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シドニー。

起きるのが遅かったので宿泊先のパークロイヤルホテル近くのカフェでブランチ。



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オペラハウス。

14年の難工事と巨費の上完成された斬新なデザインの四つのコンサートホール、五つのリハーサルスタジオ。

見学ツアーに参加した。

劇場の一つで今日のコンサート、クリフ・リチャードの準備をしていた。

写真は、代々木第一体育館のように柱を一つも使わない内部構造。


四十年たった今でも、古さを全く感じない。

内部空間は、ヨーロッパの教会の影響を強く受けているように感じた。



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シドニー天文台。

天文台の創設は約150年前の1857年。
現在は、博物館としてつかわれてる。

天体の赤緯を測定する子午環、ガリレオの望遠鏡のレプリカなど展示してあった。

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見学ツアーに参加した。
3Dシアターのほか、太陽面観察をする予定であったが、生憎のくもりの為ハーバーブリッジクライムの人たちを観察した。

8メール程度のツインドームのひとつには、ミードLX-200-400ACFが鎮座していた。

夜の天体観測ツアーに使うらしい。

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ロックス地区からの帰り道、午後六時ごろ心臓マッサージをしている光景に出くわした。

倒れているのは、白人、四十歳前後のビジネスマン風。
顔は真っ青、もちろん意識は無い。

二三十人の人達が取り囲むなか屈強な若者が次々に名乗り出て交代で心臓マッサージを施している。

その中には、若い女性もいる。
アスリート体型をしているので腕に覚えがあるのだろう。
私も昔、ダミー人形を使って訓練を受けた事が有るが、その場で出来るかというと自信がない。

国民性の違いか、白人の若者は頼もしい。

やがて救急車が到着、心臓マッサージと電気ショックを与えている。

革靴を履き、ビジネスバックと花束が傍にあった。

家族か彼女かと待ち合わせをしていたのであろうか

助かると良いが。


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マイヤー百貨店の前で育ちの良さそうな上品な感じの可愛らしい六人兄弟。


G線上のアリア、四季 春 などの誰でも知っている名曲の数々を奏でる。

雑踏の中でも体に響いてくる。
弦楽器の意外な音の大きさに驚く。

聴き入ってると正直感動する。
小さな子供が一生懸命演奏している姿は、涙腺が緩む。

上の二人のお兄ちゃんの技術は、相当なもの。

アメリカやヨーロッパの街角でも時々見かけるが、子供を交えたものの方が観客もチップの入りも多いようだ。

おじさんのパフオーマーも居たが、その人の背負っている過去が見えるような気がして楽しめない。

子供や若者は、未来の可能性を感じて微笑ましく感じる。



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宿泊先のクラウン プロムナード パース。

ベガス並みの24時間営業のガジノが併設されている。


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キングスパーク。

ホテルよりバスで20分ほどの大規模(400ha)な公園。

スワン川と市内が一望できる。


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第一次世界大戦の戦没者慰霊碑。

百年たった今、雲一つ無い澄み切った青空が戦死者の丘の上に広がる。


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二日目。
パース駅からフリーマントルを目指す。


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意外と正確な運行の鉄道。


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フリーマントル駅。



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ロットネスト島。

フリーマントルから高速船で四十分ほどのリゾートアイランド。

大小二十数個のビーチがある。

透明度が凄い。

手つかずの自然という感じ。
入江、入江に豪華なクルーザーが本土より遊びにいている。

オーストラリアは、今バブルという感じ。
物価はすごく高い。
ただし、アルバイトの時給は2、000円前後とけっこう稼げる。



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ロットネスト島の教会。
素朴な佇まい。


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フィッシュアンドチップス、海老フライ、シーザーサラダ、シーフードナポリターナ、他ビール、コーラなどの飲み物。

三人でお腹いっぱい食べて110オーストラリアドル。(約一万円)

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西オーストラリアのパース。

ゴールドコースト、メルボルン、に次ぐ三回目のオーストラリア旅行。

六日の未明より大雪になるとの予報。

成人式の大雪時は出発に間に合わなかった人が多勢出たので前日より成田に泊まった方が良いとHISより連絡がはいる。

忠告に従って、出発前日の五日より日航成田に宿泊。

結果大外れ。
六日の朝は、雨でした。


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成田からシドニーまで9時間、乗り継ぎでシドニーからパースまで5時間。
けっこう遠い。

