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自らの文章のアーカイブと考えている

保護責任者遺棄で懲役15年 2007年12月19日

保護責任者遺棄で21歳の女性に懲役15年の判決があった。1か月放置した事により餓死した事件である。保護責任者遺棄の上に殺人と死体遺棄がつき15年となったのだ。

 父親の責任は問われたのだろうか?同居していなければ全く責任は無いのか?

 21歳で三人の子どもを出産し、二人の子どもと同居し生活することは困難だと思う。行政のサポート、民生委員、等情状状況も少なくないと思う。女性に、16歳で婚姻を許している国にはそれなりの責任は発生しないのだろうか?

 日本の司法は女性に対し、加害者であろうとも被害者であろうとも「厳しい」と指摘されている。

 本当に懲役15年でいいのだろうか?
映画「地の塩」 2007年12月18日


映画「地の塩」

 汝らは地の塩なり、塩もし効力失はば、何をもてか之を塩すべき。後は用なし、外にすてられて人に踏まるるのみ。(マタイ 5-13)

 この作品が作られたのは「波止場」と同じ1954年である。
 マッカーシズムという亡霊が跋扈し、多くの人たちが追われた。ハリウッドでも多くの人たちが追われた。その人たちが作った作品であるという。

 さらに実際の労働運動の現場を見てこの作品を作った。プロの俳優は3名のみで、他は実際に労働運動に携わっていたひとたちである。そして撮影中から多くの弾圧を受けた。メキシコ国籍の女優であるロザウラ・レヴエルタスは撮影中に国外退去になり、後半はメキシコで撮影された。

 しかし、それにしても凄い作品があったものだ。事実たいへん驚いた。70年代に一度だけ日本で公開されただけと言う。先住民族問題、人種問題、労働問題、女性問題がテーマである。この時代にこんな作品が残されたことが奇跡だと思った。

 アメリカ合州国のニューメキシコ州の亜鉛鉱山が舞台である。第二次世界大戦後のアメリカはマッカーシズムが吹き荒れ、レッドパージと労働運動の締め付けが激しくなるが、1947年に制定されたタフト・ハートレー法がその極めつけであった。同法はクローズドショップ制(労働組合に加入していることを雇用の条件とする)の禁止やストライキの禁止を柱とした。

 作品はタフト・ハートレー法が成立した後である。

 白人(映画のスーパーの表現、コーカソイドあるいはアメリカ国籍を元々持つ外来者)とメキシコ系労働者の賃金格差、安全管理の不備を理由に労働者と会社側が衝突する。そしてストライキとなるが、それは警察側の弾圧や裁判所からの命令で終息しそうになる。その時に女性達が立ち上がる。なぜなら裁判所の命令は「鉱山労働者」と言っているからだ。

 女性達は、白人住宅にある給湯設備を新たに要求していく。労働者の男性達は「今まで知らなかった女性の労働」や「女性達の要求」を知り、女性の活動を今まで快く思っていなかった男たちも協力体制に入っていく。

 女性達が「行動」するきっかけは、警官隊の暴力を眼前にした時からだ。
 しかし苦労は倍化していく。労働者住宅からの追い立て、同じ民族ルーツを持つ貧しい人たちのスト破り。7か月にわたるストを支える食糧の確保…

 そして女性達は子どもを地の塩に例える。

監督:ハーバート・バイバーマン Herbert Biberman
残業代ゼロ、不思議というより魑魅魍魎

 アベノミクスの柱は、規制緩和と成長戦略だったが、なんとそこから出て来たのが「残業代ゼロ」である。

 本日(2014年6月1日)の「日曜討論」(NHKラジオ)で自民党の高市早苗氏は、長時間労働、低賃金、ブラック企業に利益という批判に「本人が希望した場合」「幹部候補が対象」だからその心配は無いと言った。

 素朴な疑問。残業代ゼロを希望する労働者がイメージとして全く浮かばない。
 どこにいて、どんな人たちなのだろう?
 また幹部候補というが「名前だけ管理職」被害を忘れたのだろうか?

 消費税増税の他に、配偶者控除の廃止や残業代ゼロをやったらさらなる増税と賃金低下になる。
 単なる法人税減税の埋め合わせ?
 経済成長は個人消費に負うところ大なのに逆である。

 投票や民主主義というものを考える。
 投票権は個人にあって、法人には無い。
 ところが、アベノミクスは個人の負担を増大させ、法人の利益を目指している。
 不思議だ。
 不思議というより、魑魅魍魎だ。

 安倍晋三首相は5月末の集団的自衛権に関する国会答弁で「日本人の命を守る」ということを何度も言った。
 過労死が増えたり、経済的な自殺が増えたりは考えないのだろうか?
 福島第一原発による避難地域対策は「命を守る」ことになっているか?
 原発再稼動、「命を守る」ことになっているか?
 生活保護条件の引き締めや、母子加算の減額など、「命を守る」ことになっているか?
 格差社会、格差教育の容認など、「命を守る」ことになっているか?