「山谷(やま)」やられたらやりかえせ 2005年3月27日
なにかに守られているか?
「やま(山谷)」の「やま(山岡)」さんの追悼式が日キリ(日本キリスト教会館)で開か れていて、1度出たことがある。(現在でも行われているのか?)そこで思ったのは支援する 若者の「熱」と、山谷労働者の高齢化であった。しかしこの映画は観ていなかったし、何度 か見逃していた。また、現代企画室から関係書籍も出ていたので、私にとっては特別な意味 を持った作品でもあった。
フィルムは佐藤監督の暗殺のシーンから始まる。撮影現場で刺殺されたのであろう、路上 の血痕と路上に横たわるまだ息をしているように見える監督。そして救急車から病院へと運 ばれる過程をカメラは執拗に追う。当然であろう。監督の「作品」なのであるから。
結局「日本」における「労働」について追及していくと「差別」に行きつくということを 再認識するに「すぎない」作品である。しかし「すぎない」ことが「とるにたらない」こと ではなく、その再認識が激しく強く、文字通り命を賭けて迫ってくる作品である。 土本典昭監督の「はじけ鳳仙花 わが筑豊、わが朝鮮」(1985年)は、富山妙子の作品と 出遭ったことで生まれた作品であるが、富山妙子が出遭ったのは「某鮮人」と書かれた「過 去帳」であった。連行され炭坑労働に従事させらそこで亡くなった朝鮮人の表記が「某鮮人 」だったのである。文字通り名も無く死した労働者、あるいは名前をも奪われた強制労働者 の死と「出遭った」のであった。
また、神山監督の「三たびの海峡」(1995年)で炭坑で亡くなった朝鮮人の墓所が出てく るが、それは小さな自然石を目印に置いたものだが、その実際の光景がこの作品で見る事が できる。筑豊に行ったカメラがそれを映し出す。 この3本の作品は同じ目線を持っているように思える。
戦争によって資本蓄積した企業が、戦後炭坑の閉山で寄せ場に集まってきた労働者から再 搾取するという図式である。搾取する方は徹底的に搾取し、搾取される方も徹底的に搾取さ れる。そして資本の「テクノクラート」としての暴力装置(暴力団。ここでは日本国粋会金 町一家西戸組)があり、それをヨウゴする警察権力。 「差別」と「人身売買」の上に成り立つ日本の労働界は結局太平洋戦争を挟んでも何ら変 化がなかったのである。カメラは8月15日の靖国神社を映し出すが、それはひとつの象徴であ るように思える。 このクニにおけるすべての問題における縮図であるのだ。
スタッフは山谷を離れ、釜が崎(大阪)、笹島(名古屋)、築港(福岡)を訪れ寄せ場の 普遍性を訴える。また寄せ場が逃散(江戸時代の農民が圧制から大勢で逃げ出すこと。一揆 の一形態)を起源としており、遊郭や被差別部落の近くに設けられたという経緯も明らかに する。なんのことはない、「再認識」にすぎない。太平洋戦争のはるか昔からあった差別と 人身売買のシステムであるのだ。
「労働」の獲得が資本との対立という実に普遍的な縮図がここにはある。結局すべてのシス テムは搾取するか、されるか…つまり、やられたら、やりかえせということになるのかもし れない。しかし、労働者が「やりかえす」ことなどできるのであろうか?その中で争議団の 活動は光っている。圧倒的な光を放っている。守られることのない中での運動は鬼気迫るも のがある。彼らは何に守られていたのだろうか?
