考えるプロレス。 -3ページ目

新日本プロレスが進むべき道。

 総合格闘技の出現により、少なからずダメージを受けたプロレス界。中でも、そのアイデンティティさえ完全に見失ってしまったのが、長く「強さ」をウリに商売をしてきた新日本プロレスでした。

 「高橋本」で語られるまでもなく、プロレスがリアルファイトじゃないことなんてみんな知っていました。けれど、いやだからこそ、新日のレスラーたちの「本当の実力」というものはこれまでベールに包まれていた。新日のビジネスは、まさにこの「幻想」をヌキにしては成り立たないビジネスだったと思うのです。しかし、OBの高田や船木をはじめ、アマチュアレスリングの実力者としてその「強さ」がマスコミで喧伝されていた永田や石澤までもが、総合のリングでなす術もなく破れていきました。彼らの敗北によって、「プロレスラーは強くない」ことが白日のもとにさらされてしまったのです。

 でも、本来ならば、これはフェアなジャッジではありません。まず、ボクシングや空手、柔道など全ての格闘技がそうであるように、プロレスで求められるスキルもまた、総合で勝つためのスキルとはまったく異なります。そして、そもそも「強さ」という定義も競技やルールによって違うはずです。「あらゆる格闘家が強さを競いあう」場所として期待された総合のリングも、見方によってはひとつの「競技」。プロレスラーが弱いのではなく、単に「総合では勝てなかった」だけの話なのです。しかし、ルールの違いをネタに言い訳をするには、総合格闘技はメジャーになりすぎました。また、特にプロレスの場合、「打・投・極をベースに上半身裸で戦う」スタイル自体が総合と酷似していたし、そもそも日本における総合の誕生には元レスラーの前田や佐山も大きく関わっていました。「わかってくれる」ファンばかりではありません。真剣勝負独特のあの迫力を前に、プロレス的な攻防の説得力なんて吹っ飛んでしまった。何の異論を挟む余地もなく、「負けた事実」だけが一人歩きし、あたかも負け馬券を路上に投げ捨てるかのように、多くのファンがプロレス界から離れていきました。「強さ」と「幻想」でビジネスをしてきたことの代償は、かくも、あまりにも大きかったのです。

 以上のことをふまえて、これからの未来を考えたとき、新日が「生き延びる道」は大きく三つあるように思います。

 まずひとつは、「受身」からはじまるオーソドックスなプロレス。勝ち負けだけで語られる真剣勝負とは「まったくの別モノ」であることを前提に、由緒正しいプロレスならではの技術の攻防や試合内容で勝負していくスタイルです。世間が考える強さには当てはまらず、一般メディアの注目も期待できないものの、「痛みを伝えあう」プロレスには、それはそれで見る人にアピールするものがあります。かつてのタイガーマスクのようなスター選手が現れば、もしかしたらブレイクする可能性も無くはないと思います。

 また、次に考えられるのは、一番目の方向をさらに発展させ、よりドラマ性を高めたWWEやハッスルのようなプロレス。プロレスならではの「何でもあり」のスタイルを武器に、世間を意識して「バラエティナイズ」させたエンターテインメントプロレスのことです。ただし、こういう方向に進むためには、フロントとレスラーがいろんな意味で「これまでのイメージ」を捨てなければなりません。そして、バラエティ度を高めれば高めるほど、今いるファンたちが離れていってしまう危険性も否定できません。エンタメにはエンタメの厳しさがあります。「戦う」ことをやめて、「表現する」ことができるか。WWEがそうであったように、またTV中継を失う前のハッスルのように、メディアと上手く組めば従来とはまったく異なる「新しいプロレス」として、広く日本中にアピールすることができるかもしれません。

