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歌舞伎『通し狂言 伊賀越道中双六』(いがごえどうちゅうすごろく)

 この演目が話題になったのは「岡崎」(三州岡崎 山田幸兵衛住家の場)が44年ぶりに演じられるからである。また敗戦後2度目であると言う。
 また、初代中村吉右衛門は唐木政右衛門を何度も演じているが、二代(現)吉右衛門は初役である。
 さらに菊之助、又五郎など皆初役であることも興味をひいた。

 なぜ44年間も演じられなかったか?
 すじがきで藤田洋が三田村鳶魚の言葉を借りて、山田幸兵衛の存在の難しさを指摘している。武術の師匠でありながら農民となり、関所の下役も勤めているという人物で実在の人物である。
 その役は中村歌六が演じたが出色だと思った。

序幕 相州鎌倉和田行家屋敷の場
 この演目は三大仇討ちもののひとつ「伊賀上野の仇討ち」に材をとったもので、講談などに登場する荒木又右衛門(ここでは唐木)が主人公である。
 敵役の沢井股五郎を演じるのが中村錦之助。
 錦之助は端正な芸を見せるのだが、線がやや細く悪役ができるのかと思っていたらこれがなかなかの悪役。
 菊之助の父親を殺害し名刀を盗んだ後に、花道から出てくる菊之助と出会うところがスリリング。どちらもひけをとらない貫禄。

二幕目 大和郡山 誉田(こんだ)家城中の場
 城主として中村又五郎が出てくるのだが、これがなかなかいい。
 吉右衛門との殺陣も魅せた。
 吉右衛門と菊之助が二人して花道からハケるのも見もの。

三幕目 三州藤川 新関の場
 ここから浄瑠璃入る。
 ここでは娘お袖が菊之助に一目ぼれするが、このお袖を演じたのが中村米吉。
 私は米吉を初めて認識したが、これが愛らしくてとてもいいのだ。お袖が関所の下役の娘と知った菊之助が、関所を抜けることに利用しようと手を重ね誘惑するところは客受け。
 前幕で城主を演じていた又五郎がチャリ役で出てくるが、けっこう長い独り芝居をやり客が喜ぶ。

同竹薮の場
 関所破りをした吉右衛門の後に、偶然関所破りをした又五郎がやってきて、またもチャリ場になるのだが、暗闇の中の舞踏劇の趣でこれもなかなか見せる。

四幕目 三州岡崎 山田幸兵衛住家の場
 この場が今回のメインなのだが、私の記憶では文楽で観ている。しかし文楽も「沼津」が多いので記憶違いかもしれない。
 文楽回しが回る。
 この太夫と三味線が熱演。
 菊之助と米吉が雪の中、相合傘で花道より出てくる。そして七三で菊之助は誘惑のセリフを吐く。(寒かろうというセリフの後に)「そなたと同衾するのがご馳走」みたいなことを言う。仇討ちのためとは言え、色悪に見えるところが美しい。

 回り舞台が、住家から逆時計回りに回って家の裏をになり、今度は時計回りに回って住家になった。

 ここで有名な「莨切り」が出てくる。
 とにかく吉右衛門の哀切極まる演技と、芝雀の薄幸さ、歌六の毅然とした中にも情を見せる演技で素晴らしい舞台になっている。
 芝雀の口説きで場内はシーンとなり、その間の吉右衛門の無言の仕種が秀逸。そして包丁でまな板を叩く音に無念の心が重なるような気になる。
 この場を観なかった人は後々後悔することになるだろう。
 というより、今後単独演目にならないかな…

大詰 伊賀上野 敵討ちの場
 幕が開くと舞台に「かぎや」の小屋がある。
 これは一膳飯屋の「かぎや」があった辻で決闘が行われたという史実のため。
 ところがこの「かぎや」はすぐに消えてしまい、決闘の場に変わる。
こだわりというか…少し笑った。
 殺陣は飽きさせない。
 ツケ、大活躍。
 幕が閉まりかかると舞台を惜しむように多くの声がかかったが、「二代目」という声が聞かれた。それは岡崎の復活を待ちに待っていた声のように聞こえた。

 舞台の高揚感からコインロッカーに上着とカバンを入れたまま外に出てしまった経験があるので、しっかりとロッカーから出して外に出た。
 今年8回目の歌舞伎だったが、本年ベストワンだろう。

注 お席は中央がなかったら下手の方がいい。芝雀の口説きが下手で演じられるため。

於:国立劇場
12月26日千穐楽
ヘルマン・ヘッセ翻訳の謎『クヌルプ』余談 地名

 『クヌルプ』に登場する地名はほとんど架空である。

 私はそれに気付いたのはかなり後になってからである。

日本の小説でSFでもなければ架空の地名というのはあまり登場しないように思う。はっきり明示しない場合は「名古屋近郊のとある町」というような表現を使うし、阿部公房のようにローマ字でA市とかB町とかにすることが多いだろう。架空地名の発想そのものがあまりないのではないかと思う。

ただヘッセの用いた地名には少し逸話もある。
Siegfried Greinerの著書“Hermann Hesse.Jugent in Calw”によると小説『クヌルプ』の舞台となっているレヒシュテッテンLächstettenのモデルはヴァイル・デア・シュタットWeil der Stadtであると言う。Weil der Stadtはヘッセの生地であるカルフCalwに行く時にS-Bahn(鉄道)からバスに乗り換える町である。

