A Cheap Log. -10ページ目

A Cheap Log.

Kei

記録的寒波で北日本に多大な被害を齎した今冬も、漸く穏やかな日が続き出した。

先月から慌しくバタバタと日々追われ帰宅し夕食済ませると炬燵で寝落ちする日が続き体調も頗る悪い。

禁煙も順調に進み目標の3ヵ月もあと3週間となった。時折まだ禁断症状に襲われる事があるが、それも日増しに薄れてきた。
今日は診察で一酸化炭素の濃度測定をしたが、最初の診察時は33ppmだったのが今回は0.7ppmでかなり下がっていた。

何らかの依存を自ら断ち切るのは結構キツイが決断した以上は後戻りは意味が無い。ホンの暫くの辛抱だ。

禁煙の影響は体重にも如実に現れ久々に85kgを越え出した。年明けから5kg、昨年夏から約10kg増えた。予想はしていたがそろそろ体重を落とさないと厳しくなってきた。

先日は京都の親父さんの紹介で漸く大阪市内の大手設計事務所の執行役員の方に挨拶に伺わせて頂いた。南面の窓越しに隣接する靭公園が見える。咲き始めた梅の花に春を感じた。


「昔はサッカーグラウンドありましたよね」と話すと「30年程前かな、よくご存知で」と驚いていた。
昔は大阪で土じゃないグラウンドは長居か靭公園か万博ぐらいしかなかった。大昔に試合したり全くの無名だったカズと会ったのも、このグラウンドだった。

挨拶を終え事務所を出てから京都に電話して御礼を伝えた。「また来て下さいよ」近いうちに伺わないと…


年末に初めて白髪染めした。髪質が変わりガシガシになり伸びて鬱陶しく我慢出来なくなってきた。ライブ前の木曜に散髪に行って漸くサッパリした。


ライブ当日はまずまずの天候だった。

カミさんは久々の甲斐バンドのライブに朝からご機嫌だった。支度して電車で梅田に出て寿司をつまんで一杯やってからロイバスで会場に向かった。

隣のホテルで仕事していた学生時代、すぐ横でライブが観れる様になるとは思いもしなかった。中之島も様変わりしたもんだ。

会場は既に昔からのファンで一杯だった。ロビーは一杯やって出来上がった方々の賑やかな笑い声で溢れていた。



グランキューブは予想外にいいホールだった。ブラバンの後輩が大学時代にシンフォニーで演るのを観に行った時、流石に評判通りと思ったが、新しいホールは音響設計もシッカリしていて会場の座席の造型も良かった。


この日を心待ちにしていた長年のファンの方々…ウチのカミさんも含めてみんなワクワクしているのが手にとる様に分かった。

「破れたハートを売り物に」で始まった僕にとって初の甲斐バンドのライブ。
久々のライブにカミさんは狂喜乱舞だった。付き合い始めて一緒になって、こんなカミさんを見たのは初めてだった。中学生の頃に完全にタイムスリップしていた。

田中一郎は流石、やっぱ上手い。時折ARB時代の癖が垣間見られたが昔より更に幅が出てJガイルズばりの泥臭い感じも文句なくカッコ良かった。

ニューアレンジの「安奈」は涙が止まらなかった。クライマックスの「漂泊者」は圧巻だった。



約2時間半、客席はほぼ全員スタンディングで皆が酔い痴れていた。甲斐サンのMCは人柄がそのまんま出ていた。還暦なんやとビックリした。カミさんは「還暦であんだけ元気なんや、私も負けてられへん、頑張る」と妙に興奮していた。

ライブが終わり余韻に浸りながらリーガに食事に行った。

久々に7階のイタリアンに行こうと思ったが、カミさんの希望で一階の店にした。禁煙始めて食事に出掛けて困る事が本当に無くなった。

ワイン飲みながらゆっくりと食事した。久々に「音楽」にドップリ浸かり楽しい一時だった。

食事を済ませてロビーで座っていたら夜半にも関わらず人が集まってきて何かと思ったらWBCの日本代表の選手が入って来た。若い追っかけの女の子らが歓声を上げて出迎えていた。