面積は日本の21倍東のシドニーと西のパースでは、時差が3時間ある。
人口は、2、300万人。

パース市街の中心部、古い街並みと近代的な高層ビルが融合している。


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パース市街中心部。

商店街の閉店時間が異常に早い。
午後五時には、閉めてしまう。



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BARが多い、HOTELの看板が出ていても実際はBARの場合がある。

勤め帰りのビジネスマンがビール、ワインでくつろいでいる。

日本でいえば、新橋の居酒屋という感じ。

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実在の銀行強盗デリンジャー。
TVで鑑賞。

ホテルのクローク係りの女性ビリーを口説く時の台詞。

「人は歩いてきた道ばかり気にするが、これからどっちの方向に行くのかが大切だ」

痺れるセリフ。

デリンジャー役のジョニー・ディップの口から出るから余計かっこいい。

歳を重ねるごとに振り返る事が多くなるが、重要なのはどこを目指して生きて行くのかだ。

31才で散ったデリンジャーの狂おしくも絶望的な生涯も、我々のような平凡な一生も宇宙から見れば一瞬の小さな輝きにすぎない。

その一瞬の小さな灯火をどうすれば自分らしく燃焼できるのか。

この歳になっても、これからも模索は続く。


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この会場での受験者19名。
合格者13名。

受験者19名中17名は大学のヨット部、クルージング部などの現役。

私を含めた残り2名のおじさんは合格。

現役の学生6名が落ちたことになる。

最近、何をやっても若者に勝てないなあって思っていたがそうでもない。

少し自信がついた。



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32年前の四級小型船舶操縦士の免許証と現在の一級小型船舶操縦士の免許証。

何が違うって本人の変わりよう。
写真の20代の自分のイメージを今でも持っていて自己認識している。

しかし違う。

ある年代以上の人には、理解してもらえると思うが、自分は全然変わらないのに外見がどんどん変化して行く。

十代、二十代の頃は暖かい優しい眼差しで見てもらえた。

しかし現在は違う、何か周りの視線が厳しい。

これからも色々な意味で生き難らくなっていくと思うがここまでまで来られたことに感謝。

みんな行った道であるし、みんな行く道でもあるのだから。



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29才で夭折した風俗嬢の自伝的エッセー。
死因は自殺、HPV感染による子宮頸癌とも噂されるが謎である。

あることをきっかけに、風俗嬢の生きざまに興味を持った。

私は、男も女も基本的には同じだと思っている。

それでは、自分が若いとして同じような職業の出張ホストなれるかというと自信がない。

自分好みのお客さんであれば問題がないが、いやむしろ嬉しいが現実はそうとは限らない。

相当辛いものが想像され、おそらく長続きしないだろう。

著者は、十代の頃より性的好奇心が強く高校在学中からエロ本漫画作家を始め、SMモデル、バイセクシュアル、テレクラ売春、キャバクラ、ストリップ、イメクラ、ヘルス、ソープとあらゆる風俗を渡り歩く。

著者にとって性を売ることは天職で喜びに満ちた行為だったという。

気持ちいいと言ってもらうこと、お客が快感で痙攣しながらほとばしる様を見ること、そして自分も濡れ性的興奮に浸ること、生き甲斐ともいいきる。

風俗嬢は、それなりに容姿に恵まれた女性の理想の職業か。

同じように出張ホストは男の夢の職業か。

依存症だと思う。

人間は社会的生物。
他人を喜ばせる事が快感をにつながるように進化してきたのではないか。

集団生活を円滑にさせるために他者を喜ばせる事が快感を感じるようにDNAに刷り込まれたのではないか。

自分を必要とする人がいる。
自分は、快感を喜びを与えられる事が出来る。

そこには、自慰では、到達できなかった深い快感が存在するのではないかと想像する。

一般的には、高収入だからやっていると思われがちな仕事だがそれだけでは無いと思う。

風俗嬢は、この仕事をなるべく長くやりたいという。

かなり強力な依存性が有るのだろう。

依存症には、必ず副作用がある。

禁断症状も出てくる。

ある面、非常に強力なコミュニケーション手段であるSexを仕事とし不特定多数と交わる事の副作用。

それが風俗嬢が病むという事ではないか。




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1993年、会社としては五店舗目としてのオープン。
8月の暑い夏の日、父の死と開店が重なり大変だった思い出がある。

当時としては売り場面積230坪(760平米)という大型店。
全品新作二泊三日、旧作一週間レンタル、オール190円のおそらく日本一のディスカウント店だった(開店当時)。

