本日は、
太平洋戦争(大東亜戦争)終結から、六十九年目の日です。
実家に帰省していたこともあり、
久しぶりに新聞に目を通してみました。
集団的自衛権の行使に関する議論が喧しい中、
「二度とあのような過ちは犯してはならない」
という意見の一方、
「これまで日本が平和でいられたのは、米国との緊密な同盟関係があったからであるが、
米国の力が落ち、中国等の近隣諸国の力が増している今、集団的自衛権により国防を固めることは不可欠である」
という意見もあり、
このことに関しては賛否両論ゆえ、
新聞というメディアにおいて、双方の意見が取り上げられている
ことに、
「やはりこうでなくては」
と、いささか安堵の気持ちを感ずると共に、
是非の判断は我々に委ねられている
ということの重みを感じた次第です。
一方で、
戦争の時代を生きた、体験された方々が、
残念ながら徐々に少なくなっていっていること、
いわば
「生の証言」を聴く機会が徐々に失われつつあることも、
見逃してはならない、目を逸らせてはならない事実であります。
思想や表現の自由は、
憲法にて保障されていることではありますが、
それにしても、最近、随分と威勢の良い発言を目にすることが少なからずあります。
そういった発言を観ていると、
「いざこの方が、その立場に立った(当事者となった)時、本当に発言の通りにするのだろうか」
と訝しがりたくなるものが少なからずあります。
勿論、
綺麗事だけでは済まないであろうことは、
近隣諸国の言動をちょっと観察しただけでも、いやというほど思い知らされることではあるのですが、
それにしても、考えが極端すぎるような御発言がちらほら・・・
正直言って、
不安ばかりが募ります。
最後になりますが、
この戦争で亡くなられた方々に対し、
心より哀悼の意を表します。
昨日八月九日は、
長崎に原子爆弾が投下されて、六十九年目に当たりました。
今度は、台風が接近ということで、こちらの扱いが大きくなってきているのは、
台風によりもたらされる被害を想像すれば、致し方のない一面もありましょう。
しかし、ここ数年のこういった日に対する、マスメディアの扱いを見ていると、
頭の中に嫌でも
「風化」
の二文字がよぎってきます。
こんなことでは、
「過ちを繰り返さない」
という言葉が反故にされはしまいか、不安になっております。
何年か前に聞いた話ですが、
「広島にある原爆資料館の展示内容が、
あまりにも刺激が強く、展示内容を変更した」
とのこと。
なんでも、
「修学旅行で訪れた女子高生(中学生?)が、展示を見て気分が悪くなった」
「あまりの刺激の強さに、失神する人が出た」
といったことであったと記憶しております。
おそらくは、
刺激の強い展示の一部を撤去したものと想像致しております。
しかし、あそこに展示してある内容は、
ホラーでもなんでもなく、
厳然たる事実である
という観点に立ちます時、
昭和二十年の八月の日本国内に、人類の過ちによって、あのような凄惨極まりない光景が実際に二か所現れた
のであり、
その凄まじさたるや、
現代人が「吐き気を催す」「失神する」ほどのもの
であったことに思いをいたさぬわけにはまいりません。
昨今、巷では「集団的自衛権」についての議論(?)が喧しいですが、
近隣諸国の情勢をも考えますと、
「全面非武装」
は論外と致しまして、
「どこで線を引くか」
をよくよく考えなくてはならない
と感じております。
いつもながら末筆になりますが、
この原爆により命を奪われた方々とご遺族の皆様、
また、今もなお苦しみに堪えておられる方々に、
心よりお見舞い申し上げます。
長崎に原子爆弾が投下されて、六十九年目に当たりました。
今度は、台風が接近ということで、こちらの扱いが大きくなってきているのは、
台風によりもたらされる被害を想像すれば、致し方のない一面もありましょう。
しかし、ここ数年のこういった日に対する、マスメディアの扱いを見ていると、
頭の中に嫌でも
「風化」
の二文字がよぎってきます。
こんなことでは、
「過ちを繰り返さない」
という言葉が反故にされはしまいか、不安になっております。
何年か前に聞いた話ですが、
「広島にある原爆資料館の展示内容が、
あまりにも刺激が強く、展示内容を変更した」
とのこと。
なんでも、
「修学旅行で訪れた女子高生(中学生?)が、展示を見て気分が悪くなった」
「あまりの刺激の強さに、失神する人が出た」
といったことであったと記憶しております。
おそらくは、
