マイクアピールの重要性。
プロレスならではの大切な「技術」のひとつに、マイクアピールがある。過去の日本人レスラーの中で「マイクの達人」といえば、何といってもアントニオ猪木。次いで大仁田や長州らが挙げられると思います。彼らは試合前、あるいは試合後のマイクアピールを効果的に用いることで、ファンの心をつかみ、ヒートさせ、その試合や相手レスラーとの対立構造にプラスアルファのリアルさをもたらしました。もし、プロレスにマイクという技術がなければ、猪木にしろ、大仁田や長州にしろ、自らのキャラクターや立ち位置をあそこまで明確なものにすることは出来なかったように思うのです。
では、今のプロレス界で「マイクの使い方」がわかっているレスラーがいるかと言えば、正直、ほとんどいないと思う。外道やディック東郷など、喋り方が上手いレスラーはいるけれど、マイクひとつで観る人を手のひらに乗せるような、そこまでできるレスラーはまずいない。ひとつは、観客の「ニーズ」をちゃんと理解して気の利いたことをしゃべれる感性・センスを持っていないんだろうと思うし、いわゆるタイミングだってとても重要です。蝶野のマイクは確かに格好いいけれど、いかんせんちょっとリアリティに欠けます。試合のセンスとも比例するところがあると思うけれど、今の多くのレスラーたちのマイクには「アドリブ力」が見えないんですね。例えば怒りを表現する時、実際に腹の底でそう思っていないかぎり、観ているこっちには伝わらない。例えそれが決められた言葉であっても、「セリフ」に見えたらおしまいだと思うのです。あるいは、ハッスル。観客の野次さえも瞬間的に取り込む高田総統の臨機応変なマイクアピールは確かに感心に値するし、あれはあれで完璧に演じきっているところに凄みがある。だけど、その他の小川や大谷、川田のマイクはというと、今でもやっぱりセリフの域を抜け切れていない。エンターテインメントというからには、試合はもちろん、こういう部分こそパーフェクトじゃなきゃいけないと思う。普通のプロレスにおけるマイクの問題とは別の意味で、こっちはこっちで中途半端さを感じてしまうし、ここらへんの「演技力」を見ると日本じゃやっぱりエンターテインメントのプロレスは無理なのかな、とも思う。そしてまた一方で、実はプロレスの中にエンターテインメントも何も無くて、それはむしろそのリングに立つ人の問題なのではないか、と思ったりもします。猪木や大仁田がいれば、どんなプロレスをやろうがエンターテインメントになるし、いくらエンターテインメントと謳ったところで、ろくな演技者がいなければ、それは学芸会の延長にしか見えないのです。
プロレスなんて、というとアレだけれど、実際、プロレスほど変なジャンルってありません。そもそも冷静に考えれば、相手の技を受けることを前提にしていること自体、「戦い」としてあるまじきルールなわけです。でも、どうして僕らが長い間このプロレスを見続けてきたか、見続けてこれたかと言えば、そこには確かに僕らにしかわからないリアルさがあったからだと思う。そして、そのリアルな部分を助長させ、僕らをこの世界にのめり込ませた要因のひとつに、カリスマたちの絶妙なタイミングから放たれるマイクアピールがあったと思うのです。逆に今のプロレスはと言えば、ここのリアルさがごっそりと消え、僕らがついつい試合を冷静に見てしまう「隙」がありすぎる。マイクでも、入場シーンでも、どんなギミックを使っても構わない。プロレスラーたるもの、リングに立ったら、僕らファンを冷静な気持ちにさせたらダメなのです。
では、今のプロレス界で「マイクの使い方」がわかっているレスラーがいるかと言えば、正直、ほとんどいないと思う。外道やディック東郷など、喋り方が上手いレスラーはいるけれど、マイクひとつで観る人を手のひらに乗せるような、そこまでできるレスラーはまずいない。ひとつは、観客の「ニーズ」をちゃんと理解して気の利いたことをしゃべれる感性・センスを持っていないんだろうと思うし、いわゆるタイミングだってとても重要です。蝶野のマイクは確かに格好いいけれど、いかんせんちょっとリアリティに欠けます。試合のセンスとも比例するところがあると思うけれど、今の多くのレスラーたちのマイクには「アドリブ力」が見えないんですね。例えば怒りを表現する時、実際に腹の底でそう思っていないかぎり、観ているこっちには伝わらない。例えそれが決められた言葉であっても、「セリフ」に見えたらおしまいだと思うのです。あるいは、ハッスル。観客の野次さえも瞬間的に取り込む高田総統の臨機応変なマイクアピールは確かに感心に値するし、あれはあれで完璧に演じきっているところに凄みがある。だけど、その他の小川や大谷、川田のマイクはというと、今でもやっぱりセリフの域を抜け切れていない。エンターテインメントというからには、試合はもちろん、こういう部分こそパーフェクトじゃなきゃいけないと思う。普通のプロレスにおけるマイクの問題とは別の意味で、こっちはこっちで中途半端さを感じてしまうし、ここらへんの「演技力」を見ると日本じゃやっぱりエンターテインメントのプロレスは無理なのかな、とも思う。そしてまた一方で、実はプロレスの中にエンターテインメントも何も無くて、それはむしろそのリングに立つ人の問題なのではないか、と思ったりもします。猪木や大仁田がいれば、どんなプロレスをやろうがエンターテインメントになるし、いくらエンターテインメントと謳ったところで、ろくな演技者がいなければ、それは学芸会の延長にしか見えないのです。