音楽に映画、絵画etc…思い立ったら昔みたいにすぐ動かないと錆びた中年になって行く。

 … I hope I die before I get old …

申告終わったら気晴らしに好きな事に久しぶりに没頭したい。




連日の豪雨から寒い日が続く。昨日は和歌山に行ったが雪で真っ白だった。

「逃げる」如月も淡々と過ぎ「去る」弥生も間近。申告も始まり今年はサッサと片付けたい。

今週末はカミさんと久々のLIVE。甲斐バンドは初めて見に行く。

一緒に行くのはWHOの大阪城ホール以来。日常生活から音楽が年々遠のいていく…


少し前に家内と車で出掛けFMつけたら甲斐バンドのライブをオンエアしていた。
不意を突かれた様に涙が溢れた。初めて「かっこええ」と思った。

高校の頃ツレに甲斐バンドの熱狂的なファンがいた。専らARBだった僕には全く分からんかった。ARBの田中が脱退し甲斐バンドに移籍した時はかなり落胆した。

カミさんが何枚かCD持ってて車で聞いたが殆ど曲を知らない。AMAZONでベストを買った。



最初に感じたのが曲のアレンジに時代を感じた事だった。

歌謡曲や売れ線ロックは殆ど聞かなかった。音づくりの趣向が好みじゃなかった。
ARBに憂歌団、RC、シーナ&ロケッツ、大瀧詠一、モップス、ステレオ太陽族までのサザン…洋楽以外でよく聞いたのはざっとこんな感じだったか今となっては定かでない。

「気分はグルービー」という傑作バンド漫画があった。甲斐バンドの信者のツレに「めっちゃエエから読め」と勧められ結局ハマった。

主人公のケンジのバンド「ピテカン」が実際に音出したら甲斐バンドみたいな音づくりなんだろと漠然と感じた。



当時は全く分からず歌詞もアレンジも然程響かなかった。レコード会社がつくったバンドでもARBの音に傾倒した僕には甲斐バンドのロマンチシズムは理解出来なかった。

今更で聞いて漸く分かった。リアルタイムの当時聞かなかった理由も分かった。

甲斐バンドの音から聞こえる心象風景…

当時の音楽や映画に流行、大衆迎合的な匂いのする事象全てに否定的だった。
歌謡曲も今聞けば決して悪くないモノも多々あるが、曲のアレンジが総じてオーバーワークなのが好きになれなかった。

「漂白者(アウトロー)」的な音づくりが前面に押し出されていたら当時ハマったんだろう。

「安奈」の良さがこの歳になるまで分からなかったとは…

土曜日の大阪国際会議場のライブは既にSOLDOUT。早めに予約して良かった。カミさんはたいそう喜んでいた。

久々に夫婦揃って「音楽」に浸って来たい…

http://www.kaisurf.com/index.html



真冬に逆行の今週、首都圏も久々に大雪だったが大阪は積雪もなく普段と全く変わらなかった。

幼少期を過ごした南浦和は雪がかなり積もった。喜んで遊んだ記憶がある。
オモチャを雪に埋め更に雪が降り続き何処に埋めたか分からなくなった。何でそんな事したのか今思えば不可解極まりない。

コーラの瓶割って遊んで破片が目に入り失明しかけたり池袋の百貨店のエスカレーターの手摺に指を挟んで大怪我したり…中指は辛くも残ったが指の根元から先まで傷痕は消えずに残った。いらん事しぃのガキだった。
身体のアチコチのキズは歳を経る毎に目立ってきた。

今日は所用で午前中に梅田にバイクで出掛け終わってから駅前ビル地下の馴染みの店で久々にカレーを食べた。所謂「手作りカレー」で大好きな味だが後で必ず胸焼けに襲われる。それでもたまに食べたくなる。

駅前ビルは最近店が増え空きテナントが減った。出店条件が緩和されたのは明白。普段なら土曜は閑散としているが結構人が多く平日と然程変わらない程だった。

大阪の地下街は昔は宝くじや雑誌等あちこちで売ってたが今は皆無。ガチャガチャ感があった方が似合ってる筈だが都市計画調整局の連中は全く分かってない。

昨日は今年初めての現調で枚方駅前に出向いた。

会社を辞め家の仕事を継いでいた頃に駅の全面改修工事で数カ月現場管理と作業に明け暮れた思い出の場所。現場を数ヵ所掛け持ち役所廻りにゼネコンの幹事会に談合、昼夜無く働き何度もぶっ倒れた救いの全く無かった20代後半だった。

