以下に、映画『グレイテスト・ショーマン』を観た、私の感想をストリップと絡めて述べてみたい。特にこの映画に再三登場する三つのフレーズ「The Greatest Show」「A Million Dreams」「This Is Me」をキーワードにして話を展開していく。かなり個人的な想いなので、ここだけの話にして下さい。

 

 

1.     ストリップはまさしく「The Greatest Show」だ!

 

最初に少し余談から始める。

 今回、清本玲奈さんがこの映画をモチーフにしたステージ作品を演じてくれた。本作品披露としては二週目になるH30年6月結の大阪東洋ショー劇場で拝見した。リングへの初挑戦を含め、ステージの出来栄えに心から拍手を送りたいと思った。

 ただ、玲奈さんが東洋を一日(1,2ステージのみ)体調不良で欠場した点について、厳しい苦言になるが、清本玲奈が真のThe Greatest Showman(woman)になるためには、せっかく彼女目当てでやってきた観客をがっかりさせるような欠場はなくさないといけないな!と強く感じた。

 生身の人間だから時に体調も悪くなるよな、特に今回はリングの初挑戦もあり体調維持が難しかったろう、などと同情もする。ただ清本さんが突然欠場するのは今回だけではなく、本東洋の前の5月の浅草公演でも三日間12欠場しているし、前回のH29年12月結の東洋でも一日(1ステージだけ)欠場している。やはり清本さんがロックの看板になるためには体調管理は不可欠だ!と思わざるを得ない。もちろん、これはファンとして高いレベルを期待しての苦言だ。

次のようなエピソードがある。既に昨年引退してしまったが、灘ジュンさんはデビューから10年以上ロックの看板として活躍した。彼女が常に看板として君臨したお陰で、他のお姐さん方はプレッシャーを感ぜずに出演できたと感謝していた。ては、灘ジュンさんの凄さはどこにあったのか?

 誰もが「あんな綺麗な女性は見たことがない」と口々に彼女の美貌を褒める。ところが、ある踊り子さんが「ジュン姐さんほどタフな踊り子はいない」という話をしてくれた。ジュンさんは海外のマカオも含め日本全国の劇場を回り、どこの劇場も客で満杯にした。重要なことは一度も穴を空けたことはないこと。このためロック経営陣からも絶大な信頼を得ていた。ジュンさんは間違いなく真のThe Greatest Showman(woman)だった。

 さて、本題に移る。

 

 私にとって、ストリップこそがThe Greatest Showである。観客を感動させ、幸せな気持ちにさせてくれるものがThe Greatest Showであると定義すれば、間違いなくストリップはThe Greatest Showである。私を毎日劇場に駆り立てるストリップの魅力は、バーナムが目指した「The Greatest Show on Earth」(地上最大のショー)」に匹敵する。

映画の主人公のP.T.バーナムは<ショービジネス>の概念を生み出した男。誰もが“オンリーワンになれる場所”をエンターテインメントの世界に作り出し、人々の人生を勇気と希望で照らした実在の人物だ。この映画では、19世紀のアメリカにおいて、彼の幼少児からサーカス興行師としての挫折と成功をきらびやかに描いている。

日本のストリップは世界に類を見ないエンターテイメントの世界だ。日本の文化のひとつと云えよう。過去に本番生板ショーなどエログロ路線に走った経緯もあって、風俗の代表としてのストリップはどうしてもエロスの殿堂ととらえがちだが、ショーアップされた今のストリップはアートのレベルに達している。だからこそ女性客も増進している。

本映画の中でも、バーナムの興したサーカス興行が芸術かどうかを、バーナムと新聞の批評家の間で激しく論じられるが、映画の最後の最後に「最も崇高な芸術とは人を幸せにすることだ」というバーナムの言葉が載る。その通りだと思う。

ストリップはアートとエロスが融合した独特な日本文化であり、世界に類を見ないThe Greatest Showとしての誇りを持ちたい。

 

2.     ストリップの光と影

 

