leraのブログ -80ページ目

leraのブログ

自らの文章のアーカイブと考えている

ミンダンフェスティバル2007

 11月23日から3日間、第四回のミンダン(在日本大韓民国民団中央本部)フェスティバルが開催された。6年間で4回だから盛んとは言えないかもしれない。今年は映画祭のみで、寂しく感じた。

 今回の映画祭の上映作品は
「にあんちゃん」(59年今村昌平)
「あれが港の灯だ」(61年今井正)
「やくざの墓場ーくちなしの花」(76年深作欣二)
「新・仁義なき戦い」(2000年阪本順治)
「ガキ帝国」(81年井筒和幸)
「パッチギ」(04年同)
 「にあんちゃん」や「あれが港の灯だ」はこのイベントで何回か上映しているし、「パッチギ」は有名作品なので参加者が少なかったのかもしれない。

 呉徳洙監督の司会で行われた質疑応答でも、観客の「在日」の少なさが指摘されたが、映画という形態に問題があるのか?あるいはそもそもこういったイベントに問題があるのか?を論じる時期に来ているのかもしれない。

 しかし、私には大きな収穫があった。「あれが港の灯だ」「やくざの墓場ーくちなしの花」の2本だ。映画の中の在日というテーマを越え、「女性そして在日」というテーマだった。

女…そして「在日」
 今年のミンダンフェスティバルの映画祭でふたつの作品に出会った。「あれが港の灯だ」(61年今井正)と「やくざの墓場ーくちなしの花」(76年深作欣二)である。「あれが港の灯だ」は2回目であったが、1回目は30年ほど前に見た。自分の年齢の問題もありイ・スンマン・ラインを扱った「政治色の強い作品」という印象があったが、今回は別の見方ができた。

 「あれが港の灯だ」では娼婦(岸田今日子)が出てくる。在日を隠してイ・スンマン・ライン近くで操業する青年と出会う。ライン付近での漁業に拿捕や死亡者が出ていた時期である。彼は在日であることを指摘されたために、お金だけを払って帰ろうとする。その彼に彼女は「パンチョッパリ(半日本人)」と侮蔑の言葉を吐く。

 「やくざの墓場ーくちなしの花」には刑務所に収監されている組長の妻(梶芽衣子)が出てくる。彼女は組の後継者候補の承諾を夫である組長に取りに行くが、刑務所の面会室で激しい拒絶にあう。

 妻は警察から監視を受けていて自由に県外へ行けない為、破天荒な刑事(渡哲也)に同行してもらうのだが、面会室で強い拒絶にあった後鳥取砂丘で呆然として時間を過ごす。彼女は「海は腐らない」と言い、海の向こうに帰りたいと言う。父が朝鮮半島から来たこと、母が日本人だったこと、早くに両親が死んだことを話す。

 刑事は中国からの引揚者で、それが原因でいじめられそして「力」を求め、それが警察官だったと話し、二人は強く惹かれ合う。

 「あれが…」の娼婦は、その青年と再会する。青年はある種の「安堵」を彼女に求める。彼女は幼い頃の思い出を彼に語る。

 彼女は「お母さんは…」「お母さんは…」「お母さんは…」と母の思い出を語る。貧しい生活の中で、雑草を取ってきて美味しい料理を作ってくれたことなどを無邪気に嬉しそうに話す。彼女は「オモニは」とは言わない。「お母さんは…」と言う。そこには「喪失」の哀しみがある。「お母さん」と繰り返される台詞が耳に残って離れない。これほど哀しい「お母さん」という言葉を聞いたことが無い。

 「やくざの…」の組長の妻は13歳から売春をしていたという。組長と知りあってからも売春をして組を支えたことがあり大変苦労したと、刑事は「純粋の朝鮮人」と自分の出自を語る組の幹部の「義兄弟」(梅宮辰夫)から聞く。

