ザ・ストーンズ・バザール
天然石と日本翡翠の専門店
http://www.stonesbazar.com/
夜に眠って朝に起きる
大きな大きな水晶製の大黒恵比寿。長い間埋めたままになっているので、今日あたりショップに行って発掘しようと思っている。
夜に眠って朝に起きる。当たり前のことであるけれど不思議に思う。若かったころ、二日に一度眠れば済むよう試したことがあった。長つづきしなかった。
眠っているうちに魂は身体を離れて別の時空の旅人になる。そうやってずーっと帰ってこない。そのうち身体は萎びて小さくなり、やがては爪と髪を残して消えていく。それでもいいと眠るときに思ったりする。なのにいまのところは必ず朝になると目覚めて、仕事が山盛りの一日を迎える。考えてみれば意識が身体とともにあって、身体に拘束されているのも不思議な感じがする。
宮沢賢治の本を読んでいるとますますそういう気分になる。
彼の本は『風の又三郎』『ビジテリアン大祭』を読んで、『インドラの網』を読みすすんでいる。
鉱物を巡る自分の本を書くのに宮沢賢治に登場願おうかと思った。といったところでネタ切れしているわけではない。まだまだ『老子』『無門関』『臨済録』はてつかずも同然。老い先短い身であれば、もう死ぬまで退屈することがないのは保証済みのようなもの。
しかし、それでも、なぜだか彼の霊がそこらにいると感じるような始末で彼のことが気に掛かる。
はじめは退屈だった。絶対的美女が登場するわけではないし、鉱物についてもそれにまつわる不思議な話があるわけではない。どれもこれも半分死んでいるような、のっけから人生をあきらめているような話ばかりの感じがした。
そうやって、この人は死後のクニでの出来事を書いているのだとふと気付いた。
そこにあるのは仏教経典にあるような絢爛豪華・酒池肉林・放蕩三昧の浄土の出来事ではない。どちらかといえば縄文時代の、つまりは私たちの原体験的な死後の世界で、邑の近所の山奥に死者が行くもうひとつの邑があって、死者たちは慎ましやかに暮らしながらも、こちらで暮らすのと同様に様々な事件に遭遇している、そういう死後の世界が彼の物語には描かれている。
そういうふうに感じると宮沢賢治が内なる自分のひとりであるかのようにも感じられ、石たちを愛でるということは宮沢賢治的には異界を愛でるということでもあると自認して、辛気臭さも我慢できるようになって、がぜん宮沢賢治がおもしろくなった。
彼はどこかでイタロ・カルビーノに似ているといまは思っている。
それにしても宮沢賢治の物語を「童話」に指定したのはどこのだれなんだろう。この分類は純文学と通俗小説を区分けするのと同じほど愚劣と思う。
存在の3つの容態
極楽……
山の家にいて、昼日中(ひるひなか)ベッドに寝転がって本を読むこと。
(窓から入ってくる風は天女の吐息ならかくやと思えるほど甘やかで心地いい)
現実……
とりあえずの石ヤを21年間。つづけてこれたのは買ってくれるお客さんがいたから。&石への驚きに尽きることがなかったから。
(権現は本体はそのままに仮りの姿で現れることをいう)
地獄……
とくになし。そのうちくるかも。それでも、まあ、なんとかやっていけるだろう。
(あるいは日本の経済状態と情報社会に翻弄されている私たち。ときには政治家たちが仏教説話に登場する魔族にみえる。自我に呪縛されることで人間は餓鬼にも魔族にも変貌する。如来と菩薩はその外側にいる)。
存在の3つの容態はそれぞれが別の世界にあるわけではない。いつでもどこにいてもいまここにあって、未来と過去が収斂する「時」のなかで、それぞれの人の心持ちが極楽・現世・地獄を描きだす。
で、ぼくは1時間に1本、毎時31分発のバスに乗って娑婆に戻る。
家からバス停へと歩く道すがら、豪雨に洗われた渓流は初秋の陽射のもとキララ・キラキラと輝いて、この世のものとは思えないほど美しかった。
バッグのなかには山の家からショップに持って行く原石が入っていて、仕事の重荷のようであった。
《ザ・ストーンズ・バザール》の合い言葉はキララ。
あなたの気持ちをキララ・キラキラと輝かせるアイテムがいっぱい!
……なんてコピーをバスのなかで思いついた。
優勝旗のような旗にこれらの文字を刺繍して、ショップに飾ろうかしらん。
写真はアパートの窓から毎日のように眺めている丘陵。そして20ミリの日本翡翠小勾玉新着品。
宮沢賢治の物語を読んでいると、縄文時代的死後の世界にドンドンとつれられていくような気分になる。
ブレスレットのサンプル作りに費やした一日
アメシスト・クラスターから作った丸玉。いろいろなことを考えると感心していたが、知人から「これは笑口の丸玉」とよぶと教わった。
今日は重陽の節句と思ったのは、カレンダーを見ると3日も前の出来事。
数字の奇数はどこか角張った感じがして陰陽に分けるなら、「陰」の感じがするのだが、古代中国では奇数は「陽」ともくされていた。奇数のなかでもっとも大きな数字「9」は陽の極大で、これが重なる9月9日は一年のうちでもっとも縁起のいい日となる。
(ジービーズの九眼が「最強のジー」とよばれるのも同じ理由による)。
明治だか大正時代の西洋かぶれした学識者たちが、陰暦でこそ意味のある24節気をそのまま太陽暦に移したので、旧暦9月9日の菊の節句は菊の花のない季節に祝うことになってしまった。
(ついでにはテレビの天気予報ではいつも1ヶ月ほど早い節気を宣伝していて、夏の盛りに立秋といってみたり、冬のさなかに啓蟄を告げるなど的はずれとなっている)。
昨日も今日も上天気で、ルーフバルコニーに出ると秋の陽射の軟らかさに、イソギンチャクが触手を開くように腕の細胞ひとつひとつが開く感じがして、うっとりとしてしまう。なんと美しい光と風! と感じいる。
石だけではない。風も木々も陽射も、ぼくらはとても美しい星に暮らしている。そういうことを石たちから学ぶのは、地球こそが偉大な教師であるということなんだろう。
昨日は一日をブレスレットのサンプル作りに費やした。秋のセールカタログ用のブレスは全部新作にしようと思い立ったのが運の尽きというか、間際になってジタバタするのは毎度のことで、泥縄式(つまりは泥棒を捕らえてから縄をなう)じゃないと、なかなかブレスの制作に手がまわらない。
アパートの部屋にところ狭しとビーズを入れたストックボックスを並べると、気分はもうアリババと40人の盗賊。宝の山を検分して、まずは在庫の量を目分量で確認する。それから石たちのご機嫌をうかがいながらビーズを選ぶ。今度のブレスは「キララ・シリーズ」にしようなんてアイデアもわいてくる。
システマチックに作っていくだけだから、それほど大変な仕事ではないのだが、ひとつのデザインにサンプルを2本づつ、計40本あまりを一気に作ると、鉱物原石をわき目も振らずに片付けるのと同じほど疲れてしまう。
あとは値段を計算して、ショップへ行って撮影して、というようにカタログ作りは進んでいく。みんなが気に入ってくれてたくさん売れればいいと願っている。
笑っているのは当然布袋和尚で、ネパールでは「ラフィング・ブッダ(笑う仏)とよばれている。中国では道教と仏教が習合した結果、布袋和尚は弥勒菩薩の生まれ変わりという。ちょっとした困難や不幸を笑い飛ばしてしまえるほどに、縁起がいい。