そして、Weil der Stadtが滑稽な(あるいは「おかしな」)地名のため(その囃し歌まであったという)lächerlich(レッヒァ・リヒ:ばかばかしい、とるにたらない、と言った意味)な地名という意味で造語したのではないかと推測している。lächerlich からlächstettenである。tettenは南ドイツやオーストリアによくある地名につく語尾。

「おかしな」地名という意味は、Weil der Stadt(あるいはWeil dir Stadtまた本来はWeilの後にコンマが入る)を直訳すれば都市(Stadt)のヴァイルだからである。
多くある他のWeilと区別するためだったのだが、ここは行政中心都市でここで発行される公文書にはgegeben zu Weil,der Stadtの表記があり、それが長い間にコンマがとれ町の正式名称になってしまったと言う。

日本のように行政的役割が都市名につくことが多い地域ではあまり違和感の無い話しである。例えば東京と東京都はほぼ同意語であるし、東京都以外の東京という地名は存在しない。

このことを考えるには中世における「町・都市のでき方」まで遡る必要があるがそこまでは知見がないため止めておく。

さて、Weil der Stadtはベーブリンゲン郡Böblingenに属しCalwの東10km、空港のあるシュトゥットガルトStuttgartの西23kmにある。S-Bahn(Stuttgart)の6番で40分ほどで乗り換えなしで行ける。プフォルツハイムPforzheimからは20kmだが当地からはバス利用なので一時間ほどかかる。また珍しくカトリックの町である。

この町が他の意味で有名なのはヨハネス・ケプラーの生誕地なのだ。
生家がケプラー博物館(Kepler-Museum)になっている。
さらに彼はマウルブロンMaulbronn神学校に1586年から89年まで在籍していたので、ヘッセの300年ほど先輩に当たる。

Maulbronnにはユネスコの世界遺産になった1147年設立のマウルブロン修道院(シトー会修道院)がある。この修道院は『車輪の下』の舞台であるし、『ナルチスとゴルトムント』にも『ガラス玉演戯』にも登場する。

Maulbronnには名物料理がある。
マウルタッシェンMaultaschenである。
これは簡単に言うと餃子あるいはラビオリで、修道僧が禁じられている肉食をしたいために肉をパスタ生地で包んだのが始まりと言われている。(マウルブロン・タイクタッシェMaulbronn Teigtascheが正式名称。またシュヴァーベン式マウルタッシェ Schwäbische Maultaschenとして原産地名称保護制度の対象になっている)

プフォルツハイムは「雀焼き」で有名な(笑)シュペッツレが名物料理なので、ヘッセ軸(?)と称してシュツットガルトからヴァイル・デア・シュタット(レヒシュテッテンをしのびケプラーに触れる)~カルフ(ヘッセの生家とヘッセ像)~プフォルツハイム(シュペッツレ) ~マウルブロン(世界遺産の修道院とマウルタッシェン)のツアーはどうだろう。

美味しい食べ物も、歴史遺産もあるしクヌルプが越えようとしたシュヴァルツヴァルトの入口でもある。そしてシュツットガルトとプフォルツハイム以外は風景と建物が美しい素朴な田舎町である。


カルフは標準ドイツ語。当地には低地アレマン語話者がいてCalp(カルプ)と言う。他に 南フランケン語話者がいる。

不思議な選挙と奪われた希望

 今回の選挙は不思議だった。

 自民党は議席数を減らしたのに勝利だし、民主党は議席数を増やしたのに敗北だという。

 与党投票数と野党投票数の合計は野党投票数の方が多かったから、与党か野党かの人気投票なら野党の勝ちだ。

 自民票総数は前々回の大惨敗時よりかなり票を減らしている。なのに勝利。

 与党票は全体の48パーセントなのに獲得議席は三分の二という不思議。
 投票率52パーセントの48パーセント支持、つまり有権者の24パーセントの支持しかないのに「国民に」支持された、と言う不思議。

 低投票率は反与党票の行き先がなかったからだ。
 一部がプロテスト・ヴォートとして共産党に流れた。

 反与党票の行き先がなかったのは、ちゃんとした野党が不在だからだ。
 例えば消費税増税に関しては民主党は合意しているし、集団的自衛権も日米同盟支持の中では反対できない。原発に関しては党内で統一ができていない。

 野党不在は深刻な影響をもたらす。
 圧倒的多数の無党派層が政治や選挙から距離を置くからだ。
 これは政権交代したときの裏切りに始る。

 藤原帰一が12月16日の朝日新聞夕刊の「時事小言」でこう言っている。
「(野党だった政党が)政権の掌握によって自民党と違いのない勢力に変わるからだ」

 社会党政権、民主党政権と二回この「裏切り」を経験している。
 それはイデオロギーの不在とポピュリズムの所産だ。
 なにをしても変わらないという諦念観を醸成した。
 ある意味ニヒリズムだ。
 この後遺症は深く重い。

 だいたい供託金が300万円という選挙は普通の人は、あるいは貧しい人は出られない。
 被選挙権が権利になっていない。
 いつしかまともな人は立候補しないシステムができてしまった。
 しかも一票の格差で違憲判断が出ている。国会なのに選挙区のある不思議。
 選挙資金規正法違反した人はみんな当選。
 つまりまともな選挙じゃないということだ。
 投票率が下がって当たり前なのだ。
 というより投票率を上げる施策はやったことがない。罰金や自宅投票や電子投票などだ。未だに地方によっては遠くの投票所に行って、紙に書かなくてはならない。
 つまり今の政党のマジョリティーは投票率が低いことを歓迎しているのだ。

 希望を奪ったのは自民党でも、旧社会党でも、民主党でもない。
 日本の政治というシステムだ。