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自らの文章のアーカイブと考えている

6月は、すし屋、花子と小平次 2008年06月26日

 仮名手本も千本桜も途中に世話物が入る。変だけど、それがいい。

 今月は吉右衛門のゴンタ。しかし通しではないので「すし屋」だけである。前回(仁左衛門)は通しで木の実、小金吾があった。比較するのはナンセンスだが、やはり木の実、小金吾が欲しい(笑)。

 木の実のテーマは乱暴者の子どもへの思慕である。
 若気の至りで道を外したものの、子どもを持つとその情愛が捨てられず、と言っても元には戻れず…という切なさだ。フィルムノワールに逃亡中の「ヤクザ」リノ・バンチュラが子どもを慕うという作品があったが、私の頭の中では常に「連動」している。

 別の日に行った知人と歌六(弥左衛門)の評価で分かれたが、私は不満はなかった。たしかに弥左衛門の出来で決まってしまう演目であることは確かだ。

 松羽目ものはあまり好きではない。
 能狂言をなにも歌舞伎でやらなくても、という偏見があるからだ。しかし、仁左衛門、錦之助(信じろう)、段四郎はよく笑いを取っていた。 仁左衛門のだらしなさ、錦之助の軽さ、段四郎の「力強さ」がいい舞台を作っていた。期待しない分だけ評価が高くなるのかも…そういえば先月も松羽目ものの勧進帳がよかった。しかも仁左衛門だった。

 小平次より、居残る「左平次」の方が馴染みがある。装置、大道具がよかったが、幸四郎、福助にしては軽い印象が残った。というよりおちかが役どころとして難しいのだろう…

 不得意の舞踊だが、三人形は楽しんで見られた。

 ところで自前で桃割れの若い女性二人がいて目を奪われた。今、自前というとどんな人たちだろう…
阪田三吉翁から見る都市論としての大阪論 2008年06月19日

 現代思想で4月から始まった連載「王将 阪田三吉と「ディープサウス」の誕生」(酒井隆史)が都市論として面白いと書いた。6月号の第三回では大阪論が興味を引いた。

 大阪は
「国内外からの移民からなるモザイク都市」でありながら意識上では「土着性」による支配的な大阪についての語りによってその事態が消されがちなギャップ」

 このことは
「東京ヘの対抗的な大阪」という構図が「大阪を都市性によって競わせているのではないと示唆している」
「中心的な東京に対してむしろ大阪を地方性によって対抗させる」ところにある。

 「大阪はその文化を大阪という地域とその中の人間という地方性の枠でしか捉えない事により、自らの中央性をあいまいにしてきた」(この部分は「南大阪流民の論理」よりの孫引き)

 これらの言説は、阪田三吉翁が実は大阪においても「外部」の人間である、という前提があって初めて論となる言説である。
最高裁の言論弾圧 NHK番組改変訴訟 2008年06月13日

今回の訴訟の最も大きなテーマは「政治家の介入による言論弾圧」である。

 東京高裁はそれに触れ、それを脅威としNHKに賠償を命じた。今回、最高裁第一小法廷はこの問題に全く触れることなくNHKに有利な判決を下した。この判決は政治家の言論・表現に対する介入を認めるものでたいへん危険な判決と言わざるを得ない。

 三権分立といいながら最高裁は国家権力の一部だから「当然」の判決なのかもしれない。

 この判決をした横尾和子裁判長は先日の婚外子差別の国籍法違憲判決に反対(少数)意見を書いた裁判官。彼女が行政官出身だから当然?なのかも。その判決で同じ少数意見を書いた裁判官と出身は、甲斐中辰夫(検察官)堀籠幸男(裁判官)津野修(行政官)吉田佑紀(検察官)横尾和子(行政官)である。しかも津野、吉田、横尾は合憲とした。

 職業裁判官制度の悪弊が出た好?例である。
 裁判官忌避するとその裁判官に却下される国である。

 法曹一元化や民間任官制を訴えていきたい。