 三つ目になりますが、最後に、いわばもう一度「戦い」というものに立ち返ったプロレスというものがあろうかと思います。「プロレスはプロレス」と割り切るのではなく、従来のプロレスを捨てるのでもなく、「いつ何時、誰とでも戦う」と言ったアントニオ猪木の精神を受け継いだレスラー同士が表現するプロレスのことです。以前このブログでも紹介した『プロレスって何だ!? 血涙山河編』の中で、かの橋本vs小川戦における小川の暴走は猪木の「仕掛け」であったことを本人が認めています。また、今年の1.4においても、前田が村上・柴田に「指令」を出していたことが伝えられています。猪木や前田がなぜカリスマと呼ばれ、ファンの心をつかんだか。それは、彼らのプロレスには、いつでも「戦い」があったから。そして異種格闘技戦や突発的に起こる「プロレス内真剣勝負」の場で、その強さを証明してきたからだと思います。彼らの異種格闘技戦の多くが「プロレス」であったことは、今では多くのファンたちが知っています。でも、彼らの戦いは嘘だったのでしょうか。いくら「ビジネス」とはいえ、腕に覚えがあるレスラー同士が肌を合わせれば、いつどんな事態が起こるかわかりません。仮にひとつの競技として成熟した今の総合格闘技でも通用したかどうかはともかく、彼らが常に「戦い」を想定して他の格闘技選手に負けないだけの練習を積み、当時の格闘技界でトップクラスの実力を「持ち合わせていた」ことだけは間違いないように思うのです。誰よりも強さに憧れ、大きなものに立ち向かうことを恐れない猪木や前田の言動・行動はやがて「幻想」を生み、ひとつのイメージとしてプロレス界の隆盛に寄与しました。カールゴッチ。野毛道場。UWF。しかし、彼らがつくった幻想はまた、そこに「あぐらをかく」多くのレスラーたちを生み出しました。強さを捨て、上手さを競い合うことばかりが目立つようになった新日。皮肉にも、本当の強さを求めてプロレス界を飛び出した佐山や前田らが作り上げた総合格闘技の台頭とともに、その存在価値さえも失われていったのです。今、新日の中でも総合の舞台に立つことができるプロレスラーは、中邑らほんの数名だと思います。戦いこそがブランドだった団体がこれでは、ファンが離れていくのもムリはないと思うのです。この事実から逃げて別の方向へと向かうのか、現状を受け止め、もう一度強さを身につけるために立ち上がるのか。前述した猪木や前田の仕掛けはその転機となるはずだったし、上井氏がプロデュースした「アルティメットクラッシュ」も新しいプロレスを生み出すチャンスでした。でも、彼らは何もプロレスをガチンコにしようとしたのではないと思うんです。ひとりひとりのレスラーにその「意識」を植えつけ、どんなルールでも戦えるだけの練習をさせることで、リング上の戦いに「緊張感」を取り戻そうとしたのに他ならないと思います。いつ「仕掛けられる」かわからない中で、痛みに耐え、互いの個性をぶつけあうプロレス。みんながうすうす感づいていることだと思うけれど、総合格闘技には致命的な弱点があります。それは、真剣勝負であるがゆえに、ともすると「つまらない」攻防が展開されてしまうこと。また、その競技の性格上、どこまでいってもストイックでアマチュア臭い格闘家たちに比べ、常に「見られること」を意識して育ったレスラーたちにはどこかプロフェッショナルな「たたずまい」があります(HERO'Sの前田やプライドの高田が現役バリバリの格闘家たちよりもオーラがあるように見えるのは僕だけでしょうか)。新日が戦いのエッセンスを取り戻し、総合のリングにおける真剣勝負とは一線を画した「喧嘩」的な戦いの雰囲気を取り戻せば、ひとつの「イベント」として何も負ける要素は無いと思うのです。