プロレスなんて、というとアレだけれど、実際、プロレスほど変なジャンルってありません。そもそも冷静に考えれば、相手の技を受けることを前提にしていること自体、「戦い」としてあるまじきルールなわけです。でも、どうして僕らが長い間このプロレスを見続けてきたか、見続けてこれたかと言えば、そこには確かに僕らにしかわからないリアルさがあったからだと思う。そして、そのリアルな部分を助長させ、僕らをこの世界にのめり込ませた要因のひとつに、カリスマたちの絶妙なタイミングから放たれるマイクアピールがあったと思うのです。逆に今のプロレスはと言えば、ここのリアルさがごっそりと消え、僕らがついつい試合を冷静に見てしまう「隙」がありすぎる。マイクでも、入場シーンでも、どんなギミックを使っても構わない。プロレスラーたるもの、リングに立ったら、僕らファンを冷静な気持ちにさせたらダメなのです。
プロレス誌について考えた。
売れない売れないと言われながら、今だに抜本的な紙面改革ができていないプロレス誌。ついつい習慣的に買ってしまうものの、最近は読んでワクワクすることがほんとに少なくなりました。ここのブログではすでに何度も触れていることですが、こうして雑誌が売れなくなった原因も、やはり「団体間に垣根がなくなってしまったこと」と深い関係にあると思います。昔、新日と全日が冷戦状態にあった頃は、年に一度、新年のプロレス大賞の会場で所属の異なるレスラー同士が握手してる写真に釘づけになりました。あるいは、当時あり得なかった新日とNWAの関わりをスクープしたような記事を読んで興奮してみたり。たくさんのチームが同じ土俵で戦うプロ野球を横目に、当時のプロレスファンが待ち望んでいた「夢の対決」。でも、実際は団体同士がけっして相容れない関係にあったからこそ、僕らは長い間プロレスへの興味を保ってこれたようにも思う。もし、あの時、猪木と馬場が戦っていたら、とっくに日本のプロレスは無くなっていたかもしれない。リング上はもちろん、雑誌がつまらなくなったのも、団体が違っても「戦おうと思えばいつでも戦える」状況になり、僕らが想像をふくらませる余地がなくなっていったことと無関係ではないと思うのです。
じゃあ、今、マスコミは何をすべきなのか。僕は、純粋に「記者がもっと自由にモノを書けばいいのでは」と思います。紙プロを除く老舗二誌は、今でも団体に気をつかい、そこにあるホンネを隠しながらプロレスを語っている。ダメなレスラーをダメだと言わず、つまらない試合を見て「プロレス界に希望が見えてきた」と書いてしまう。そんなの売れなくて当たり前だと思うのです。僕は団体とプロレス誌の関係をよく知らないのですが、あれって何か双方に金銭的なやりとりってあるんですかね。もし無いんだとしたら、試合レポートなんて別にいらないし、それよりも批評し、ジャッジするものであってほしいと思う。業界を守るために業界をほめるようなそんなスタンスが、団体を甘やかし、雑誌をつまらなくしているのではないでしょうか。
落ち目の二誌とは逆に、最近どこの本屋でもよく見かけるようになった紙プロ。ゴングや週プロが絶対に出来ないようなことをやるその姿勢がファンに受けているのかもしれないけれど、でも「プロレスを批評する」スタンスとしてはもっと他の手法だってあるように思います。いわば、斜めからではなく、もっと真正面から愛を持ってプロレスを斬るような。一番大切なのは、プロレスの面白さを伝えていくこと。そのために、いい悪いをハッキリとモノ申すこと。欲しい情報はパソコンですぐ手に入る世の中だけど、単純に面白ければ、僕らは買うわけで。要は、そこに僕らファンが及びもつかないような、「記者ならでは」の鋭い意見があるかどうかが重要なんだと思います。すぐ時代のせいにする関係者が多いけど、必ずしもそういう問題じゃないと思うんだけどなぁ。
じゃあ、今、マスコミは何をすべきなのか。僕は、純粋に「記者がもっと自由にモノを書けばいいのでは」と思います。紙プロを除く老舗二誌は、今でも団体に気をつかい、そこにあるホンネを隠しながらプロレスを語っている。ダメなレスラーをダメだと言わず、つまらない試合を見て「プロレス界に希望が見えてきた」と書いてしまう。そんなの売れなくて当たり前だと思うのです。僕は団体とプロレス誌の関係をよく知らないのですが、あれって何か双方に金銭的なやりとりってあるんですかね。もし無いんだとしたら、試合レポートなんて別にいらないし、それよりも批評し、ジャッジするものであってほしいと思う。業界を守るために業界をほめるようなそんなスタンスが、団体を甘やかし、雑誌をつまらなくしているのではないでしょうか。
落ち目の二誌とは逆に、最近どこの本屋でもよく見かけるようになった紙プロ。ゴングや週プロが絶対に出来ないようなことをやるその姿勢がファンに受けているのかもしれないけれど、でも「プロレスを批評する」スタンスとしてはもっと他の手法だってあるように思います。いわば、斜めからではなく、もっと真正面から愛を持ってプロレスを斬るような。一番大切なのは、プロレスの面白さを伝えていくこと。そのために、いい悪いをハッキリとモノ申すこと。欲しい情報はパソコンですぐ手に入る世の中だけど、単純に面白ければ、僕らは買うわけで。要は、そこに僕らファンが及びもつかないような、「記者ならでは」の鋭い意見があるかどうかが重要なんだと思います。すぐ時代のせいにする関係者が多いけど、必ずしもそういう問題じゃないと思うんだけどなぁ。
プロレスの可能性。
ちょっと古い話になりますが、去年の「W-1」で行われた秋山vs柴田の一騎打ち。僕はこの試合をここ数年の間に自分が見たプロレスの中で、文句なしのベストバウトに挙げています。「プロレスは戦いである」という猪木の言葉があるけれど、これって実はとても大きな意味を含んでいて。そもそも「総合格闘技は戦いである」なんてことを言う人は誰もいません。じゃあ、猪木はなぜあえてこんなことを言うのか。つまり、プロレスはそのジャンルの性格上、実は戦いがなくても成立してしまうんですね。だけど、それって凄く危険なことであって、そんなプロレスじゃいずれ誰も見てくれなくなりますよ、というのが猪木のホンネだと思う。「プロレスは戦いである」は、つまり「プロレスだからこそ、戦いが必要である」と言いかえることができる言葉のように思うんですね。