刺激の強い展示の一部を撤去したものと想像致しております。
しかし、あそこに展示してある内容は、
ホラーでもなんでもなく、
厳然たる事実である
という観点に立ちます時、
昭和二十年の八月の日本国内に、人類の過ちによって、あのような凄惨極まりない光景が実際に二か所現れた
のであり、
その凄まじさたるや、
現代人が「吐き気を催す」「失神する」ほどのもの
であったことに思いをいたさぬわけにはまいりません。
昨今、巷では「集団的自衛権」についての議論(?)が喧しいですが、
近隣諸国の情勢をも考えますと、
「全面非武装」
は論外と致しまして、
「どこで線を引くか」
をよくよく考えなくてはならない
と感じております。
いつもながら末筆になりますが、
この原爆により命を奪われた方々とご遺族の皆様、
また、今もなお苦しみに堪えておられる方々に、
心よりお見舞い申し上げます。
本日は、広島に原子爆弾が投下された日から六十九年目に当たります。
惨状につきましては、以前少し書きましたので、何度も書くことをいたしません。
昨年は
「憲法改正」「ナショナリズム」「TPP」といった中に、
なにやらキナ臭い動きを感じる
と書きました。
今年は、某科学者の自殺のニュースが殊更騒ぎ立てられた8月6日でした。
人が自らの手で命を絶ったということは、小さいことでは決してありません。
しかし、
本日のマスメディアの報道姿勢に違和感を禁じ得ないのは、私だけなのでしょうか?
そもそも気になっているのですが、
事実の把握がきちんとできていないうちから、
あたかも当事者を「嘘つき」「犯罪者」の如く扱ったり、
「全文」をろくに報じないままに言葉端を捉え、ご丁寧にも解説付きで拡大解釈したり、
ニュースというよりも、ほとんど「井戸端の話題」でしかないのでは?
これが日本の「社会の木鐸」とやらの実態かと思うと、情けなくなってきます。
その陰で、
重要な法案がこっそりと通過したりしていることもあり、
いきなり
「明日から~法施行」
などというニュースと、
「え~そんなの知らなかった~」
などとのたまう「街中の声」らしきものを報じて、
知らない我々も凡そよろしくないのですが、
「~法審議中」みたいなことをまったくと言ってもいいほど報じないのも如何なものか。
こんなことばかりでは、
「大本営発表」
への布石かと、訝ってしまうのは、私の考え過ぎでしょうか。
「過ちは繰り返しません」
広島に刻まれたこの約束が反故にされはしないか?
戦争を未体験であるからこそ、いつも不安なのですが、
果たしてどうなのでしょう。
最後に、
自分独りでは、なにかと力不足なものも感じますが、
犠牲となった方々に、どうか安らかにお眠り頂けますよう、
お祈り申し上げます。
惨状につきましては、以前少し書きましたので、何度も書くことをいたしません。
昨年は
「憲法改正」「ナショナリズム」「TPP」といった中に、
なにやらキナ臭い動きを感じる
と書きました。
今年は、某科学者の自殺のニュースが殊更騒ぎ立てられた8月6日でした。
人が自らの手で命を絶ったということは、小さいことでは決してありません。
しかし、
本日のマスメディアの報道姿勢に違和感を禁じ得ないのは、私だけなのでしょうか?
そもそも気になっているのですが、
事実の把握がきちんとできていないうちから、
あたかも当事者を「嘘つき」「犯罪者」の如く扱ったり、
「全文」をろくに報じないままに言葉端を捉え、ご丁寧にも解説付きで拡大解釈したり、
ニュースというよりも、ほとんど「井戸端の話題」でしかないのでは?
これが日本の「社会の木鐸」とやらの実態かと思うと、情けなくなってきます。
その陰で、
重要な法案がこっそりと通過したりしていることもあり、
いきなり
「明日から~法施行」
などというニュースと、
「え~そんなの知らなかった~」
などとのたまう「街中の声」らしきものを報じて、
知らない我々も凡そよろしくないのですが、
「~法審議中」みたいなことをまったくと言ってもいいほど報じないのも如何なものか。
こんなことばかりでは、
「大本営発表」
への布石かと、訝ってしまうのは、私の考え過ぎでしょうか。
「過ちは繰り返しません」
広島に刻まれたこの約束が反故にされはしないか?
戦争を未体験であるからこそ、いつも不安なのですが、
果たしてどうなのでしょう。
最後に、
自分独りでは、なにかと力不足なものも感じますが、
犠牲となった方々に、どうか安らかにお眠り頂けますよう、
お祈り申し上げます。