 と、長々と語ってまいりましたが、僕の理想とするプロレスはもちろん三つ目。ただ、もはや新日にこの路線は期待できない今、ぶっちゃけ初期のビックマウスラウドで前田と船木が語っていた「Uの続き」を待ちたいと思っているんですが。とは言え、必ずしも「強さ」だけを意識してプロレスを見ているわけでもないし、プロレスならではのアングルやストーリーも大好きだし。要は、どんなスタイルだろうと、今の時代にあった方法で「完成されたプロレス」を見せてくれて、僕らを楽しませてくれればいいと思うんですけどね。ただひとつ言えるのは、リング上での表現はともかく、新日のレスラーには「格闘家」であってほしいということ。たとえプロレスが格闘技じゃなくても、です。

新日のエンタメ路線について。

 サイモンと蝶野の「抗争」が始まった。棚橋・中邑のライバル抗争とも相まって、この図式には妙に「可能性」を感じてきました。ここで重要となるのが、上手い脚本とレスラーの表現力。主役と脇役を明確にして、みんなにそれぞれの役割を全うさせること。安直なアドリブを排除して、推敲に推敲を重ねたシナリオに忠実に。ともすれば、この路線にはプロレスというジャンルを今一度ブレイクさせるポテンシャルがあるような気がします。どこまでリアルに演じられるかが、これからの勝負だと思います。

 そこで「反面教師」としたいのが、レッスルランド。武藤・全日のパッケージプロレスのベースをつくった渡辺氏によるプロデュースらしいけれど、その彼が噛んでいて、どうしてあんな安っぽい小芝居しか打てないのか。だいたい、ハッスルの真似じゃん。それとも、エンターテインメント=「ああいうもの」だと思いこんでしまってるのでしょうか。度肝を抜くサプライズ。戦いから生まれる興奮。そもそも猪木のプロレス自体、エンターテインメントそのものだったわけだけれど、そこには笑いもわざとらしさもありませんでした。仮にエンタメプロレスを定義するならば、それは、入念にストーリーをつくりこんだプロレスのことであり、あるいは「勧善懲悪プロレス」と言えるかもしれません。ただ、いずれにしろ、エンタメと言ってもいろんな表現方法が考えられると思うし、なのになぜ「右へならえ」でハッスルと全く同じことをやろうとしているのかが疑問なんです。ハッスルはハッスルで、良しとしましょう。だけど、新日がやるなら「らしさ」を出さないと。猪木というお手本がいる。懐かしい「過去キャラ」だって揃ってる。スキットやマッチメイクなど、遊びはあってもいいと思うんです。ただし、基本路線はあくまでもストロングスタイルであること。どうして、そんなシリアス路線のエンタメをやらないのかなと思ってしまうのです。

 新日本体にしろ、レッスルランドにしろ、WWEやハッスルをお手本にどんどん新しい試みを行っていくことはイイと思います。その中で、ストロングスタイルというものをどう表現していくか。くれぐれも考えてほしいのは、そこが「新日本である」ということ。どこまでつくりこんでもいいけれど、おちゃらけを入れたらダメですよ。

 例えば、稔が演じる「田中」というキャラ。どうなんですか、これ。中途半端じゃなくないすか。あと、魔界何号みたいのがえらいたくさんいるけど、これってどなたか面白いと思ってる人はいますか。ハッスルにもまったく同じことが言えるんですけど、おそらくはこういうキャラづくりのために、スタッフは寝ずに打合せをしたりしてるわけじゃないですか。何でもっと、マシなキャラがつくれないのか。ぶっちゃけ、笑いを取ろうとしてる魂胆が見え見えで。これで笑えれば、別にいいんですけどね。

連載企画:レスラーの「商品化」について(1)

 レスラーは、商品である。こう言うと、「何を今さら」と思う人もいるだろうけど。でも、本当の意味でレスラーを「商品」と捉える発想は、いまだ日本のプロレス団体には根付いていない。名前・ニックネームやキャッチフレーズ、キャラクターを含めて、選手ひとりひとりの差別化、すなわち「ブランドづくり」がまだまだ日本では弱いと思うのです。