映画の中で、主人公バーナムは、変わった外見や特殊能力を持つ人達を集めて、派手なショーを行うプランを考える。このヒントは、蝋人形のような動かないものばかり集めた「バーナム博物館」では客が入らず、それを見た娘たちが「生きている者、動く者がいいなぁ~」と囁いた言葉に基づいている。映画をよく観ると、若かりしバーナムが父が死んで食べる物に困りパンを盗み失敗した時に、奇形の女性が彼にリンゴを恵んだシーンが印象に残った。彼がプランを考えるときにリンゴが机の上にあったね。また、娘たちが読んでいた童話「親指トム」から、銀行にいた小人のことを思い出した。そうした発想を基にして、小人や大男、ヒゲの生えた女、曲芸が得意な兄妹など、各地から人材を集めたバーナムは、歌と踊りで聴衆を楽しませるサーカス興行を始めたのだった。これが見事に大当たり。

 ただ、こうした興行は単に「奇形」(Freaks)の人々を見世物にしているに過ぎないと抗議の声があがり、また批評家は「これはアートではない」と人権侵害やその差別的な不快感を新聞で酷評した。

 同じことがストリップにも云える。エロスとアートの境目が曖昧なため、常に規制の対象として警察権力に吊るし上げられる。ストリップ興行の経営側としても税金の明朗化などやるべき改善点はあるかもしれないが、警察権力による単なる弱い者いじめのような対処は止めてほしいし、ストリップにもっと正当なる市民権を与えてほしいと痛切に感ずる。

 

 また、ストリップの経営側にも、未だに「ストリップは女の裸を見せるため、女の子の人買いの世界」という意識が残っている。昔の人身売買の発想から抜け切れていない。今やストリップで働く女の子にはそういう意識はない。こういう昔ながらの罪悪観念は払拭しなければならない。

 

 ストリップはスポットライトが降り注ぐ明るい場所。ところが、明るすぎるために目がくらんでしまう惧れもある。

 例えば、ストリップに嵌り過ぎて、普通の生活から逸脱してしまうこと。踊り子側の話としては、チップやプレゼントで美味しい思いをたっぷりし、金銭感覚がなくなり、引退後には普通の仕事や生活ができなくなる、などの話はよく聞く。客の側の話としては、踊り子に夢中になり、浪費癖がつき、ひどいときには家庭や仕事を失ってしまう、など。

 以前、ある踊り子さんに「楽屋の風景を一度見てみたいものだ」という話をしたら、「お客さんは表のステージの明るいところだけ見ていたらいい。光の当たらない陰である楽屋なんか見ない方がいいわよ。」と言われたことがある。もっともな話である。

 ストリップの客は「わぁー、かわいい娘のおまんこが見れて嬉しいよー♪」と言っているうちが華であり、あまりに特定の踊り子にはまりすぎて、いわゆる深入りするとロクなことは無い!という話も、自分の実体験を踏まえて誠に的を得た話である。

 

3.     人間のもつ美しさと汚さ

 

 主人公バーナムは、奇抜なアイデアでサーカス興行を成功させ、家族を貧乏なアパート住まいから立派な洋館に移らせるなど、表向きは大成功を収めた。

 しかし、彼は幼少の頃から盗みをしたり、サーカス興行のための資金を銀行から借りる時に南シナ海に沈んだ船舶登録証を使って詐欺まがりの行為をした。また肝心なサーカスでも所詮フリークスたちを集めて見世物にしているペテン師と世間から言われる。

 私が映画の中の彼を観ていて「おいおい、これはないよな!」と思ったのが、ジェニーリンドのNY公演の時。サーカス団員たちを客席に座らせず立ち見にさせたこと、なにより酷いのは公演後のパーティから彼らを閉め出したこと。あれだけ彼らの事を高く評価し、彼らを使って自分は成功したのに、その仕打ちはねえだろ・・・。まさしく、彼には表と裏、光と影の部分がある。

 

 以前、「人には三割のいいところがあれば合格点」ということを聞いたことがある。残りの七割はダメなところ、できないところとなる。野球でも三割打者といっても七割は打てないのである。三割打者になるだけでも大変なのだから、この話はなんとなく頷ける。だから、三割のいいところを見てあげて、七割のダメなところは目をつぶって見てあげなさいということになる。

