最近、電車に乗ると、ほとんどの場合
隣の人との間にわずかの隙間を開けて
乗っている。そんな経験しないだろうか。
僕なんかも、もう無意識に多少の隙間を
開けて座る癖がついている。体が密着して
平気なのは、よほど親しい間柄ということに
限られているような気がする。
だから、8人がけのところに7人しか
座れない。満員になっても、ちょっと
詰めてが言えないし、聞けないということに
なる。昔は詰めて詰めて、肌が触れ合っても
全然平気だったのだが。
この前、とても通路の狭い薬局で商品を
選んでいたら、通路を通り過ぎるときに
腕と腕がべたっと触れた女性がいた。しかも
それで平気で通り過ぎていく。何かを友人に
話しかけるのを聞いていたら中国の人だった。
また別の日。西大寺という乗換駅で降りようと
していると回りを3人の若い女性が囲んだ。
このときも、肌が触れるほどの近さに近寄って
きた。言葉を聞くとやはり中国の人だった。
人と人との適正な距離感というのは、国に
よってもちろん違う。そんなことを再認識する
小さな出来事だった。
隣の人との間にわずかの隙間を開けて
乗っている。そんな経験しないだろうか。
僕なんかも、もう無意識に多少の隙間を
開けて座る癖がついている。体が密着して
平気なのは、よほど親しい間柄ということに
限られているような気がする。
だから、8人がけのところに7人しか
座れない。満員になっても、ちょっと
詰めてが言えないし、聞けないということに
なる。昔は詰めて詰めて、肌が触れ合っても
全然平気だったのだが。
この前、とても通路の狭い薬局で商品を
選んでいたら、通路を通り過ぎるときに
腕と腕がべたっと触れた女性がいた。しかも
それで平気で通り過ぎていく。何かを友人に
話しかけるのを聞いていたら中国の人だった。
また別の日。西大寺という乗換駅で降りようと
していると回りを3人の若い女性が囲んだ。
このときも、肌が触れるほどの近さに近寄って
きた。言葉を聞くとやはり中国の人だった。
人と人との適正な距離感というのは、国に
よってもちろん違う。そんなことを再認識する
小さな出来事だった。