 例えば、永田。「ブルージャスティス」は最低だけど、長州が名づけた「天下を取り損ねた男」は絶好のキャッチフレーズだったと思う。つくりこんだものは、伝わらない。どこか「確かに」と思えることが、ファンの心をキャッチするためには必要。永田の場合、Tシャツ程度で終わらせるんじゃなく、あるいは「天下を取り損ねた男」としてキャラまで徹底的につくりこめばよかったのです。

 逆に、今のプロレス界で「商品化」が成功している例を探すと、まず小橋の「鉄人」があるでしょう。あとは、鈴木みのるの「世界一性格の悪い男」とか。また、いいキャッチフレーズこそついていないものの、ブードゥーマーダーズと邪道外道もキャラづくりが成功しているように思う。要は、そのレスラーをパッと見たときに、見えない「パッケージ」まで見えてくるどうか。選手個々に自己プロデュースを求めるのももちろん必要だけど、団体としてのトータルデザインやより世間に広くアプローチすることを考えるなら、今やそれだけでは不十分だと思います。

 このあたりのことは、「今後、プロレス界がやるべきこと」として非常に重要な問題だと思うので、今後も定期的にふれていきたいと思っています。

その男を、カリスマとは呼ばない。

 新日・金本を持ち上げるプロレスマスコミが多い。でも、彼は果たして「カリスマ」なんでしょうか。彼の力で、どれだけの数のお客さんを呼べるのか。確かに「会場人気」では今の新日の中で一、二を争うレスラーなんだろうけど、それぐらいでカリスマ扱いしちゃうマスコミの「視野の狭さ」や「スケールの小ささ」も、プロレス業界が衰退してきた原因と無関係ではないと思う。もっと、本物のスターをつくろうよ。そして、本来マスコミにはその力があるはずなのです。

 新日も金本をずいぶんと大事にしているようだけど、「十年遅いよ」と言いたくなります。今のレスラーの中で誰が一番「本当に」人気があるか、ちゃんとリサーチ出来ているのだろうか。どうも、ここに根本的なズレがある気がしてなりません。草間さんのやろうとしたことは、本来もっと評価されてしかるべきだった。団体やマスコミの「内」に向かった発想が、業界をどんどん小さくしているように思うのです。

 ところで、プロレス専門誌の表紙デザインもそろそろ何とかならないものか。今に始まったことではないけれど、ファンの僕ですら買うのが恥ずかしい。部数の減少を嘆く前に、買わない人たちを買わせる努力をしてほしい。業界内部の人たちの発想・思考には、もはや本当に限界が来ていると思う。

前田発言。

 たまには、総合の話題もひとつ。前田日明が愛弟子・所と戦う金子賢について、相当な怒りを表している。この試合についての意気込みを語る金子賢のインタビューを読み、「これは実際、本気で取り組んでいるのかもな」と少し見直しちゃったりもしていたところだったので、前田の言葉は非常に衝撃的なコメントでもあった。僕は金子が彼なりに何かを犠牲にし、この戦いに勝つために懸命に取り組んでいることは事実だと思いたい。しかし、前田のコメントも非常に理解できる。ここでひとつ言えることは、「プロ」格闘技とは、かくも不純なものだからこそ面白いということである。

 ところで、この前田発言に対し「もしかするとこれは、前田の仕掛けかもしれない」と語る『おまえらの好きにはさせねえ!』さんの考え方は興味深い。たとえ格闘家とタレントの戦いであれ、ともすればスポーツライクに語られてしまいがちなこの手の戦いに、あえて自分が悪者になることでドロドロの対立概念を形成する。確かに前田ならそれぐらいのことはやるかもしれない。プロレスファンならではのファンタジーな視点として、僕は『おまえらの好きにはさせねえ!』さんの「読み」を100%支持したいと思う。それにしても、それがアングルであれ、シュートであれ、スーパーバイザーという要職にありながらも、「大人の事情」をかんがみずに意見が言える前田日明という人。プロレス界の救世主となりうるのは、やっぱりこの人しかいないと思うのです。

