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自らの文章のアーカイブと考えている

輝く女性は調整弁

『生活と自治11月号』にジャーナリストの墨威宏氏が「本気なの?女性が輝く社会」と題した文章を書いている。

 7月に公表された2014年度の経済財政白書に「女性の労働力人口を100万人増加させられる」となっているという。また安倍内閣も女性の活躍促進に熱心であると指摘する。

 1986年の男女雇用均等法でも、99年の男女共同参画基本法でも積極的ではなかったのに、なぜ今?と疑義を呈している。

 白書には、2030年には890万人以上の労働力人口が減少し「国全体の所得を押し下げる可能性がある」と書かれているという。
 つまり、労働力が足りなくなるから女性で補おうという発想。
 それは経済界の要請に応えたもので、女性たちの希望をかなえようとしたものではなそうだと分析している。

 日本の近代史を見るとその意図が透ける。
 外貨獲得で女工哀史となったのは貧しい家の娘たちで、昭和恐慌で大量解雇となった。
 太平洋戦争中の女子挺身勤労令では女性は軍需工場に駆り出されたが、戦後は男性の職場確保のため大量解雇された。
 高度成長期の「結婚・出産での若年定年制」では子育てを終えた女性たちが安価なパート労働者となった。
 第一次石油危機の1975年度の経済白書は「女性労働力率は不況下に低下する」と記されていて、不景気では仕事をなくしていた。

 政府や財界は経済事情により女性に「働け」「働くな」と言ってきた。
 つまり調整弁であったことをあきらかにしている。
メゾソプラノを聴きに

 昨晩、メゾソプラノを聴きに行った。

 メゾソプラノは私にとっては不思議領域なのだ。
 以前、ベートーヴェンの「フィデリオ」を聴きに行ったときに、ソプラノが体調不良で出演せず代役をメゾソプラノが務めたのだ。

 男声で、テノールの代役をバリトンが務めることがあるだろうか?
 よくは知らないがないと思う。

 だからメゾソプラノは不思議領域なのだ。
 なぜ不思議なのかと言うと、ソプラノができちゃうメゾソプラノについてである。そして、ソプラノの存在価値についてである。
「高音は訓練で出るが低音はもって生まれたもの」
 と言うからありえるのかもしれない。

 ただ恥ずかしくて誰にも質問したことがない。

 さて、昨晩は第一部がリヒャルト・シュトウラスの特集でそれを聴きたかったのだが、時間の関係で会場に着いたのが第一部が終わった後の休憩の時間だった。

 休憩の後始った第二部はクリスマスソング特集だった。
 私は一番前があいていると言われ、一番前に座ったらなんと歌手と1メートルの距離だった。近いせいか鼓膜に響き、心地いいのだ。

 曲としてはドビュッシーの「家なき子らのクリスマス Noël des Enfants qui n'ont plus de Maisons」
 R,シュトラウスの「聖なる三博士 Die heiligen drei könige aus Morgenland」
「ウォルター・ケントのクリスマスはおうちで I’ll be home for Christmas」
 がよかった。
I’ll be home for Christmasはジャズスタンダードとしても聴いたことがあるので興味深かった。

 配布されたレジュメには日本語対訳が載っていて好感が持てた。
 かつて長唄を聞きに言ったときにやはり日本語対訳(笑)がついていてとてもよかったことを思い出した。

メゾソプラノ 山浦ゆき子
ピアノ 内藤晃
バイオリン 岩楯麻里
第三の敗戦、モラル崩壊そして冷戦の終焉

 文化人類学者の上田紀行氏が2014年11月8日の東京新聞の「第3の敗戦」というコラムで保身について書いている。
 まず「第3の敗戦」とは第二次大戦敗戦、バブル崩壊、その後の「安心と信頼の敗戦。あるいは支えの喪失」だと言う。
それは私の身になにがあっても社会は助けてくれない、すべては自己責任、失敗した人間は見捨てられ、使い捨てになる、という日本社会のことだと言う。

