『かしこい狗は、吠えずに笑う』を観てまいりました。
ワタクシは映画について書く時、
面白かったもの、印象に残ったもの、
それより他には書かないようにしております。
(きっとそうしているつもりでございます)
わざわざ気に入らなかった映画を取り上げて、
「面白くなかった」と書きやがって、
それを他所に見せびらかして、どうすんだ、え?
と思う故でございますね。
そんな陰湿なこと、
やりたくねえという心持ちでございます。
「こりゃいいじゃないの」
という映画について書く最中、
別の作品へ与太を飛ばすこともありますが、
とにかく
わざわざ気に入らない映画を取り上げて
評論家気取りの意地悪な批判なんてやらない、
そういうわけです。
(一体どういうわけでなんでしょう?)
ところが今回の記事においては、
上記の考えに背くというのかしら、
こちらの平生の姿勢から離れることになります。
「そういうことはしないんだ」と
書いておきながら、そういうことをするわけです。
さて前置きが長くなりました。
映画の話だ。(なにが映画の話だ?)
オーディトリアム渋谷、
以前、仕事で行きました。
一階で飲み食いのやれる店があるのですが
量は少なく、値段が高く、洒落ていて美味しい。
そんな思い出がございます。
それがどうしたっていうんでしょう。
さてさて
『かしこい狗は、吠えずに笑う』です。
話題の長編自主制作映画、
大きな賞も受賞している映画です。
不勉強ですいません。
先ず
長編を撮るっていうのは大変なことです。
たくさん撮ったつもりで持ち帰り、
編集してみると
5分にしかならなかった……
自主制作ではよくあることだ。
(本当か?)
ともかく自主で長編映画、これだけを考えるならば
上手というのか、優秀というのか、
真っ当な映画だと思います。
以前、仕事で滅入るくらい自主制作映画を観ました。
その体験を振り返ってみて、
(どんな体験も経験も何の当てにもなりませんが)
『かしこい狗は、吠えずに笑う』はどうなのか。
やはり真っ当な出来の悪くない品質良しの映画だとは思う。
だけども
筋書、台詞、演技、画(カメラ)、音楽、
何ひとつ気に入るところはなかった。
こんな生意気なことを言える分際ではない
のだけれど、言っちまった……生意気を。
所謂、
狂気というのか、
他人への屈折した依存やら執着というのか、
サイコサスペンスというのか、
それは構わないのだけれども、
こちらの予測する筋書へ向かい、
こちらの予測する台詞を演者が喋る、
近頃の邦画に見られる悪い特徴が、
あまりに多くて敵わなかった。
そもそも映画の中で
気が変になった人間が、
けらけら笑ったり、
(これが怖いってのか?)
奇行を適度に楽しんだり、
(あんまりにも凡庸な演出じゃないのか?)
そういうのを見せびらかしたりするのは
もう旧い。
(ごめんなさい、偉そうに……)
加えて
伏線、そんなもの要らぬ。
(生意気で本当にごめんなさいね)
筋書を滑らかにして解りよく、
そのための余計な工夫、伏せた説明書きみたいだ、
と思うのですが如何でしょうか。
こうした工夫がないと
最近の観客は映画の筋書が追えないのか?
そんなことも思うのです。
こうした傾向の作品が評価される時代ならば
こちらの頭がずれているということになる。
まあ、そうなのだろうな。
皆が林檎を指して
「それは赤」だと言うところで、
こちらが
「それは黄色」だと言うのは、
やはり、こちらがおかしいのだ。
そんなことはどうでも構いませんね。
とにもかくにも
自主制作でしかやれないことがあり、
この映画には、それがなかった。
平均の平凡の国産商業映画のそれでしかなかった。
新しい人は、若い人は、もっと飛び出した映画を
創って欲しい。
さもなければ作り手も観客も、
どんどん低級なところへ堕落するばかりだ。
お断りしておきますが
ワタクシは偏屈ではありませんが、
変人の種類、そういう人間ですから、
誰でもないような人間ですから
(俺って変わり者なんだぜーという
おかしい自惚れはありませんよ)
こうした映画に対する感想なんて当てになりません。
そもそも映画の感想なんて本人の所有だから
他人のそれを気にすることもない。
嗚呼、また手前の動画の見せびらかしを
やろうと考えていたのですが、
こんな厳しい記事を書いてしまったら、
難しくなる……
それこそどうでも構いませんね。
