大河ドラマ『光る君へ』“勝手に解説”〜第二十四回(2)ー①『紫式部日記』とは何か | 愛しさのつれづれで。〜アリスターchのブログ

大河ドラマ『光る君へ』に関して、勝手に、私感含めて書いております。ネタバレは~という方はご注意ください。

読み進む前に「はじめに」をご覧いただければ幸いです。 




(2)中宮彰子と『紫式部日記』の世界

①『紫式部日記』とは何か

懐妊から五カ月となった寛弘五年四月十三日、多くの公卿を従えて彰子は土御門第に退出、つまり出産のため里帰りします。

このころに藤式部(紫式部)が書き始めたとされるのが『紫式部日記』全二巻です。彰子の出産がまじかになった寛弘五年七月~寛弘七年正月までの事柄について細かく、そして生き生きと記す、史料的にも文学作品としても貴重なものです。

前半である一巻は記録的内容を日記形式で記していますが、二巻は消息文(しょうそくぶん)と呼ばれる手紙形式で作者の意見が書かれたものが挟まれ、その後半にまた記録的内容が書かれています。日本古典文学大系19『枕草子・紫式部日記』(岩波書店、1958年)「紫式部日記」の解説部分で秋山虔氏が評されたように、記録としての部分と随想部分両面が見事に並立するという、とても珍しい作品です。

なぜこのような構成となっているのかは未だに不明で、手紙をもとに書いていく中で紛れ込んでしまったのではないかという説も存在します。また、なぜこの日記を書くことになったのかも判然としていませんガーン『光る君へ』第36回では道長の依頼となっていましたが、彰子からの直々の要請や、もちろん式部自身のためだったという可能性もありえますし、そうした説も存在します。ただ決定的なものがない(書かれていない)ので、必ずこうだ!とか絶対に違うなどとは言えないのですねショボーン(その分、研究が重ねられます)

ところで、古くから写本で伝えられている際の表題は『紫日記』でした。さらにこの中に紫式部という名前は記されておらず、なぜこの作品を『紫式部日記』と呼ぶようになったのかについても分かっていません。ただし、この中で『源氏物語』に関することや彰子とそのサロンに集う女房たち、道長とその家族たちについて触れられているので、十中八九『源氏物語』の作者(紫式部)が書いたのだろうということになっています。また『栄花物語』に同じような記述があるなど、執筆直後から資料的価値を見出されていたと考えられていますウインク

 

右矢印(2)ー②に続きますグラサン