関連リンク
http://blog.drecom.jp/9292/archive/1060
おまえらの好きにはさせねえ!様

団体とマスコミの関係。

 本日発売されたゴングの一面で、中邑がついに肉体を「公開」している。せっかく今まで隠してきたのに、なんでこのタイミングで見せてしまうのか。ファンやプロレス界に与えるインパクトを考えたら、凱旋試合まで隠しておいたほうがよかったんじゃないかなぁと思うのです。でも、これも、新日にとってはどうにかして興行に足を運んでもらうための「プロモーション活動」であり、マスコミ側からすれば、今、何とかして部数を稼ぐための「作戦」であって。つまりこれは、団体とマスコミ、両者の「目先の」利害関係が一致したということなのでしょう。ただ、僕なんかは思ってしまうのです。それにしても、タメがないなぁと。タメて、タメて、爆発させるのがプロレス興行本来の原理原則であって、その瞬間のために、そのファンタジーを守るために、団体とマスコミがいっしょになって「ガマン」をし、ときには「嘘をつく」のも必要だと思う。すべてはプロレスを守るために。そういう両者の「共犯関係」こそが、他の世界とプロレス界の一番大きな違いだったはずなんです。今、この状況の中でどこも背に腹は代えられないのはわかるけれど、その行為がプロレスのスケールをどんどん小さくし、ますますプロレスのしくみを壊していく。

関連リンク
http://kakutolog.cocolog-nifty.com/kakuto/2006/10/post_eafe.html
カクトウログ様

プロレスとは、インパクトである。

 天山が真壁&越中と新軍団を結成したという。ファンの間では「リアルに」ブーイングの対象となっている真壁だけれど、僕は案外イイなぁと思っていて。というのも、いかにもレスラーっぽい風貌だから。試合はまだまだ荒削りだし、ムダなマイクアピールなど確かに空気が読めないところはあるけれど、パッと見の「わかりやすさ」もプロレスでは大切だと思う。まるでストーカーのごとく棚橋あたりを付け狙わせれば、いつかはブレイクするキャラクターなんじゃないかなぁなどと考えていたんですね。そんな真壁もIWGPタッグの暫定チャンピオンになったあたりからようやく頭角を現してきて、それで今回の天山軍団入り。まあ、これはこれで悪くない展開なんじゃないかなぁと思うんです。

 ここで本題。天山軍団結成はいいんです。ただ、それをなぜ新日は「記者会見」で発表するのか。こういうことって、昔はシリーズを通してそこに至るまでの展開を丁寧につくりこんでいくか、あるいはシリーズ最終戦あたりの試合を通してサプライズ的に「発表」するか。いずれにしても、この手のネタはプロレスならではの大きな醍醐味のひとつであり、また興行を成立させるための重要なエッセンスでもあって、昔はファンの気持ちをうまく煽り、次の興行にむけて興味をつなげていく役割を果たしていたと思うんです。ところが、これではせっかく観客にインパクトを与えるかもしれない宝のネタを、みすみすドブに捨てちゃってるとしか思えない。今後、中邑と棚橋の戦いを中心に進んでいくであろう新日にとっては、はっきり言っちゃえば「どうでもいい」話なのかもしれない。けれども、発表のしかたとしていかにも軽すぎるし、こういう話題づくりの仕方ひとつをとっても、もはやこの団体からは完全に猪木イズムが失われてしまったことを痛感してしまうのです。