 また、顔見知りのスト客の中に「ストリップでは仲間ができると同じ数だけ敵ができる」と言っていた奴がいた。私のスト仲間の中には「太郎さんはこれだけいい人なのに、なんでネットであれだけ叩かれるのか、信じられない。太郎さんのことを知らなすぎる。」と話してくれる。人は誰しも本当のところは分からない。一緒に酒を飲んだりして話す時間をもたなければ、相手のことは殆ど分からないもの。だから私のようにストリップ仲間がたくさん増えた分だけ、知らず知らずのうちに顔の知らない敵をたくさん作っているのだろう。あまりにも有名人になってネットで叩かれる標的にされる。出る杭は打たれるの言葉通り、妬み嫉みや誹謗中傷などは有名人になった宿命であろう。とすれば、分かってくれる人だけでもいることが有難いと思うしかない。分かってくれる人だけ分かってくれればいいと割り切るしかない。誰にでも良く思われるなんて不可能に近い。

 このことは、バーナムの妻チャリティ・バーナムが、サーカス興行の成功に満足せず、歌姫ジェニーリンドのアメリカ巡業に夢中になるバーナムに説いていた。しかし、バーナムは誰の助言も受け付けず、自分の夢の実現に邁進してしまった。

 

 先ほど、ストリップにも光と影があるという話をしたが、美しいアートな部分を評価してあげ、エロとかその他の部分は目をつむってほしいもの。むしろ、アート以外の部分を面白いと感じてあげる寛容と感性がほしい。

 私が書いているストリップ童話にも全く同じことが言える。評価する人と蔑む人が出てくるだろう。物事は清濁併せ吞むくらいの気概がないと本当のことは見えてこない。

私の好きな作家、池波正太郎さんの人気シリーズ『仕掛人・藤枝梅安』で、梅安は繰り返し世の道理を説く。「善と悪とは紙一重」「世の中の仕組みは、すべて矛盾から成り立っている」・・・そんなものかと思う。

 

4.     歌姫ジェニーリンドの手のひら返し

 

主人公のバーナムは、サーカス興行でひとかどの成功を収めたにもかかわらず、歌姫ジェニーリンドに出会い、本物を見せてくれた彼女の存在に惚れ込み、誰の助言も受けず、サーカス興行はフィリップに任せて、ジェニーリンドとともに米国公演に駆け回ることになる。

おいおい、ほどほどの成功で満足しなよ!と言いたくなる。結局、それを機にして、全財産を失い、家族からも見放されることになる。足るを知らないとこういうことになる!という教訓そのものだ。

 しかし、所詮見世物小屋的なサーカス興行はペテン師的なイメージから脱却できず、本物の歌声をもつジェニーリンドの魅力にかけたくなったバーナムの気持ちは理解できる。なぜなら、彼のエネルギーは全て幼少からの貧乏と富裕層への反骨精神から湧き出てきたものだから。そのため、どんなに成功しても、マナーの悪さが残っている。根本からそれを消さないと人間の品は変えられない。しかし、物事は裏腹で、行儀よく収まってしまうと、きっとショービジネスへのエネルギーも消えてしまう。

 

 それにしても、バーナムに見込まれた歌姫ジェニーリンドの手のひら返しは痛烈だった。

 私はストリップにおける自分と重ねて見ていた。私もある踊り子と出会い、「自分の16年間のストリップ歴はこの子に出会うためのものだった」と思わせるほど夢中になって応援した。これまで特定の踊り子を追いかけるというやり方をせずに、新人を中心に手広くストリップを楽しんできた。それなのに180度転換した。そして見事に裏切られた。家族も仕事も全てを失ってしまった。彼女が引退した今でもその影を引きずっている気がしてならない。

 今では、特定の踊り子に夢中になることはせず、以前のように手広く楽しむやり方に戻っている。それが自分にとって最適なストリップ観劇なのだと改めて思っている。

 

 だいぶ昔のこと、ある仲良くしていた踊り子さんから、「太郎さん、ストリップに夢中になってくれて嬉しいけど、くれぐれも家庭を壊すようなことをしてはダメよ」と言ってもらっていた。自分に限ってそんなことは絶対にない!と思っていたが、いつの間にか、家庭を壊すほどにストリップに嵌っていた。そして、もう抜けられない状態になる。