じゃあ、秋山と柴田の一戦はどうだったのか。序盤の柴田の仕掛けで秋山がぶち切れたシーンをはじめ、そこには間違いなく「総合にはない」プロレスの魅力があったと思う。猪木プロレスに魅了されてプロレスを見始めた僕も、総合を見始めてからはすっかりインポになってしまいました。普通のプロレスの刺激ぐらいではぜんぜん満足できないようになっていたし、もはやプロレスで興奮することはムリなのかもしれないと思ったこともありました。だけど、この一戦には思わず興奮してしまった。総合全盛の今、ある意味では理想論でしかなくなっていた「プロレスとは戦いである」を、まさに実証してみせた試合だったように思うんです。
では、今の多くのプロレスの試合からは失われ、だけど秋山vs柴田の一戦では見ることのできたプロレスの魅力っていったい何なのでしょう。ここをきちんと考えてみることこそ、プロレス復興のひとつの「手がかり」になるように思うのです。僕自身、あくまでも「感じた」ことでしかなく、ここでは特に結論めいたことは言えません。だけどあえて一点だけ触れるとすれば、「プロレスでは反則が許される」といったあたりでしょうか。厳重なルールに則った「真剣勝負」であるがゆえに、ともすれば技術勝負=スポーツライクな戦いになってしまいがちな総合格闘技に対して、プロレスは本来もっとドロドロとした戦いであるというか。力道山が、なぜあの時代にスーパースターになれたのか。もしプロレスが握手で始まる戦いだったなら、ここまで生き延びることはできなかったでしょう。総合の戦いではほとんど見られない「相手への怒り」という部分を、もしプロレスラーがもっと上手く表現できれば。僕は、あの試合を見て、プロレスはまだまだ僕らを魅了することができるポテンシャルを秘めているような気がしたのです。なんにせよ、プロレスラーに一番必要なのは演技力ですね。きちんとした技術的裏づけをもとに、どこまで戦いを表現できるのか。一流のアスリートとしての資質を持ったもの同士が、アスリートにあるまじき戦いを見せるのが、プロレスというジャンルの肝のように思います。ヒョードルとミルコの試合は見たいけれど、ヒョードルとミルコの喧嘩ならもっと見たい。たいへん抽象的ではありますが、このあたりにプロレスというジャンルの可能性があるような気がするのです。
それにしても、秋山という選手。ノアでは常に団体全体のことを考えてあえて一歩下がった位置でプロレスをしているけれど、彼のようなプロレスラーこそフリーランスになってもらって、そろそろジャンルを背負って勝負をかけてもらいたいものです。
じゃあ、秋山と柴田の一戦はどうだったのか。序盤の柴田の仕掛けで秋山がぶち切れたシーンをはじめ、そこには間違いなく「総合にはない」プロレスの魅力があったと思う。猪木プロレスに魅了されてプロレスを見始めた僕も、総合を見始めてからはすっかりインポになってしまいました。普通のプロレスの刺激ぐらいではぜんぜん満足できないようになっていたし、もはやプロレスで興奮することはムリなのかもしれないと思ったこともありました。だけど、この一戦には思わず興奮してしまった。総合全盛の今、ある意味では理想論でしかなくなっていた「プロレスとは戦いである」を、まさに実証してみせた試合だったように思うんです。
では、今の多くのプロレスの試合からは失われ、だけど秋山vs柴田の一戦では見ることのできたプロレスの魅力っていったい何なのでしょう。ここをきちんと考えてみることこそ、プロレス復興のひとつの「手がかり」になるように思うのです。僕自身、あくまでも「感じた」ことでしかなく、ここでは特に結論めいたことは言えません。だけどあえて一点だけ触れるとすれば、「プロレスでは反則が許される」といったあたりでしょうか。厳重なルールに則った「真剣勝負」であるがゆえに、ともすれば技術勝負=スポーツライクな戦いになってしまいがちな総合格闘技に対して、プロレスは本来もっとドロドロとした戦いであるというか。力道山が、なぜあの時代にスーパースターになれたのか。もしプロレスが握手で始まる戦いだったなら、ここまで生き延びることはできなかったでしょう。総合の戦いではほとんど見られない「相手への怒り」という部分を、もしプロレスラーがもっと上手く表現できれば。僕は、あの試合を見て、プロレスはまだまだ僕らを魅了することができるポテンシャルを秘めているような気がしたのです。なんにせよ、プロレスラーに一番必要なのは演技力ですね。きちんとした技術的裏づけをもとに、どこまで戦いを表現できるのか。一流のアスリートとしての資質を持ったもの同士が、アスリートにあるまじき戦いを見せるのが、プロレスというジャンルの肝のように思います。ヒョードルとミルコの試合は見たいけれど、ヒョードルとミルコの喧嘩ならもっと見たい。たいへん抽象的ではありますが、このあたりにプロレスというジャンルの可能性があるような気がするのです。
それにしても、秋山という選手。ノアでは常に団体全体のことを考えてあえて一歩下がった位置でプロレスをしているけれど、彼のようなプロレスラーこそフリーランスになってもらって、そろそろジャンルを背負って勝負をかけてもらいたいものです。
何でもありのマスコミへ。
