考えるプロレス。 -4ページ目
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そのプロレスに、強さはあるか。

 先日、中邑の「ヒール路線」に否定的な意見を書きましたが、その後、中邑のインタビューや蝶野のコメントを読んで、少し早とちりだったことがわかりました。中邑にとっての蝶野は、かつてのHHHにとってのリック・フレアーみたいな位置づけってことでしょうか。どうやら蝶野の近くに置くことで、プロレスラーとしての「帝王学」を学ばせようという魂胆なのかもしれませんね。

 史上最年少、デビュー間もない状態でIWGPを奪取した中邑。結局、肝心の試合内容がついてこず、ファンからの後押しも今ひとつでとん挫した「中邑政権」だけれど、僕はあの時の「大抜擢」はアリだったと思っています。むしろ、ちょっとやそっと内容がついてこないぐらいで、どうしてその路線を止めてしまったのか。中途半端なところですぐに方向転換をしてしまうのが、今の新日が「線」をつくれない原因だと思うんです。

 中邑という選手は、体躯や素質、そして思想的にも、新日に久々にあらわれたスター候補だと思います。総合の出現以来、強さを捨て、「上手さ」でレスラーを語ることが多くなったプロレス界。しかし、僕はここにある種の「?」を感じてしまいます。レスラーの強さは、別のところにある。それはわかっています。じゃあ、総合格闘家たちに三沢や小橋のような「受け」ができるのか。確かにそうだと思います。だけど、どうでしょう。もしレスラーの身体がそんなに頑丈だと言うのなら、僕らの目の前で、総合格闘家たちの本気の打撃を受け流してみてくれよと。今や誰もが「強さを競う場」として認める総合のリングを横目に、しこしこプロレスの上手さを競い、プロレス流の技の応酬を見せるだけじゃ、業界が衰退・縮小していくのもムリはないと思ってしまう。そもそもプロレスは、「戦い」を売りものにしてきた商売です。いくら「競技が違う」と言ったって、見る側の人すべてがそう思うとは限らない。「いざというとき」のための準備ができていて、ときにはそれを証明する戦いに打って出る。それをしない限り、本当の意味で「プロレス」というジャンルが勢いを取り戻すことはできないように思うんです。その意味でも、総合に対してコンプレックスを持たず、いざとなれば打って出れるだけの気概と力量を持った中邑という選手こそ、プロレス界の切り札であると言えるし、新日のチャンピオンを名乗るにふさわしい男だと思う。強さを見せられない棚橋はあくまでも中邑が不在中の暫定的なチャンピオンで、IWGPのベルトは修行を終えた中邑の腰に引き継がれる。そんなシナリオが用意されていることを願うばかりです。

 僕はNOAHや全日など、プロレスラーとしてのプライドを持ってクォリティの高い試合を提示し続けている団体もぜんぜん否定しません。しかし、だからこそ、そういうプロレスのプロレスならではの素晴らしさにより多くの人に目を向けてもらうためにも、今は総合の舞台で「レスラーの強さ」を見せつけることができる団体の存在も不可欠だと思う。そして、それを担うのが新日という団体の宿命だと思うし、少なくとも、新日だけには「強さ」に目を背けてもらいたくないのです。極限まで鍛え上げた、本当に強い「アスリート」たちがプロとしての演出力や表現力を備え、リアルな感情のやりとりと高いレベルの技術の攻防を見せる。それがプロレスだと思うのです。

絵を描けない人たち。

 新日の考えるシナリオが理解できない。親会社ユークスの意向か、一応「中邑と棚橋の二人エース体制でいきましょう」という社内的なコンセンサスは取れているような気はするものの、G1の優勝者は天山だし、中邑の帰国のタイミングはおかしいし、その中邑を「反体制」にカテゴライズして蝶野と組ませることが決定しちゃったり。なんだかいちいちやることがチグハグで、どう考えても全体を見てプロデュースしている人がいるようには思えない。永島さんや上井さんもだいぶアレだったけれど、今となってはずいぶんマシだったのかなぁなんて思ったり。

 それにしても、中邑はヒールなのだろうか。というよりも、ヒールは中邑のほうなのだろうか。確かに中邑と棚橋の二人を並ばせるにはどちらか一方がヒールターンするのが一番てっとりばやいのかもしれないのだけれど、個人的には「だったら、棚橋だろうよ」というのがあるんですね。もちろん、本当の「資質」という意味ではどちらがいいのかなんてわかりません。けれど、いくら棚橋が人気があるったって、それは一部の女性ファンの人気にすぎないだろうし、プロレスファンなんて大部分が男なわけです。棚橋が持っている「いけすかなさ」や彼女に刺された過去なんかをうまく利用して、ヒールのナルシストキャラかなんかに仕立て上げたほうが、よっぽど面白い絵が描けるのになぁなんて思ってしまうんですね。

 例えば、WWE。この団体に新日が見習ってほしいと思うのが、キャラのリアルさです。虚と実が重なりあっているのがプロレスの面白さであって、キャラがまるっきりキャラであってはぜんぜんリアルに見えてこない。ここ10年、猪木がつねづね言っている「戦いがない」の意味は、僕はこういうところにもあると思うんです。猪木はかつて、わざと仲の悪いレスラー同士を戦わせたと言います。格闘技であれ、演劇であれ、プロレスが「戦い」を表現する商売である以上、どこかにリアルさがないと観客には伝わらないってことを、猪木はきっと知っているんですよね。もちろん、よっぽどの「名優」なら別。しかし、そうじゃないなら、その人本来が持っているキャラを利用したほうがいいに決まってる。男性ファンが嫌う棚橋のあのたたずまいを、どうしてリング上のシナリオに活かさないんだ、と思ってしまうんですよね。かつてのリック・フレアーのようなタイプのヒールをつくるのに、僕は棚橋こそ打ってつけだと思います。女性をはべらかして入場し、のらりくらりと、最後は丸めこみ技で防衛する。そんな、これまで日本にいなかったタイプのヒールキャラとしての資質を、棚橋は持っているような気がするんです。
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