 私にもバーナムに負けないくらいの素敵な家族があった。妻は美人だったし、私のような身体障害者でもいいと結婚してくれた。私は結婚する時「この女は絶対に守る!」と心に誓ったものだ。かわいい三人の子宝に恵まれ、みんな成人して立派に社会人になったくれた。三人のうち二人は結婚し、私は初孫の顔も見せてもらった。こんな幸せな家族を壊してしまった罪悪感は一生消えないだろう。そのうえ、特定の踊り子に夢中になり仕事まで失った。まさに、ストリップで人生を壊した。ただいまストリップ浪人中だが、ストリップ廃人になったわけではない。「ストリップに負けた」のではなく「私のストリップ愛が勝った」のだと思っている。だから後悔はない。今は執筆しながら自分の人生を前向きに模索している。

 

 バーナムは最後は家族のところに帰っていった。映画では「家族愛の素晴らしさ」「人は家族を大切にしなければならない」ことをストレートに教えてくれる。全くその通り。

 私もこれから先、年老いていけば家族のところに戻りたいと思うだろう。しかし、好き勝手なことをした私のことを許してもらえるとは思わない。

 今は自分の夢を追って頑張るしかない!と思っている。

 

5.     A Million Dreams 夢を追うこと

 

この映画は、本当にいろんなことを教えてくれる。

その中の最も大切なひとつが「A Million Dreams」というフレーズ。まさしく、夢を持つこと、いつも夢を追い続けることの大切さを示している。

これをキーワードにして映画を観ると、話の筋がよく分かる。

特に映画の最初の場面はここから始まる。子供の頃に描いた夢で恋に落ちた2人。約束した夢が成功するにもかかわらず、バーナムは、子供の頃にゴミのように扱われたこと、自分の考える芸術が評論家に批判されること、本物の芸術に触れてしまうことで名声と承認に惑わされ、本当の自分の夢を見失ってしまう。気づくのはいつだって失ってから・・・。

 

先に述べたように、バーナムにも良い面と悪い面が混在している。というより、人間すべて、世の中すべてが綺麗事ではまとめられない。すべてが清濁併せて進んでいる。

それでもバーナムがアメリカン・ドリームを実現できたのは、バーナムが本来持っていた「既存の発想やしがらみにとらわれない自由なアイデア力」「ありのままで生きることへの絶対的な肯定」「自分の人生を自分で選び取る意志の力」があったからこそ。

若い時に犯したいくつかのミスにフォーカスするのではなく、彼がなぜアメリカン・ドリームを体現することができたのか、その行動や情熱のエッセンスをきれいに描き出そうと注力した作品が、本作「グレイテスト・ショーマン」だったのだと思う。

 

何度この映画を観ても飽きない。いや何度も観たくなる。

チャレンジングに生きること、楽しく生きがいをもって生きること、仲間を思いやり愛すること、家族を思いやり愛すること・・・どれもよくあるメッセージだが、それを真正面から描いており、意外性とか裏技とか小技もない。こうしたストレートなメッセージや画面に横溢する正のエネルギーは、見ているだけで元気がもらえる。だから何度でも観たくなる。

これから先の人生、へこたれることもきっと沢山あるだろう。でもこの映画を支えにしたいと思う。

 

6.  This is Me  これが俺のストリップ人生だ!

 

バーナムが集めたフリークスたちは、バーナムに軽視されながらも、自分たちを世に出してくれたバーナムに感謝していたし、サーカスという居場所・活躍の場、ひいてはそれが家族となっていることに感謝していた。だから、最後にサーカス小屋が火事で全滅し失意に浸るバーナムを、みんなで助けてサーカス興行を再立ち上げする。

 

 私も今、同じような体験をしている。

 ストリップのために家族も仕事も捨てた自分は、恋焦がれた踊り子にも捨てられてストリップ廃人になりかけた。先にその踊り子から他の踊り子を全て切るように言われ、その意見に従った。そのため、肝心の踊り子に切られた瞬間、私には劇場に居場所を失ってしまった。途方に暮れていた私に救いの手を差し出してくれたのは以前から応援していた踊り子たちだった。その中には彼女の言葉に従って切った踊り子もいたのに、みんな以前と変わらずに仲良くしてくれた。