2005年3月27日鑑賞
「山谷(やま)」やられたらやりかえせ(16mm,110分)1985
監督・製作 佐藤満夫
監督 山岡強一
「教えられなかった戦争」フィリピン篇
--侵略・「開発」・抵抗--(112分)
監督 高岩 仁
戦争の原因を究明しようとするとあまりに多岐に渡る要素がありその行為が単純ではないことが分かる。しかし、その側面をあるテーマに絞ってみると、実に単純であることも分かる。そのテーマとは生産手段である。つまり生産手段の暴力的独占という側面である。
その行為に「大儀」がない事は当事者も熟知していて、そのもっとも大きな目的を隠し「大儀」を作り出す。その「大儀」は一般市民に命を捨てることを強要し、一般市民に殺人をすることを強要する。
あの「大儀」に溢れた「皇軍」の太平洋戦争も大きな目的は「生産手段の所有」だったのだから失った命の無意味さに絶句してしまうこととなる。
あの神兵と言われた天皇の軍隊がアジアで行なったことが「生産手段の所有関係の維持」(ベルトルト・ブレヒト「真実を書く際の五つの困難」)だったとは…
三井物産の資本蓄積の有様を見ればそれは明らかとなる。三井物産は次のエポックに利益を拡大させている。 西南戦争(1877)、日清戦争-台湾植民地化(1894)、日露戦争-満州植民地化(1904)、韓国植民地化(1910)、第一次大戦(1914~)、支那事変(1937)、第二次世界大戦(1939~)
軍は侵略地域の住民・土地使用者を排除し、土地使用を独占すると共にかつての住民を奴隷労働に動員するといった方法で会社の利益と資本蓄積に「忠誠」を惜しまない。軍が忠誠を誓ったのは天皇なんかではなく、資本主義的企業体であったということが肌寒さを感じさせる。
映画はフィリピンにおける住民虐殺地を丹念に回り生き残りの証言を拾ってゆく。その中で軍の虐殺行為が支配の確立ではなく、土地使用者排除が目的であったことの疑問が生じる。軍と企業体との関係は突然変異であったのか、あるいは元来軍隊というものは企業体に隷属するのか、という疑問である。
さらに驚くべきことは、敗戦後軍隊は消滅したが企業体は新たなODAという「軍隊」を利用し土地独占と資本蓄積を進めていくのである。
ODAによる土地の乱開発は第一次産業労働者の困窮を招き、その労働者を低賃金労働者として現地工場がすいあげてゆく。さらに、現地工場は公害規制の甘い所を選んで立地されているため、公害を生みつづける。さらに、労働者が何らかの運動を開始すると労働者全員を解雇したり、工場そのものを移転してしまう。
ODAによりいくらでも低賃金労働者を生産しているのだから容易である。そして、世界のあらゆるところで「普遍的」に為されている差別構造がここでも展開される。先住民への抑圧である。ODAを享受している政府はその軍をも用いて先住民の土地への介入を深める。
乱開発の目的は開発事業であり、けして開発ではない。完成しようがしまいが関わり無いし、中途半端であろうと問題がない。工事をすることが唯一の目的なのである。その乱開発は時としてダムであり、時として道路建設であり、時として森林の伐採であるが、それらは先住民の土地に対して行われる。さらに乱開発の結果河川は氾濫し、泥流は魚影の豊富だった湖に堆積し、タロ芋の栽培地に堆積する。かくして先住民の第一次産業は破壊されつくし、タロ芋畑の後につくられたパイナップル畑の、バナナ畑の労働者となり酷使される。さらにアメリカや北海道で行われたように先住民を使って先住民を制御する手管も存分に発揮される。
日本人移民が労働者として入植し、現地の人々と婚姻し土地を得、その土地を企業が集約し、企業が自警団を組織し抑圧装置となる…といった新植民地主義の典型を見ることができる。国内の貧者には事欠かなかったため入植者募集は困難でなかったろうし、現地の人々と婚姻させることも政策的に困難ではなかったはずだ。
また、「語られなかった戦争」が実は太平洋戦争だけではないことが判る。戦争という抑圧のシステムに時代の区切りはないようにも思える。
戦争の実相を知ることが、実は独占資本の実態を知ることになるのである。クラウゼウィッツが言った事は「政治意志の実現」であったが、実はもっと「経済的な」、もっと資本と直結した行為であるのではないか?
