紙屋悦子の青春
人を好きになるということの大事さ
近松の世話物を代表するのは「心中物」である。其の中でも「曽根崎心中」「心中天網島」「冥途の飛脚」は名作と言われている。この三本に共通するのは傾城(遊女)である。この三本では厳しい身分制度とワイルドな資本主義という現実をストーリーの基層に据えている。
人を恋することが、あるいは人を好きになることが不幸の始まり、と言った耐えられないほどの切なさに彩られている。
実は全く同じ時代があった。太平洋戦争時代である。あるいは戦争というものの全てが「その時代」なのかもしれない。
産めよ増やせよで性交を煽りながら、男女の恋慕の情を軟弱と批判する時代。従軍慰安婦や労務慰安婦には望まない性交を強制し、兵士たる少年や勤労奉仕する少女に恋を語らせない、そんな非人間的な時代…考えてみれば身分制度も厳然とあり戦時資本主義は弱者から徹底的に搾取した。金銭、財産はもちろんのこと時間も人生も自由も搾取した。若者の多くが奴隷状態だった時代である。
その中で死を受容する男と、この男の死を自分の中だけで解体しようとする女。そんな中に何の希望があろうや?そんな中に夢などないのだ…
強いられていたのだ、精神性という呪縛で…精神性を象徴するものは天皇であり、国であり、郷土であり…だったのだろう。
その時代が再来しないことを切望する。
人を好きになったら好きだと言える自由を
守るために戦うなら、自分と愛する人たちと一緒に戦う自由を…離れて戦うことこそ「侵略」である。