年末の現場で好評価を頂き施主の大手金融機関から今後の継続発注が見込めそうな気配で今季は予想外に幸先良い。

テスト施工と現調が終わり親方と打ち合わせた後で近所の一蘭に行った。

九州は約8年仕事で頻繁に行った。ホークス優勝の時は中洲の飛び込みの後に馴染みのラウンジで朝までドンチャン騒ぎでママや常連さんらと騒ぎ倒した。

一蘭は16年前に最初に行った。博多ラーメンは正直好きじゃない。熊本や鹿児島の方が所謂「ラーメン」。博多は「支那そば」。一蘭だけはよく行った。

昔仕事で関わった渋谷の総帥が当時一蘭の元経営者と店を出していた。味は変わらず。億単位で荒稼ぎしていた総帥がラーメン一杯で貰う現金に生きる実感を感じると言っていたのが妙に頭に残った事を覚えている。


この日は一昨年に修めたデータセンターからも連絡が入り、昼一に資料を届けた。足場組んで大々的に改修に入っていた。今季は再度発注が入るかもしれない。


水曜は奈良に出掛けた。

一番長く勤めた会社は大和郡山で8年近く仕事した。

その頃は道路整備も遅々と進まず大型商業施設も皆無で旧態依然の田舎都市だった。

ここ数年で整備が格段に進み道路は一変し大型商業施設も増えた。

高の原のイオンモールは大阪と違うテナントが多かった。

モンベルも珍しく入っていた。大きくなった。初期の頃は僕がいたアパレル会社の同じ部隊の隣の課で製品を作っていた。20年以上経ちアウトドアの老舗になった。

大阪に戻る途中、昔お世話になった工場の前を通り久々に顔を出した。

社長に会うのは12年ぶりでかなりビックリしていた。奥さんも元気そうだった。
「メッチャ久しぶりやんけ、生きとったんか」歳はとられたが相変わらずだった。

某インテリアメーカーのオーダーカーテン縫製工場で、僕が知る限り(と言っても全国の工場と取引あったから間違いなく)西日本で一番仕立てが良い工場だった。

不況にも関わらず忙しそうだった。カーテン工場は淘汰が進み残った工場も午後3時を越えて稼働する事は稀と言える程の低迷が続く中、流石だった。
「また近く来たらいつでも寄って~や、待ってるで」
挨拶して工場を出た。懐かしさと共に仕事に精出してた若い頃の事を色々思い出した…

帰路は暗峠を通った。久々だった。昔の様なダートは無くなっていた。
強烈な勾配で四駆の走り甲斐のあるラフな道。昔は湧水汲みに来る人が一杯いたが今は皆無だ。
暖かくなったら二輪のオフ車で走りに来たい。

今日は帰宅後ユックリ過ごした。チビとユキも最近良く食べ寝る。帰宅してこの子らを見ると何かホッとする。家族みんなの健康が何よりの宝だ…








如月に入り昨晩からの雨で今日は3月上旬並みの暖かい一日。

「バス旅行当たったで~、2月3日やわ!」

カミさんが応募して当たった日帰りバス旅行で今日は久々に小旅行に出掛けた。

夫婦でバス旅行は初めてだった。家内は何度かこうしたバスの旅に出掛けていたが、僕は仕事以外で長距離バスを利用した事は一度もなかった。

朝早く大阪駅前を出発、数ヵ所立ち寄り最終は岡山後楽園。

岡山は家内と結婚前に一度来た。岡山駅前で丁度オリンピックでメダルを取られ地元凱旋された有森サンと出会った。物凄い人だかりだった。
もう21年も前…出会って間もない頃、二人とも若かった。


二回目は結婚後に脱サラし会社を継いで悪戦苦闘のドン底の頃だった。


今回で多分三回目だった。
出発した朝方はまだ曇っていたが昼を過ぎてから徐々に晴れ昼食を終え後楽園に着いた3時頃には汗ばむ程の快晴になった。
久々の後楽園は静かで清々しかった。


