映画『シャトーブリアンからの手紙』
監督名だけで観ようと思った作品だ。
『ブリキの太鼓』(1979)『9日間』(2004)の監督であるからだ。『9日間』は強制収容所に収容されている宗教者と、管理側のナチス親衛隊の青年との社会変革意識についての討論が中心で、その青年は宗教者を目指していたがナチス党思想の方が実行性があると思って入党した人である。素晴らしい作品にもかかわらず、東京のドイツ映画祭で2回上映されただけである。(その後の上映情報については知見がない)
映画は1941年10月のナチスドイツ占領下のフランスのナント市で、ドイツ軍将校が暗殺されたことに対し、ヒトラーがその報復として150名の処刑を求めた事件の4日間を追ったものである。
そこに敵・味方の単純な二項対立はない。その報復処刑を止めようとする人々と、実行しようとする人々がいるだけだ。
ドイツ軍の軍政司令官はフランス人の反感を買うだけだと、なんとか止めさせようとするが、パリとベルリンの意向は変わらない。
そして、処刑のターゲットになるのはナント市に近いシャトーブリアン郡のショワゼル収容所の政治犯たちで、多くが共産党員である。
その収容所を実質管理しているのはフランスの官僚(郡副知事)で、彼は抵抗を表すものの執行される者のリスト作りをする。さらにそのリスト作りに協力するのは、フランス共産党員だったが独ソ不可侵条約締結時の党の対応に幻滅し離党したフランス人である。
ドゴールのイギリスからの放送も虚しいし、ヴィシー政権のペタン元帥が身代わり提案をするが、それをすぐに撤回し、逆に暗殺を非難し対独協力を呼びかける。
収容所の党員たちは党の将校暗殺の実行に疑問を持つし、実行犯たちの悩みは深い。なぜなら犯人が捕まれば報復処刑は中止されるからだ。しかし自首は党が許さない。またソビエトもポーランド侵攻ではナチスドイツと手を組んでいたことも批判する。
ここには、組織と個人、理想と現実、利用する者とされる者の対立が現れる。
私が党派に批判的なのは、党員を党勢拡大のためのコマと使うからだ。それはもうひとつの「帝国主義」である場合がある。
フランスが連合軍に解放された後対独協力者批判が始まるが、少なくとも「フランス人の」半分はそれだった。やましさがある分摘発側に回ると熾烈であった。レジスタンス神話が崩壊するのは1990年以降だが、エディット・ピアフがあらぬ疑いをかけられたことも広く知られている。
ここで処刑された17歳のギィ・モケが中心として描かれるが、その後の地下鉄の駅名になったりなどの政治利用は、この映画のパンフレットの中の渡辺和行氏の「レジスタンスの神話化と脱神話化」の文章が大変興味深い。
人々は保身や脱思考や官僚的態度で処刑に抵抗しないし、宗教者も無力である。それは、ハン
ナ・アーレントの「凡庸な悪」を思わせる。
戦争は、悪い国や悪い人がつくるのではなく、思考停止した大衆が支えるのである。
私が驚いたのは、この作品が仏独合作であるということだ。
日本が朝鮮半島の国や、中国やアジア諸国とこういう映画を合作できるとは到底思えない。映画『人間の條件』が中日合作でリメイクされるような、あるいは堤岩里(ジェアムリ)事件を韓日合作で作るようなものだからだ。
ギィ・モケの名は残っているし、反ナチス活動で処刑された女学生ゾフィー・ショルの名前も残っている。
果たして日本で戦争に反対し治安維持法で逮捕され、拷問を受けたり、獄死した人の名が残っているだろうか…
原題はLA MER A L’AUBEあるいはDAS MEER AM MORGEN(夜明けの海)
この収容所で銃殺された27人の手紙を預かったのがパリのドイツ軍司令部付だった大尉ですでに作家としての地位にあったエルンスト・ユンガー。彼がその遺書とも言うべき手紙を翻訳した。
邦題はここからきている。
監督・脚本 フォルカー・シュレンドルフ 2012年フランス・ドイツ合作
絶望の国日本…東浩紀
2014年11月2日の東京新聞「あの人に迫る」で哲学者の東浩紀が「絶望の国日本」と言っている。
