最近、電車に乗ると、ほとんどの場合
隣の人との間にわずかの隙間を開けて
乗っている。そんな経験しないだろうか。
僕なんかも、もう無意識に多少の隙間を
開けて座る癖がついている。体が密着して
平気なのは、よほど親しい間柄ということに
限られているような気がする。

だから、8人がけのところに7人しか
座れない。満員になっても、ちょっと
詰めてが言えないし、聞けないということに
なる。昔は詰めて詰めて、肌が触れ合っても
全然平気だったのだが。

この前、とても通路の狭い薬局で商品を
選んでいたら、通路を通り過ぎるときに
腕と腕がべたっと触れた女性がいた。しかも
それで平気で通り過ぎていく。何かを友人に
話しかけるのを聞いていたら中国の人だった。

また別の日。西大寺という乗換駅で降りようと
していると回りを3人の若い女性が囲んだ。
このときも、肌が触れるほどの近さに近寄って
きた。言葉を聞くとやはり中国の人だった。

人と人との適正な距離感というのは、国に
よってもちろん違う。そんなことを再認識する
小さな出来事だった。


テレビのバラエティ番組で、大きなウォーター
スライダーのCMに出てくださいと嘘を言われて
何度も何度も繰り返してそのスライダーに
乗り、最後にコマーシャルの文言を叫ぶという
ことをさせられているタレントを見た。

やらせの番組だから、偽のディレクターが
適当にいちゃもんをつけて何度もやらせるのだが
もともと気の良さそうなタレントを選んでいるので
怒りもしないで繰り返している。
「水着が卑猥だ」なんていうとんでもないいちゃもんにも
「そうだと思っていたんですよ」と言いながら
着替えるという人の良さだ。

思ったのだが、こういう人はやはり幸福な人なんだ
と思う。普通の社会でも、そういう気の良い人は
いくらでもいるし、たしかに保証人になったりして
損をすることもあるんだろうけど、いざ、自分の
人生の中で印象に残っている人というのは大概は
そういう何事も引き受ける気の良い人のことで、
利に敏い人のことなど誰も思い出しはしないのだ。
人の記憶に残るというのは幸福な人生であるに
決まっている。

僕も駄目でしたね。若い頃。部屋に遊びに来ないと
言われると、断るのは悪いような気がして行く。
風呂入る?と聞かれれば悪いような気がして
入る。泊まって行くと聞かれると断わりきれずに
泊まる。隣で寝ないと言われると不本意ながら
寝てしまう。本当に気の良い男でした。

この前テレビを見ていたら、北島三郎が
出ていて、なんか顔が違うんだよね。
今までのいかつい、ある意味下卑た面相が
消えて、ひどく穏やかな顔になっている。

そしてそれを本人も認めていた。今までは
突っ張っていた部分が多かったと。
でも自分でも変わったと思うと言っていた。
そして変化できた自分が誇らしいとも語って
いた。

75歳になるということだ。それでもまだ
声量もある。そんな健康な体に生んでくれた
両親に感謝したりしているうちに、自分は
生きているのではなくて、生かされているのだと
いうことに気がついたんだと語っていた。
素晴らしいことだと感心した。人間が良い方向に
変化できるということを確認するのはいつても
うれしいことだ。

尾崎将司が自己破産したあと、テレビでの
インタビューの受け応えが、それまでの生意気な
ものから、とても滋味を感じるものに変化したことに
驚いたことがある。思うとおりにはいかないのが
人生だが思わぬ変身が待ち受けるのも人生だ。
良い方に変わりたいものだ。