”海外暮らし”をキーワードに
このブログ上にみんながそれぞれの物語を綴っていく参加型コミュニティです。
海外生活を体験してみようオンライン座談会、不定期で開催中
マレーシア在住のMikaです
日本人の夫とマレーシア生まれの息子2人娘1人の5人家族で
11、8、0歳の3人子育てに奮闘中です。
(↑名前をクリックいただければプロフィールに飛びます)
私が海外で14年間、やり甲斐のある職として専業主婦を続けてきた理由(わけ)①
私が海外で14年間、やり甲斐のある職として専業主婦を続けてきた理由(わけ)② 2004年当時の私
私が海外で14年間、やり甲斐のある職として専業主婦を続けてきた理由(わけ)③ 耐えらない〜〜!
私が海外で14年間、やり甲斐のある職として専業主婦を続けてきた理由(わけ)④ 〜ローカル通勤電車
番外編
私が海外で14年間、やり甲斐のある職として専業主婦を続けてきた理由(わけ)⑤ 30歳からの英語!
本日は、またシリーズに戻り、続きを綴って行きます。
こんにちは、Mikaです。
前回の英語学校からの続きを
「日本人の知り合いを作らない」
という夫からのマレーシア生活においての数少ないけどムチャ振りな命題、素直な新妻は甲斐甲斐しく守って生活しておりました。
英語の学校にも楽しく通っていました。
ただ、、、、
友達もたくさんできたけれど、
ソコソコの英語能力の私は、ソコソコの内容の話しかできない!
もともとおしゃべり好きなので毎日うずうずうずうず、、、、
これは、英語の能力を上げるしかないのだな、と、
今まで機会はあったかもしれないのに勉強してきてないから自業自得なんだわ、
と自己反省したり、
結婚したと思ってきたけど、プチ留学な気分まで味わえるなんて、ありがたいわーなんて思っていました。
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ところがある日、出張が多かったり帰宅が遅くてなかなかゆっくり話す機会のなかった夫に、
「最近どう?」
と聞かれた瞬間、、、
大号泣
あれれれれ、自分でもなんで泣くのかわかんない!
でも、口から出た言葉は、
「誰かと日本語で話したいぃぃぃ!
思いっきりお喋りがしたいー!」
でした
「泣いてスッキリしたらまた頑張りたまえ」
と励まして?もらい一旦はすっきり。
そして数日後、
レベルチェックで一緒だった日本人を見かけました、
彼女は私よりいくつも上のレベルのクラスにいて数人でわいわい英語で会話をしながら盛り上がっている!
更には別の日本人もその中にいる!
、、、、なんて楽しそうなんだ!!!
私は帰ってから、すぐに夫に
「日本人に話しかけます!」
と宣言し、翌日彼女達を探し、ついにマレーシアにきて以来数ヶ月振りに夫以外の日本人の知り合いを作ることができました!!
その日のうちに飲みに行き、たっぷりお喋りを楽しんで、
はーーーーー、すっきり。
彼女達は海外経験が豊富で、英語以外の言語も操り、私から見たら、
余裕でキラキラ海外暮らしをしている素敵な女性達、必死な私を受け入れてくれて、
その日から私の生活は彼女達を通して飛躍的に世界が広がり、充実したものになりました。
日本語を話さない人がいる時は私たちも英語で会話をしましたし、
(といっても私は学ぶ一方😅)
日本語でのお喋りを思いっきり楽しむ時間もありました。
とってもそのバランスが心地良かったです。
そういう安心感も手伝って、自分もいろいろなバックグラウンドの友人を招いてホームパーティーをしたり、ゴルフなどスポーツを一緒に楽しんだりできるようになっていきました。
(当時住んでいた場所 propertyguru.com.myよりお写真を拝借しました。)
その友人達とは家族が増えた今でも家族ぐるみでお付き合いがあり、マレーシア生活を語る上ではなくてはならない存在です。
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海外暮らしで、
海外留学で、
日本人の友達を作ると、そこから出られなくて大変だよ
とか、
英語を一言も話さなくても生活できちゃうよ
なんて言います
確かにそういう一面もあるかもしれません
でもその時の私は、
海外経験豊富な彼女達に出会うことで、知ることができたこと、経験できたことが山のようにありました。
英語の取得が目的であれば、そこは当然ストイックにいかなければなりませんが
駐在帯同でやって来て、ごきげんな妻でもいたいし、マレーシアで子育てもしようと考えていた私には、十分すぎる環境でした。
伝えたいことが伝えられる、同じ文化を持っている人たちと話すことで前に進められることも多かったです。
日本語を話すことを断ち切ることでしか得られないこともありますが、
どんな経験ができたか、も当時の私にとっては大きな意味をもたらしたように思います。
その友人達との出会いには今でも心から感謝しています。
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その後私は男児2人を連れてアメリカ、そしてまた再びマレーシアへと移動し、その度に子供達の学校選びをして来ました。
どの際にもこの時の経験と価値観が根底にありながら、学校選びをして来た気がします。
我が家は両親が日本人の駐在家庭であること、
家では日本語で会話し、思考は日本語でしていること、
滞在期間 が長そうであること、
その土地の特徴、
などなど、、、
その話はまた書いて行きたいと思います。
お読みいただきありがとうございました