大河ドラマ『光る君へ』に関して、勝手に、私感含めて書いております。ネタバレは~という方はご注意ください。
読み進む前に「はじめに」をご覧いただければ幸いです。
『光る君へ』第21回からは新たな展開に突入
毎回毎回唸らされてばかりで、最終回のころには自分がどうなっているか、想像もつきません(;'∀')
というわけで、長徳の変のその後の中央政治の展開をざっとまとめます
第十五回 道長の左大臣就任と後宮の変化
(1)「左府」道長の誕生
長徳二年(996年)六月二十五日、藤原道長を左大臣、藤原顕光を右大臣とする兼宣旨(内示)が出されます。
この時藤原実資も中納言(正)となることが分かったのですが、その三日後に一条天皇が源俊賢に対して「大納言に任ずるべきなのは、右衛門督(この時右衛門督を兼任していた実資のこと)である」と語ったことを知って、実資は「思いがけないこと」と日記に書いています。七月二十日、道長は正二位に進み、正式に左大臣に任じられます。
十月九日、一条天皇は道長に随身を与えることにします。勅書の作成を藤原行成に指示したのですが、草案の文章が摂政関白を想定したものであったため問題となります。既に元服を済ませ、事件などへの対応も積極的に行う一条天皇にとって、内覧とは言え道長は左大臣の域を出なかったのです。しかし常置ではない太政大臣を除けば左大臣というポストは最上位、「一の上(かみ)」です。この後長和五年(1016年)の後一条天皇の即位時に摂政が設置されるまで、道長は「左府」として陣座での主導権を握ることになるのです
(2)ー①に続きます