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久方ぶりに映画のお話。

イギリス製映画『レイチェル・ペーパー』でございます。


これがもう観れない。
DVD化されなかったんですね。

なので知っている方しか面白くないという記事になる。
構うものか。


プレイボーイの主人公が理想の娘に出会いまして、
あれやこれや手を尽くし、口説きに口説いて結ばれる。
こうして
一緒に暮らすようになりますが
次第に「理想の女」として相手を見れなくなっちまって、
お別れしたんだよ。

というような筋書でございます。

主演はデクスタ―フレッチャーさん。
相手役はアイオンスカイさん。

デクスタ―さんは
『愛と欲望の銃弾』でも主演されていますが
これもまたマイナー作品でして
DVD化されぬまま。

アイオンさんは
『セイエニシング』や
『ジミー/さよならのキスもしてくれない』
なんかに出演。
『ジミー~』はリバーフェニックスさんが主演だ。
彼の主演作品の中では殊に好きだ。

90年代から終わりにかけてのイギリス映画、
いくらでも面白いのがあるのですが、
ほとんど廃盤になっている。残念だね。
いや、残念じゃあ済まないね。
DVD、ブルーレイにしてくれ。買うよ。買うから。

デヴィッドシューリースさん主演の
(この俳優さん好きです。
『ギャングスターナンバーワン』に出ていらっしゃる)

『ネイキッド』なんかもう素晴らしいんだけどな。
こんな種類の映画話、解る奴はいるか?
まあいい。

さてさて
『レイチェル・ペーパー』のお話。

高校生の頃、何度も借りてきて観ました。
女の子へのアプローチっていうもんを、
この映画で勉強した。
なんていうと大袈裟になるけれども。

ハリウッド映画のプレイボーイっていうと
ボス猿タイプ、
タンクトップでマッスルカーの整備、
実家のクローゼットにはスタジャン、
という三拍子揃った彼が登場しますよね。
(偏見ですね)

自分はこれを否定しない。肯定する。
健全だと思う。

最新ジャパニーズプレイボーイの印象より
ましだ。
モデルみたいに痩せている、(180㎝で50㎏台……)
顔が女の子みたいに綺麗で可愛い、
爽やか、安全、やるときはやる、
たまに「俺がお前を守るから!」なんて叫ぶ……

健全じゃあねえよ。少女漫画の世界じゃねえか。

なんてホザいてみる。
馬鹿らしいですね、はい。

さてさてさて
『レイチェル~』でも主人公はプレイボーイ
みたいな様子だが、
ハリウッドのそれとは毛色が違って面白い。

狙った女の子に合わせて
慎重に服を変える、部屋の模様替えまでやる、
本、雑誌、音楽も相手に合わせて用意する。
会話も含めて、とにかく作戦的っていうのでしょうか。

「本当の自分を好きになってもらいたいんだ!」
こういう神経がない。
「自分を偽ってまで付き合いたくない」
こういう下らない言い訳がない。

「好かれたいんだったら、ここまでやるぜ、俺は」
という調子だ。

思春期の頃の自分は、交際しても、すぐお別れ。
そりゃあ、そうだ。

先ず喋らない。シャイだからじゃない。
面白い話をひとつも知らないからだ。
面白くない話を面白く話す術を知らないからだ。

こちらが喋らないので、向こうが喋ってくれますが
何ひとつ聞いてない。
(これはひどい)

着るものも異常だった。70年代の映画に
影響されすぎていたのだと思う。
紫と灰色のストライプ柄のフレアパンツやら、
鳥の羽みたいな襟の開襟シャツやら、
奇人に変わらない。そんな恰好で相手と会うのですから
まあ、早々に嫌われちまうというわけです。

