思った。復興には10~20年かかると言われていた。その間被災地が頑張っていることを他の地域の人たちは忘れては行けないと思ったし、出来る限りの事をするべきなのではないかと思った。
19時半頃に食堂を出発して花巻に向かう。花巻のホテルに到着したのは22時頃。着替えもしないでそのまま敷いてあった布団に横たわって、電気もつけたまま熟睡をしてしまった。節電と逆の事をしてしまったことを反省。
6月1日(金) 盛岡
深夜2時頃に目が覚める。せっかくだから温泉に入る。2時だから誰もいなくて貸切状態。長湯が苦手だから結局すぐに出てしまう。少し授業の準備をして4時頃に寝て、6時にまた起きる。また準備をしてチェックアウトをして7時に盛岡の岩手大付属小学校に向けて出発する。
岩手は都市らしく渋滞をしている。早めに出発して良かったと思う。約束の8時半より少し遅れて岩手大付属小学校に到着する。玄関で担当のT先生の出迎えを受ける。校長室に通され、T先生と副校長先生とお話をする。SAVE IWATEのYさん、Aさん、Oさんも来て下さる。T先生から理科教育に対しての試みの話などを伺い、そのあとに大教室に移動をして授業の準備をする。
授業は9:30~10:15の45分間で対象は小6の130人。授業が延長をしても対応が出来るので大丈夫ですと言われる。準備が終わって待機をして教室に入ると生徒たちは既に床に座っている。全員が起立をして、T先生が「これから特別授業を始めます」と言うと、生徒たちから「はい」と大きな返事があり授業が始まる。その返事にまずはとても驚く。そしてSAVE IWATEのYさんが俺を紹介してくれる。また「今回の授業では3つのことを覚えて、それを帰ったら家族の人に伝えたら、ここで学んだことがどんどん他の人にも広がってみんなで共有できる」と言うことをYさんが子供たちに話す。素晴らしいなと感動をする。授業を初めてまず驚いたのは生徒たちの目が輝いていること。そしてすごく反応をしてくれること。こちらからの質問にも大きな声で答えてくれ、そして分かっていることを主張することだけではなく分かっていないことも分かっていること。質問に答えることができた生徒は、質問に間違った答えをしてしまった生徒たちを思いやっていること。授業をしてとにかく楽しかった。授業をするこちらはまるで夢を見ているみたいだった。楽しくて話しすぎたため、時間は20分以上延長をしてしまった。授業が終わると生徒たちから残念がる声が沢山聞こえて嬉しかった。
授業終了後、それぞれのクラスの代表の計4人が感想を言ってくれた。お礼を言いそれぞれの子たちと握手をした。副校長先生が「先ほどの授業で出て来た日本で初めてノーベル物理学賞を取った湯川秀樹博士は実は30年前にここ付属小に来て授業をしてくれました。齋藤先生は湯川博士に継ぐ二人目の付属小を訪問した物理学者です」と言われ、ちょっと照れた。そして俺が退場することになりSAVE IWATEの方々が退場をしたのに続いて退場しようとしたら、なんと生徒が全員走って来て集まってくれて、囲まれた。そして全員と握手をした。その時に皆が口々に「また来てね」「ドイツに必ず行きますね」と言ってくれて嬉しかった。生徒全員と握手やハイタッチをしてそして校長室に戻った。授業後も先生方から付属小の教育への取り組みの様々なお話を聞き、とても感動をする。素晴らしい教育がここにはあることに安心感を覚える。一方、それらが中々普通の公立校の現場では生かされていないことに対しても様々な意見交換をする。正午頃に付属小を出発する。車に乗る前に先生方と写真を撮る。
車を借りた多賀城まで運転をする。仙台近郊で渋滞に掴まる。15時半頃に多賀城に到着し、仙石線で仙台まで行き、東北新幹線“はやて”で東京に向かう。大宮を出た所で地震による停電があり新幹線が止まり、都心で難民になってしまうかとちょっと心配したけどしばらくして復旧をし、無事に東京に到着する。
おわりに
今回のべ14カ所で16回の授業をさせて頂いた。宮城県ではのべ5カ所7回、岩手県ではのべ9カ所9回の授業をした。授業を聴いてくれた生徒数は約1050人。1000人を超えた。これを計画したときは全部で100人ぐらいだろうと思っていたから予想外の多さの生徒たちが授業を聴いてくれたことになる。どこでも思ったことは子供たちは元気であるということ。そして子供たちは未来に目を向けているなと言うこと。今回の自分としての目的は子供たちに外に目を向けてもらい異なる物を見て受け止めてもらうと言うこと。異なる物を認める重要性を少しでもいいから伝えたかった。ドイツにいる俺が目の前に現れればドイツや世界のことに少しでも興味を持つことができるのではないかと思い、出来るだけ沢山の場所に足を運ばせて頂いた。その目的はある程度は達成できたと思う。少なくとも子供たちは俺の授業を楽しんではくれたと思っている。今回のことで様々に子供たちと話す事の重要性を再認識した。また、被災地が忘れられない為に、そして被災地にいる子供たちに世界が見守っていることを知らせる為に、また近いうちに宮城と岩手には戻ってこようと思う。次回は、自分が原子核物理学者である為に騒ぎになるのが嫌で今回は意図的に避けた福島県の学校も訪問しようと思う。出来たら青森県の津波被災地にも足を運びたいと思う。今回授業をした生徒からも沢山のメールを頂き、「次はいつ来ますか」との質問も頂いている。必ず近いうちに、秋頃にまた子供たちと話に行きたいと思っています。
今回は沢山の人に支えられました。俺は色々な人とつるんで何かをするのが苦手なので単身でこれを行おうと思ったんだけど、結局本当に沢山の人たちに支えられました。ここでは一人一人のお名前を出す事をしませんが、実際に様々なサポートをしてくれた人だけではなく、様々に応援をしてくれ精神的にサポートをしてくれた人たちも多数います。サポートをして頂いた全ての方にお礼を申し上げます。
SAVE IWATEのOさんは今回の授業のことをブログに書いてくれたので、それも紹介しておきます。
http://sviwate.wordpress.com/2012/06/12/マインツ大学、齋藤教授の特別授業/
自分が教授をしているマインツ大学もプレスリリースを出してくれました。以下のアドレスです。
http://www.uni-mainz.de/presse/52256.php