ザ・ストーンズ・バザール -2ページ目

ひさしぶりの「玄太の夢幻日誌」と五輪塔

0909
白狐も欲しがる日本翡翠製五輪塔。高さ約65ミリ。トップページを更新して日本翡翠の新製品を紹介しました。写真が変わらない場合は、更新ボタンをクリックしてみてください。


彼は男とも女とも判別しがたかった。声の響きや口調から男のように思えただけのこと。30代であるようなのに50歳を超えているようにも見えた。葬式帰りと勘ぐられてもしかたがない黒のスーツに、よくよく見えばシルクであることがわかる淡いピンクのワイシャツを着ていた。
 
水曜日であっても片付けなければならない仕事があってぼくは店にいた。ガラスドアをたたく音に振りかえると、彼が立っていた。
 
SFもミステリーも小説にはたぐいまれな美女が登場する。電車に乗っていても滅多にそのような人を見掛けることはないが、彼はインド説話の登場人物のように美しかった。ぼくより5センチほど高い身長と美貌ぶりとがうらやましかった。
 
スイッチを切ってある自動ドアを手であけると、彼は言った。

「この土地に越の翡翠を扱う業者がいると聞いて、遠くから探しにきた」

「えっ、うちのことですか? でも、すいません。今日は定休日なんです」

「…………」

「遠くからとおっしゃいました?」

「そう、とても遠くから」

「じゃあ、おかまいできませんが、見るだけでも見ていってください」
 
彼は日本翡翠のコーナーで立ち止まってぼくのほうを見る。
「手に取っていただいてもかまいませんよ」ぼくはいう。
 
彼は日本翡翠の五輪塔をてのひらに置いて、うやうやしげに眺める。
「これだ、やっぱりこれだ。千年かけて私はこれとの出会いを待っていた。ああ、ありがたや。これで積年の願いがかなう」
 
ぼくはレジテーブルの横に立っていた。なのに彼のつぶやきは耳の奥まで届いた。両腕に鳥肌がたった。

「店主よ」と彼は言った。

「はい」とぼく。

「代金はいかほどかな?」

「21000円」

「ではもらおう」
 
彼は言って、尾がたくさある純白の狐に変化した。あまりに突然のことだったので現実の出来事とは思えず、パソコンのスライドショーを眺めている気分だった。
 
純白多尾の狐は煙草の煙が大気に溶けていくように、色艶が薄れ、形もおぼろになって消えていった。
 
心臓が早鐘を打った。気軽に表現できないほどドキドキしながら、ぼくは彼が立っていた場所に行った。
 
日本翡翠の五輪塔の跡には15ミリ小丸玉ほどの量の砂金が置かれていた。
 
今度もし、遠くのあなたが店に来るようなことがあればガラスの小瓶に保管したその砂金を見せてあげよう。
 

こんなふうな夢が見られるといいと願って眠ったが、夢には九尾の狐は現われなかった。ドリームタイムの伝統のように、語られることで世界は姿形を整えていく。たとえば今夜あたり、あなたの夢に白狐があらわれて、日本翡翠の宝珠を授けてくれたりすることだろう。

夫唱婦随よりも婦唱夫随が楽な生き方

0906

新着の日本翡翠製「ホワイトジェード勾玉3種」。ヌナカワ姫の白くて軟らかい腕のようにきめこまやかで美しい。

ホームページの更新用原稿に「夫唱婦随」と書いて、いやいや「婦唱夫随」だろうと思いなおす。家庭では「婦唱夫随」のほうが楽であるし、自分の意見が大事なタイプの女性にとっては、そのほうが伸び伸びできるだろう。
 
我が家では掃除洗濯、食事作りもみんなみんな「婦」のほうがやって、「夫」はその恩恵をこうむっているだけ。家の隅のほうに自分の場所があって、どういうわけだか、たまたまそこに住まわせてもらっている気分でいる。
 
自分の家は山のほうにあって、便宜的に「婦」のアパートで暮らしているという感触は、『万葉集』や『古事記』の時代の通い婚、妻問婚(つまどいこん)のようでもある。
 
などと妄想しているうちに思いは古代へと飛んでいく。
 
妻を求めて幾千里、オオクニヌシは日本翡翠の守護者である越(こし)のヌナカワ姫を訪ね、いまは諏訪に坐している御子神タケミナカタをもうけた。オオクニヌシとヌナカワ姫の婚姻関係はあまり長くつづかなかったらしくて、タケミナカタは母子家庭に育ったなどと噂されている

(より正確には母方の家で育ったのであって当時では当然のことだった。それに当時の社会倫理では男は必ずしもひとりの女のもとにとどまる必要はなかった。それで女が捨てられたということでもなかった。女にも経済力や政治力があった母系的社会の倫理は近代風思考では理解できない)。