彼は福島第一原発観光地化計画を発表し、その刺激的な提案に対してあまり反応がなかた。そして「原発問題での関心は、ほとんどない」と言う。
「国民は原発問題を忘れたいと思っている。将来大きな禍根を残すだろう。この国には絶望した」と。
さらに従軍慰安婦問題に対し「強制連行」や「慰安婦」の意味論から言葉の定義になり現実がすっかり見えなくなっていると指摘し「モノを残さないと修正主義者に負ける」と断じている。その例としてアウシュビッツのガス室をあげる。
そして以下のように俯瞰する。
「2000年代から11年まで続いてきた一種の希望が崩れた。民主党の政権交代は失敗し、インターネットも大して社会を変えなかった。15年ほど続いた幻想がなくなり、自民党の一党支配になりネット文化が持っていた反権力や反体制というメンタリティーが骨抜きになった。多様な意見が受け入れられない社会の空気がとっても単調な時代。言論人が社会的な活動をするのが難しい」
また、今の日本社会を異常事態と表現し、こう言う。
「原発事故は風化し、社会はそれをよしとしている。嫌韓本がベストセラーになり、ヘイトスピーチが出現し、いつからこんな国になったのかと思う」
2014年11月2日の東京新聞「あの人に迫る」で哲学者の東浩紀が「絶望の国日本」と言っている。
彼は福島第一原発観光地化計画を発表し、その刺激的な提案に対してあまり反応がなかた。そして「原発問題での関心は、ほとんどない」と言う。
「国民は原発問題を忘れたいと思っている。将来大きな禍根を残すだろう。この国には絶望した」と。
さらに従軍慰安婦問題に対し「強制連行」や「慰安婦」の意味論から言葉の定義になり現実がすっかり見えなくなっていると指摘し「モノを残さないと修正主義者に負ける」と断じている。その例としてアウシュビッツのガス室をあげる。
そして以下のように俯瞰する。
「2000年代から11年まで続いてきた一種の希望が崩れた。民主党の政権交代は失敗し、インターネットも大して社会を変えなかった。15年ほど続いた幻想がなくなり、自民党の一党支配になりネット文化が持っていた反権力や反体制というメンタリティーが骨抜きになった。多様な意見が受け入れられない社会の空気がとっても単調な時代。言論人が社会的な活動をするのが難しい」
また、今の日本社会を異常事態と表現し、こう言う。
「原発事故は風化し、社会はそれをよしとしている。嫌韓本がベストセラーになり、ヘイトスピーチが出現し、いつからこんな国になったのかと思う」
女性の「社会進出」と「女性の活躍推進に関する世論調査」
内閣府が発表した「女性の活躍推進に関する世論調査」で「夫は外で働き、妻は家庭を守るべき」に賛成する人が44.6%だった。
東京新聞は「安倍政権が掲げる女性の活躍推進の浸透が現段階では限定的」
ところが産経新聞ではこうなる。
「夫は外で働き、妻は家庭を守るべき」に反対する人が49.4%になり、安倍首相が掲げる女性活躍に対する理解が広がっている。
ところがこの設問に問題がある。
夫婦のどちらが働くとしたら賃金の高い男性が働いたほうがいいという賃金差別に乗った判断があるからだ。
また、保育園の確保などを考えたら当然の判断だ。
さらに「妻は外で働き、夫は家庭を守るべき」の設問も必要だろう。
この設問は家事労働を甘く見たいかにも官僚らしい発想だ。
つまり現政権の女性活躍というのは夫婦で働けと言っているのだ。
それは低賃金労働者のあるいは長時間労働者の量産のような気がする。
不正規雇用の禁止や、賃金上昇、社会保険義務化、社会保障の拡充、低賃金化の方便に使われる年功序列廃止の禁止、などなど政府や政治家ができることは山のようにある。
しかしやらない。
さらに女性が「感情労働」として行ってきた、あるいは押し付けられてきた看護、介護、育児といった分野での賃金的待遇はほとんど改善されておらず、労働者の確保に苦労している。
配偶者控除の廃止で、家事労働がそれでなくとも無償なのに課税される逆転現象ですら起ころうとしている。
私は「女性の社会進出」という言葉が嫌いだと言った。
家事労働している女性は社会進出していないように聞こえるからだ。
家事労働とは何か?
