[モグラ対応の活動記録]

1.居留地出口の障害物の再工事(3月27日)

 居留地の出口と思われるC地点には太い角材などを埋め込みましたが、右側の石段との間の竜のひげのあたりに出て来そうな土盛りができたので、竜のひげを取り去り40cmほど掘り下げてみました。

 大谷石の石段に沿って2年ほど前に入れたプラダンの防護版が出て来ましたがプラダンのさらに下にもぐって出てくるようなので、プラダンの下の土に砕石を入れ、突き固めました。

 

出口障害物の強化

 

2.出口障害物を迂回し広範囲を荒らす(3月28日)

 上記の出口障害物は簡単に迂回されてしまいました。

28日の早朝2時に迂回の形跡を発見したのですが、深夜なので作業できず、早朝5時から復旧に取り掛かりました。最遠の駐車場横の路地(K地点)から順次復旧したのですが、その間に下のルート図の青色経路が新たに掘られてしまいました。

 

           28日モグラルート図

 上の短い水色経路は、出口障害の迂回路で途中旧経路(赤い経路)に接続し駐車場まで続きます。下の水色経路は新たに掘られたルート(コンクリートの下になる部分は推定経路)です。

 

復旧した駐車場横の路地、エビネと竜のひげはすべて植え直しになりました

 

 埋め戻し作業が終わった後、出口障害物を再強化しました。長さを延長しましたが、迂回路らしきところまでは延長できませんでした。


出口障害物の再強化

 

 出口障害物は一応強化しましたがあまり効果は期待できないと思われます。

2年前の対応で、居留地から庭に出られそうなぐるりのすべてに深さ50cmまでプラダンを埋め込んでありますがその下に潜って出てきていますので。

 

 やはり早期発見、迅速対処しか打つ手はないような気がします。

 

プラダン配置図

 一番行ってほしくない方向には、二重にプラダンを入れてるんですが、今回は簡単に突破されました。敷石を取り除き両側を60cm近く掘るという大変な作業でしたので、もう二度とやる元気がありません。                    

 3月14日から3日おいて17日から23日までの一週間、モグラの縦横無尽の活躍に悩まされました。トンネルをしっかり埋め戻してもすぐ迂回路を掘るので、毎日3回くらい作業していました。

 モグラの掘るスピードはとても速く、埋め戻すそばから10分に3,4mは進んでしまいます。そこでそのスピードを落とすために要所にブロックやレンガを埋め込んだりしたのでさらに作業時間がかかったりしてしまいます。

 最後(3月23日)には、侵入口を塞ぐために作ったセメント防壁を壊し、掘り上げて砕石を入れ固くした侵入口に通ずる通路をもとに戻して逃げ道を作りました。その後何度か見に行ったのですが、侵入口から出て行った痕跡があるのでやれやれといったところです。2,3日様子を見ないと心配ですが一区切りついたのかなと思っています。

 

                                  モグラルートその1

 

 

              モグラルートその2

 モグラの掘ったルートは上図のとおりですが、南側境界線沿いに10間にのぼります。途中で関所を入れたので、二日目以降は、8間、6間とトンネル長さは次第に減りましたが。南北方向は一本を一回掘られただけですので埋め戻しは簡単でした。

 

1.トンネル東端にあたる駐車場横の路地(K地点付近)

 チャボヒバが持ち上げられ、土が流れ出していました。上の写真は復旧後の様子

 

2.南境界沿いのトンネル

 トンネルの西端(D地点)、トンネル出口にブロック、レンガなどを埋め込みましたが迂回して出てきています。繰り返し埋めていたら経路変更してここからは出なくなりました。

 

境界に入れたレンガは持ち上げられていたので復旧

経路上の狭い部分にレンガを入れてトンネル堀りを遅らせ

早期発見を目論見ました

 

3.海棠の根元付近(H地点)のアップダウン

 この水鉢の所から深くもぐります

 海棠の根元に排水用に埋め込んである鉢の横を掘って左上の台に登ります

 (写真は鉢の上に置いてあるレンガをはずして被害を確認しているところ)

 

 台の上と排水鉢付近を復旧しました


 

4.台上の大谷石に沿ったトンネル

 

 この I地点から荒らす範囲が広がるので関所を作ることにしました

 エビネを抜いてブロックとレンガを入れました

 

4.花壇横の土止め付近(F地点)

