ザ・ストーンズ・バザール -3ページ目

地方都市の疲弊ぶりとマインド・ヒーリング




03

8月28日に紹介した「大地を抱く龍」の別のショット。「大地を抱く龍」は見立てのなかでサイズを縮小すると「我が家を抱く(守護する)龍」に変じる。これを目の前に置いて、思念によって家や部屋の周囲に聖なる結界を引くと積極的に想像する。力強くて心安らぐ気持ちを体験できるし、そうした行為によって龍のパワーに触れられる。



名古屋市の近郊の津島というところへ行くために新幹線に乗った。喫煙車両に座って煙草を吸いがてら、鼻をつまんで、臭い、臭いといいつつ通路を通り抜けていく女性を見た。 

彼女は煙草の匂いを父親の匂いと思って育ったかもしれない、なのになんという変貌ぶり。社会正義はつねに相対的であり、イワシを丸ごと食べるようにそのまま信じてしまう、もしくは呑みこまれてしまうのは、ロボットのような人生ではないのかと思ったりした。

(こうやって書くと、「でもタバコの匂いは本当に嫌いだ」と怒る人もいるだろう。しかし、そこでタバコに対する10年前の自分といまの自分の感想を比べるなら、価値判断は相対的なものであることがわかる。タバコを擁護しようとする気持ちはとくにない)。 

ひとりひとりの人の思考や価値判断、倫理観は常に時代や風土、社会の影響を受けていて、普遍的なものはなにもない。今日、私がこのように思うことは明日には途方もないほどの時代遅れになってしまうかもしれない、と、そんなふうだ。
 
日本的な正しさや理想的な対人関係は中国やアメリカのそれと同じではないし、今の倫理観だけが正当なものであり、過去のそれは不当であったというものでもない。
 
そうやって名古屋に着いて用事を済ませてから22歳の女ともだちを訪ねて津島市に向かった。名古屋から名鉄電車というのに乗って20-30分ほどのところにある。
 
彼女はその近くの町でひとり暮らしを始めたばかりで、いささかホームシックであるようだ。ついでがあるのなら立ち寄って様子を見てきてほしい、と彼女の親に頼まれた。幼いころから彼女のことを知っているので、本当は女ともだちというよりも親戚のおじさんのような立場にある。
 
彼女は通勤電車のなかで目立つ同年代の女性たち、ヘアサロンとエステとマニュキアとケータイ以外には興味がなさそうな青白い顔の女の子たちとは違って、コロラドの片田舎からでてきたカウガールさながらに健康そうで元気がよかった。小柄ながらも空気を押しのけるようにして歩く態度は眺めていて心地好かった。
 
遠い昔の記憶にある津島市と違って、今の駅前通りは津島神社までつづくシャッター・ストリートと化していて、地方経済の疲弊ぶりに困惑させられた。近年の体験では糸魚川市も松坂市も同じようだった。
 
30年昔のアメリカでは、郊外に新興住宅地ができて大手資本によるショッピングモールが建設される。とたんに旧市街地は住民や行政から見捨てられスラム化していく。という現象が目立った。
 
人種問題が少なくて、格差社会がアメリカほど際立ってはいない日本ではスラム化こそまぬがれているものの、地元商店街はスーパーマーケットやレストランのチエーン店や量販店に太刀打ちできない。駅前通りでは閑古鳥が鳴き、車でしか行けない郊外のにわか繁華街がにぎわうようになる。その結果、車のない老人たちはキュウリ1本買うためにもタクシーを呼ばざるを得なくなっている。
 
ライフスタイルのグローバル化が人々の心を萎縮させていく。心のヒーリングはいまに目をそむけていられないほど大きなテーマとなることだろう。

呼ばれて出会った石たちを大切に持ち帰った



01
頭の中で書くべき文章のひとりごとをいいながら視線は窓の外にあった。龍の形をした雲に目が止まった。男性器に似ていなくもない龍の頭は眺めているうちにいよいよ形をあらわにして、いまにも雄たけびをあげんばかりになり、急速に形がくずれて消えていった。 

昨夜この国の首相の辞任劇があって現代社会の暗さや辛さの象徴のようにみえた。
 
もう何年も世の中がパッとしない。新聞にみる景気の動向は企業の数字のうえだけのことで、市民の暮らしぶりは停滞したまま、明日に希望を持てない社会不安が増していて、酸素不足の金魚鉢の金魚のような窒息状態がつづいている。
 
ほんとうはこんなときこそ、ひとりひとりがせめて自分のまわりをよくしようとやる気になったほうがいいのだが、群れて暮らすのが本能の人類の場合はそうなりにくい。
 
みんなが萎れているんなら、私が萎れていても平気とか、私だけ頑張ってもなんにもならないと、つい考えてしまう。そうやってネガティブな連鎖に拍車がかかり、混迷と不安と息苦しさの度合いが深まっていく。
 
情報過剰の社会、「祭り」を忘れた社会ではストレスばかりがたまっていくので、ヒステリックにならざるをえず、弱者対象の犯罪の増加とともに相互不信も度合いを増して、「絶対に損をしたくない」とか「だまされたくない」といった思いだけを強化された人たちを生むことにもなる。
 
景気が上昇しはじめると、世の中は浮き足立って、うらやましい話やおいしそうな話がにぎわうようになる。私だって遅れてはならじ、と人は前向きになるのだが、そういう時代はしばらくきそうにない。
 
そんななか宝石関連の展示会にいって思わぬ出会いをした。「石が招く」久し振りの体験だった。
 
そいつはビルマ翡翠の小さな勾玉で、顔を知っている程度のインド人のブースにあった。並の勾玉ではなくてアメリカ・インディアンの酋長の羽根飾りみたいな立髪を付けていた。 クワガタムシが精一杯威張ってみせるように、彼らときたら、小さな身体にはちきれんばかりのいきがりよう。思わず笑みがこぼれて、「やあ、うちにおいで」と30匹ほどを連れて帰った。
 
石たちを連れ帰るなんてことはめったにない。いつもは買って持ち帰る。どんなに気に入っても、ほとんどの場合は持ち運ぶのに重すぎるので送ってもらう。
 
30匹の「立髪付き勾玉」を生きた雛鳥を運ぶようにバッグの一番安全な場所にそっとしまってアパートに戻った。
 
以来チャック付きのビニール袋にまとめて入れたまま机の上に置いてあるのだが、彼らの姿に目線が止まるたびに、「おまえらって、本当に可愛いネ」と思っている。
 
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