 学生に社会正義と内部告発をテーマに「自分が派遣されている東南アジアの工場で有毒廃液で住民が死んでいると知ったときどうするか?」という設問を提示し、名を出し告発する3人、匿名でリーク15名、何もしないが180人いたと言う。

 使い捨てと保身は表裏一体だと導き出す。
 誰も助けてくれない社会では誰もが利己的な保身に走る。社会に「支え」がなくなったときに正義も滅びると結んでいる。

 同紙に内橋克人氏の「経済モラル崩壊の行き着く先は」と題したインタビューが載っている。

 モラル崩壊とは、武器輸出、原発輸出、カジノ法案、労働者派遣法改正を言っていて「政府も企業も節度を失った」と言う。
 長期政権をもくろむ安倍首相は政財界の「一強多弱」を固定化し対抗勢力が口を出せなくしようとしていると指摘。

 武器輸出、原発輸出は商売相手が国だから企業利益やGDP押し上げの効果はあるが、消費者の需要には結びつかないし、国内市場の活性化には繋がらないので「虚の経済」にすぎない。

 政策には富を再配分する仕組みがないから、大企業が利益を得ても下流国民には及ばない。同様のケースがアメリカだが、大企業が利益独占しただけという批判が強い。

 内橋氏はある疑いを持つ。
 政権の本音は「貧困層の拡大」という疑い。
 つまり生活に困窮すると、政治や経済政策に考える余裕がなくなり、政府にとってくみしやすくなるからだ、と説く。現に現政権の支持率は高いと指摘。

 節度ある経済があったという。
 定年退職まで働ける職場、健康保険を会社が負担し、経営者たちは社会的公器を自覚していた。それらは1980年代の新自由主義の台頭によって失われたという。

 そして拝金主義の経済政策にはどんな影響があるか?
 「経済は栄えるが社会は滅びる」
 派遣労働ばかりになれば、技能の伝承、技能の開発はなくなり、ものづくりの力を衰えさせる。
リーマンショックで分かるように「富める者すらいつまでも富めるわけではない」から大不況の可能性があるとも言う。

 対案として「社会がどうあるべきか」「人間的豊かさ」に力点をおくべきと主張する。
 食糧や再生可能エネルギーの確保などによって生み出された利益を地域に根付かせることで、すでにデンマークでは取り組みが進められているという。
 最後にこう言う。
「大企業に利益を吸い上げさせる節操のないシステムを終わりにしないと未来は見えない」

 私は虚無感や無力感が広がっているほかに、幻視感も広がっているのではないかと思う。
 幻視とはテレビやネットを中心とした視覚を中心とした感覚だ。
 なにか楽しそうなことがありそうという予感や、誰かと連帯していると思う錯覚である。それらが現実に向ける目を鈍らせてしまうし、それらが幻だったと分かったときの絶望感は凄まじいものではないかと思う。

 それを原因にした人ばかりではなく器物に対する暴力(破壊)などは社会不安をあおり、差別や虐待の温床となりやすい。

 この社会はどこに行こうとしているのだろうか?

 ケインズ「ですら」資本主義が進化すると人間に安楽な生活が提供できると思っていた。安楽な生活とは長時間労働や危険労働からの解放である。
 この新自由主義に始まるワイルドな資本主義の特徴は人間が中心ではないと言う事だ。

 株主配当や役員報酬のために人件費や社会保険を低減するシステムで、非正規労働者を求め(労働法の改正)、長時間労働者を求め(パワハラの温床)、発展途上国あるいは人権後進国に労働力を求めるシステムである。

 冷戦の終焉も関係があると思う。(ブレトンウッズの時、ケインズの相手だったホワイトがコミンテルンに情報ほ流していたことは皮肉だ)
 冷戦時代、東西でどちらの社会がいい社会かを競っていた。
 その時、西側諸国はワイルドな資本主義の道をとれなかった。

 労働者は余暇を持ち、家を持ち、資産を持つ社会でなければならなかった。
 冷戦の終焉は理想資本主義の終焉でもあったのだ。

 フランク・シナトラが歌った Nobody win にならないことを願っているが、もう遅いか…特にアメリカの属国である日本では…