 動かされた土止めレンガを仮に戻してみましたが、トンネルを埋め戻しただけでは地盤が緩くて不安定です

 

 土止めのレンガ土台から本格的に固め直すことにしました

 簡単に壊されないようモルタルで相互に接続しました

 

6.枝垂れヒバ付近のアップダウン

 E地点のヒバの根元から深く潜り、レンガ敷通路の下を通って反対側に出るのですが、その時この石の間から大量の土を排出します

 何度か埋め戻したのですが、繰り返し掘られるので最後には諦めて排出された土は戻さずに別の場所に動かしました

 

7.逃げ道の作成

 侵入孔をふさいだモルタルを割り取り除きました、また、内側の通路に入れてあった障害物(下の写真)も取り除きました(A地点)

 居留地から庭への出口になっている右端の段丘を取り除き角材2本を埋め込んで出口を塞ぎました(B地点)

 1日は持ったのですが、角材障害は迂回されて、石組みの反対側から出て来て、伽羅の根元から台上に登るようになりました

 石組みの反対側にも長さ60cmくらいの木材を埋め込みました。(C地点)

 

(3月25日追記)

 いろいろ手を尽くしましたが、3月25日朝には以前の経路とほぼ似た感じで掘り進められ駐車場の横(K地点)まで来ていました。

 仕方ないので経路遮断は諦め、見回りを頻繁にして早期発見と損害局限に努めることにしました。

 

 

 3月4日に侵入孔と思われる穴をセメントで塞ぎ、これでもう入れないだろうと思っていたら、3月10日に再び侵入したようでA地点に土盛りができていました。

 また、今まで掘られてなかったE地点にも土盛りを発見。

 

 

 A地点にできた土盛り

 

 遠い方から埋める原則に従いE地点を埋め戻し、A地点を復旧しようと戻ってみたらいつの間にか B、Cと掘り進められていました。Eから戻ったのはいいんですが、侵入孔へは戻らず、以前のトンネルを使ってB、Cに進んだようです。

 

 B地点の土盛り

 

 C地点、土盛り2か所復旧後

 

 どうもA地点が分岐点のようなので、侵入孔からの通路と思われる大谷石沿いを深く掘り下げることにしました。

 翌11日に、大谷石沿いを掘り下げ、地盤を固めるため庭園用の砕石を購入して溝の底を突き固めました。時間がかかったので、予定の半分だけで終わってしまいましたが。

 

 掘り下げて砕石を入れ突き固めたところ

 

 侵入孔に近いところの作業は時間切れでできなかった

 

 上記11日の作業時にはモグラは庭外に戻ったと思っていましたが、A地点~E地点の間のトンネルに退避してようです。

 12日早朝に侵入孔に近い残った部分の溝堀りを終え、午前の卓球を終わって午後に砕石を敷こうと行ってみたら、E地点に土盛りができ、A地点の溝の中腹と底の土が崩されていました。

 

 作った溝の右端が掘り返されている

 

 溝の中腹に穴があけられ土が崩れ落ちている

 

 仕方ないので13日午前中に再度溝を掘りなおしましたが、崩された溝の壁がこれ以上崩れないようブルーシートで壁も蔽いました。午後の卓球を終わり夕方戻った時点では異状ありませんでした。

 

 ブルーシートで壁を保護して掘りなおしました

 

 侵入孔を塞いだセメント壁は健在なので、この壁よりさらに下に穴を掘ったものと思われます。

 

 溝は掘ったのですが、大谷石の下辺にある一連の欠け部分は塞いでないので、14日午前中に木の板とセメントで塞ぎました。

 欠け部分を塞いだ木は、土中になると2年ほどで腐ってしまうので、今回は溝のまま1年以上放置しようと思っています。

 

 最後にA~Bの間に作られた土盛りを復旧して終わりにしました。14日午後現在では問題ありません。

 

 乙女椿の花もだいぶ開いてきて

 陽射しがいいので、遊びに来る猫も日向ぼっこです、まぶしかったのか眼を細めているので写真では目が無いみたいにみえます。

 私の音楽ソースは、レコード、CD、iPOD(MP3)ですが、いくつかのアンプで複数の音楽ソースを聞くために、ロータリースイッチでソース(入力)を切り換えています。

 レコードは専用アンプで聞くので切換えはしてませんが。

 