TSUTAYA45パーセント、GEO35パーセント、独立系20パーセントの現在の市場シェアでは、我々独立系は、やって行けない。

昨日で業務終了。
3月2日より譲渡先のゲオがGEO SHOPとして再オープンの予定。

二十年弱、地域の皆さんに愛され、贔屓にしてもらい、会社としては旗艦店として屋台骨となっていた店舗の閉店は、寂しいものだ。

情熱を注いだ店舗が一つ一つ閉店に追い込まれるのは、辛いものがある。

二十年の間に入れ替わっていった、社員やアルバイトの皆さん、常連のお客様を思うと感傷的になってしまう。

何事も初めがあり、終わりがある。
生あるものは死が、有形のものはいずれ無形となる。

仕事も、遊びも、生き方も60点で良しとしよう。

100点満点の答案は、書けないのだから。

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一級小型船舶操縦士の国家試験があった。

試験は午前中で終わり時間があったので試験場のシーボニアヨットハーバーの隣の諸磯湾まで散策した。

ここは、20代はじめよりセーリングクルーザーを置いていた事もあって、懐かしい場所だ。

青春時代の彼、彼女の思い出、子供達と過ごした日々、胸が熱くなるエリアだ。

十数年前、以下(ウキペディアより)の事件の遺体遺棄現場になった諸磯湾口の洞窟を訪ねた。

相当過去の事件にもかかわらず、現場には花が添えられていた。

遠く英国から来た若い白人女性、ルーシー・ブラックマンさんが埋められていた現場から見る海は、静かで穏やかだった。

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2000年7月1日、元英国航空乗務員で、ホステスとして六本木で働いていた被害者が友人に連絡後に行方不明になった。3日には、男から被害者の友人に電話があり、不審に思った友人が警察に捜索願を出した。8月22日に被害者の妹が記者会見し、1万ポンド(当時160万円)の懸賞金をかけて有力情報の呼びかけを行った。
9月下旬には、警視庁捜査一課と麻布署が被害者が勤めていたクラブの常連客で不動産管理会社社長の男を調査している事が明かになった。また、被害者の周辺で新たに外国人女性二人が行方不明になっている事が発覚した。10月12日には、別件の準強制わいせつ容疑で容疑者が逮捕された。後日、神奈川県三浦市内の所有するマンションの一室やモーターボート付近の海岸などを警察が捜索した。被害者が失跡した直後の7月5日頃、容疑者がこのマンションを訪れて管理人とトラブルになったり、スコップを持って海岸を歩いているのが目撃されていた。11月17日に同容疑者が再逮捕された。東京地検は同日、英国人女性に対する準強姦罪で追起訴された。警視庁はDNA鑑定のため、ルーシーさんの家族に毛髪の提供を要請した。2001年1月26日、オーストラリア人女性に対する強姦致死容疑で再逮捕された。
2001年2月、容疑者のマンションから近い三浦市内の海岸にある洞窟内で、地面に埋められた浴槽内で遺体がバラバラに切断された状態で発見された。
その後で、被疑者はルーシー・ブラックマンを含めた10人の女性に強姦又は強制わいせつをして、その内2人の女性(ルーシー・ブラックマンとオーストラリア人女性)を死亡させたとして立件された。
被疑者は他9事件については1人の致死罪を除いて概ね認めたものの、ルーシー・ブラックマン事件については検察側が死亡したとする時間の直前に自分のマンションの部屋で被害者と会ったことは認めたが、裁判時には死亡していた知人が関与した可能性を示唆した上で無罪を主張した。
以下の状況証拠をどう評価するかが焦点となった。
髪の毛などから被害者が被疑者のマンションにいたこと
被害者が死亡したとされる時期の直後に遺体の損壊・遺棄に使ったとみられるチェーンソー・セメントなどを購入していたこと
被疑者のパソコン記録では被害者が死亡したとされる時期の直後にインターネットで死体の処理方法が検索されていたこと
遺体から死体の損壊が激しかったため睡眠薬の代謝物が検出されたものの死因が特定できず薬物や被疑者のDNAが検出されなかったこと
被疑者が起こした他9事件により被疑者にルーシー・ブラックマン事件と類似の犯罪性向があること
他9事件では存在した薬物を使って女性への乱暴を撮影したビデオテープがルーシー・ブラックマン事件では発見されなかったこと
死亡したとされる時期の後に被疑者の生存を偽装する電話を被害者の友人にかけたのは被疑者である可能性が高いこと


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