 多かれ少なかれ、使える予算なんて限られている中で、団体の命運を分けるのは「ひとつのネタを、いかにインパクトとリアリティをもって観客に伝えられるか」です。しかし逆に言えば、頭の使い方ひとつでどうにでもストーリーを膨らませることができるのも、プロレスの絶対的な長所だと思うんです。あなたたちは、今まで何を見てきたんですか。社長をはじめ、恐らくかつてはプロレスファンであっただろう現フロント陣に、願わくばじっくり問うてみたい。かつてあれだけ僕らを興奮させながら、今やまったくファン心理が見えなくなってしまっているこの団体が、歯がゆくてなりません。

猪木が語るプロレス論。

 ベースボールマガジン社から出たムック本『プロレスって何だ!? 血涙山河編』を買ってみた。週プロやサムライTVで活躍するフリーライターの須山浩継氏が編集を担当したこの本、いやいや、僕的には巻頭の「猪木インタビュー」だけで定価1,500円分の価値が充分にありました。

 未だかつて、「プロレス」について猪木がここまで語ったことがあっただろうか。そのコメントひとつひとつから、彼がなぜ「天才」と呼ばれたのか、そしてプロレスという特殊な世界の真実が浮き彫りになってくる。そしてそれらの言葉の全てが、今、多くの大人ファンたちが感じているであろう「物足りなさ」へのアンチテーゼにもなっている。じゃあ、選手たちはこうした猪木の言葉にどれだけ耳を傾け、どれだけ自分のプロレスに役立てようと努力したのだろうか。会長・猪木の苦言を、ではない。偉大なる先人・猪木からのアドバイスを、である。

 引退後、無責任なプロレス界への介入と数多くの金銭トラブルや利権争い等をめぐるウワサにより、選手やマスコミ、アンチファンはおろか、多くの「信者」たちの間でもその評価を落とす一方の猪木。しかし、猪木がプロレス界から去り、猪木寛至として「アントニオ猪木」を食いものにして生きるようになってしまったのも、あるいは一向にわかろうとしない弟子たちへの失望からではなかったろうか。猪木がひとたびプロレスを語れば、今でもこれだけの説得力に満ちている。そして、こういう人、言いかえればここまで考えてプロレスをしているレスラーがいない以上、今のプロレス界が衰退していくのもムリはないと、このインタビューを読んで、言い知れぬ絶望感を抱いてしまったのもまた事実である。プロレス界の「すべて」をわかっているアントニオ猪木のプロレス界からの離脱は、業界にとって、そして猪木自身にとって、あまりにも大きな損失だったことをあらためて理解しました。

 その他、僕が「感じた」のは、北斗晶と鈴木みのるのインタビュー。特に北斗はさすがにカリスマと呼ばれた人だけあって、猪木同様、プロレスの、いや興行というものの何たるかをわかっている人だなぁと思ったし、とりわけびっくりしたのが、女子プロ至上屈指のスーパースターの名を出して、「アタシと長与千種がガッチリ手を組めば、女子プロレス界の状況を根本的に変えられるんじゃないかと、今でもたまに考えますよ」と語っているところ。同書でTAJIRIと対談している長与の「復帰への色気」に満ちたコメントとあわせて読むと、非常に想像がふくらんでしまうインタビューでもありました。

