なかなか思っていても素直に表現できないという
事柄ってありますよね。桐野夏生という作家の本を
読み始めた時に、あまりの文章のみすぼらしさに
全く読む気がしなくて、数ページで放り投げた。
内容がどうのこうの、という前に、プロがああいう
文章を書くのは許せない。と、思ったのだが、また
この人の評価が異常に高いんだよね。どんな書評を
見ても、ほめてほめて褒めまくられている。しかし、
この人の文章と、たとえば倉橋由美子や金井美恵子の
文章とを比較して、どちらに文学のミューズが降りて
いるか、というのは1ページを読めば明らかなのである。
たぶんベストセラー作家であり、エドガー賞の候補にも
なれば映画化もされるということから、遠慮というものも
あるのだと思いたい。そのへんは吉本ばななの本にも
言えるので、親父の文章、内容と比べれは月とすっぽん、
星とタヌキ、夜空とミニカーくらいの差がある。ただ
誰もそれを指摘しないだけである。
ところがだ、ここに何でも正直に書いてしまう呉
智英という変なおっさんがいる。その人がこの前
桐野夏生の本を論じていた。「長いだけで、たいして
面白くもないし中身もない。おまけに時代考証も
いい加減」笑ったね。しかしすっきりした。
今日電車の中で、前の席に不機嫌そうな
若い女性が座った。しかめ面をしてイヤホンで
音楽を聴いているようだ。不機嫌な顔を見ているのは
正直あまりうれしくはない。しかし、この女性と
ある電車の、一つの車両の、4人掛けの座席に
向かい合って座るということの不思議を考えると
これは並大抵のものではないということはわかる。

もし、僕か彼女が、今日の行動の中で10分の
遅れを生じさせたとしたら座席に向かい合うことは
絶対にありえない。どこかで下痢になったらそれだけで
この出会いはありえない。もし、昨日の段階で、今日の
お出かけは無しだということにどちらかがなったと
したらやはりすれ違って顔を見ることはない。

それどころか、はるか昔、僕の両親なり、彼女の
両親が「今夜どう?」とモーションをかける
タイミングが前後に一日ずれただけでも、この出会いは
ない。さらにさらに「2001年宇宙の旅」の冒頭、
棍棒を投げる猿のコントロールがすこし狂っただけで
この二人は会うことはなかったのだ。

それを考えると、一つの言葉を交わすだけでも
実は奇跡そのものだとも言えるし、まして愛し合う
などというところまで行くということは、実際に
宇宙の果てに行くのと同じことだということが
なんとなく最近理解できる。まさに在り難いことが
在りえたのだ。感謝するしかないではないか。


京都府の運転免許の更新は、不便な場所まで
出向かなければいけないので、行きも帰りも
交通手段の確保が大変だ。先週の日曜の話。
帰りに、バス乗り場に二つの行列が出来ていた。
一つはJRの長岡方面行き。もう一つは近鉄の
竹田方面行き。どちらも10人前後の人が並んでいる。

最初、長岡のほうを見たが、長岡に出るとそこからが
大変なので、出来たら竹田に出たいと思った。そして
長岡のバスが来るまでは35分もある。つまりこの
列の人は35分を寒風の中で待とうという人たちなのだ。

竹田のほうはどうだろうと、後ろの列のほうの
時刻表を覗き込む。見た時間は14時40分だ。
しかし、どうみてもバスの予定がない。たしかに
平日には、15時台に1本あるが、今日は日曜である。
日曜だと13時台でその停留所にはもうバスは来ない
のである。

僕は、何をこの人たちは待っているのだろうと心底
疑問に思うと、列の二人目に同年輩の男性がいたので
その疑問をぶつけてみた。信じられない答え。
「いやあ。並んでおけばバスが来るかなあと思って」
どんだけ暇なおっさんなんやと思い、今度は先頭の
学生に聞いた。

「ほら。あるんですよ。あと20分もすれば、
このバスが来ますから」そういって彼は平日の時刻表を
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指差した。
「でも、それは平日やで。日曜日はこっち」そう僕が
指差すと、さすがに気がついて「あっ。もうバスないんや」と
言った。

もうタクシーで帰るしかないので、その先頭の二人に
声をかけると、おじさんのほうはバスで長岡に出るというので
前の列のほうに並び替え、学生は竹田に行くというので
タクシーへの同乗をすすめた。

驚いたのは、もうバスが来ないと決定した後ろの列が
まだ崩れなかったことで、人間と言うのは習慣の動物
なんだと改めて感じ入った。いったいあの列の人は
何を待ち続けたのだろうか。悩む。