そもそも、こんな変なのと、どうして付き合う気になったのか、
叶うはずはないけれど、当時の女の子たちに訊いてみたい。

そういうわけで(どういうわけでしょう?)
『レイチェル~』の主人公、彼の工夫、努力を見て、
「そうか。僕は間違っていたんだ」と気付かされた。

こうして書くと不純な感じになってしまいますが、

本来の自身はともかくとして、
恋に在って、真っ当な人間のふりを覚えた、
相手に取り入ろうとする工夫と努力の必要を思った、
この映画で。

駄目だ。
どうやって書いても汚らしい感じになってしまいます。
今日の記事は本当に不味いですね。ごめんなさい。
ちょっと酒が入っていますもので。



ご無沙汰しております。
ブログを開けるのも随分になります。

七月の終わりから九月の頭まで、
馬鹿みたいな悪い夢、
七転八倒の日々でございました。


天まで飛び上がり、
そして墜落した。
墜落して地面にめり込んだまま
足の裏は空を向いている。

そんな様子でしょうか。

七月の終わり、
素晴らしい知らせを頂いた。
十数年にわたり続けてきたこと、
これがどうにかなりそうだ、
そういう種類の知らせだ。

自分は音楽とは別の創作を続けてまいりました。
十数年。これがために真っ当な暮らしを
棒に振った。駄目にした。駄目になった頭、神経。
(何を言っているんでしょうね……)

将来への計画なんてもんを
考えずにやってきた馬鹿野郎でございます。
まるで呪いのようです。
音楽で小銭稼ぎ(近頃はそれもままならぬ)を
している身上ですから、
そりゃあ音楽に熱意がなくてはいけません。

ところが
熱意がない。どうやっても奮い立たぬ。
他にやりたいことがあるからだ。
そっちに熱意が丸ごと入っちまってるから、
投げやりのいい加減、そういう有様なんです。
(だから稼げないんです)

それほど、その創作にのめり込んで十数年。
やっと機会が訪れた。

「どうだい。俺みたいな敗北者が選ばれたんだってよ。
日陰者、能無し、左フックの狂人、悲惨人間、適応不能、
 もうそんな風には呼ばせねえ! 
 もう道の端っこなんか歩かねえぞ!
 俺に不義理を働いたクソッタレ共全員に知らせてやりたいね。
 だけど俺が不義理を働いた連中には知られたくねえなあ」

という気分でございました。
(一体どういう気分でしょうね?)

家族も喜んでくれました。
良い知らせがあったことを電話で伝えると、
彼女は牛丼をぶらさげて泣きながら帰ってきました。

さて
これで済んでいれば、
何も隠すことなく、大袈裟に言いふらして、見せびらかして、
自慢を垂れ流せるのですが、

選ばれたというのは、一等賞の資格がある数人、
(片手で数えられる人数ですね)
これに選ばれたというだけなんですね、はい。

一等賞を取れなければ、なんにもならない。
なんにもならねえんだよ。

とはいえ、詳しくは書けませんが、
一等賞候補として自分は最有力だったのでは、
そう思っています。
あまりにも具合のいい経緯があったため、
そんな夢を思ったのです。夢を。

そして九月、結果の知らせを頂いた。
敗北。一等賞にはなれなかった。

まるで
上等な新品の靴を買ってもらい、
さっそく履いて出掛けたところ、
さっそく犬の糞を踏んだ。
糞で足が滑り、地面に手をついた。
そこには割れたガラス。

そんな気分が致しました。

一応は自分の名前が初めて活字になりますし、
創作物に対する批評も数文字は書いてもらえる
やもしれません。(もしかしたらです)
もし批評が書かれるとしたら

「こいつのはここが良くなかった。つまんなかった。
 だから一等賞じゃあねえんだよ。解ったか、え?」
 
というような内容になるでしょう

こんなことがあったんですね。
それで飲んだくれています。
虚しい飲酒。ゲップは負けを知らせるラッパ。

加えて必要以上に腕立て伏せ、
ダンベルを上げたり下げたりしています。

また上記に関わりのないことですが
身内の尻ぬぐいのため、
見知らぬ相手と一時間も喚き合う、
なんてことがあったり、
エアコンが故障したり(これは最悪だったよ)
まあ嫌なことが続きます。