プロレスは、何でもありなんだ。正しくもあり、またこう言ってしまったら「元も子もない」言葉でもあって。インディー団体の祖である大仁田が提唱し、それはそれでプロレスというジャンルの幅を広げることには役立った概念だとは思うのだけれど、捉え方によってはこの考え方がまさに今のプロレス界の足をひっぱっていると言えなくもないように感じるのです。今日、たまたまサムライTVを見ていたら、女子のレスラーが体育館のマットみたいなところでニコニコしながらプロレスをやっていました。団体の名前は忘れたし、それが団体なのかどうかも定かではないのですが、ニュース的な枠であれ、何かこーいうのを中継しちゃダメだよなぁと思いました。新日・全日・UWFの三団体時代に、FMWが差別化のためにこういう概念を持ってきたのはよくわかる。でもここまで多様化してきてしまうと、やはりどっかで線引きしないことには「プロレスって何なの?」ってなっちゃうと思う。裸になったもの同士が向かい合い、観客の前で絡めばプロレスと呼べるのか。プロレス界に協会がない以上、ボーダーラインをつくるのはマスコミでしかないと思う。少ないながらも観客が見に来ている以上、それなりにニーズはあるんだろうから、そういう大会をやるのはいいと思うし、もちろん誰も止めることはできませんよね。でも、それを報道しちゃうなよ、と。もともとプロレスはバラエティ性に富んだジャンルだし、全部が全部ストロングスタイルになったらつまらないと思います。だけど、そのバラエティさを履き違えてはならないと思う。どうやらGPWAは互助会みたいなもののようだし、この辺りに「メス」を入れるつもりはサラサラないようだけれど、むしろこのへんを整備することのほうが大切なことではないんですかね。
柴田のことなど。
ノアのタッグトーナメントへの参戦が確実視されながらも、「体調不良」で不参加となった柴田勝頼。KENTAとのタッグが再始動し、まさにこれから!というタイミングでの参加見送り。何かよからぬ事情じゃなければよいのですが。フリーランスになって以来、雑誌のインタビュー等でもこれまでとは打って変わったように明るい表情を見せていた柴田だけに、この件に関して本人からのコメントが出されていないことがちょっとだけ気になります(僕がまだ知らないだけ?)。
柴田をエースにビッグマウスが旗揚げし、前田・船木がこの団体をバックアップしていくことが決まったとき、僕は久しぶりにプロレスに対してワクワクする想いを抱きました。新日にいた頃から柴田という選手のことが気にはなっていたものの、同じく格闘志向の中邑に比べるとあまりにもその生き方が不器用に見え、またさしたるバックボーンを持たないことや周りに師匠やいい練習相手がいなさそうなところにも危うさを感じていました。新日ストロングスタイルの申し子として随所に非凡なプロレスセンスを垣間見せていたレスラーだけに、まだ若いうちにしっかり「ナイフ」を磨いてほしいというか、要は「見せかけ」の格闘スタイルで終わってほしくなかったんですね。そこで現れた前田・船木という二人のレジェンド。UWFの出現以来、純プロレスの世界では失われつつあったゴッチ流の技術が、時を超え、柴田というレスラーに注入される。佐山・前田・高田・船木・・猪木プロレスの後継者と期待されながらも、やがてプロレス界を離れることになった逸材たち。絶滅に近いストロングスタイル。堕ちてゆくプロレス。まさに諦めかけたその時、柴田と前田・船木の「合流」が発表されたのです。
権力に屈せず、自らに妥協を許さない「似たもの同士」のまさかの合体。プロレスが復興するための最大のチャンスとなるはずのビッグプランは、しかし、儚くも夢と終わりました。HERO'Sのスーパーバイザーとして活躍する前田にもはや「もう一度」は期待できない今、唯一「未来への可能性」と言えるのは、柴田に船木という師匠が出来たことでしょうか。船木との日々の練習で胸を張ってプロレスラーを名乗れるだけの技術を培い、またフリーになってあらゆる煩わしさから解放されて「ふっ切れた」と語る柴田からは、良い意味で「余計なこだわり」が消えたようにも思います。そして、高山らの活躍によりフリーランスのレスラーにとっては追い風と言える今、まだ若く、彼ほどのセンスを持った選手なら働く場所に困ることだってないでしょう。しかし、と思います。鈴木みのるや佐々木健介の例を見てもわかるとおり、フリーとして生きていくためにはまず何よりも「いろんなスタイルに合わせられる」力量が求められます。すでにプロレスラーとして揺るぎないものを確立しているベテランの彼らならともかく、今の柴田がそういう環境に置かれることはある種の危険性を秘めているように思います。あるいはそれで彼の良さが損なわれてしまわないのか。たとえそれがプロレスラーとしての幅を広げるものであったとしても、ドラゴンゲートやDDTのリングで戦う柴田の姿は見たくありません。プロレス界になじむのではなく、これからもどこか違和感を感じるぐらいのレスラーで居続けてほしい。前田や船木に相通ずる「匂い」だけは、これからも忘れてほしくないと思います。
ところで、ビッグマウス離脱後、前田は「この団体でスーパーUWFをやろうとしていた」と話しました。結局今でも明かされていない「スーパーUWF」の実体だけれど、前田はもうひとつ、それが「UWFがたどり着いたかもしれない、もうひとつの可能性」であることも語っていました。UWFがたどり着いたかもしれない、もうひとつの可能性。あくまで僕の想像ですが、それはいわゆるUWFスタイルの延長線上にあるものではなく、むしろ「昭和の新日本プロレス」に近いものだったのではないかと思います。UWFという団体は、もともとは「本当のプロレス」を追求する実験場となるはずの場所でした。しかしルールを厳密にし、階級をつくり、いわば「競技化」をはかっていく過程の中で、それはいつしか「総合格闘技」と呼ばれる別の競技を生み出しました。プロレスというジャンルを守るはずに生まれたムーブメントが、皮肉にもプロレスを絶滅寸前に追い込む最大の敵へと変わってしまったのです。もう、プロレスとは呼ばれたくない。リングス時代、前田は常々そんなことを語っていました。