 彼女は惹かれた刑事の裏切りと思える行為や、後継幹部と思っていた男の死に接し、いままで唯一の「安堵」を与えてくれたというドラッグをやりこう言う。

「うちは誰の女でもあらへん。西田組の女でもあらへん。日本人でも朝鮮人でもあらへん。ハーフでもあらへん。うちは魂になって飛んでいくだけや…」 

 それを語るシーンは凄まじいばかりの美しさを湛えている。このワンカットだけでこの映画を観る価値がある。

 「あれが…」の娼婦は結局隠すことさえ許されない境遇を生きている。隠すことに意味が無い人生を歩まされているのだ。なにもない人生ではない。負の人生なのだ。そして母を語る時に「お母さん」と言い、その母が口癖のように言っていた「パルチア(パルチャヤ)」(宿命の意味)という言葉をつぶやく。それはどこにも行き所がないこと、そしてどこにも国などないことを示している。

 この二人の女には居場所がないのだ。そして、自分も自分のものではないのだ。また守るものをも、ひとつとして、持ち得ていないのだ。



紙屋悦子の青春
人を好きになるということの大事さ

 近松の世話物を代表するのは「心中物」である。其の中でも「曽根崎心中」「心中天網島」「冥途の飛脚」は名作と言われている。この三本に共通するのは傾城(遊女)である。この三本では厳しい身分制度とワイルドな資本主義という現実をストーリーの基層に据えている。

 人を恋することが、あるいは人を好きになることが不幸の始まり、と言った耐えられないほどの切なさに彩られている。

 実は全く同じ時代があった。太平洋戦争時代である。あるいは戦争というものの全てが「その時代」なのかもしれない。

 産めよ増やせよで性交を煽りながら、男女の恋慕の情を軟弱と批判する時代。従軍慰安婦や労務慰安婦には望まない性交を強制し、兵士たる少年や勤労奉仕する少女に恋を語らせない、そんな非人間的な時代…考えてみれば身分制度も厳然とあり戦時資本主義は弱者から徹底的に搾取した。金銭、財産はもちろんのこと時間も人生も自由も搾取した。若者の多くが奴隷状態だった時代である。

 その中で死を受容する男と、この男の死を自分の中だけで解体しようとする女。そんな中に何の希望があろうや?そんな中に夢などないのだ…

 強いられていたのだ、精神性という呪縛で…精神性を象徴するものは天皇であり、国であり、郷土であり…だったのだろう。

 その時代が再来しないことを切望する。

 人を好きになったら好きだと言える自由を

 守るために戦うなら、自分と愛する人たちと一緒に戦う自由を…離れて戦うことこそ「侵略」である。


三里塚・辺田部落


 小川紳介の三里塚作品群の中では異色の作品であり、私が最も好きな作品のひとつである。それはこの作品が地域を中心にとらえたからだ。

 1000年の歴史があるという辺田部落の話を老人から聞く。源氏系の人びとの住まいの違いや、火災があったことや、村八分のことなどを聞いていく。そして、慣習や行事を追っていく。

 結婚で来た老女の苦労話を聞く。

 そこには人が作ってきた歴史があり、まさしく財産がある。

 当然のことながら闘争の前に生活があるのである。  そしてその生活はすでに自分たちだけのものではなくなっている。ひとりの「息子」が自死しているからだ。その自死している家にも家宅捜索が入る。

 小川は農作業を手伝いながら、辺田部落の農民の生活を撮りたかったのだと思う。ひとつの土塊には、おおくの人の生活があることを表現したかったのだと思う。

 そしてなぜあれほど虐げられなければならなかったのか?という不条理感。しかも国に…おおくのジュラルミンの盾が農民たちを分断させていく光景は哀しい。

 あの閣議決定はなんだったのだろう。おそらく辺田部落の歴史や人びとの営みや涙や喜びなど眼中に無かったであろう。

 この作品が作られたのは例の十字路事件の後である。その厳しい追求と弾圧が部落を襲う。収穫期に息子たちを逮捕し起訴する。労働力の削減に困窮した人たちは相談を重ねる。

 長い拘束から解かれた「息子たち」はこう言う。 「われわれには転向などない。帰る場所はここしかないのだから…」

 人を見ること、その大事さ、人がいること、その大きさ、それらをキャメラは残そうとしているように思える。

1973年モノクロ146分