それでも
創作っていうのか、なんていうのか、
解らない作業をまだ続けています。
根性、無謀な執着、諦め知らず、
そういった神経ではないようです。
哀しい習慣、そんなところでしょうか。

良いこと起これよな。そろそろ。
と思うばかりです。


『軍旗はためく下に』

深作欣二監督さんでございます。


書く、書かない、ひどく迷いました。


乱暴に済ませると

「戦争は駄目だ。ひどいもんだ」という映画です。


こうした映画について書くのが躊躇われた。

怖いと思った。


何しろ

戦争を肯定しない立場、

これが非難されるような時代だからだ。


こちらの平生の考えとして

「誰が何をやっても世間は良くならねえよ、

手遅れだよ。何かするほど悪くなる。違いますかね」

というのがございます。


だから書くのが怖いと思う代物に

わざわざ向かっていくなんて

臆病な自分のすることではありません。


それでも書くのは、

昨日のお酒が血に残っている所為でしょうか。

そんな下らないことはどうでも構いませんね。


さて

筋書でございます。


昭和二十七年、

戦争未亡人となった富樫サキエが

厚生省に遺族年金を請求したところ却下される。

理由として

亡夫、富樫軍曹は敵前逃亡により南太平洋前線にて

処刑された故とのことだった。


軍法会議によって処刑された遺族に対して

国家扶助の恩恵は与えられない、

こうした方針による却下であった。


しかし富樫軍曹の処刑を裏付ける判決書がなく、

敵前逃亡の事実もまた明らかではない。


サキエは夫の死の真相を明らかにするため、

追及を始める。

同隊の生き残りを探し出しては、ひとつひとつ事実を

確かめていくと

前線での凄まじい実相が現れていく。



生き残った元兵士の証言によって

物語が先へと進みます。

凄惨です。ひどいもんです。恐ろしいです。


戦闘の場面は多くないのですが

前線の兵隊はどんどん死んでいきます。

餓死、

病死、

無謀な命令、自死の強要、

軍規に背いたやら何やらで処刑、


こうした原因で死んでいくのです。


最近の、二十一世紀の、国産の、

太平洋戦争を材料にした映画とは種類が違います。

そこに描かれるヒロイズムなんてものは皆無です。

綺麗事なんてものは何ひとつありません。


どうやら二十一世紀においては

犠牲は即ち美しいという理屈が何よりらしい。


誰かのため、会社のため、国のため、

報われなくとも、何がどうであろうとも、

死ぬまで動け、働け、戦え、という理屈が何よりらしい。


そこまでやらないと真っ当な市民を名乗れない

時代っていうのが、

どうやら美しいっていう恰好らしいね。


現在、政治屋さんが色々と

おっかないことを進めているようですが、

世間の大概はこれに何も思わないのだろうか。

いや、却って歓迎の気配が認められる。

国が勇ましい様子を見せると

自分も勇ましい気分になれるのかしら。


ひどい物言いになるけれど

てめえの自尊心は、

てめえだけの所有であり、

それが傷ついたり難しいことになっても、

他所やら世間やら政治やらに求めるものじゃない。

と生意気を言ってみる。


馬鹿らしい話にはなってしまうのだけど

拳骨で一発殴られたくらいでも、

皮膚が裂ける、

歯が折れて口の中があちこち裂ける、

頬骨の辺りを骨折する、

という風にとんでもないことになるわけです。

だから

鉄砲撃って、大砲飛ばして、やりあうなんて

自分は嫌だ。

歴史だの世情だの知ったことじゃない。

いいえ、知った上で嫌だと思う。

戦争っていうのは

「自分や周りの人間は無事で済むだろう」ってことには

ならないからだ。

「向こうがやってきたら、やり合うしかないだろうが」

という考えもあるでしょうが、

まあ、こういうのが最近の流行の考えなのでしょうが、


それこそ相手がどんな相手でも、

そうならないようにするのが政治屋さんの仕事だろうに。

これが出来ないって言うのなら素人に変わりない。


最後に

この記事は削除するやもしれません。