しかしその言葉とは裏腹に、前田に人一倍「故郷」を思う気持ちがあることはこれまでの多くのインタビューでも明らかです。また船木は自らの興した「理想のプロレス団体」であるパンクラスがいつしかプロレスとは全く違う競技になってしまったことへの不満やいらだちをコメントしたことがありました。再会した彼らが「こんなはずじゃなかったのに」と意気投合し、「今度こそ本当のプロレスを」と語り合ったとしても不思議ではありません。総合格闘技を創った彼らだからこそ見える、UWFのもうひとつの可能性。それはつまり、総合とはまったく対極に位置する、ルールにしばられない戦いのことではなかったのか。プロレスが本来持っているダイナミズムやアバウトな部分とUWFの技術を融合させた、「いつ何が起こるかわからない」ガチンコ的プロレス。今となっては、もう遅いと思う。一度は復帰を匂わせた船木にしても、もはやタイムリミットはわずかでしょう。だけど、せめて一度だけでもその大会を見てみたいと思う。彼らの提示するプロレスと、今の多くのプロレスの違い。それは、そこに「イデオロギー」があるかないかの違いだと思う。主義主張あってこそ深みとなり、そこに僕らがハマるんだと思うのです。
柴田をエースにビッグマウスが旗揚げし、前田・船木がこの団体をバックアップしていくことが決まったとき、僕は久しぶりにプロレスに対してワクワクする想いを抱きました。新日にいた頃から柴田という選手のことが気にはなっていたものの、同じく格闘志向の中邑に比べるとあまりにもその生き方が不器用に見え、またさしたるバックボーンを持たないことや周りに師匠やいい練習相手がいなさそうなところにも危うさを感じていました。新日ストロングスタイルの申し子として随所に非凡なプロレスセンスを垣間見せていたレスラーだけに、まだ若いうちにしっかり「ナイフ」を磨いてほしいというか、要は「見せかけ」の格闘スタイルで終わってほしくなかったんですね。そこで現れた前田・船木という二人のレジェンド。UWFの出現以来、純プロレスの世界では失われつつあったゴッチ流の技術が、時を超え、柴田というレスラーに注入される。佐山・前田・高田・船木・・猪木プロレスの後継者と期待されながらも、やがてプロレス界を離れることになった逸材たち。絶滅に近いストロングスタイル。堕ちてゆくプロレス。まさに諦めかけたその時、柴田と前田・船木の「合流」が発表されたのです。
権力に屈せず、自らに妥協を許さない「似たもの同士」のまさかの合体。プロレスが復興するための最大のチャンスとなるはずのビッグプランは、しかし、儚くも夢と終わりました。HERO'Sのスーパーバイザーとして活躍する前田にもはや「もう一度」は期待できない今、唯一「未来への可能性」と言えるのは、柴田に船木という師匠が出来たことでしょうか。船木との日々の練習で胸を張ってプロレスラーを名乗れるだけの技術を培い、またフリーになってあらゆる煩わしさから解放されて「ふっ切れた」と語る柴田からは、良い意味で「余計なこだわり」が消えたようにも思います。そして、高山らの活躍によりフリーランスのレスラーにとっては追い風と言える今、まだ若く、彼ほどのセンスを持った選手なら働く場所に困ることだってないでしょう。しかし、と思います。鈴木みのるや佐々木健介の例を見てもわかるとおり、フリーとして生きていくためにはまず何よりも「いろんなスタイルに合わせられる」力量が求められます。すでにプロレスラーとして揺るぎないものを確立しているベテランの彼らならともかく、今の柴田がそういう環境に置かれることはある種の危険性を秘めているように思います。あるいはそれで彼の良さが損なわれてしまわないのか。たとえそれがプロレスラーとしての幅を広げるものであったとしても、ドラゴンゲートやDDTのリングで戦う柴田の姿は見たくありません。プロレス界になじむのではなく、これからもどこか違和感を感じるぐらいのレスラーで居続けてほしい。前田や船木に相通ずる「匂い」だけは、これからも忘れてほしくないと思います。
ところで、ビッグマウス離脱後、前田は「この団体でスーパーUWFをやろうとしていた」と話しました。結局今でも明かされていない「スーパーUWF」の実体だけれど、前田はもうひとつ、それが「UWFがたどり着いたかもしれない、もうひとつの可能性」であることも語っていました。UWFがたどり着いたかもしれない、もうひとつの可能性。あくまで僕の想像ですが、それはいわゆるUWFスタイルの延長線上にあるものではなく、むしろ「昭和の新日本プロレス」に近いものだったのではないかと思います。UWFという団体は、もともとは「本当のプロレス」を追求する実験場となるはずの場所でした。しかしルールを厳密にし、階級をつくり、いわば「競技化」をはかっていく過程の中で、それはいつしか「総合格闘技」と呼ばれる別の競技を生み出しました。プロレスというジャンルを守るはずに生まれたムーブメントが、皮肉にもプロレスを絶滅寸前に追い込む最大の敵へと変わってしまったのです。もう、プロレスとは呼ばれたくない。リングス時代、前田は常々そんなことを語っていました。しかしその言葉とは裏腹に、前田に人一倍「故郷」を思う気持ちがあることはこれまでの多くのインタビューでも明らかです。また船木は自らの興した「理想のプロレス団体」であるパンクラスがいつしかプロレスとは全く違う競技になってしまったことへの不満やいらだちをコメントしたことがありました。再会した彼らが「こんなはずじゃなかったのに」と意気投合し、「今度こそ本当のプロレスを」と語り合ったとしても不思議ではありません。総合格闘技を創った彼らだからこそ見える、UWFのもうひとつの可能性。それはつまり、総合とはまったく対極に位置する、ルールにしばられない戦いのことではなかったのか。プロレスが本来持っているダイナミズムやアバウトな部分とUWFの技術を融合させた、「いつ何が起こるかわからない」ガチンコ的プロレス。今となっては、もう遅いと思う。一度は復帰を匂わせた船木にしても、もはやタイムリミットはわずかでしょう。だけど、せめて一度だけでもその大会を見てみたいと思う。彼らの提示するプロレスと、今の多くのプロレスの違い。それは、そこに「イデオロギー」があるかないかの違いだと思う。主義主張あってこそ深みとなり、そこに僕らがハマるんだと思うのです。
