真冬に逆行の今週、首都圏も久々に大雪だったが大阪は積雪もなく普段と全く変わらなかった。
幼少期を過ごした南浦和は雪がかなり積もった。喜んで遊んだ記憶がある。
オモチャを雪に埋め更に雪が降り続き何処に埋めたか分からなくなった。何でそんな事したのか今思えば不可解極まりない。
コーラの瓶割って遊んで破片が目に入り失明しかけたり池袋の百貨店のエスカレーターの手摺に指を挟んで大怪我したり…中指は辛くも残ったが指の根元から先まで傷痕は消えずに残った。いらん事しぃのガキだった。
身体のアチコチのキズは歳を経る毎に目立ってきた。
今日は所用で午前中に梅田にバイクで出掛け終わってから駅前ビル地下の馴染みの店で久々にカレーを食べた。所謂「手作りカレー」で大好きな味だが後で必ず胸焼けに襲われる。それでもたまに食べたくなる。
駅前ビルは最近店が増え空きテナントが減った。出店条件が緩和されたのは明白。普段なら土曜は閑散としているが結構人が多く平日と然程変わらない程だった。
大阪の地下街は昔は宝くじや雑誌等あちこちで売ってたが今は皆無。ガチャガチャ感があった方が似合ってる筈だが都市計画調整局の連中は全く分かってない。
昨日は今年初めての現調で枚方駅前に出向いた。
会社を辞め家の仕事を継いでいた頃に駅の全面改修工事で数カ月現場管理と作業に明け暮れた思い出の場所。現場を数ヵ所掛け持ち役所廻りにゼネコンの幹事会に談合、昼夜無く働き何度もぶっ倒れた救いの全く無かった20代後半だった。
年末の現場で好評価を頂き施主の大手金融機関から今後の継続発注が見込めそうな気配で今季は予想外に幸先良い。
テスト施工と現調が終わり親方と打ち合わせた後で近所の一蘭に行った。
九州は約8年仕事で頻繁に行った。ホークス優勝の時は中洲の飛び込みの後に馴染みのラウンジで朝までドンチャン騒ぎでママや常連さんらと騒ぎ倒した。
一蘭は16年前に最初に行った。博多ラーメンは正直好きじゃない。熊本や鹿児島の方が所謂「ラーメン」。博多は「支那そば」。一蘭だけはよく行った。
昔仕事で関わった渋谷の総帥が当時一蘭の元経営者と店を出していた。味は変わらず。億単位で荒稼ぎしていた総帥がラーメン一杯で貰う現金に生きる実感を感じると言っていたのが妙に頭に残った事を覚えている。
この日は一昨年に修めたデータセンターからも連絡が入り、昼一に資料を届けた。足場組んで大々的に改修に入っていた。今季は再度発注が入るかもしれない。
水曜は奈良に出掛けた。
一番長く勤めた会社は大和郡山で8年近く仕事した。
その頃は道路整備も遅々と進まず大型商業施設も皆無で旧態依然の田舎都市だった。
ここ数年で整備が格段に進み道路は一変し大型商業施設も増えた。
高の原のイオンモールは大阪と違うテナントが多かった。
モンベルも珍しく入っていた。大きくなった。初期の頃は僕がいたアパレル会社の同じ部隊の隣の課で製品を作っていた。20年以上経ちアウトドアの老舗になった。
大阪に戻る途中、昔お世話になった工場の前を通り久々に顔を出した。
社長に会うのは12年ぶりでかなりビックリしていた。奥さんも元気そうだった。
「メッチャ久しぶりやんけ、生きとったんか」歳はとられたが相変わらずだった。
某インテリアメーカーのオーダーカーテン縫製工場で、僕が知る限り(と言っても全国の工場と取引あったから間違いなく)西日本で一番仕立てが良い工場だった。
不況にも関わらず忙しそうだった。カーテン工場は淘汰が進み残った工場も午後3時を越えて稼働する事は稀と言える程の低迷が続く中、流石だった。
「また近く来たらいつでも寄って~や、待ってるで」
挨拶して工場を出た。懐かしさと共に仕事に精出してた若い頃の事を色々思い出した…
帰路は暗峠を通った。久々だった。昔の様なダートは無くなっていた。
強烈な勾配で四駆の走り甲斐のあるラフな道。昔は湧水汲みに来る人が一杯いたが今は皆無だ。
暖かくなったら二輪のオフ車で走りに来たい。
今日は帰宅後ユックリ過ごした。チビとユキも最近良く食べ寝る。帰宅してこの子らを見ると何かホッとする。家族みんなの健康が何よりの宝だ…