 

 

 このスイッチボックスを勝手に入力セレクタと呼んでいますが、けっこう誤操作してしまい慌てることがあります。

 

 今まで使っていた、操作ラベルは下の配線図のようなもので、スイッチボックス裏面の端子配置とスイッチノブ番号の対応を記しています。

これでは、スイッチボックス正面から操作する時の体感、直観と合わないので操作ミスを誘発していました。

 

 

 操作パネルの拡大表示

 

 今回マルチアンプの構成を変更したので、この機会に操作ラベルもより直観的なものに更新しました。

 今まで誤操作しては「どっか壊れたのでは?」と慌てていましたが、このようなことは今後減ると思います。

 ホームメードのものが多いと誤操作が原因でも器材の故障を疑ってしまいます。

自作品の耐久性に自信を持ってないのがバレバレですね。

 

 夢といっても将来実現したい夢ではなく、ほんとに睡眠中に見た夢の中で忘れられないものを記録します。目覚めてからもしっかり覚えているので、どうしてこんな夢をみたのか、何か意味があるのかつい考えてしまいます。それも含めての記録です。

 

1.小型ヨットでサンゴ礁の浅瀬をかろうじて通り抜けた夢

 小型ヨットに数人が乗り込み、自分が艇長で舵を握ってました。陸岸近くにきれいなサンゴ礁の連なりが見えたので近くに寄ってみることにしました。ところが近寄りすぎてサンゴ礁の列の間の浅い谷のようなところに入り込んでしまい、時々船のキールを海底にこすったりします。船首に見張りを出して通路を報告させながら操船するのですが、どんどん浅くなってしまいもうだめかと思った時、ヨットを傾ければ喫水が浅くなると思いつきました。幸い適度の風が吹いていて少しヒールしていたので、皆で風下舷に移動、全員半身を艇外に乗り出し喫水を浅くしてなんとか乗り切りました。

 ・若い頃ヨットに乗っていて結構怖い思いをしたのでこの夢を見たのでは

  ないでしょうか

 ・覚めてから考えてみた夢の意味

  「美しいものに近寄りすぎるな、遠くから見ているほうがよい」

  「仲のよい仲間で力を合わせれば危機でもなんとか切り抜けられる」

 

 

2.荒れ模様の海で大波を乗り越えながらなぜか沖合に進んだ夢

 台風の海を泳いでいると高さ10m以上もある大波の列が沖合からこちらに向かってきます。波の列に直角に泳いで、波の中腹では体を波の中に沈めて潜り、波頭近く

で頭を出して息をつぎながら手足を動かして泳ぐ、ということを繰り返して気持ちよく泳ぎ切りました。

 ・若い頃海で遊んでいて怖い思いをしたから見た夢かもしれないです

 ・覚めてから考えてみた夢の意味

  「危難にあっても慌てずに経験に基いて行動すれば対応できるはず」

  「危険には正対することで、楽しみながら切り抜けられる、逃げはだめ」

 

 

3.満州で不遇に終わった新開発の補給車両(チハ車)の夢

  満州のチチハル駐屯の旧日本軍で新開発された補給車両チハ車1両が、初陣後

 まもなくソ連の戦車に追いかけられて、活躍する場を得られないまま撃破されて

 しまった夢です。

  夢の中では、チハ車が主人公となった童話を見ているような形で現れ、チハ車の

 開発の詳細は主人公の回想として吹き出しの中で語られていました。

  チハ車は、戦場に近い場所にいた開発部隊が、現地の戦術的要求にあわせて

 開発、現地にある故障した車両、土木機械の部品を再利用し試作した補給車両

 です。吹き出しの中にあった開発経緯などを整理すると次のようになります。

 

(1)開発の背景:

 ・現地の戦車部隊は補給の不備から保有戦力の1/2程度しか発揮できていない

 ・補給品(燃料、弾薬など)の現地事前集積が必要だが、この補給ポイントは戦況

  に応じて場所が変わる

 ・本土の開発部隊は、この種の補給車両開発要求を理解できず、また予算もない

 

(2)チハ車の特徴

  要約すれば大型、大容量のリフトの付いた低床の装輪トラックです。移動倉庫と

 しての利用を主目的として開発されたものです。

 