前田最高。
サムライTVの対談番組「VERSUS」を見た。長州vs大仁田、馳vs健介と続き、今回は前田vs武藤という「マッチメイク」だったんだけれど、Uの解散にまつわる新事実や長州率いる維新軍が全日に行った本当の理由などいろんな秘話も飛び出し、また互いに認め合う二人の微笑ましい先輩後輩ぶりも垣間見れて、想像以上に満足のいく内容でした。
それにしても、と思う。前田っていう男は、なんて格好いいんだ。ジャンルを背負ってひとりで戦い続けてきた男の、正直すぎる生きざまの数々。番組の中で前田が再三「武藤はもったいない」と語っていたけれど、そう言う前田こそつくづくもったいない。いや、これは逆だな。プロレス界にとって前田という存在はとてつもなく大きかったけれど、前田という男の人生を考えればむしろK-1のスーパーバイザーとして活躍する今のほうが、そのスケールにはあっているのかもしれない。TVでもろくに放映されない今のプロレス界なんかじゃなく、地上波の、それもゴールデンタイムという「リング」でもっともっと多くのスポットライトが当たるべき男だと思うのだ。
サムライTVに加入していない方はなかなか見るのが難しいと思うし、専門誌でも対談の様子は紹介されるかもしれませんが、もし可能なら何とかしてぜひ「映像で」ご覧ください。その価値が十分にあると思います。
関連記事
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/other/headlines/etc/20061005-00000028-spnavi-spo.html
スポーツナビ
関連リンク(対談の様子を詳しくレポートなさってるサイトです)
http://skapanahibi.seesaa.net/article/25433455.html
スカパー!な日々 様
関連リンク(僕が言いきれなかったことが、ここに全て書かれています)
http://blog.livedoor.jp/jxgyj370/archives/50728174.html?1160779302
Sky Blueと緑の大地!様
それにしても、と思う。前田っていう男は、なんて格好いいんだ。ジャンルを背負ってひとりで戦い続けてきた男の、正直すぎる生きざまの数々。番組の中で前田が再三「武藤はもったいない」と語っていたけれど、そう言う前田こそつくづくもったいない。いや、これは逆だな。プロレス界にとって前田という存在はとてつもなく大きかったけれど、前田という男の人生を考えればむしろK-1のスーパーバイザーとして活躍する今のほうが、そのスケールにはあっているのかもしれない。TVでもろくに放映されない今のプロレス界なんかじゃなく、地上波の、それもゴールデンタイムという「リング」でもっともっと多くのスポットライトが当たるべき男だと思うのだ。
サムライTVに加入していない方はなかなか見るのが難しいと思うし、専門誌でも対談の様子は紹介されるかもしれませんが、もし可能なら何とかしてぜひ「映像で」ご覧ください。その価値が十分にあると思います。
関連記事
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/other/headlines/etc/20061005-00000028-spnavi-spo.html
スポーツナビ
関連リンク(対談の様子を詳しくレポートなさってるサイトです)
http://skapanahibi.seesaa.net/article/25433455.html
スカパー!な日々 様
関連リンク(僕が言いきれなかったことが、ここに全て書かれています)
http://blog.livedoor.jp/jxgyj370/archives/50728174.html?1160779302
Sky Blueと緑の大地!様
ちょっと難しい問題だけれど。
(ちょっと前の話になりますが)DDTの高木社長やKAIENTAI-DOJOのTAKAみちのくら、プロレス団体の経営者たちを集めて開催された「草間プロレス経営塾」。スポナビの報道を見て思ったことは、「この人、やっぱりちゃんとしたビジネスマンなんじゃないか」ということ。新日の社長に就任した当時、何かのインタビューで「レスラーはマイクの練習だってしなければならない」的なことを語っていて、まぁそれをマスコミの前で話す是非はともかくとして、そういう「社会人としてごく当たり前の」プロ意識をレスラーたちに求めるこの人のやり方は間違っていないと思いました。で、当時、たしか他にもいろいろいいことを言ってたんだよな。忘れてしまったけれど。
草間氏が新日を追われる過程では、とにかく社内の反発がものすごいらしいことが散々マスコミで伝えられていたけれど、そういう報道が出ることイコール、マスコミ自身もこの人の存在を面白く思っていなかった証拠。実際、何かしらの不利益があったんでしょうかね。昔のSWSのときもそうだったけれど、つくづくプロレス界って変な仲間意識が強い業界なんだなぁと思うし、その裏にあるのは、ズバリこの業界特有の「秘密保持」にまつわる問題なのかもしれないと思う。そろそろここらへんの認識を根本的にどうにかしないことには本当の意味でのプロレス界の発展というのはあり得ないような気がするし、かといってミスター高橋氏の言うように「カミングアウト」することが正しいのかというと、日本人の国民性を考えればそれもまた安直すぎると思うんです。いったい全体、どうしていくのがベストなんでしょうかね。
