昨日の記事「持論を持つという、自分が興味ない行為に対して考えたこと」で持論について書いたのだけれど、それがきっかけで色々なコメントやメッセージをもらいましたし、自分でも色々考えました。
たとえばこんなコメントが。
野村さんのメッセージがニュートラルだと感じていた理由が分かった。癖がなくてよいのだけれど、もっと持論的な意見が聞きたいとも思っていた。
聞いてみないとわからないもので、そんなことを思っている人がいたなんてw
昨日の記事のとおり、その重要性に気付いたのでこれからはもっと出していこうと思います^^
再現性のないものになんか興味ない、というのも野村さんの世界観の一部のように思います。原理原則や法則性のあることが好きという点では僕も同じです。
たしかに「再現性のないものに興味がない」というのも野村の一部ですよね。そしてそれを面白いと思ってくれる人も出てくるし、なんだそれと思う人も出てくることでしょう。
あとFacebookでのコメントが悪ふざけていて笑いました。
興味ないと思いますが、万が一悪ふざけ好きだったらみてみてくださいw
どう持論を語ると効果的なのか?
それで次に考えたのが「うざい持論と、世界観をつくるのに寄与する持論は何が違うのだろう」ということ。
これはまだ検証前ですが、3つのポイントは確実に見られてるなと。
- 変わっていること(=当たり前じゃないこと)
- 一瞬「えっ?!」と思っても、詳しく聞くとなにかしらの納得性があること
- 語っている本人が信じていること(口先三寸ではないこと)