 ・荷台全面を蔽う広さと大きな耐荷重を持つ箱型リフトを持っている、昇降高さが

  5m程度。また長期間積載のまま駐輪していられるよう固定補助脚を有する。

 

 ・泥濘地通過に適した多輪の装輪車

 

 ・ディーゼルエンジンを走行とリフト、固定脚 駆動に利用、ただし走行は低速

 

  利用イメージは「動く補給ポイント」で、補給品積載のまま補給ポイントに駐輪

  し、このトラックから別の通常の補給トラックに転載する。状況によってはリフ

  トを活用して固定倉庫または野外集積場に補給品を卸下する。

 

(3)夢の内容

  試作車1両は満州の戦車部隊に配属されて、補給ポイントに移動。戦況が動いてい

 なかったので、補給ポイントにある倉庫と野外集積所に積載品を卸下します。

  ソ満国境からソ連軍侵入との報が入って後方へ移動することにしたが、本来の

 開発主目的である移動倉庫としての利用ではなかったので、降ろしてしまった補給

 品を再度積むことになりました。この積載作業に手間取り、主人公(チハ車)が

 移動できるようになった時にはソ連戦車部隊が数キロの近くまで迫っていました。

  必死で逃げるのですが、戦車より遅い低速しか出ないのと、補給路の状態が良く

 なかったことで追いつかれしまい、戦車砲弾を受けて主人公が悲しんでいるところ

 で夢が終わりました。

 

(4)覚めてから考えてみた夢の意味

 ・「適材適所」は指揮官の責任、適時の状況判断(状況予測)がないと、折角の

  リソースも努力も無駄となる悲しい結果で終わる。

 ・現場で観察、現場で判断、できなければ現場の当事者に状況を聞くまたは現場の

  意見を聞く。その意見を信ずるためには平素からの信頼関係が大切。

 


 

4.発想の神様は、開け離した部屋にある懸案事項(書きかけの論文とか仕掛中の製

 造物など)のそばに寄ってくるという夢

 

  私の夢の中では、ある数学者未満が長年解けなかった数学的問題に関して夢の中

 で啓示を受け問題の定式化(数学的表現で表すこと)の一例を考え付きます。

  この人は学位を持ってなかったのですが、この一例を書いた論文を「数学好き好

 き素人集団」のサイトに投稿します。

  単にこの問題の数学的表現を論文にしただけですが同好の数学者未満の人たちの

 間で話題になり、皆でこの問題を考えることになりました。結果として定式化の内

 容に改良が加えられ、ひいては問題解決にまで至ることにできました。

  最終的な結論は執筆者多数の正規学術論文としてまとめられて発表されました

 が、その内容が評価されて著名な数学論文賞に選ばれたという感じです。

  夢の最後の方で、関係者みんなが集まって喜び合うのですがその中でのことで

 す。奥さんが「よくこんなことを考え付くものね」と褒めたらその主人公が、

 「ドアを開けた部屋に書きかけの論文置いておいたら、神様が来て、こういうふう

 には考えられないの?と教えてくれた」と答えます。それが印象的な夢でした。

 

・私もできれば数学者になりたいと思っていたからこの夢を見たのかもしれません。

 でも単に数式の美しさが好きなだけで、それを考え付くような才能もなさそうだっ

 たし努力もしませんでした。当時は高校の数学の先生のうちによく遊びに行って

 ましたが、「数学はロシア」とのことで、もっぱら共産主義の宣伝をされてしまい

 ました。ショボーン

 

・覚めてから考えてみた夢の意味

  専門外の人の発想でも素晴らしい内容である可能性があります。権威を振りかざ

 して、発想の内容を精査もせず、表現、記述方法の難のみをあげつらって没にする

 のは、日本国にとっての損失になる。

  もっとフランクにまた作成者の書きたかった内容を洞察する論文評価者がいると

 いいのでは?と思います。

 

 

 

 最後に睡眠中の夢ではないのですが、子供の頃は布団に入って眼をつぶると、色彩豊富な渦巻き模様の点描のようなもの流れているのを見ることができました。きれいだなと思って見ているといつしか眠っていましたが。

 また、昼間でも眼をぎゅっと閉じると同じようなものを見ることができました。

 

 成長途上で、視神経とか脳の視覚認知領域が未発達だったからかもしれませんが

見えていた頃が懐かしい。あの頃に戻りたい。

 

もっと細かい点がゆっくり渦状に流れていました