それらの反動に抵抗があったのは当然であるが、彼女ら彼ら(フクバラハップ団など)の抵抗の道はたいへん険しい道となった。3つの帝国主義国家スペイン、アメリカ、日本と戦わねばならなかったし、宗主国と結託した地主集団とも戦わねばならなかった。当然その犠牲は少なくなかった。
先住民に目を向けること、新植民地主義に目を向けること、資本主義社会に目を向けること、安いバナナやパイナップルに目を向けること、それらが明日の地球を見ることになるのではないか?
そして1945年で戦争が終わったのではないことを確認しておきたい。
高岩監督は現地スタッフとODAや乱開発に関して取材をしていた。その取材は地域ボスや国軍関係者、日系企業の息のかかった者、ODAの利権に群がるもの等に対して行われる。その中で3人の現地スタッフ(現地NGOメンバー)が殺された。
「戦争」はけして終わってはいないのである。
--侵略・「開発」・抵抗--(112分)
監督 高岩 仁
戦争の原因を究明しようとするとあまりに多岐に渡る要素がありその行為が単純ではないことが分かる。しかし、その側面をあるテーマに絞ってみると、実に単純であることも分かる。そのテーマとは生産手段である。つまり生産手段の暴力的独占という側面である。
その行為に「大儀」がない事は当事者も熟知していて、そのもっとも大きな目的を隠し「大儀」を作り出す。その「大儀」は一般市民に命を捨てることを強要し、一般市民に殺人をすることを強要する。
あの「大儀」に溢れた「皇軍」の太平洋戦争も大きな目的は「生産手段の所有」だったのだから失った命の無意味さに絶句してしまうこととなる。
あの神兵と言われた天皇の軍隊がアジアで行なったことが「生産手段の所有関係の維持」(ベルトルト・ブレヒト「真実を書く際の五つの困難」)だったとは…
三井物産の資本蓄積の有様を見ればそれは明らかとなる。三井物産は次のエポックに利益を拡大させている。 西南戦争(1877)、日清戦争-台湾植民地化(1894)、日露戦争-満州植民地化(1904)、韓国植民地化(1910)、第一次大戦(1914~)、支那事変(1937)、第二次世界大戦(1939~)
軍は侵略地域の住民・土地使用者を排除し、土地使用を独占すると共にかつての住民を奴隷労働に動員するといった方法で会社の利益と資本蓄積に「忠誠」を惜しまない。軍が忠誠を誓ったのは天皇なんかではなく、資本主義的企業体であったということが肌寒さを感じさせる。
映画はフィリピンにおける住民虐殺地を丹念に回り生き残りの証言を拾ってゆく。その中で軍の虐殺行為が支配の確立ではなく、土地使用者排除が目的であったことの疑問が生じる。軍と企業体との関係は突然変異であったのか、あるいは元来軍隊というものは企業体に隷属するのか、という疑問である。
さらに驚くべきことは、敗戦後軍隊は消滅したが企業体は新たなODAという「軍隊」を利用し土地独占と資本蓄積を進めていくのである。
ODAによる土地の乱開発は第一次産業労働者の困窮を招き、その労働者を低賃金労働者として現地工場がすいあげてゆく。さらに、現地工場は公害規制の甘い所を選んで立地されているため、公害を生みつづける。さらに、労働者が何らかの運動を開始すると労働者全員を解雇したり、工場そのものを移転してしまう。
ODAによりいくらでも低賃金労働者を生産しているのだから容易である。そして、世界のあらゆるところで「普遍的」に為されている差別構造がここでも展開される。先住民への抑圧である。ODAを享受している政府はその軍をも用いて先住民の土地への介入を深める。
乱開発の目的は開発事業であり、けして開発ではない。完成しようがしまいが関わり無いし、中途半端であろうと問題がない。工事をすることが唯一の目的なのである。その乱開発は時としてダムであり、時として道路建設であり、時として森林の伐採であるが、それらは先住民の土地に対して行われる。さらに乱開発の結果河川は氾濫し、泥流は魚影の豊富だった湖に堆積し、タロ芋の栽培地に堆積する。かくして先住民の第一次産業は破壊されつくし、タロ芋畑の後につくられたパイナップル畑の、バナナ畑の労働者となり酷使される。さらにアメリカや北海道で行われたように先住民を使って先住民を制御する手管も存分に発揮される。
日本人移民が労働者として入植し、現地の人々と婚姻し土地を得、その土地を企業が集約し、企業が自警団を組織し抑圧装置となる…といった新植民地主義の典型を見ることができる。国内の貧者には事欠かなかったため入植者募集は困難でなかったろうし、現地の人々と婚姻させることも政策的に困難ではなかったはずだ。
また、「語られなかった戦争」が実は太平洋戦争だけではないことが判る。戦争という抑圧のシステムに時代の区切りはないようにも思える。
戦争の実相を知ることが、実は独占資本の実態を知ることになるのである。クラウゼウィッツが言った事は「政治意志の実現」であったが、実はもっと「経済的な」、もっと資本と直結した行為であるのではないか?