「越に賢い女、美しい女があると聞いて、私ははるばる訪ねてきた」というオオクニヌシの妻どい神話の下りは、もっとも美しくてものぐるおしい恋愛詩の一節となっている。
 
越の女は賢くて、「私がだす条件を全部呑んでくださるのなら、この白い腕や柔らかな胸は、みんなあなたのものですよ」など彼女は答える。
 
ヌナカワ姫は一族郎党を率いる女首長。美しくて賢いだけではなく、気の強い女性だった。美して賢くて気が強い女性は、もう女神パワー満載、美人オーラは黒姫山の彼方までなびいていたことだろう。
 
日本の古代史研究家たちは戦国時代の闘争ぶりをそっくりと古代へと移したがるが、神話時代や『万葉集』『古事記』の時代の闘争や支配は必ずしも同じではなかった。それが証拠に日本尊(やまとたける)の卑怯とも思える戦略を見るといい。
 
ともかくもこうして越の青丹(あおに・日本翡翠)は出雲と越の交易の品となり、やがては朝鮮半島の鉄との交易に用いられるようになった。ひょとしたら出雲で発掘された膨大な量の青銅の剣も、日本翡翠勾玉によって贖われたのかもしれない。
 
ついでながらヌナカワ姫は「黒姫」と呼ばれていたという話を聞いた覚えがある。肌の色が黒かったのか、いつも黒染めの衣服を着ていたからなのか定かではない。
 
縄文時代の翡翠大珠と縄文後期(弥生前期か?)の翡翠勾玉との間には文化的断絶があるのだと思っている。ヌナカワ姫はこの境界線上の渡来の民で、縄文人の末裔ではなかった。
 
もし肌が黒かったのであれば、台湾よりさらに南、フィリピンやマレーシアのほうから台湾・長江下流域を伝ってやってきたのだろうか? 黒染めの衣であれば長江下流、百越(ひゃくえつ)の民の末裔であるとも思える。「越(こし)」という地名だって、中国古代史の「越(えつ)」の地名と関係なくはないような気もしている。

「翡翠の姫神」と書くと、言葉の美しさに陶然としてしまう。そのうち日本翡翠で姫神像なるものを彫像してもらって、ショップに飾ろうと夢見ている。


モノグルイしたままモノグルイから目覚める

0905新着の日本翡翠製宝珠。更新後のトップページに解説を入れる予定。


とうの昔に「真夏の丸玉祭り」は終わったのに、トップページを更新できないでいる。毎日をノホホンと暮らしているわけではないのだが(毎日をノホホンと暮らせたらどんなに素敵だろう!)、目先の用事や対応に追われてついついホームページの更新が遅れてしまう。
 
気がせくのだがどうしようもない。で、こんなときはボトルのキャップをあけてサプリメントを振りだすように、頭の中の抽斗(ひきだし)をあけて座右の銘を取りだす。
 
そこには「小さな世界の大きな出来事」と書いてある。
 
ぼくらのひとりひとりは全国的に見ても、歴史的に見ても、人類史的やら考古学的、はてさて地質学的、さらには宇宙史的に見るなら、そこらの虫と同じほどとほうもなく小さな世界に暮らしていて、人類特有の自我意識によって、自分が世界の中心であるかのように、身の回りで起きる日々の出来事を自分にとっての大事件であると感じている。
 
こう書いたからといって、日常的で個人的な出来事には何の価値もないんだから捨ててしまえ、などというつもりはさらさらない。
 
ついつい悲鳴をあげたくなったり、全部が面倒で捨ててしまいたくなる出来事は、ちょっと現状から身を引いて、「小さな世界の大きな出来事」と思ってみると、出来事に呪縛され、がんじがらめに縛り上げられている自分を見ることができる。
 
日常的な出来事の全部が思い込みでできているということをいくらか客観視できるし、自分とのほどよい付き合い方がわかる気分になれる。ちょうどいい加減がいいのであって、自分の思いに夢中になりすぎるのは、スピリチュアルな世界からますます自分を遠ざけていくことになるとわかる。
 
気持ちのなかでいっとき自分を離れるのは、アリの視点からカラスの視点へと視座を変えるのに似ている。こっちの世界の出来事に対処するのが面倒だからなかったふりをするというのとは全然違う。
 
そういうことを20年かかって水晶やトルマリンのなどの鉱物から学んできたような気分でいる。
 
人はモノグルイすることで始めてそこにある愉悦を体験できる。その感触こそが彼岸に通底していることを眺められる。そうしてモノグルイしたままモノグルイから目覚めるなら、自分とのほどよい付き合い方、自我の思い込みに拘束されてしまわない生き方というものを発見できる。
 
トップページの更新はとくに誰かが困るわけではないし、1週間ほど遅れても体勢に際立つ影響もないだろう。それで会社が倒産するわけではなし、ましてや人類史が変わってしまうなんてことは絶対ない! と思ったりすると重い気持ちも軽くなる。