大河ドラマ『光る君へ』“勝手に解説”~第十三回(2)ー①越前赴任の旅路 | 愛しさのつれづれで。〜アリスターchのブログ

大河ドラマ『光る君へ』に関して、勝手に、私感含めて書いております。ネタバレは~という方はご注意ください。

読み進む前に「はじめに」をご覧いただければ幸いです。




(2)為時と紫式部の越前への旅

①越前赴任の旅路

(1)ー②で赴任地への旅について紹介しましたが、では藤原為時の旅はどんなものだったのでしょうか?

『光る君へ』第21回の終盤、為時・まひろ・乙丸たちは赴任地である越前へと向かいます。ナレーションでは

「琵琶湖を北上して山道を進んだ」

と簡単に説明されていますが、為時たちの越前への旅がどんなものだったのかについては不明な点が多いのです。

『福井県史』では『紫式部集』という式部の歌集と、越前国の主要交通路などをもとに検討が行われており、これが為時の越前下向について解明する基本となっています。

それによれば、長徳二年夏ごろに一行は平安京から逢坂の関を越えて大津にたどり着き、ここから船船を使って琵琶湖の西岸沿いに北に向かったようです。三尾が崎という場所で詠んだ歌に「網引く(人)を見た」とあり、この辺りで一泊して塩津に向かい、塩津から陸路で敦賀に向かったと考えられています。塩津から敦賀までのことを歌った歌の詞書には「輿を担ぐ男が、(ここは)何度歩いても歩きにくい道と言った」ことが見え、険しい山道を進んだことが分かります。しかし、それがどこを経由したのかまでは分かっていません。また、敦賀から国府へのルートについても木ノ目峠が有力ではあるのですが、ほかにもさまざまな可能性があるため確定には至っていません。


さて、『光る君へ』第21回では乙丸のほかにも従者らしき人たちがいたことに気付きませんでしたか?

国司は自分のために働いてくれる人々を引き連れて任地へ赴くのですが、実は彼らの中には次の国司の予備軍や下級官人も含まれていました。『枕草子』「すさまじき物」に国司になりそうな人の家に多くの人が集まる様子が描かれていますが、これは受領が組織する集団(郎党)に加えてもらおうとしているのです。なぜそこに加えてもらおうとしているかというと、現地で実務につけば、もしその受領が再任されなくても、その実績によって職を得られる可能性があったからです。

 

右矢印(2)ー①に続きますウインク