それらの反動に抵抗があったのは当然であるが、彼女ら彼ら(フクバラハップ団など)の抵抗の道はたいへん険しい道となった。3つの帝国主義国家スペイン、アメリカ、日本と戦わねばならなかったし、宗主国と結託した地主集団とも戦わねばならなかった。当然その犠牲は少なくなかった。
先住民に目を向けること、新植民地主義に目を向けること、資本主義社会に目を向けること、安いバナナやパイナップルに目を向けること、それらが明日の地球を見ることになるのではないか?
そして1945年で戦争が終わったのではないことを確認しておきたい。
高岩監督は現地スタッフとODAや乱開発に関して取材をしていた。その取材は地域ボスや国軍関係者、日系企業の息のかかった者、ODAの利権に群がるもの等に対して行われる。その中で3人の現地スタッフ(現地NGOメンバー)が殺された。
「戦争」はけして終わってはいないのである。
夜を賭けて 2004年2月11日
分断
在日の歴史は分断の歴史であるという。そもそも民衆の歴史は分断の歴史かもしれない。分断を強いる力に抵抗する歴史が民衆史かもしれない。それでも敢えて在日の歴史は「分断の歴史」であると言ってみよう。
両班制度(注1)で分断され、解放前日本の植民地政策により「分断」され、解放後は南北に分断され、来日することが「密入国」になって分断され、朝鮮戦争で分断され、貧困や差別や抑圧により分断され、帰国船で分断された。そして族譜(注2)や「儒教」(注3)で分断された。映画の舞台となる集落(表現の歴史的正確さを問うなら「朝鮮部落」であると思われるが、映画の中でも監督の言葉中にも登場しないので、集落と表現する。梁石日は著作の中で「朝鮮長屋」と表現している)の重鎮的存在の男の息子(朝鮮学校の制服を着ている)が共和国へ帰ると言い出す。貧困と暴力と無知の集団に飽き飽きしている秀才である。父である男は少年にこう言う。
「もう家族がばらばらになることは止めよう」
主人公の青年(ヨシオ)は両親を済州島四・三事件(1948年)(注4)で失っている。
ここまで「分断」され続けた人々がいただろうか?
日本によるアジア侵略の象徴である、あるいは奴隷労働の象徴である兵器工場から10年以上も放置されている金属片を盗むことが彼らの生活の糧となる。そこには抑圧された人々のふてぶてしいエネルギーもある。そして若い人たちの「生」への思いもある。
その中でヨシオは、分断され抑圧され差別され全てを打ち棄てられた女性ハツコと出会う。このふたりの出会いは悲しい。彼女は全てを奪われ性労働に従事させられている。彼女の存在そのものが悲しく、残酷である。
くず鉄窃盗で知り合った詩人の妻の家に招かれ彼女の歌を聴いてヨシオが涙を流すシーンがある。ヨシオの溢れるような色々な思いが伝わってくるようだった。同胞に知識階層がいることを知った感動もあったろうが、優しさに触れた感動でもあったであろう。「優しさが貴重な時代」を背負わされた世代なのだ。
結局は警察権力により徹底的に破壊される。不法に住んでいる地域も完全に破壊される。その後に彼女ら彼らに残されたものは何か?何だったのか?