ただひとつ。今回の「セミナー」への参加者たちのように、他業界の優秀なビジネスマンの言うことにきちんと耳を傾けられる団体というのは、これから伸びていく可能性が高いと思います。よくレスラーたちが、「バンプを取ったことがある人じゃないとプロレス団体の経営はムリ」みたいなことを語ることがあるけれど、もしこういうことを本気で言ってるんだとしたら耳を疑うというか。それを言うなら、受け身ができようが、ずーっとビジネス畑で生きてきた人であろうが、「ビジネスがわかる人じゃないとプロレス団体の経営はムリ」なのであって。何もプロレス界に限ったことじゃありません。どこの業界にだって、多かれ少なかれそれぞれのルールやしくみはあるわけで、じゃあ仮に草間氏のような他業種のビジネスマンが業界入りしてきた際、何でそれをレクチャーしてサポートしてあげる「業界人」がいないのか。ヨソ者を排除してきた歴史もプロレス界が「こんな風」になった大きな原因のひとつだと思うし、今回のように柔軟な頭でヨソからのノウハウを吸収し、積極的に取り入れていこうとする団体が現れるのはいいことだと思う。今後、そういう団体にこそチャンスが訪れるのは間違いないことだと思うのです。
関連記事
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/other/headlines/wrestling/20061005-00000032-spnavi-spo.html
スポーツナビ
草間氏が新日を追われる過程では、とにかく社内の反発がものすごいらしいことが散々マスコミで伝えられていたけれど、そういう報道が出ることイコール、マスコミ自身もこの人の存在を面白く思っていなかった証拠。実際、何かしらの不利益があったんでしょうかね。昔のSWSのときもそうだったけれど、つくづくプロレス界って変な仲間意識が強い業界なんだなぁと思うし、その裏にあるのは、ズバリこの業界特有の「秘密保持」にまつわる問題なのかもしれないと思う。そろそろここらへんの認識を根本的にどうにかしないことには本当の意味でのプロレス界の発展というのはあり得ないような気がするし、かといってミスター高橋氏の言うように「カミングアウト」することが正しいのかというと、日本人の国民性を考えればそれもまた安直すぎると思うんです。いったい全体、どうしていくのがベストなんでしょうかね。
ただひとつ。今回の「セミナー」への参加者たちのように、他業界の優秀なビジネスマンの言うことにきちんと耳を傾けられる団体というのは、これから伸びていく可能性が高いと思います。よくレスラーたちが、「バンプを取ったことがある人じゃないとプロレス団体の経営はムリ」みたいなことを語ることがあるけれど、もしこういうことを本気で言ってるんだとしたら耳を疑うというか。それを言うなら、受け身ができようが、ずーっとビジネス畑で生きてきた人であろうが、「ビジネスがわかる人じゃないとプロレス団体の経営はムリ」なのであって。何もプロレス界に限ったことじゃありません。どこの業界にだって、多かれ少なかれそれぞれのルールやしくみはあるわけで、じゃあ仮に草間氏のような他業種のビジネスマンが業界入りしてきた際、何でそれをレクチャーしてサポートしてあげる「業界人」がいないのか。ヨソ者を排除してきた歴史もプロレス界が「こんな風」になった大きな原因のひとつだと思うし、今回のように柔軟な頭でヨソからのノウハウを吸収し、積極的に取り入れていこうとする団体が現れるのはいいことだと思う。今後、そういう団体にこそチャンスが訪れるのは間違いないことだと思うのです。
関連記事
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/other/headlines/wrestling/20061005-00000032-spnavi-spo.html
スポーツナビ
格の話。
新日の10.9両国大会。残念ながら仕事で観戦することができなかったのですが、中邑・棚橋両選手の戦いぶりはどんな感じだったのでしょうか。というわけで、ケータイサイト等の試合詳細で見たレベルで恐縮なのですが、ひとつだけ気になったのが「試合後の中邑を山本が急襲した」という話。この日の復帰戦に課せられたテーマは、言わば「強くなった中邑がインパクトを見せつけて終わる」こと、ただひとつ。(まあ、実際には肝心のインパクトを中邑が見せつけられなかったという情報もあるんですが)中邑を棚橋に噛みつかせるならともかく、格下の山本に襲わせちゃう「仕掛け」に対して、僕はちょっと違和感を感じてしまったんですね。まあ、棚橋と中邑のストーリーはもう少し溜めてからというのがホンネだろうし、その前にここらで山本の格を棚橋・中邑に次ぐレベルにまで引き上げようという意図があるのかもしれないんですが、でもその山本はこの日の試合で高山&鈴木に負けてるんですね。戦いを点に終わらせず、線にしていこうという努力は見えるだけに、何だか余計にこういう「詰めの甘さ」が気になってしまう。もし中邑を襲わせるにしても、だったら外様の高山&鈴木と戦わるんじゃなく、団体内の格上レスラーとのシングルマッチをセッティングして、そこで山本に大金星を上げさせるという「お膳立て」の仕方だってあったと思う。もちろん、予定調和すぎるのはつまらないんだろうけれど、こういう「格」の問題をないがしろにしちゃうと、そもそもプロレスって成り立たなくなっちゃうと思うんですね。中邑・山本の両方を「売り出す」のなら、もう少し慎重に全体のストーリーを考えるべきなんじゃないかなと。単純な話、誰と誰が対立してて、誰より誰が上でっていう部分を、もっとわかりやすくしたほうが興行が締まってくると思うんだけどなぁ。
