A Cheap Log. -9ページ目

A Cheap Log.

Kei

春の嵐の後、花冷えが続き今日も日差しはあるものの風は冷たく強かった。

大した事はしていない割に時間の経つのが早く気が付けば夕方のこの数日。

出張の準備も遅々と進まず。翌々週はGW前で混み出す。来週後半でセッティングしないと間に合わない。少々焦って来た。

日曜はカミさんのチャリンコの修理とカミさんの母を住ませてるもう一戸の家の片付けの後、夕方ミナミに飲みに出た。

ボチボチ暖かくなってきてミナミまでチャリで行こうとしたが、思いの外寒く電車で日本橋に向かった。近鉄線は久方ぶりだった。

「どこ行こかぁ?」と裏筋に入りブラついたが結局空いてるもつ鍋屋に行った。

去年の夏「お前ちょっと出て来いや」と呼び出され飲んだが久々に完全に砕けた。
色々あり沈んでた時期で気を遣って誘ってくれたが却って迷惑掛けてしまった。

禁煙も無事成功し最近は酒がやたら美味い。お陰でなかなか痩せない。

今日は底ナシに飲み続けた。鍋つつきビールにマッコリのボトル、次の店で焼酎ボトル次々に空け「水みたいに飲むやん」といつもの女の子に云われた。
ピッチ早く銀座でも新地でも顔色変えず延々と飲み続ける事が昔は常だった。
今日は早めに撤収し帰りに天一のラーメン食し帰宅後カミさんに「アンタめっちゃ臭い、向こう行ってぇ」と逃げられた。

翌朝「俺どないして帰ったんやろ」と暫し思い出せなかった。昔は吐こうが路で寝ようが記憶が飛ぶ事は皆無だった。
昨晩はチャンと帰った筈がどうやって帰ったか瞬時に思い出せずアルツが進行してきたのか不安になった。