 いい意味でファン目線を持っているインタビュアーのテクニックも手伝ってか、非常に濃い内容で仕上がっているムック本。プロレスファン、必見の一冊です。

プロレスって何だ!? 血涙山河編
¥1,429
株式会社 ビーケーワン

ハイキック禁止令。

 前々から思っていたことなんですけれど、プロレスで「ハイキック」って禁止にしませんか(川田のジャンピングハイとかは除く)。だって、本気で蹴ってないじゃん。なんか、アレが出て、レフェリーのダウンカウントが入ったりすると、ものすごくしらけた気持ちになってしまうんですね。永田や村上がよく使うけど、あとは金本と稔の「ハイキック同士討ちムーブ」とか。プロレスだからって、打撃を打つならちゃんと入れましょうよと。少なくとも、僕らの目にはしっかり入れているように見せてくれ、と。あからさまに加減するぐらいなら最初からやらなければいいし、だったらそもそもボディなど「鍛えているところ」を狙えばいいのにと思う。ファンはどこを攻撃するかはもちろん、その「当たり具合」だってちゃんと見てますからね。こんな簡単なこと、わかってるレスラーとそうじゃないレスラーがいると思うんだよなぁ。これって、プロレスにおける技術論に大きく関わる問題だと思うんですが。「プロレスの打撃」をよくわかっていない全てのレスラーたちには、ゼロワン田中の試合を研究してほしいです。余談ですが、新日ぐらいの規模の団体がかつてのバトラーツのようなバチバチの試合をやり出したら、一気にブレイクする可能性があると思うんですがどうでしょう。

プロレス界には、興行戦争が足りない。

 NOAHやゼロワンを中心に発足したGPWA(グローバルレスリング連盟)。新日や全日は参加を見合わせたようだけれど、ひとつ気になったのは「グローバル」というフレーズがくっついてること。新日が参加しにくいのもムリはないよなぁ。何だか、どうしたってノアの軍門に下ったような雰囲気が出ちゃいますからね。とはいえ、このGPWAは将来の「協会」発足への、あくまでも暫定的な動きとのこと。新日や全日抜きで固まるつもりもないようだから、本当にこれからのプロレス界のことを考えるが故に生まれた純粋な集合体なのでしょう。

 ただ、どうなんでしょうね。僕個人的には、こういう風に団体同士が固まることが、必ずしも良いことだとは思わないんです。各団体、本当に運営が厳しく、「ワラをもすがる」という部分があるんでしょうが、プロレス界にはかつての新日・全日の冷戦時代のようにガチンコで競い合うからこそ発展してきたという歴史もあるわけです。例えば、今、村上が盛んに三沢に喧嘩を売っているけれど、いくら村上が「これはGPWAとは関係ない」と言ったところで、それが「信頼関係」から生まれた抗争だなんてことはファンの僕らにも透けて見えちゃう。今も昔もプロレス界での抗争なんて全てが「ビジネス」で、そういう意味ではガチンコで喧嘩することなんてありえないのかもしれない。そして僕らだって今さらそんなことを知らないわけではないけれど、でも、プロレスがリアルであるためには、実際にリングにあがったらどうなるかわからない、みたいな雰囲気って重要だと思うんです。ましてや三沢も村上も実際にGPWAの役員として名を連ねている社長同士。リングに上がれば三沢も村上も「上手くやる」のはわかってるんですが、あまりにもムリがある抗争な気がしてならないし、徒党を組むことでこういう「不具合」が出てきてしまうことも計算しておく必要があると思うんです。ファンは本当に馬鹿じゃないですから。

 でも、逆に言えば、プロレス界を「再編」するいい機会でもあると思うんですね。そしてそのために重要なのは、新日・全日が不参加で居続けること。もっと言えば、こっちはこっちで別の連盟をつくってしまうことです。僕は、今のプロレス界に一番足りないものは、「対立構造」だと思います。猪木・新日と馬場・全日がそうであったように、そして今のPRIDEとK-1がそうであるように、二つに分かれていることっていいことだと思うんです。みんなが一つになるなんてつまらないと思うし、そんなのきっとロクなことにならない。他の業界を見てもわかるとおり、会社と会社が競争しあうことで発展していくっていうのは、経済やマーケティングの常識でもあるわけです。

 細分化したプロレス界を一つにするのではなく、ここで一度、まっ二つに割ってみる。リング上で「夢の対決」を実現するよりも、あえて絡まず、二つの大組織が生き残りをかけて興行戦争をし始めるほうが、プロレス界を活性化する方法としては正しいのではないでしょうか。今のGPWAはいいとしても、そこに新日や全日まで参加して「興行日程の調整」なんてしだしたら、そんなヌルい業界、間違いなくつぶれると思います。