お陰で、以前のように楽しいストリップLIFEを満喫できることに加え、今では私の童話にマンガを描いてくれる踊り子もたくさん現れ、私の童話と踊り子の漫画のコラボという私のストリップ・マガジン構想は大きく前進した。何人もの踊り子たちが私の童話を愛してくれ、私のことを応援してくれている。夢が現実に近づこうとしている実感がある。

しかし、仮に童話シリーズ「うさぎとカメの森のストリップ劇場」等を世に発表したら、これまた徹底的に叩かれるだろう。発表するための障壁もいろいろ考えられる。

それらに負けずに立ち向かっていかなければならない。自信もないし、不安もあるが、前に進んで行かないと私には明日はない。今こそ、バーナムの知恵と勇気とバイタリティを見習いたい。

 

私は小児麻痺で足が不自由なために小さい頃からよくいじめられていた。それでも、ひねくれずに今までこれたのは、家族の愛情、実家が商売をやっていたのでお客さんが店の手伝いをしている私のことをかわいがってくれたこと。また少ないながらも親友がいたこと。こうした人たちに支えられた。

運動ができなかったので私は勉強に専念した。お陰で中学高校はずっと主席で通し、希望の大学にストレートで入学。勉強ができると人の目は変わる。田舎では10年に一度の秀才と称され、障害を乗り越えた美談にされた。お陰で田舎で見合い結婚もできた。

 ところが、こうしてストリップに嵌り、毎日のように劇場通いすると、足が悪いことで非常に目立ってしまった。ネットで太郎叩きが始まった。幼い頃のいじめと全く同じだ。とくに恋焦がれた踊り子に皆勤し出してからは、その踊り子の人気が高まるにつれ太郎叩きが一層激しくなる。最期は会社を辞めるように仕組まれたが、会社を辞めてからもストリップ廃人だのと依然として叩かれ続けている。誰かを虐めていないと気が済まない人間がいるようだ。この世からはいじめはなくならないね。

 私のスト友人の中には、こうした状況を踏まえ、私が執筆活動を成功させて、こうした輩を見返してやろうぜ!と応援してくれる者も多い。彼らの声が私を励ましてくれる。世の中には必ず見てくれる人はいる。

  良くも悪しくも、目の前の私がこのままの自分。‘This is Me’

 足が悪かろうが、ストリップに嵌り家庭と仕事を捨てた不良親父だろうが、ストリップ童話を書く私も、すべてそのままの自分である。‘This is Me’

 ストリップ童話がどう評価されようが、ストリップを愛し、それを形にしたくてストリップ童話を書き上げた。

我がストリップ人生。これが‘This is Me’なんだ。

 

7. 最後に

 

以上、ずいぶん長くなったが、私がとくに印象に残った三つのフレーズ「The Greatest Show」「A Million Dreams」「This Is Me」をキーワードにして話を展開してきた。

夢とはなにか、芸術とはなにか、個性とはなにか、いろんなことを強烈に伝えてくる映画。ストレートなメッセージもいいし、ミュージカル映画らしく音楽も最高、ほんと全部いい。

 

 ところが、歌の良さからミュージカル映画としては素晴らしいが、ストーリー的には内容の薄い映画だと酷評されているようだが(そのためアカデミー賞のノミネートにすら上がらない)、私にとっては自分の人生と重ねながら観ているので、何度も観る度に心に響いてきて泣けてくる。

 確かに、私も最初に観た一回目は、歌の素晴らしさだけが印象に残った。ジェットコースターのようにストーリーが流れてしまうからだ。ミュージカル映画としてのポイントはしっかり押さえたうえで、あえてストーリーは細切れに繋ぎ、104分という短い中に押し込めた。それが監督の狙いだった。ストーリーを重視するなら、もう少し長くして時間配分と編集の仕方を考えるやり方があったと思うが、あえて監督がそうしなかったに過ぎない。それによって内容が劣るわけでなく、むしろ観方の側の感性の問題だと思えてならない。

 しかし、二回三回と観直してみると、しっかりとしたストーリーがあり、たくさんのメッセージがストレートに刺さってくる。そしてミュージカル部分が素晴らしいため、何度も観たくなる。これが監督の狙いだったのではないか。私にはこの映画がアカデミー賞クラスの映画に思えてならない。

 

                                    おしまい