昼を過ぎ漸く意識もハッキリして来て昨晩録画したカタールの決勝レースを見た。

概ね予想通りの展開だった。今シーズンを象徴する様な初戦だった。


仕事でサーキットに行ってた頃、ホンダはオンもオフも破竹の勢いだった。

その頃ヤマハワークスは風前の灯だった。チームウェアもロゴが剥げボロボロのモノを着用していた。

レース界では強いチームは資金が潤沢にある。マシンからレーサー、チームスタッフまで全ての面で完璧に統一される。弱くなる程それが崩れる。そういう世界だ。

カミさん連れ鈴鹿に行った最後のレースでホンダは通算500勝達成、そこには無敵のロッシがいた。

かなりの歳月が流れホンダは常勝でなくなった。ドゥーハンとマクグラスの2大王者の強烈な時代を知る者には寂しい限りだが致し方ない。

初戦のバレンティーノの走りは正に「水を得た魚」だった。久々に「らしい」走りだった。


ドカのマシンがどれ程クズだったか今回のレースで本当によく分かった。同時にストーナーが如何に凄かったのかも改めて分かった。早すぎる引退は今も本当に惜しまれる。

そして今回、次世代のチャンピオンが遂に頭角を現した。

マルケスは必ずロッシの後を継ぐ王者になる。凄い「小僧」が久々に出て来た。
早ければ来シーズンにはホンダの救世主になっているだろう。

今シーズンはかなり面白い一年になりそうだ。もてぎのレースには何としても行きたくなった。

バレンティーノの真の完全復活。長かったが世界中のバーレファンがこの日を待ち望んだ。おめでとう、そして頑張って欲しい。



好天で始まった卯月も「春に三日の晴れ無し」の言葉通り今週末は台風さながらの悪天候で大阪も終日の雨、家でのんびり過ごした。

MotoGPもいよいよ開幕、現在CSでプラクティスが中継されている。

中東カタールで深夜の予選は最初の頃は物凄く違和感があったが流石に馴れて来た。

カネのある所にレースは流れて行く。日本からレースが遠のいたのも理に適った必然。

今季はヤマハが面白い。チーム復帰のロッシに昨年王者のロレンソ、サテライトも軽クラッチ郎…かつての「アプリリアイヤー」の様な展開を期待してしまう。

久々のバレンティーノの活躍に期待したい。



http://www.motogp.com/ja/news/MotoGP

13年ぶりに今年は新年度が月曜日始まりとなった。

平成になり既に四半世紀が経過した。昭和から平成への狭間に学生だった若い頃が遠い昔の筈だが昨日の事の様に感じる。

先週末は家内を連れ最初に仕事していたアパレルメーカーの社販に久々に顔を出した。

6月と11月が恒例だったが最近は増えてきた。百貨店から文句云われる事も少なくなったのだろう。社内セールといっても予算はデカく決して馬鹿に出来る数字じゃない。

家内は結局何も買わず僕は黒のシャツ1枚買う事にして1階の支払場に並ぶとレディスの部長になった同期が案内係をしていた。
「エライさんがこんな所で何しとんねん」
「久しぶりや、実はなぁ東京に転勤なってんわ・・・」
支払のレジには在職時に総務で一番のベッピンだった方がいらした。既に50代半ばなのに未だに綺麗で可愛らしい。喫茶店に連れてって貰った事もあった。

総務のお姉さん方には結構可愛がられた。イベントのチケット貰ったり飲みに行ったり支店勤務だった僕は百貨店部隊の連中から結構羨ましがられていた。



年度初めの月曜日は朝から天候も良く暖かで久々にキタまでチャリで出掛けた。
すっかり春景色で桜も例年にない早咲きで満開だった。

用事が済み帰り路に初めて泉布観を訪れた。数年ぶりの一般公開だった。


数日前にテレビでニュースを見た。造幣局の桜の通り抜けは何度も行ったが泉布観は殆ど公開されない為、一度も入った事が無かった。
普段よく通っていても気付かない事は多々あるものだ。



先月末で銀座シネパトスが閉館になった。

FaceBookで閉館を知った。インターミッションを見たくて急遽仕事のアポ取りしたが流石に年度末の最終週で誰もが忙しく残念ながら断念した。

大阪も名画座が消えシネコンだらけになった。昔良く行ったキタの大毎や北浜の三越劇場、ミナミの南街、布施や小坂…観たい映画は一人で行く事が多かった。

雑誌で松田優作サンが「古い映画館が好きだ。薄暗い館内に入り映画が始まるまでの間いつもワクワクしながら待っていた」と語っていたのを思い出した。名画座はどこもそんな風情だった。

最近は映画に行く事も殆ど無くなった。飲みに行く以外でも少しは街に出ないとダメだ。


来週以降に東京に仕事で4~5日位行く事にした。

今年は前期の欠損を取り返すつもりで早々に動こう。

時間あればツレにも出来るだけ会って来たい。







「拡散お願いします。昔、朝鮮総督府にお勤めされた方のお手紙です。」
---------------------------------------------------



 拝啓 安倍内閣総理大臣殿

 和歌山県田辺市  西川 清氏 (97歳)




 日夜国事に精励されている総理大臣に対し、名もなき一介の老耄がお手紙を差上げるご無礼をお許し下さい。



 私は生きているうちにこれだけは申しおきたいと思う一事があります。



それは、いわゆる従軍慰安婦なるものについてであります。



結論から申せば、朝鮮(北朝鮮及び韓国)等の言う従軍慰安婦なるものに、日本の軍や官が強制連行など関係したことは絶対ありません。



...
 かく私が断言することができるのは、私が朝鮮・江原道(コウゲンドウ)の寧越群(ネイエツグン)及び原州群(ゲンシュウグン)の内務課長を歴任した経験があるから です。



以下、当時の状況等について申し述べます。



 私は昭和八年に朝鮮に渡り、江原道庁に奉職致し、敗戦により引き揚げてくるまで勤め、その間一年間臨時召集により入隊しました



 朝鮮の行政は、総督府から道庁に伝わり、道庁から出先機関の群庁に伝わり、群庁より府・邑(ユウ)・面(日本の市町村)を通じて施行されました。(当時、江原道内には府はなく、邑と面のみ)



 群長は群守といって、殆どが朝鮮人で、その下に内務課、勧業課があり、内務課長は殆ど日本人で、経験豊かな四十歳を越す属官で、人事その他一般事務を司り、群庁の実権を握っていました。



