大河ドラマ『光る君へ』“勝手に解説”〜第十四回(1)平安中期の東アジア情勢 | 愛しさのつれづれで。〜アリスターchのブログ

 大河ドラマ『光る君へ』に関して、勝手に、私感含めて書いております。ネタバレは~という方はご注意ください。

読み進む前に「はじめに」をご覧いただければ幸いです。


上矢印

 ※2024年6月10日21:50に加筆しました


『光る君へ』第21回からは為時の越前国赴任のキッカケになった宋からの来着者が問題になっていきます。そこでこのころの外交についてお話ししたいと思いますニコニコ

 

 

第十四回 平安中期の外交 

 

 

(1)平安中期の東アジア情勢

 

まずは簡単に平安中期の東アジア情勢について、ざっくりとですが見てみましょうニコニコ

平安中期の外交で有名なのが遣唐使の廃止です。皆さんご存知の菅原道真が提案したものです。遣唐使廃止にはいろいろな要因があるのですが、大きなものとして唐の衰退が挙げられます。その懸念の通り907年(延喜七年)に唐は滅んでしまいます。中国大陸は五代十国時代に突入、979年になってが中国を統一します。

916年(延喜十六年)、中国東北辺り~モンゴル高原にかけて契丹国が建国、926年にはロシア沿海州南部~中国東北地方の東半分と朝鮮北部に渡った渤海国を滅ぼします。947年に国号をに改め、宋が中国を統一すると攻防を繰り広げていきます。

朝鮮半島では918年(延喜十八年)に高麗が建国されます。高麗は935年に後新羅の王の降伏(滅亡)を経て、936年に後百済を滅ぼします。このように、平安中期の東アジア情勢は緊迫感に包まれていたのですびっくり

 

右矢印(2)ー①に続きますキラキラ