上井氏について。
上井という人は、「誠意」という言葉を売り物にするようなところがありますね。誠意、誠意と言えば、何でも許されると思っている。今回、「理想のマッチメークが組めなかった」との理由で興行を中止にしたみたいだけれど、これで彼はすべての信頼を失ったような気がします。いや、むしろそうじゃなきゃおかしいですよね。許されることじゃないと思いますから。たしかに敏腕営業マンだったかもしれないけれど、ひとつの興行をデザインできるプロデューサーとしての器はなかった。もう、ずいぶん前からハッキリしてるじゃないですか。もしも誠意というなら、たとえしょぼくても「出来るかぎりのマッチメーク」を見せるのが本当の誠意だったようにも思います。マスコミには好かれているのか、彼をバッシングする報道はほとんどないけれど、それって果たしてどうなんでしょうね。前田や船木をひっぱりだしてきて、あのときファンとしてはものすごく期待してしまっただけにね、どっかできっちり落とし前をつけてもらいたいものです。人としてイイ人なのか悪い人なのかは僕の知るところではないし、ビッグマウスラウドがああなった原因について村 上が示唆したことが本当なのかどうかもわからない。だけど、能力がないかぎり、見ているほうとしても限界がありますからね。12月3日に予定される次回興行は、彼にとって本当に最後のチャンスだと思います。
プロレス業界の健全性の話。
「プロレス界には、興行戦争が足りない。」と題して以前にも触れましたが、今、あまりにも団体間に「競争意識」というものが希薄な気がします。主義主張を戦わせることもなければ、ヨソに喧嘩を売るようなこともない。他団体のやることに関心や反発を持つ余裕すらなく、自分の団体の運営にいっぱいいっぱいになっているといったところでしょうか。でも、それって、業界としてあまり健康的なことではないと思います。どんな商品やサービスも、競争があるからこそ向上し、よりよいものへと発展していく。そのために、企業がいちばん大事にするのは「他社との差別化」であって、オリジナリティあるものを発見し、育てていくために、人を使い、お金を投資する。今も昔も、元気な会社、元気な業界っていうのは、すべてこのしくみの上に成り立っていると思うんですね。
じゃあ、プロレス界を振り返ってみたときにこの構造がちゃんとつくれているのかと言えば、僕はどうも疑問です。そして一番の原因は、猪木と馬場がいなくなり、団体同士の仲が良くなりすぎたことが大きいように思います。他団体同士の試合が行われるにしても、その実体はほぼ全てが平和的外交のもとに組まれた「交流戦」。いい試合としてスイングすることが求められる中で、どこのスタイルも、繰り出す技も、どんどん似通ってきてしまったということでしょうか。あるいはプロレスの外に総合格闘技という「共通の敵」が生まれ、「業界を守る」ために対立意識よりも仲間意識のほうが強くなってきてしまったのでしょうか。団体同士がそれぞれに強烈な「色」を持ち、興行vs興行で間接的に勝負する。独自のファンを開拓し、それぞれのファン同士さえも対立するような状況をつくれたら、プロレス業界はもう少し元気になれるような気がします。
ただ、それにしてもあまりにも団体の数が多すぎる。そして、これがまた妙に共存できちゃってる。不景気だ、不景気だ、と言いながらも、なかなか団体が淘汰されないこと自体が、今のプロレス業界の不健全性をよく表しているようにも思います。ノアやゼロワンがアライアンスを組んだなら、それこそ加盟していない団体を本気でつぶしにいくとかしたほうが、ターゲットとなった団体のほうも底力を発揮してくるのでは。また一方で、本当に力のない団体はつぶれていく。でもそれが資本主義の原理だし、結果的には業界の発展につながるのでは、と思うのです。このことで言えば、どんな小さな団体にも目をかけるマスコミのスタンスにもだいぶ問題があると思います。
じゃあ、プロレス界を振り返ってみたときにこの構造がちゃんとつくれているのかと言えば、僕はどうも疑問です。そして一番の原因は、猪木と馬場がいなくなり、団体同士の仲が良くなりすぎたことが大きいように思います。他団体同士の試合が行われるにしても、その実体はほぼ全てが平和的外交のもとに組まれた「交流戦」。いい試合としてスイングすることが求められる中で、どこのスタイルも、繰り出す技も、どんどん似通ってきてしまったということでしょうか。あるいはプロレスの外に総合格闘技という「共通の敵」が生まれ、「業界を守る」ために対立意識よりも仲間意識のほうが強くなってきてしまったのでしょうか。団体同士がそれぞれに強烈な「色」を持ち、興行vs興行で間接的に勝負する。独自のファンを開拓し、それぞれのファン同士さえも対立するような状況をつくれたら、プロレス業界はもう少し元気になれるような気がします。
ただ、それにしてもあまりにも団体の数が多すぎる。そして、これがまた妙に共存できちゃってる。不景気だ、不景気だ、と言いながらも、なかなか団体が淘汰されないこと自体が、今のプロレス業界の不健全性をよく表しているようにも思います。ノアやゼロワンがアライアンスを組んだなら、それこそ加盟していない団体を本気でつぶしにいくとかしたほうが、ターゲットとなった団体のほうも底力を発揮してくるのでは。また一方で、本当に力のない団体はつぶれていく。でもそれが資本主義の原理だし、結果的には業界の発展につながるのでは、と思うのです。このことで言えば、どんな小さな団体にも目をかけるマスコミのスタンスにもだいぶ問題があると思います。