「熱海の捜査官」の最終回。

見事な話の「ほうり投げっぷり」にニンマリ。


視聴者にいろんな想像の余地を与えた点でミーは気に入ったざんスw


もし続編を作る場合は、「ツインピークス」以上の「ぶち壊しっぷり」に期待。


・・・ただ、「映画化決定!」ってクソな展開だけはイヤーンざんスねぇ。


次の捜査官は・・・・、「クウガ」の次だから「アギト」になるのか?



「G3」だけはカンベンなw

あくまでミーの「私見」なので。



気が向いたときではあるが、ここのアメブロにもブログを載せてるお寺に遊びに行ってるざんス。



ミーは「仏教徒」ではないけど、そこの和尚さんの考え方が「ミー好み」なので気に入ったんざんス。



そこのお寺は和尚さん以下お弟子さんも忙しいみたいで、お寺で行なう行事も数が少ない。



その話を模型仲間にしたら「えー、そのお寺っておかしいんじゃない? わしが知ってるお寺は毎月行事があるよ。そこのお寺は昔から続いてる由緒正しいところで・・・。」



あー、はいはい。 そうなの? よかったねぇ。




あたしゃ仏教の世界にゃ詳しくないが、毎月何かしらのことを行なえとお釈迦さんが言ったのかねぇ?


金儲けのために毎月やってんじゃねーの? ただその慣習が「昔からやってる」だけじゃねーの? それが「由緒正しい」って根拠なのか? バカとしか思えない。





檀家があっての「お寺」ってミーは思うのよ。



お寺の維持管理ってのが大変なんだろうけど、だからって法外な寄付を檀家に「当然のようにお願い」するのは間違ってるざんスよ。



檀家の悩みをお坊さんが聞いて何かしらのアドバイスをして、「お気持ちで」って「相談料」を出すのもゃ相談者の懐事情もあるんだから、坊さんが「金額指定」するのはイカンでっしゃろ!



相談したことで檀家の人が感謝して寄付するってんだったらわかるけど、最近のお寺の振る舞いは「金ありき」ってのが露骨すぎていただけない。



「金目当て」でやってるのが新興宗教と同じじゃねーかよ! と、ミーは憤りを感じてるざんス。



ミーが行くお寺の和尚さんやスタッフの方々は、「いつでもいらっしゃい!」って気持ちよく迎えてくれるので気に入ってるざんス。



それにひきかえ「わが寺は伝統が・・・」って形式にとらわれて、その形式を「勘違い」して横柄に振舞う坊さんを見て誰が敬うかってんだ、べらんめぇ!




お寺ってのは、いつでも気軽に行って自分を見つめなおしたり、(忙しいだろうけど)お坊さんに悩みを打ち明けて、生活の「ヒント」をもらって今後に行かせる「場所」でないとダメなのではないかなと。


お寺に限らず、教会とかもだけど 葬式とか法要だけの場所ではないんざんスよ。




宗教業界の人には、今一度考えてもらいたいものざんスねぇ。



先月、お寺に行った時は終始笑いが起きてたのが好印象だったざんス。 やっぱお寺は伝統とかじゃなく「和尚さんの人徳」と「悩んでる人を受け入れる体制」が整ってるからこそ、安心しておてらにいくことができるんじゃないかなと。


「伝統」だの「格式」だのをえらそうに人に話す奴に限って、「本質」をまるで理解してない気がするざんスよ。




出だしにも書いたけど、あくまでミーの「私見」なので。 読み手に押し付ける気はないし、「ミーの意見は正論ぜよ!」なんて言う気も無いざんス。



解釈は読み手のユーにお任せするざんスよ。

迷惑メールのタイトルを観ては失笑してるミー。



で、「出会い系サイト」から登録した覚えが無いのにメールが来るんざんスよ。


内容を見ると「5000円を入金すると4000万円はあなたのもの!!」なんて書いてるざんス。



ミーは「賢い人」じゃないけど、そんな錬金術を鵜呑みにするほど「政治屋」、いや「バカ」じゃないつもり。(悪意アリ)


ホントにそのメールで入金する「切羽詰った人」って多いのかな?



そんな金があれば、ミーは「素直」に「宝くじ」で勝負!



どーよ?

ちょいと押尾被告の気になる発言。


>「キリスト教なので、イエスさまとマリアさまに犯した過ちや今までやってきたバカなことのお許しを求めたり」


はて? キリスト教はイエスやマリアを「神」として定義してるの?

キリスト教って「ヤーヴェ」(でいいのかな? )って「唯一の神」との「契約」によって関係成立だったと思ってたんだけど。



だとしたら、イエスやマリアに許しを乞う事自体が「大間違い」なのでは?



それとも直接「神」に許しを乞うことが恐れ多いから、イエスやマリアに許しを乞うの? 実におかしく思うのよね。



キリスト教徒ではよくあることなの?



どーもひっかかる。



どーよ?

先ほど国営放送(自称:公共放送)のローカルニュースでのこと。


「折り紙」についての話の最後でのアナウンサーの言い方にチェック。


『・・・以上、情報などはインターネットなどで手に「はいる」ことが出来ます。』


手に「はいる」とな? 手に「いれる」の方がしっくりくるんだけど。


「手にはいる」と「手にいれる」じゃ意味合いが違うようにも感じるんざんスよね。


「手にはいる」だと、何もせずに自然に手元に来たような感じに思う。

「手にいれる」だと、自分が動くことで手元に来たように感じない?



ミーの解釈が間違ってるのかもしれない。今の文科省の「指導要領」だと「どちらを使ってもいい」ことになってるのかもしれない。


でも、違和感が・・・・。


果たして、国営放送のアナウンサーが読み間違えたのか?

ミーの解釈が「考えすぎ」なのか?


それとも文科省の指導がいい加減なのか?



う~ん、国語力の無いミーにはどーもわかんない。




どーよ?