世界に6億人も登録があるというだけで
僕なんかひいてしまうけど、最初は
ハーヴァード大學の出会い系のサイトから
スタートしたという映画の中の紹介を
信じるとすれば(それ以上調べる気もないので
もし違っていたら教えてください。)その
出会い系(というのもなんのことだか
さっぱりわからない。『悪人』の中に
出てきたように数回のメールのやりとりで
出会ってセックスしてというのが目的の
サイトだとするなら・・・もう勝手に
したら、というしかないけど)からスタートした
サイトが何故世界中に広がったかというプロセスを
描いた映画ではなかった。そうだろうとめぼしをつけて
見に行ったのだが。どちらかというと「ウォール
ストリート」系の権力と欲望の物語になっています。

映画としては良く出来ていると思うし、ゴールデン
グローヴ賞をもらったとしても不思議ではないんだけど
この映画が描いた世界のことについては、好きではない
ということははっきりいえる。映画の中のほとんどの
台詞は(脚本がフェイスブックの創業者たちに批判的な
こともあってか)90%はつまらない台詞だ。まともな
ことを話すのは、創業者を最初に袖にするドイツ系の
女子大生と、ハーヴァードの毅然たる学長の二人だけだ。
あとは、正直友だちにしたくもないし、かかわりたくも
ない連中ばかり出てきた。

その女子大生にしても、最後にはフェイスブックに
登録している。実名、写真、経歴、それを公開して
いったいどんなメリットがあってどんなことになるのか。
これも調べる気がないので、良かったら教えてください。
映画は面白いけど、その描いている世界には全く
興味が持てませんでした。
ともだちって簡単に言うけど、日々を暮らしていくのと
同じで、フローとストックが必要でしょう。日ごろから
の付き合いがフローで、それが充実したものならパウダー
スノウのように地面に積もっていってやがてストックに
なっていく。経験からいっても3年くらいでその人と
まだ付き合えるのかそうでないのかのゆり戻しの期間と
いうものが訪れるような気がします。

普通の人間の持っている時間であれば、そうそう多くの
人と付き合えるはずもないし、それが出来るんだという
ことであるのなら、はたしてその付き合いにはフロー
も十分だしストックもあるのかどうかというチェックも
必要でしょうね。いや、そんなものどうでもいいんだ、
ということであれば、やはり木嶋さんと最後に同棲した
男性と同レベルだということだと思います。

結局ハーヴァードだなんだといっても、出会い系で
スタートしたときには、木嶋容疑者と同棲した男性と
同じレベルなんです。所詮出会い系なんてそんな
ものです。

もし 船を出すのなら
胸を張って 帆をあげろ
ポセイドンに 馬鹿にされないように
たとえ 体中が 震えていても
それを 表には 出すな
強がりをして 口笛を吹け
神の目にとまれば 神は香しい風をくれる
冬が終わる 4月にも
夏が終わる 9月にも
泊まりたい 港に 泊まればいい
お前は 多くの 美しいものを 見るだろう
ためらわずに 碇を 下して見ればいい
はにかむ裸足の子供たち
露に覆われた 公園の芝生
あぶなかしく足をかけた 崖の淵から
見渡す 世界の地平線 そして
そこに上がってくる月 沈む太陽
手練れの職人の手にかかる 陶器
山の 斜面を埋め尽くす 白い家
砂漠のテントで飲む 火の様に熱いスープ
そして 運命の定めた 一人の女
時が来たら いさぎよく すべてを思い出にしろ
そして もう一度 高らかに 口笛を
強い風にも 帆を降ろさなかったことを 誇れ
帆船の墓場は 帆船しか知らないのだ
今、京都で「人体の不思議」展をしているのですが
この催しには前から疑問は感じていました。アメリカとかでは
けっこう大胆に(ジェームスボンドの映画にもちゃんと展覧会の
模様が出てきます。)死体を彩色したり、腐敗を防止したりして
飾っているんだけど、いったいその死体はどこから持ってきたんだ
というのがあるし、そんなことを死体にすることが故人に対する
冒涜にならないと思うのもおかしいなあと感じていたんです。

それをそのまま日本に持ってきたんでしょ。実際の
死体を切り開いて中身を見せるというのが
げてものではないという感覚は僕は異常だと
思います。見に行く人も同じだと思いますね。遺体は
丁寧に扱われるべきだし、どうも最近代理母の問題でも
問題の大事なところが摩り替わってしまっているような
感じがしますよね。

代理母の問題では、やはり一番大事なのは生まれてくる
子供のことを考えることでしょう。父母もはっきりしない、
野田聖子が70になってやっと成人になる、はたして
そんな環境で子供が生まれてきたことを喜べるか
どうかですよね。難しい問題だと思います。