監督の金守珍(キムスジン)によれば「一世に限りなく近い二世、ボクらを育てた世代」の物語である、という。全ての植民地支配、全ての戦争に関わる歴史の中で問いただすべく核心であると位置づける。
明治から大正・昭和と辿った日本という国のカタチのひとつであることは間違いが無い。さらに高度成長を支えた人々であることも間違いが無い。
原作者の梁石日(ヤンソギル)は「在日の文化を誰が育てるか?」と問う。「在日」は朝鮮半島には存在せず、日本にも「存在しない」のかもしれない。「在日」の文化は「在日」以外残せない。そしてそれは紛れもなく日本という国のあるひとつのカタチでもあるのだ。
梁石日は夫寛(プーカングァン)の歌詞にある「夢破れて」に共感し妻にそのことを話すと彼の妻はこう言ったという。
「破れる前に夢などなかった」
映画は資金的な問題からキャスト・スタッフのすべてをオーディションで募集した。募集するときに「やりたいもの」(キャスト・スタッフ・なんでも)とあり希望ギャラを書く欄には「いくらでも」と印をつけるところもあったと言う。「なんでも・いくらでも」と記入した者が優先的に選ばれたという。
私はそのキャスト・スタッフ達に大きな敬意を払いたい。映画の持つ力を感じたからだ。
監督が新宿梁山泊のボスであるのでほんとうに力強い集団劇になっている。
2004年2月11日民団フェスティバルの上映会にて鑑賞。
2002年133分
監督 金守珍
原作 梁石日
脚本 丸山昇一
撮影 崔灯友
注1 両班(ヤンパン) 朝鮮の高麗や李氏朝鮮の時代に、官僚を出すことができた支配階層。後に血縁的身分として固定化され、特権階級として地主階層として民衆を支配した。
注2 族譜 元々は両班の血縁を証明する家族譜。あくまで父系血縁結合重視である。身分を証明するものでもあるし、族譜の関係で結婚できない場合もある。
注3 儒教 両班支配の根元となった。儒教の学識に基づく威信が国家官僚につながり権力を持った。また、男尊女卑の根源とも言われている。しかし本来の儒教思想は男尊女卑ではない。
注4 済州島四・三事件 1948年5月10日、米軍政下の南朝鮮(大韓民国建国以前であるためこう表記する)では大韓民国建国にむけた「単独選挙」が予定されていた。四・三事件はこの「単独選挙」に反対する武装蜂起として始まり、米軍と李承晩政権による軍と警察と右翼分子を使った鎮圧過程で3万人から5万人におよぶ犠牲者を出した。 「白色テロ」「赤色テロ」「左翼冒険主義」等々種々の見解が出されているが実態はまだまだ不明である。民衆が何万人も死んだ事実だけがある。この事件で日本に「密入国」した人々が少なくなかった。 歴史の闇に埋もれていたが2001年金大中政権が調査と死者の名誉回復を約束した。 (金石範著『火山島』参照)
分断
在日の歴史は分断の歴史であるという。そもそも民衆の歴史は分断の歴史かもしれない。分断を強いる力に抵抗する歴史が民衆史かもしれない。それでも敢えて在日の歴史は「分断の歴史」であると言ってみよう。
両班制度(注1)で分断され、解放前日本の植民地政策により「分断」され、解放後は南北に分断され、来日することが「密入国」になって分断され、朝鮮戦争で分断され、貧困や差別や抑圧により分断され、帰国船で分断された。そして族譜(注2)や「儒教」(注3)で分断された。映画の舞台となる集落(表現の歴史的正確さを問うなら「朝鮮部落」であると思われるが、映画の中でも監督の言葉中にも登場しないので、集落と表現する。梁石日は著作の中で「朝鮮長屋」と表現している)の重鎮的存在の男の息子(朝鮮学校の制服を着ている)が共和国へ帰ると言い出す。貧困と暴力と無知の集団に飽き飽きしている秀才である。父である男は少年にこう言う。
「もう家族がばらばらになることは止めよう」
主人公の青年(ヨシオ)は両親を済州島四・三事件(1948年)(注4)で失っている。
ここまで「分断」され続けた人々がいただろうか?