 内務課長の所管事務のなかに、邑、面の指導監督や兵事等もありましたが、朝鮮人にチョウ兵(注・兵役?)の義務がありませんので、兵事は主に在郷軍人に関するものぐらいでした。



 朝鮮人男子青年にはチョウ用があり、総督府より道にたいし人数の割り当てがあり、道はこれを群庁に、群庁はこれを邑、面にたいして割り当てをして、集めた青年を釜山に連れて行き、総督府の係官に引き渡しました。



 女子にたいしてはこのようなことは一切なく、軍が慰安婦を集めんとすれば、朝鮮軍司令部が総督府に依頼して、前述の系統をたどり集めるしかありませんが、このようなことは一切ありませんでした。



 売春婦が強制連行されたの拉致されたというのは、女衒かそのたぐいの者の仕業であって、軍や官は一切あずかり知らぬことであります。



 日本婦人でも売春婦として軍の居る所に多くいましたが、一人として従軍慰安婦などという者が居たでしょうか。



 日本人と違って、恥を恥とも思わず、金さえ儲かれば良いと思う輩が、敗戦により日本人が委縮しているのにつけこんで、あらぬ嘘を申し立ててくるなんて腹立たしい限りです。



 今はもう、総督府の事務官はじめ、道や群の行政府にも軍にも当時の実情を知る者は殆ど亡くなられたものと思われます。



 然るに、今を生きる日本人のなかにも、自虐性に富む輩のうちに、従軍慰安婦なるものに軍や官が関与したなどと申す者がありますが、朝鮮売春婦の故郷とも申すべきスルチビ(居酒屋)、カルボチビ(娼家)の戦前戦中の実態も知らぬくせに、いいかげんに机上の空論をもてあそぶのは誠に概嘆に耐えません。



 国威を失墜し児孫に負の遺産となる「河野談話」の見直しは、安倍総理を除いては望むべくもありません。ぜひぜひ誇りある日本の為に、この際断固たる訂正を心からお願いし奉る次第であります。



 最後になりましたが、邦家の為にも総理のご健康をお祈り致します。

                                 敬具


◆略歴

大正4年  和歌山県田辺市生まれ。

昭和8年  和歌山県立熊野林業学校(現・和歌山県立熊野高校)卒業と同時に朝鮮江原道内部産業課勤務。

昭和12年 朝鮮総督府地方官吏養成所第1回卒業。朝鮮総督府江原道属に任官。

昭和13年 臨時召集により歩兵第76連隊入隊。14年招集解除

昭和18年 寧越郡内務課長。

昭和19年 原州郡内務課長。

昭和20年 道庁鉱工部鉱工課勤務(主任属)。

       引揚。

昭和21年 厚生省属 下関引揚援護局仙崎出張所勤務。

      和歌山県へ出向。農地課主任、総務課長、税務課長・次長などを歴任。

昭和42年 依願免職。

---------------------------------------------------

先日FaceBookにツレから投稿があった。

この方の人生に於いて「戦争」は現在まで一度も終わる事が無かったのだろう。

遺言とも云える、恐らく余命も僅かであろう、このご高齢の方の魂の叫びに、改めて「平和」というモノが一体何なのか、真剣に考えさせられた。

気忙しく追われた数週間も一服し漸く一息つける様になった。

ここ暫くは仕事で姫路辺りまで頻繁に足を運んだ。

大手町本社から広畑の製鉄所に戻った旧友に商用で訪問や取引先で説明会の開催等、帰宅も遅くなる事が続いた。

前期の申告は結局15日の最終日になった。昨年は惨敗で見込みは悉く崩れ厳しい一年に終わった。

少しは金儲けに執着しないといけないのは百も承知だが、モノづくりの仕事の頃の様には没頭出来ていない。
終わった事は仕方無い。仕切り直し今季また頑張れば良い。

先週の土曜はカミさんと約束していた大阪城の梅林に出掛けた。



翌日曜は雨の予報で満開は今日が最後と梅林は人で溢れかえっていた。

桜より梅の方が趣がある。種類によって個性もハッキリしている。何よりも「強さ」がある。

暫し花を愛で二人で大阪城公園を歩いた。長かった冬も過ぎればアッという間の様だ。

震災から二年目の春を迎える東北の方々にも、新政権の元で良い兆しが訪れる事を切に願う…