昔来た時はもっと広い所だと思っていた。二人で園内をゆっくり廻っても一時間もかからなかった。隣の国からの観光客が多かった。

もうすぐ芝も新緑の鮮やかな景色に様変わりする筈だが、まだ冬化粧のまま…

そろそろ梅の季節なのに殆ど蕾のままで僅かに花が咲き始めた所だった。

大阪城の梅林も間もなく芽吹く頃。春も近いが暫くはまだ寒い日が続きそうだ。


先週は後半多少忙しく夜半に帰宅後すぐ寝落ちする事が続いた。体力が著しく落ちている。

三十代までよく働いた。四十代になり事故の後遺症もあり仕事に精を出す事が激減した。体力はこの数年で一気に低下した。
怠け者が自営だと本当に働かんものだ…

今年は多少運動して体力も戻し仕事に臨む気力も充実させ、少しは頑張らんと…


久々の旅行で家内は楽しそうだった。昔はよく一緒に旅行したが、自分で会社を始めてから殆ど遠出が出来なくなった。

たまには気分転換に遠くへ行きたいが、時間がありそうでなかなか工面できない。

もう少し心にゆとりを持って生きていきたい…


新年明けて睦月も早残り僅かとなり、大寒を過ぎても変わらず寒い日が続く…
今日は疲れが溜っていて昼前までユックリ寝て先程漸く起きた。

禁煙も順調、もうすぐ一ヶ月になる。

薬物治療がこれ程効果があるとは正直思わなかった。もっと早く始めていれば良かった…

以前、仕事で東京に行ってた頃、田町の代理店のツレと昼飯食べながら話してた時の事を思い出した。
デフォルト前のアルゼンチン駐在から帰国した頃だったと思うが、既に禁煙8年だったのに飲み会で横の同僚が吸い始めた瞬間、突然喫いたくなった事があったと言っていた。
「○○、ニコチンは怖いよネ~、もう大丈夫だと思ってたのに…」
薬物治療は3か月の継続が原則だが、それでも半分ぐらいは再度喫煙し始めるらしい。
精々気をつけないと…

昨日の金曜は、仕事で年明け初めて京都に行った。

第二京阪が開通してから、ウチから京都市内まで30分かからなくなった。渋滞が起こる事は殆ど無い。以前に事故があった時は大変だったがその時以外いつもガラガラだ。

年末に挨拶行く予定だった五条の親父さんに「昼から行きますから」と約束して午前中に四条烏丸に行った。
伊勢丹が京都駅前に出来てから、四条界隈もだいぶ変わって来た。昔住んでいた頃はチャリか歩きだけだったが、車で市内を走ると街の変貌が実によく分かる。
大丸で珈琲の詰め合せを買って昼一に事務所に顔を出した。

変わらず元気そうだった。手土産渡して暫し話していたら「美味しいうどん食べに行きませんか」と誘われ、五条通りを渡ってすぐの店に入った。


美味いと評判でいつも並んでいるらしい。おまけに全て自家製で早々に売り切れるそうだ。
2時前に店に入ったが、まだ満席で暫し待った。
漸く席が空いて、僕は大好きなきつねうどんを頼んだ。美味いか否かは、きつねが一番分かる。

だしが効いてて抜群に美味い。すするとホッコリと気持ちが和らぐ。
麺は若干細めだが、適度な腰も丁度良く上品で深い味。何よりも自家製の油揚げが絶品で、厚みがあって汁を含んで絶妙な味わいだった。うどん屋でこれ程美味い揚げさん食べたのは多分初めてだろう…

事務所に戻り、昨年の大型入札の際にご尽力頂いたお礼を伝え、僕の事業の進捗を話した。
お会いする度に思うが、ケタ外れの案件や情報をいつも持ってらっしゃる。
一切口外出来ないが、以前から聞いていた大阪の中心部の再開発の話なんかも実現すれば低迷の一途の大阪も蘇生すると思うのだが、地場のアホな地権者が下らない理由で妨害してくる。こうした低レベルな意地の張り合いが大阪を没落させている責任を全く解していない…

「今度一緒に挨拶に行きましょう」と、色々ご紹介頂いた。
いつもこうして色々と気を遣って頂く。この親父サンと知り合った頃、かなり胡散臭い方々と仕事で絡んだが、結局は付き合いは途切れた。
「アンタはああいう連中とは毛色が違いすぎる。人種が違うんやから」と家内によく言われたがこの親父さんだけは何故かずっと繋がった。よくよく縁があったんだろう…

結局、3時過ぎまでお付き合い頂き、それから京都市内のアポを一気に片付けに走り回り、気が付けば日も暮れて天気予報通りに一気に冷え込んできた。

仕事もかなりズレこんだが何とか終わって高速で大阪府庁の近隣の某施設に向かった。

某団体の年初の会合で「今日は出席します」と約束していたが大幅に遅れた。
流石に今回はたくさん出席され議員さんらも顔出していた。
車で来たから飲む事も出来ずだったが、取敢えず間に合って良かった。

年明けてからゆっくり仕事していたが、終日フルに動き回るのは久々で少々疲れた。
今年もそろそろ本腰入れて頑張らないと…

もう少し暖かくなってきたら、カミさん連れて一泊ぐらいで久々に京都にのんびりしに来よう…