日本によるアジア侵略の象徴である、あるいは奴隷労働の象徴である兵器工場から10年以上も放置されている金属片を盗むことが彼らの生活の糧となる。そこには抑圧された人々のふてぶてしいエネルギーもある。そして若い人たちの「生」への思いもある。
その中でヨシオは、分断され抑圧され差別され全てを打ち棄てられた女性ハツコと出会う。このふたりの出会いは悲しい。彼女は全てを奪われ性労働に従事させられている。彼女の存在そのものが悲しく、残酷である。
くず鉄窃盗で知り合った詩人の妻の家に招かれ彼女の歌を聴いてヨシオが涙を流すシーンがある。ヨシオの溢れるような色々な思いが伝わってくるようだった。同胞に知識階層がいることを知った感動もあったろうが、優しさに触れた感動でもあったであろう。「優しさが貴重な時代」を背負わされた世代なのだ。
結局は警察権力により徹底的に破壊される。不法に住んでいる地域も完全に破壊される。その後に彼女ら彼らに残されたものは何か?何だったのか?
監督の金守珍(キムスジン)によれば「一世に限りなく近い二世、ボクらを育てた世代」の物語である、という。全ての植民地支配、全ての戦争に関わる歴史の中で問いただすべく核心であると位置づける。
明治から大正・昭和と辿った日本という国のカタチのひとつであることは間違いが無い。さらに高度成長を支えた人々であることも間違いが無い。
原作者の梁石日(ヤンソギル)は「在日の文化を誰が育てるか?」と問う。「在日」は朝鮮半島には存在せず、日本にも「存在しない」のかもしれない。「在日」の文化は「在日」以外残せない。そしてそれは紛れもなく日本という国のあるひとつのカタチでもあるのだ。
梁石日は夫寛(プーカングァン)の歌詞にある「夢破れて」に共感し妻にそのことを話すと彼の妻はこう言ったという。
「破れる前に夢などなかった」
映画は資金的な問題からキャスト・スタッフのすべてをオーディションで募集した。募集するときに「やりたいもの」(キャスト・スタッフ・なんでも)とあり希望ギャラを書く欄には「いくらでも」と印をつけるところもあったと言う。「なんでも・いくらでも」と記入した者が優先的に選ばれたという。
私はそのキャスト・スタッフ達に大きな敬意を払いたい。映画の持つ力を感じたからだ。
監督が新宿梁山泊のボスであるのでほんとうに力強い集団劇になっている。
2004年2月11日民団フェスティバルの上映会にて鑑賞。
2002年133分
監督 金守珍
原作 梁石日
脚本 丸山昇一
撮影 崔灯友
注1 両班(ヤンパン) 朝鮮の高麗や李氏朝鮮の時代に、官僚を出すことができた支配階層。後に血縁的身分として固定化され、特権階級として地主階層として民衆を支配した。
注2 族譜 元々は両班の血縁を証明する家族譜。あくまで父系血縁結合重視である。身分を証明するものでもあるし、族譜の関係で結婚できない場合もある。
注3 儒教 両班支配の根元となった。儒教の学識に基づく威信が国家官僚につながり権力を持った。また、男尊女卑の根源とも言われている。しかし本来の儒教思想は男尊女卑ではない。
注4 済州島四・三事件 1948年5月10日、米軍政下の南朝鮮(大韓民国建国以前であるためこう表記する)では大韓民国建国にむけた「単独選挙」が予定されていた。四・三事件はこの「単独選挙」に反対する武装蜂起として始まり、米軍と李承晩政権による軍と警察と右翼分子を使った鎮圧過程で3万人から5万人におよぶ犠牲者を出した。 「白色テロ」「赤色テロ」「左翼冒険主義」等々種々の見解が出されているが実態はまだまだ不明である。民衆が何万人も死んだ事実だけがある。この事件で日本に「密入国」した人々が少なくなかった。 歴史の闇に埋もれていたが2001年金大中政権が調査と死者の名誉回復を約束した。 (金石範著『火山島』参照)


