90歳を超え病床についている母親には、肉親の中では一番慕っていた10歳近く年上の兄がいました。以下は以前に母親が話していた内容です。
兄つまり私からすると伯父さんですが、招集され都内の陸軍歩兵連隊に新兵として入営し、中国大陸に赴任しましたが、しばらくすると本土に戻ってきました。その時、神保町の古書店街に連れだってゆく機会があり、「〇〇ちゃん、何か欲しいものはあるか」と聞いてくれたそうでその時の思い出を、何度も話していました。
その後、今度は南方に行くということになったのですが、母親も姉妹たちも皆、誰も口には出せなかったが、これが今生のお別れだと覚悟したそうです。なぜかと言えば、南方に行って帰還した人はいなかったからで、本人もおそらくわかっていただろうと言っていた。
時折ヤシの木が描かれたハガキが来て、伍長になったということまではわかったけれど、結局復員はかないませんでした。
そうこうするうち3月の東京大空襲で焼夷弾が雨あられと降り注ぐ中を、母親ら3姉妹は高田馬場から哲学堂まで逃げまどい、数十メートル先に落下した焼夷弾の火炎にも焼かれずに運よく生き延びたが、翌日戻ってみると馬場下の穴八幡のあたりは黒焦げになって炭化したご遺体がたくさんあったそうです。
あの戦争では数百万の人命が失われたが一方、別の意味もあったという。戦前の社会格差はどうにもならないほど過酷であり、底辺の貧乏人は生涯その境遇から抜け出すことが困難で、子供も孫も同様だった。両親もそうですが大学はおろか高等小学校にすらゆけない人が多く、人生を切り開くために貧乏人に残されていたのは「軍人」になるくらいしかなかった。
父親がまだ存命だった時に、終戦の時はどう思ったのか と昔聞いたことがありましたが、父親は「国破れて山河ありとはこのことだと思った」といっていた。ひどう惨劇だったが、自分はなんとか生き延びたという安堵感のようなものもあったのでしょう。
戦争のおかげで、本当の意味で格差が解消され、懸命に働いていけば将来に希望が持てる。しかし、多くの人命と引き換えにしなければそういう社会が来なかったのだと、母親は涙を流しながら語っていた。
5.15事件や2.26事件が起きたのも貧困で娘を売らざるをえないほど固定化された格差の前に、政党政治は全く無力である という社会の土壌があったと思います。
もう少ししたら母親は懐かしいお兄さんとあの世で再会できるのでしょう。
この3週間ほど、セキュリティの実践ハンズオン講義の題材にするべくあるプログラムコードをアセンブラ、CやC++のソースを作ってあれこれやってきましたが、ようやく完成しました。
その内容を公開することはできないのですが、この過程で私自身、現在のWindows11というOSが搭載しているセキュリティ機構、仕組みを相当学びました。windowsデバッガも便利というか、なぜ必要なのかわかります。こうやれば、こうできるのか ということは相当細かなことで、どこにも書いてないこともある。
ところで日本と比べると海外のサイトは、セキュリティやAIに限らず世界中の人間が、かなりあれこれ情報交換している様子がわかります。
しかし、日本は情報量自体が圧倒的に少なく、英文や簡体字のブログやサイトの方が何百倍も存在しています。我が国はほぼないに等しい。毎日のようにWindowsをめがけてハッカーがあの手この手で攻撃をしてくるため、次々と新たな対策をOSに組み込んでいるのだなと実感しました。
PEの構造もさりながら、ASLR、DEP、CFG、AMSIといったOSが動く上での対策が日々取り入れられいるので、相当深く理解しているやつが攻撃しているのだなと改めて実感します。Windows11のパッチはタイムリーに入れないと危ないということを実感しました。
現役時代の頃の話ですが、2000年以降に韓国勢から追い上げをくらって負けが込み始めた頃に、サムスンの携帯開発のやり方が話題になりました。
韓国の風土自体、猛烈な競争原理が働く社会で、携帯の開発も数チームで設計コンペが行われ、良いとこ取りをするわけです。基盤になる部分や全体の大半をAチーム案になり、その上で動く機能とかモジュールをBとかCチーム案でとなると、Aチームのエンジニアの年収がいきなり2倍とか3倍、BとかCのエンジニアは1.5倍 というようなインセンティブになるので、みな必死になるわけです。
また、韓国国内市場は小さいため海外市場にゆくしかありません。マーケティング担当は世界中に出され、1年とか2年とか年単位で現地生活し、その文化、風習を実生活で体得する。こうしてその地域の文化、宗教、習慣がわかったらそれに基づいて製品開発をします。
家電やTVなどのAVにこうした成果が発揮されました。イスラエルで売られたサムスン製冷蔵庫がは扉を開けても電気がつかない設定ができるようになっていたのもそうです。安息日は電灯をつけること自体が労働になるので、安息日の前日につかないように設定できる。部品選定、調達も徹底した管理をしていました。
半導体もサムスンにあっという間に市場を取られましたが、半導体の設計自体が、プログラミングチックといいますか、ロジカルなやり方がうまくはまる特性があったため、後発ながら日本を凌駕しやすかったこともある。このあたりは、その後今度はサムスンが中国勢にやられるわけですが。
携帯も半導体もデジタル技術の親和性と参入障壁がそれほど高くなかったことと、日本のように設計や製造法に亜流を大量に発生させることを避けるようにした国家戦略に勝因があったと思います。
勝ちに不思議の勝ちあり
負けに不思議の負けなし
といわれます。彼らのやり方の全てが、賞賛に値するとも思っていませんが、自ら何をするでなく、知恵もないくせに「それでアップルに勝てるのか!?」なんて言っている経営幹部では、負けは必定です。
これから、日本社会、組織集団のあり様をどうしてゆかないといけないのか、過去から学ばないといけません。