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自らの文章のアーカイブと考えている

上智大学吹奏楽団演奏会2014

 知人の同級生からのメーリスが行く動機だったのだが、行って欲しいのか、よければどうぞなのか、返信がないので分らなかった。
 元々同大のミュージカルサークルには縁があるし、ヨンパルト神父の講義は何回か聞いている(関係ないか)。
 但し、その同級生は管弦楽のメンバーだったはず。

 そんなこんなで情報が少ないまま会場に行くと、開演時間と開場時間を間違えていた上に時刻まで間違えて、開演の50分前に行ってしまった。
 よほど帰ろうかと思ったが、入り口のタテカンに「無料」と書いてあったので俄然入る気になった。

 そこで、商店街を見つけそこに迷い行ってみた。
 そこがかなり長く賑やかな商店街で、悲しいかな酒呑みの嗅覚、少し横に入ったところに巨大な立ち呑み屋発見。ただ躊躇した。

 オペラの幕間で、ホワイエでシャンパーニュを呑むのとは全然違う。
 酔って入場拒否されたら馬鹿丸出しだ。だから通り過ぎようとした。
 ところが煮込みが130円とのこと。
 無論入った。

 ホントに巨大。
 シマがいくつもあって、二階もあるという。
 安い飲み物は250円から。
 130円の煮込みも悪くない。
 他にレバーフライも食した。これも悪くない。
 レーバーシュパッツェンで悩んだからか(笑い)

 さて、コンサート。
 ミスサイゴンで、ベースドラムを中心にヘリコプターの音を表現したのが面白かった。
 今年何回か聞いた「DeepPurpleMedley」ではele.bがよかった。
 「松田聖子メドレー」はasがよかった。
 「オペラ座の怪人」ではeuphがよかった。
 しかしもっともよかったのはベルリオーズの「ローマの謝肉祭」。イングリッシュホルンの音色が冴えた。

 全演目が終わって早々に会場を飛び出したのは、近くに「コの字の店」がありいままで2回行って満席で、今日こそ行こうと思ったからだ。

 「コの字の店」とは、カウンター(つけ台)がコの字になっていて、中に店主がいる店のことで私にとってはいい店の象徴なのだ。
驚くことに(驚くことないか)吉田類が「コの字の店」の特集本を出していて、全部私の知っている店だった。(吉田類はいい人だ。店で呑んで普通に酔っていた)

 店に入ると、なんと山形の店だった。
 お店の人も、お客さんも山形の人が多いようだったのだ。
 コの字のカウンターは12人くらいしか座れない。そこにカラオケがあり、カラオケを歌うのだが北国をテーマにした曲を歌い、画面に映る風景を懐かしんだりするのだ。しかし、山形のものは少ないようで「これは津軽だ」「これは岩手だけど」と言う場合が多かった。
 カラオケと言っても独特の(山形の?)抑揚があり、哀愁があった。

 そこで「里芋汁」というものを貰った。
 山形には芋煮会というものがあることを知っていたからだ。
 想像と違った味で美味だった。

 また昔の東京をテーマにした曲も多かった。
 青春の思い出なのかもしれない。

 私は異邦人。
 彼らの東京に対する心情も、故郷に対する心情も理解できないであろう。
 彼らは歌いながら「東京に来たとき」という話をしていた。そして帰るところは無いと言っていた。
 歌の中の「出稼ぎじたく」や「会いたや親父(おどう)」という言葉がシリアスに聞こえた。

 彼らは正月の東京に人がいない寂しさを言っていた。
 昔の故郷と比べるのかもしれない。

 以前青森によく行っていたとき、まだあまり東京になかった立ち呑み屋に入って呑んで異邦人を楽しんでいた頃を思い出した。あの時から人の話を聞くのが好きだったのだ。
 宮本常一に憧れていたしね…

 本当のディアスポラは私だね…
ポーランド映画祭2014 『裏面』

 1952年のワルシャワを舞台にしたブラックコメディー。
 今企画で2回しか上映されないので、ネタバレ。

 30歳の未婚の娘とその母と祖母の三人暮らし。
 当時のソビエト支配、共産党独裁体制が描かれて面白い。

 ワルシャワ蜂起やパルチザンという言葉が出てくる。
 ワルシャワ蜂起を生き延びた人々ということになる。

 金の供出の命令が政府から出る。
 その家には1881年libertyと記された金貨が1枚ある。娘はそれをなんとか隠そうとする。家宅捜索もされ、その上見つかったらえらい目にあうので、最も安全な隠し場所として体内を選ぶ。
 つまり飲み込んで、排出し、キレイに洗ってまた飲み込むということを繰り返す。
 そこで起こる笑いは警察国家への笑いだろう。