通学路の危険を察知し、ガードレールや信号の設置を請願したり
安全な食事のために化学物質や生産国の環境基準に留意したり
給食を試食し仕入れ先や栄養価やアレルゲンなどに配慮したり
アレルギーがあれば、ハウスダスト対策をしたり
義務ではない予防接種の安全性や効果を考えたり
二回接種の場合二回目が不可能にならないように子どもの健康に留意したり
お祭りなどのイベントで子どもが危険にさらされないようにパトロールしたり
30人学級か40人学級か、ゆとり教育、早期英語教育など省の意向によりコロコロ変わる政策を検討したり、毎年変わるセンター試験の情報を入手したり
自死を仄めかした小学生の保護者によりそったり
もうやめた…
これらの行動は社会進出していないのだろうか?
会社で企業利益ばかり考えているほうが「社会進出」していないと私は思うが…
内閣府が発表した「女性の活躍推進に関する世論調査」で「夫は外で働き、妻は家庭を守るべき」に賛成する人が44.6%だった。
東京新聞は「安倍政権が掲げる女性の活躍推進の浸透が現段階では限定的」
ところが産経新聞ではこうなる。
「夫は外で働き、妻は家庭を守るべき」に反対する人が49.4%になり、安倍首相が掲げる女性活躍に対する理解が広がっている。
ところがこの設問に問題がある。
夫婦のどちらが働くとしたら賃金の高い男性が働いたほうがいいという賃金差別に乗った判断があるからだ。
また、保育園の確保などを考えたら当然の判断だ。
さらに「妻は外で働き、夫は家庭を守るべき」の設問も必要だろう。
この設問は家事労働を甘く見たいかにも官僚らしい発想だ。
つまり現政権の女性活躍というのは夫婦で働けと言っているのだ。
それは低賃金労働者のあるいは長時間労働者の量産のような気がする。
不正規雇用の禁止や、賃金上昇、社会保険義務化、社会保障の拡充、低賃金化の方便に使われる年功序列廃止の禁止、などなど政府や政治家ができることは山のようにある。
しかしやらない。
さらに女性が「感情労働」として行ってきた、あるいは押し付けられてきた看護、介護、育児といった分野での賃金的待遇はほとんど改善されておらず、労働者の確保に苦労している。
配偶者控除の廃止で、家事労働がそれでなくとも無償なのに課税される逆転現象ですら起ころうとしている。
私は「女性の社会進出」という言葉が嫌いだと言った。
家事労働している女性は社会進出していないように聞こえるからだ。
家事労働とは何か?
通学路の危険を察知し、ガードレールや信号の設置を請願したり
安全な食事のために化学物質や生産国の環境基準に留意したり
給食を試食し仕入れ先や栄養価やアレルゲンなどに配慮したり
アレルギーがあれば、ハウスダスト対策をしたり
義務ではない予防接種の安全性や効果を考えたり
二回接種の場合二回目が不可能にならないように子どもの健康に留意したり
お祭りなどのイベントで子どもが危険にさらされないようにパトロールしたり
30人学級か40人学級か、ゆとり教育、早期英語教育など省の意向によりコロコロ変わる政策を検討したり、毎年変わるセンター試験の情報を入手したり
自死を仄めかした小学生の保護者によりそったり
もうやめた…
これらの行動は社会進出していないのだろうか?
会社で企業利益ばかり考えているほうが「社会進出」していないと私は思うが…
