『軍旗はためく下に』
深作欣二監督さんでございます。
書く、書かない、ひどく迷いました。
乱暴に済ませると
「戦争は駄目だ。ひどいもんだ」という映画です。
こうした映画について書くのが躊躇われた。
怖いと思った。
何しろ
戦争を肯定しない立場、
これが非難されるような時代だからだ。
こちらの平生の考えとして
「誰が何をやっても世間は良くならねえよ、
手遅れだよ。何かするほど悪くなる。違いますかね」
というのがございます。
だから書くのが怖いと思う代物に
わざわざ向かっていくなんて
臆病な自分のすることではありません。
それでも書くのは、
昨日のお酒が血に残っている所為でしょうか。
そんな下らないことはどうでも構いませんね。
さて
筋書でございます。
昭和二十七年、
戦争未亡人となった富樫サキエが
厚生省に遺族年金を請求したところ却下される。
理由として
亡夫、富樫軍曹は敵前逃亡により南太平洋前線にて
処刑された故とのことだった。
軍法会議によって処刑された遺族に対して
国家扶助の恩恵は与えられない、
こうした方針による却下であった。
しかし富樫軍曹の処刑を裏付ける判決書がなく、
敵前逃亡の事実もまた明らかではない。
サキエは夫の死の真相を明らかにするため、
追及を始める。
同隊の生き残りを探し出しては、ひとつひとつ事実を
確かめていくと
前線での凄まじい実相が現れていく。
生き残った元兵士の証言によって
物語が先へと進みます。
凄惨です。ひどいもんです。恐ろしいです。
戦闘の場面は多くないのですが
前線の兵隊はどんどん死んでいきます。
餓死、
病死、
無謀な命令、自死の強要、
軍規に背いたやら何やらで処刑、
こうした原因で死んでいくのです。
最近の、二十一世紀の、国産の、
太平洋戦争を材料にした映画とは種類が違います。
そこに描かれるヒロイズムなんてものは皆無です。
綺麗事なんてものは何ひとつありません。
どうやら二十一世紀においては
犠牲は即ち美しいという理屈が何よりらしい。
誰かのため、会社のため、国のため、
報われなくとも、何がどうであろうとも、
死ぬまで動け、働け、戦え、という理屈が何よりらしい。
そこまでやらないと真っ当な市民を名乗れない
時代っていうのが、
どうやら美しいっていう恰好らしいね。
現在、政治屋さんが色々と
おっかないことを進めているようですが、
世間の大概はこれに何も思わないのだろうか。
いや、却って歓迎の気配が認められる。
国が勇ましい様子を見せると
自分も勇ましい気分になれるのかしら。
ひどい物言いになるけれど
てめえの自尊心は、
てめえだけの所有であり、
それが傷ついたり難しいことになっても、
他所やら世間やら政治やらに求めるものじゃない。
と生意気を言ってみる。
馬鹿らしい話にはなってしまうのだけど
拳骨で一発殴られたくらいでも、
皮膚が裂ける、
歯が折れて口の中があちこち裂ける、
頬骨の辺りを骨折する、
という風にとんでもないことになるわけです。
だから
鉄砲撃って、大砲飛ばして、やりあうなんて
自分は嫌だ。
歴史だの世情だの知ったことじゃない。
いいえ、知った上で嫌だと思う。
戦争っていうのは
「自分や周りの人間は無事で済むだろう」ってことには
ならないからだ。
「向こうがやってきたら、やり合うしかないだろうが」
という考えもあるでしょうが、
まあ、こういうのが最近の流行の考えなのでしょうが、
それこそ相手がどんな相手でも、
そうならないようにするのが政治屋さんの仕事だろうに。
これが出来ないって言うのなら素人に変わりない。
最後に
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