 娘は出版局に勤めていて、詩集の編集をしている。
 退屈な農民詩人のものなら出せるが、気に入っている詩人ヴォジェツキの詩はところどころを直さないと出せないと言う。
 局長は俗人でマルクスの肖像が背後にあるデスクで愛人と性行為をしたりする。

 彼女は家人から結婚することをせがまれているが、母親がつれてくる男はろくなものがいない。
 ある夜、帰宅するとき二人の男にカバンを奪われそうになる。
 そこにハンフリー・ボガードのようなヒーローが登場し、暴漢を撃退してくれる。
 そしてその男の手練手管が始り恋に落ちる。
 その手練手管のひとつひとつがおかしい。

 その男を家に招いたときに強引に肉体関係を迫られ関係を持ってしまう。
 すると男は結婚しようと言い出し、君に詩を書いて欲しいと言う。
 娘がどんな詩を?と言うと、局長の人間関係や愛人関係を書いてくれという。
「公安なの!」
 と言って娘は男を毒殺する。

 娘と母親で遺体処理をしようと酸で溶かすものの、遺骨の処置に困る。
 するとそれを察知した祖母が、自分が死んだときに棺おけに入れればいいと提案する。
 公安との行為で妊娠し、スターリン死去の報で大喜びすると産気づいてしまう。
 
 息子は大きくなりニューヨークに住んでいて、ゲイの恋人とワルシャワを訪れ娘の母の墓参をする。
 息子の父親は革命に殉じ行方不明になった英雄ということになっている。
 娘ひとりで革命英雄顕彰碑に行く。

 ポーランドが民主化してわずか25年である。
 密やかな笑いをもたらすブラックコメディーだが、警察国家、密告社会、一党独裁国家の土壌があってはじめて描ける特異な「笑い」である。
 尚、2009年アカデミー賞外国語映画賞ポーランド代表作品。

原題 REWERS
監督 ボリス・ランコシュ
2009年ポーランド映画

 当映画祭は渋谷シアターイメージフォーラムにて12月26日まで

ヘルマン・ヘッセ翻訳の謎『クヌルプ』 たまころがし?

さて『クヌルプ』にはKegelbahnというものが登場し、「九柱戯」と訳されている。

クヌルプが自分に思いを寄せてしまった友人の妻と別れ、ベルベレに会いに行く間の時間で、「風が生ぬるく、ときどき星が黒い空に出る」(高橋健二訳)夜である。このとき「九柱戯場」(同)の見えるところを通りかかる。

この「九柱戯」はボーリングの原型で、今でも盛んらしい。
ちなみに
芳賀壇訳「ケーゲル場」
相良守峯訳「九柱戯場に<たまころがし>のルビ」
植村敏夫訳「九柱戯場に<ケーゲルバーン>のルビ、そして<球をころがす長方形の囲いになったもの>と訳者注」。

この頃ボーリングという単語がまだ一般化していなかったようだ。
もともとこの遊びは、ドイツでピンを倒せば罪を清めることができると考えられていて、宗教的な儀式の一つとして盛んになったという。

芳賀壇訳「ケーゲル場」は訳していないのと同じだが、その他の訳の「たまころがし」を日本の読者がどうイメージしたかは大変興味があるが、確認しようがない。「たまころがし」というと運動会の大玉ころがしをイメージしてしまう。

実はこのシーンは女性をデートに誘って待ち合わせの場所に行くところなので、ロマンティックなシーンなのだ。
「風が生ぬるく、ときどき星が黒い空に出る」なのだから。
そこで「大玉ころがし」じゃちょっと辛い。
だから逆に芳賀壇訳「ケーゲル場」は救いなのかもしれない。

16世紀になって、マルティン・ルターがケーゲル(ピン)を9本にした新しい競技規則を作ったので普及したというが、ここでもルターが出てくる!ドイツではとにかくルターとゲーテが出てくる。

ピンが9本なのだが、図版によると向って「正方形」に置く場合と「菱形」(この場合はヘッドピンがある)に置く場合とあり、「正方形」の方が古いようである。クヌルプもヘッセもケーゲルバーンをやっていただろう。是非ボーリング場に頼んでピンを9本にしてボールを投げてみたいものである。